19 とんだ子供
えらく遅いでありんすなぁ。
マリンカがその日の仕事もそこそこに、ぽつりと独り言を言った矢先、宿屋に一人の珍客が現れた。
客は形だけのノックをすると、数センチドアを開き、顔を半分覗かせる。マリンカと目が合うと、にんまり、と不躾な笑顔を作り、主の許可も無くずけずけと部屋に入り込んだ。
「……何の御用ですかな、ポポーニャ異端審問官殿」
マリンカの言葉に、ポポーニャは返事をせず、まずは自分の椅子を勝手に用意する。仕方無くマリンカも相手の対面に椅子を用意し、向い合って座るのだった。
女性にしては長身なポポーニャと、ピピット族のマリンカが向かい合うと、スケールの違いが際立つ。本来の年齢はそれほど違わないが、シルエットは大人と子供のそれだった。
わざとらしく両膝に握り拳を置いて“お澄まし”をするポポーニャ。彼女は早速要件を切り出した。
「ヒューラン・レンブラントが捕まりまひた」
無愛想に頬杖をついていたマリンカだが、ポポーニャの言葉を聞いた瞬間、ほんの少し目を見開き、顔を上げるのだった。
「え……誰に? ……あんたに?」
マリンカの皮肉めいた冗談にポポーニャはくすりと笑った。
「違いまふ。クロエ、ジキタリス、マーシャのズッコケ三人組れふ」
「……誰?」
机に置かれていたピーナッツを、ひょい、とひと粒頬張り、ポポーニャは質問に答える。
「ボリッ……ゴリ……この間、チルシィ・ジファール副団長を教会が焼こうとしたのを覚えているれしょ。わらしとあなた達二人が出会った日」
もちろん、とマリンカは答える。
「あの火刑は偶然の通り雨によって……連中が言うところの神の思し召しによって、チルシィの肉体はちょっと燻されたらけで、火刑は中断されてしまっら。死んらけど。
そしてその日の晩、あろう事か、我が教会の死体安置所に三人のこそ泥が入ったんれふよ。犯人はチルシィの元部下で、熱狂的……いや、狂信的なチルシィ信者れふ。奴の死体を盗んだ挙句、逆恨みで自分たちの団員の一人をぶっ殺ひたんれふ。とんでもない事だと思いませんか?」
はあ、とマリンカは生返事をする
「……でも、何の為に?」
「何の為? 何の為れしょうね。実のところ、マリンカ氏のアドバイスが欲しくて」
「アドバイス……?」
「そう。死体を盗んだ連中の目的は、何だとお思いれふ?」
あまり興味の沸かないマリンカは、うーん、と考えるフリをした。復讐に関係無いし、金稼ぎにも関係無い。そもそも、彼女にそんな事が分かるはずも無い。
ただ気になっていると言えば、どうして死体を盗んだか? という問いが、どうしてヒューランを誘拐したか? という問いと繋がるのか、はたまた繋がらないのか。もし繋がるならば、この馬鹿げた質問を無理矢理でも考える義務があるかも知れないと、マリンカはほんの少しそう思った。
「集団ヒステリーってやつでありんすかね」
マリンカの言葉を聞いて、ポポーニャは不満そうに頬杖をついた。
「……マリンカ氏。わらしがあんたにそんな聞きかじったような答えを求めて、ここまで来たとお思いれふか?
そうじゃないんれふよ、マリリン氏。商人としてのあんたの意見を聞きたいんれふ。時として暗く狭く危険な場所にも顔を突っ込み、時としてこの世が常識では測れないと知ってるあんたの所見を」
マリンカは失笑した。
「誘導尋問でありんす。聞きたい事があるなら、はっきり聞けばよろしいでしょう」
相変わらずの邪な笑顔を、ぴたり、とポポーニャは止めた。彼女の真顔は刃物のように危なっかしい。
「人を蘇生させるキャンディ・マニュスクリプトが、この世にあるんれふか?」
と、ポポーニャは訊ねる。
予想もしなかった子供じみた質問に、マリンカは怪訝な表情を浮かべるのだった。
「ノーでありんす。聞いた事も無いでありんす。あってたまるかでありんす」
「無いという証明は出来ないれふよね」
ポポーニャの言葉は、やはり大人気無い。
「そりゃ、悪魔の証明ってやつです。神に使える人が言っちゃダメでありんす」
マリンカはほんの少し笑ってそう言うと、ぴょん、と椅子から降りて、後ろを向いた。
「……あのヒューラン・レンブラントは異世界からのマナがあの肉体に入り込み、ああして活動している。これは蘇生では無く転生でありんす。それだって十分にズルですけど、蘇生じゃない。命の尽きた肉体を、別の命が間借りしているだけでありんすな。
マニュスクリプトは奇跡の業を記した書物。でも奇跡的とは言え、尽きた命を蘇らせる事は出来ない。何でもかんでもある筈は無い。無いと思うでありんすけどね!
大魔法使いキャンディ。穢れた智慧のキャンディ。数十冊の手稿を作った伝説の魔女は、一体何者だったんでありんすか? どうして彼女だけが、超越的な術式をこの世に残せたんでしょうな?」
「大魔法使いだかられふよ」
「大魔法使いだって人間でやす。命の理を捻じ曲げる事は不可能でありんす」
ポポーニャはマリンカの言葉を聞き、小さくため息をつく。
「……じゃ、知らないんれふね」
背を向けていたマリンカは素早く振り返る。どんぐりのコマみたいだ、とポポーニャは思った。
「知ってたら復讐なんてしない。家族を蘇らせて、亜人らしく慎ましやかな生活を送るでありんす。
……その為に殺人が必要なら? その狂信者の三人組よろしく、確かに誰かを殺すでしょうな。
条件付きの蘇生や、仮初の蘇生なら……聞いた事も無くはないでありんすけど……それはあっしの理想には程遠いでやす」
「何?」
ポポーニャが低くそう呟くと、ほんの一瞬、部屋の気温がぐっと下がった。
「パッチマンてのは、知っておいでで?」
知らない、とポポーニャは言った。
「ゾンビを作れるらしいでありんす。肉体から離れかけたマナを、強制的に朽ちた肉体に引き戻す術。あんたほどの事情通なら知ってると思ったでありんすけどね。
嘘かホントか知らんでありんすけど……火の無いところに煙が立たんとすれば、希望の狼煙に向かって三人組が走り出したと考えるのは、飛躍した事実の穴埋め程度にはなるかもですな。希望は渇望と言い換えても良い。心の渇きは、どんな下らない噂話も、砂漠のオアシスのように輝いて見えるものでありんす。例えそれが蜃気楼でも、本人達はそこに癒しがあると信じ込み、盲進し、身を滅ぼす。
まだ何か知りたいなら、そのズッコケ三人組とやらに直接聞くが宜しかろう。あんたら教会が連中をミンチにする前にね!」
ポポーニャはマリンカの言葉を聞き、ほんの少し顔を俯かせて、無邪気で邪悪な笑みを浮かべた。
「……なるほろ。パッチマン。そいつはマニュスクリプトを持っているって事れふか?」
そうでしょうな、とマリンカはほとんどなにも考えずに呟いた。
彼女はマニュスクリプトにそれほど関心を持っていなかった。例のヒューを憑依させた禁書はちゃっかり鞄に入れていたが、値打ちがあれば何でも拾うのは、彼女も商人の端くれである以上避けられない性分である。
「それより、ヒューでありんす。ヒューラン・レンブラントが捕まっている場所を教えて欲しい。知ってるんでありんしょ?」
「三番街の酒場『ネオネオ』れふ」
マリンカの質問に、ポポーニャはあっさりと答えた。
「『ネオネオ』のマスターなら知ってるでありんす。類稀な人格者で、純血人も亜人も犯罪者も別け隔てなく接し、一度した約束は必ず守り通す……お金さえ積めば」
「酒場には偶然の出会いが溢れてまふ。偶然の出会いをお金に変えるプロフェッショナルれふ。
……ヒューラン・レンブラントを助けに行くんれふか? 一人で? 曲がりなりにもチルシィという、超一流のソードマンの門下に居た若草団の連中相手に?」
「仕方無いでやす。あんたら教会がその三人組とやらを放ったらかしてるんだから……」
と、その瞬間。
マリンカの脳裏に去来するのは、一つの違和感だった。
ヒューの救出は、マリンカには難しい仕事だ。だが、ポポーニャは? 騎士修道会に助力を要請すれば、抵抗する間もなく三人組は捉えられ、拷問の挙句にチルシィの遺体の在処や奪った目的を吐かせられるはずだ。
『教会にミンチにされる前に』と彼女は自身の口でそう言ったが、彼女はその言葉に訂正の必要を感じるのだった。
「……どうして教会は、まだ三人組をミンチにして無いんでありんすか?」
ポポーニャは笑顔のまま、ぴたり、と静止した。
「居場所が分かっていて、何を呑気にあっしのようなチンケな亜人商人に会いに来てるんで?
……違和感がありんす。実のところ、何を企んでいるんで?」
ふふん、とポポーニャは鼻で笑った。静止した笑顔は、再び時間を取り戻していた。
「ヤブヘビれふ。ヒューランの居場所は教えたんれふから。知りたい事を知れれば、後は知らんふりを決め込めば宜しかろう。わらしが何をするか、それがお前に何の関係が?」
ポポーニャの脅しにも似た言葉。マリンカはますます気になった。相手の本懐に近い何かがあるという予感が、ありありと感じられた。
……が、彼女はそれ以上の追求はしなかった。その感触こそが十分な成果で、確実に蛇(それも猛毒を持った)が出てくる藪をつつく程、彼女がリスクを背負う話題では無い。
「もちろん。あんたの人生はあんたに任せるでありんす」
ただし……と、マリンカは思った。
(ただし……納得のいかない事が無い訳ではない。ムカつき。手駒にされてるようで、ムカつくでありんすよ。あっしも、ヒューも、グラスケージも、アンスラサイト家も、そのズッコケ三人組とやらも……今度の駒は、パッチマン?
不安もある。あっしが邪魔になったら、腐ったパンをゴミ箱に捨てるように、躊躇無くあっしを切り捨てるんでしょうな。いつでもあっしを殺せる大義名分を持ってるんすから、奴は)
ポポーニャはもう一口ピーナッツを頬張り、じっとマリンカの顔を見ていた。これはまだ食べられるのか、それとも腐っているパンなのか。相手の鑑定するような目つきを、マリンカは堪らなく不快に思うのだった。
「……もういいでありんすか? ポポーニャ異端審問官殿。あっしはこれから野暮用がありますゆえ。『ネオネオ』に預けられたでっかい迷子を迎えに行かねばならんでありんす」
「待つれふ」
と、ポポーニャは勢い良く立ち上がった。
「マリンカ氏。あんたから聞けた情報で、わらしは満足しまひた。あんたの言う通り、明日の朝にでも修道会の騎士を五人ばかし引き連れて、連中をミンチにしてきまふ。
異世界の親友を心配する気持ちも分かりまふが、明日になれば迷子は勝手に帰って来るはずれふ。それでも迎えに行きたいなら勝手にろうぞ」
きょとん、とするマリンカ。果たして自分がそれほど重要な情報を言ったかどうか、彼女は自信が無かった。喋った事と言えば、他人を蘇生させるマニュスクリプトなんて無いという事と、パッチマンの話だけ。
それは価値観の問題だった。ポポーニャが大事に思い、マリンカが下らないと思う。パズルのピースは埋まっているが、完成した絵を見る“角度”が二人の間で大きく違っていた。
ポポーニャは颯爽と出口まで歩くと、ひらひらと手を振り、あっという間に部屋を出て行った。
ぽつんと残されたマリンカを支配する、妙な違和感。何かを中心に、毒蛇はぐるぐる画策している。
(……ポポーニャは何が目的なのだ? ポポーニャ個人が欲しかった情報。即ち……教会に内緒で欲しかった情報……自分の為に、ポポーニャ・ストロベリーフィールズ個人の為に……。
そう言えば今日の会話で、奴の感情が剥き出しになった瞬間が……確かにあった。奴が狡猾さの欠片も無く、子供みたいになった瞬間があったでありんす。なんだっけ、えーと、確か……そう、“悪魔の証明”!)
思い立った彼女は、鞄から手帳を取り出し、ポポーニャについてメモしているページを開く。
“キャンディ・マニュスクリプトが目的?”
彼女は大雑把な所感を記し、手帳を再び元の場所に仕舞い込んだ。
……ちらり、と鞄の中から姿を覗かせるマニュスクリプト。もしこれもポポーニャの目的の一つなら、あるいはこれは命綱になっているのかもしれない。ただし、よく油の塗られた命綱だ。着火したタイミングを見極めて、すぐに手放さなければならない。
とんだ拾い物をしたでありんすな……と、彼女は思った。禁書も、異世界人も。
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