11 とんだビジネスパートナー

 ヒューからゆっくりと顔を遠ざけ、ポポーニャは椅子にふんぞり返った。挑戦的な瞳は彼を射抜いたまま、決して逸らされない。

 一見、絶対の自信があるように見えるポポーニャだが、ここまでのやりとりを通じてとある“一本の糸”がヒューには見えていた。それは彼女の性分とでも言うべき一つの決定的な傾向だ。糸を手繰り寄せた先に、必ず異端審問官の弱みが括り付けられていると彼は信じていたし、今ここでそれを暴く事は至難の業だが、不可能では無いと感じていた。

 彼は冷静を努めながら、静かに口を開く。


「……ポポーニャ異端審問官、質問をさせてもらうぞ」


「ろうぞ」


 どうぞ、とポポーニャは言った。

 心配そうに二人の顔を見比べるマリンカ。

 ヒューはゆっくりと言葉を選びながら質問を始めた。


「お前の……お前の目的は、この町の権力者だ。そうだろ?」


 ヒューの言葉に、ポポーニャの顔から笑みが消えた。


「……何でそう思うんれふ?」


「それは質問の答えじゃない」


 ヒューは間髪入れずにポポーニャを追い詰める。彼女は苛立ちを眉間の皺に変えた。


「ちっ! ふん。答えてやる。答えてやりまふとも……答えは、“ノー”れふ」


 ポポーニャの答えに、一同は張り詰めた沈黙を見守る。

 彼女はゆっくりと自分の鼻の下を押さえ、改めて掌を見ると、にやり、と例の嫌らしい笑みを浮かべてヒューの方を見た。少しも鼻血は出ていない。

 馬鹿ヒュー! と胸中で毒づきながら、マリンカは全身を痺れのような後悔が広がっていくのを感じていた。”自分は異世界人に一体何を期待していたんでありんすか!?”と、彼女は思った。

 しかし、その瞬間。


「……ブがッ!」


 堰を切るように、偽りの証明がポポーニャの鼻から吹き出した。

 実際のところ、偽りの証明までのタイムラグは、彼女が自分自身の言葉を真実であると必死に偽ろうとした為だ。しかし、このミティク・ポーションの効力を超える事は……あるいは、自分自身を完全に騙す事などは、出来やしなかった。それが出来るのは本物の狂人だけだ。

 そして、慎重に慎重を重ねて紡いだ言葉の調子や仕草は、如実に彼女の抵抗を表しており、ヒューやマリンカに対して、それがどれだけクリティカルな質問だったか、自ずと知らしめる事となってしまった。

 糸を掴んだ、とヒューは思った。手離さない様に、千切れないように、慎重に、確実に、それを引きずり出さなければならない。

 ポポーニャはハンカチで乱暴に自分の顔を拭った。無造作な拭き方が災いし、彼女の顔は血まみれになる。鬼気迫る表情と相まって、異様な雰囲気を醸し出した。


「良い気になってんじゃないれふ! わらしの番れふ!」


 コケにされたように思え、ポポーニャは我慢ならない様子だった。彼女は酷く短気だった。


「ヒューラン・レンブラント! こいつは異世界人ら! どうら、チビ商人!?」


「……そ、その通りでありんす」


 ポポーニャの質問に、マリンカは素直に答える他無い。

 極刑に直結する発言に、彼女は生きた心地がしなかった。


「うひゃはははは!」


 ポポーニャは笑った。


「そら見ろ! わらしの目は誤魔化せない! わらしの仕事を邪魔させない! ゲームオーバーれふ! さあ、最後の質問をさっさと言え!」


「ど、どうするんでありんすか!?」


 マリンカは慌てふためき、ヒューに小声でそう訊ねる。


「ポポーニャの目的の権力者を当てて、弱みを握る」


「じゃなくて!」


 マリンカはしどろもどろになりながらも、小さな咳払いをし、自分を一旦落ち着けた。


「……よく聞くでありんす、ヒュー。あんたの世界にテーブルゲームは?」


「ある」


「じゃあチェックメイトという言葉は?」


「ある」


 マリンカはため息をついた。


「これがその状況って事に気づいてるでありんすか?」


「気づいてる」


 マリンカはがしがしと頭を掻きむしった。


「じゃあ、どうするでありんすか!? ポポーニャの目的が誰かだなんて知って、一体何の意味があるんでありんす!? せいぜい口封じに”早めに殺される”だけで……それに、あんたに奴の目的の権力者なんて分かりっこないでしょうが!? この町の権力者を一人でも知ってるんすか!?」


「一人だけ知ってる」


 ヒューの言葉に、マリンカは思わずはっとする。


「一人って……まさか!」


「任せとけ。後で説明する」


 なぜヒューがあいつの名前を出そうとしているのか。また、何をきっかけにそう思い込んだのか。このレールは、本当に途切れずに目的地に向かっているのか……彼女は逡巡したが、堂々としたヒューの表情を見て、もごもごと口ごもった。何より、彼女にはもう手の打ちようが無かった。


「……質問するぞ、ポポーニャ異端審問官!」


 マリンカの心配をよそに、ヒューはそう言った。


「可及的、速やかにろうぞ! 偽ヒューランくん! 待ちかねたれふ! さっさと言って、そのハッタリかました表情が絶望に歪む様を見せてくらはい!」


 ポポーニャ異端審問官はにやにやと笑みを絶やさない。その笑顔の源泉は、避けられない運命から必死にもがこうとする人間に対する嗜虐心だった。

 自分の頼りないカードで一か八かの大勝負に出ようとする相手を、圧倒的高みから見下ろす事が、彼女は何よりも好きだった。何を言ったところで、何をしたところで無駄なのに、否応無くカードを切り、敗北し、絶望する姿こそが、彼女の心に住む悪魔が何よりの糧としているものだった。

 そして、ヒューもマリンカもそういう状況に間違い無かった。彼はたった一枚しかないカードを切る。


「……グラスケージ」


 ヒューが呟く。


「ポポーニャ異端審問官。お前の目的は、グラスケージという商人だ」


「全然違いま~~~……ブがッ!」


 ポポーニャは一瞬、自分が嘘をついた事にすら気づかなかった。大きな偽りを撒き散らし、テーブルは血まみれになる。

 グラスケージ……即ち、マリンカの復讐相手。

 何の因果か、彼女の復讐相手は、奇しくもポポーニャの目的と同じ人物だった。


「なっ!?」


 マリンカは席を飛び上がる。ヒューの質問と、ポポーニャの回答。それらが導き出した真実に、彼女は一瞬、自分の目と耳を疑った。都合の良い幻想に迷い込んでしまったと、自分を疑った程だ。


「な、な、何で!?」


 ポポーニャは自分の顔を拭い、真っ赤になった両手を見て青ざめる。


「どうしてここで”あいつ”の名前が……!? ど、どういう事ら、異世界人!?」


「それは次の質問か?」


「黙れ! 何で”あいつ”の名前がここで出るんれふ!?」


「そいつの名前しか知らないんだよ」


「はあ!?」


 ポポーニャはだらだらと流れる鼻血を気にも止めず、ヒューに食って掛かる。


「運が良かったんだ、ポポーニャ異端審問官。ただ、俺とマリンカだけじゃない。お前も運が良かった。俺たちには二つ良い事がある。

 一つは……とりあえず、これを使わずに済んだ」


 ヒューは立ち上がり、抜きかけた刀身を再び鞘に収め、大げさに金属音を鳴らした。

 びくり、とポポーニャは体を強張らせ、慌てて椅子を引く。


「俺は元居た世界で、何度も人が死ぬのを見ている。俺と戦って死んだ人間達をだ。俺は人を殺す事に対して少しも躊躇しないし……お前もマリンカも、その事について知らない。

 俺がヒューという人間じゃ無いからって、ヒューという人間が俺より強かったって、果たしてそう簡単に言い切れるのか? お前が俺の何を知ってる? 俺の住んでいた世界の事を」


 彼がそう言うと、ポポーニャは思わず生唾を飲み込んだ。


「……う、嘘ら」


「嘘だと思うんなら、そこのポーションを飲んでもう一回同じ事を言ってやる!」


 ポポーニャは、うぐぐ、と唸ったきり、あえてそれを強要しなかった。

 ヒューはゆっくりと席に座り直し、脚を組み、大きなため息をつく。彼の右頬に汗が一筋流れるのに、マリンカは気づいた――また、自分自身が彼以上に汗だくになっている事も。


「椅子を戻せよ、ポポーニャ・ストロベリーフィールズ。良い事はもう一つある。本当に俺達は運が良いんだ。

 何故なら……これは二つ目のラッキーなんだが、俺達は”良いビジネスパートナー”になれる可能性がある」


 ヒューの言葉に、ポポーニャは表情にたっぷり感情を乗せて訝しんだ。

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