10 とんだ真実のトレード

 真実のトレードが始まるに当たり、マリンカはごそごそと自分の鞄を弄った。取り出したのは薄紫色の液体が入った小瓶。液体は夕暮れの空のように美しい色をしていたが、ヒューは例の虫寄せポーションを思い出し、思わず身震いした。マリンカはこの場でポポーニャを毒殺でもするつもりなのだろうか、とも考えた。


「ポポーニャ殿、パンをひと切れ頂いても良いでありんすか?」


 『どうぞご勝手に』と、右手を差し出すポポーニャ。

 マリンカはパンをひと切れむしり取ると、小瓶に入ったポーションをほんの少し浸し、ぱくり、と平らげた。

 彼女の一挙手一投足に、観察の目が向けられる。


「……んぐんぐ……ごくり。不味い」


 マリンカはパンを飲み込み、しかめ面を作る。


「ううーん……味に一考の余地あり、と。

 さて、ポポーニャ殿。お待たせしました。あっしの種族が何なのか、あっしに質問して頂けませんか?」


「なんれ?」


「必要だからでありんす。さあ」


 ポポーニャは苛つきながらも、しぶしぶ愚問を投げかける。


「……マリンカ氏。あなたの種族は何れふか?」


「ピピット族でありんす」


 と、マリンカが当然至極の回答。


「もう一度、同じ質問をお願いするでありんす」


「なんれ!」


「良いから良いから」


 ポポーニャは更に苛立った。馬鹿馬鹿しい気持ちが彼女の表情に如実に現れ、ヒューは一人ハラハラするのだった。


「ったく……マリンカ氏! あなたの種族は何れふか!?」


「純血人でありんす。

 ……ブがッ!」


 と、マリンカがそう答えた瞬間、彼女の小さい鼻から勢い良く鮮血が吹き出した。ヒューとポポーニャははっとして、思わず席を立ちかける。二人の戸惑いも気にせず、マリンカはゆっくりと鞄からハンカチを取り出すと、自分の鼻血を拭うのだった。


「……魔法のポーションでありんす。このポーションを飲むと、嘘つきは鼻血を出す。

 原料はあっしの村に住むミティクという名のトント族から採集した人媒花で、毒性無し、持続性短し、依存性無し。

 正式に商品として扱いたいんでありんすが、ミティクちゃんの開花周期が三年と長く、商品に出来る程採れないんでやすなぁ。ミティクちゃんの子孫達にもこの能力が受け継がれる事を期待して、あっしは彼女と専属契約を結んでやして……って、こんな話はどうでもいい事でありんすな」


 先程までの苛立ちをすっかり忘れ、ポポーニャは興味深げに小瓶を見た。


「トント族のマナを抽出したポーションれふか。嘘をつけば鼻血。素晴らしいアイテムれふね!

 是非とも個人的に欲しい一品れふ……商品に出来る程の在庫量じゃないってホントれふか?」


 ポポーニャの言葉に対し、ちょんちょん、とマリンカは自分の鼻の頭をつついて、得意げに笑った。鼻血は出てないから、嘘はついてない、と。

 ヒューは“魔法”という単語に微かな高揚感を覚えた。彼が想像する魔法より些かスケールは小さいが、“子供が夢見る異世界”の片鱗でも感じられれば、辛い事続きの彼は嬉しく思うのだった。


「さ、ポポーニャ殿。そちらもこのポーションを摂取するが良いです。それとも、嘘に自信があったのに、こんな小道具があるなら話は別?」


 マリンカの挑発に、ポポーニャは小瓶を引っ掴み、乱暴にパン生地に振りかけた。


「……ふん! 一々可愛げの無いピピット族れふ。しかしまあ、この面白アイテムは喜んで頂きまふ。面白そうれふ」


 ぱくり、とパンを口に放り込むと、ポポーニャもしかめ面をする。


「もぐもぐ……ごくん……うえっ。マズっ!」


 マリンカは満足そうに笑った。


「……さてさて、ポポーニャ殿。試しの質問よろしいですかな」


「どうぞ」


「あなたは神を信じているでありんすか?」


「信じているに決まってるれふ。

 ……ブがッ!」


 異端審問官の鼻から勢い良く不信のシグナルが吹き出す。

 想定外の反応に、マリンカとヒューはぎょっとした。

 ポポーニャは黙ってハンカチを取り出すと、自身の鼻血をゆっくりと拭き取り、何事も無かったかのようにすまし顔を努める。


「……いいえ、と答えて鼻血が吹き出る事を想定していたでありんすが……まあ、あんたがおまんま食い上げになる事があっしの目的では無いんでして。この事は黙っておくでありんす」


「卑怯なチビ助!」


 そう言いつつもポポーニャは、不敵な笑みを浮かべるのだった。

 ヒューの脳内に様々な疑問が浮かび、それらの相関関係を導き出そうと迷子になる。イカれた狂信者ポポーニャが神を信じていないというのは、例えば真の信徒が求道の末に陥るような“深く真摯なる疑い”なのか、はたまた……。


 おほん、と咳払いをするマリンカ。


「確かに、今の質問はあっしが少々意地悪でやした。お詫びにポポーニャ異端審問官、あなたから質問をどうぞ。

 ひとつの質問、ひとつの回答。偽りはミティク・ポーションが保障してくれるでありんす。つまり、適した質問は“イエス・オア・ノー”でありんすね。嘘をついても、必ず真実が証明される」


 マリンカの言葉を聞くやいなや、ポポーニャは待ちきれないと言わんばかりに、ヒューの方を指差してこう尋ねた。


「この男は本物のヒューラン・レンブラントれふか?」


「この男は、ヒューラン・レンブラントその人でありんす」


 言葉を慎重に紡ぐマリンカ。

 確かにこの肉体、細胞の一片に至るまで、この男はヒューラン・レンブラントだと、マリンカは思った。彼女は一度も“異世界人”の名前を聞いていないし、その異世界人をヒューラン・レンブラントとして彼女は定義している。それ故に、マリンカの鼻から鮮血は出なかった。


「じゃあ、あっしの質問でやす。

 ……今日のチルシィ副団長の処刑は、教会の陰謀でありんすか?」


「違うれふ」


 ポポーニャの迷い無き一言。彼女もまた、質問に正直に答えていた。

 チルシィの断末魔を思い返し、ヒューは困惑する。確かに彼女は死の間際にこう言っていた……『ポポーニャの策略』と。

 ポポーニャは自分の鼻の下を、ちょん、と触って確かめる。指に血がついていない事に満足し、彼女は質問を続けた。


「じゃあ、次はわらし。ヒューラン・レンブラントは、捨て子としてギゼルで育てられた?」


「うん……ええ? いや、ギゼルには純血人は居ないでありんす」


 マリンカとポポーニャは揃ってヒューの顔を見る。自身の身体から血の気が引くのを、彼はありありと感じた。

 ポポーニャの『やっぱりね』という嫌らしい笑みと、マリンカの『何を余計な事を言ってるでありんすか?』という表情。彼は酷く居心地が悪くなった。

 しかし、一瞬は見捨てた手前、マリンカは強くヒューを責められない。最初から自分が居ればこんなミスは起きなかったし、これも一つの因果応報の形だと、彼女は諦める他無かった。

 が、気持ちの上ではかなりムカついた。


(……馬鹿なヒュー!)


 マリンカは心の中で毒づいた。


(このやり取りはただの情報交換じゃ無いでありんす。先に弱みを握った方が『もう十分』と言えば、そいつの勝ち。

 ポポーニャに対する王手は即ち、先の“チルシィ事件”の尻尾を掴まれる事。これはチルシィの影響力を良く知らないポポーニャの無謀とあっしは踏んでるでありんす。巧妙に事実を隠蔽しているが……こいつの心の中には行き場のない真実がギラギラと息づいている。

 教会の陰謀じゃない、とポポーニャは言った。それなら、チルシィ団長の処刑はポポーニャ異端審問官の独断で行われたもの。狂犬の凶行! 旗色が悪くなればきっとポポーニャは教会に切り捨てられる。だからポポーニャの無謀なんでありんす、この一件!


 ……一方、ヒューの正体を掴まれれば、その時点であっしの負けでありんす。最初は半信半疑だったからこそ、ポポーニャはこのトレードに乗ったわけで。しかし、奴は先の二つの質問で何かを悟ってしまっているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あるいは分かりきった上で楽しんでいるのかも……。

 分からん! その場に居合わせなかったあっしには、二人が何をどこまで話したのか、全く分からんでありんす!

 絶対に出されちゃイケないワードは……“異世界人”。このワードから、あっしらは逃げられない。このワードが出た瞬間にヒューは即刻こいつの首をハネるべきでありんす……が、当然、剣を握ったことも無いであろう今のヒューに、それは無理。

 詰めるしか無い。ポポーニャの致命的な弱みを握って、あっしが優位に立ち、黙らせる他無い!)


 マリンカは必死に逡巡を重ねていたが、ポポーニャが左右両方の人差し指を自分に向けている事に気づき、彼女はぎょっとした。


「ユア・ターン」


 ポポーニャに言われ、マリンカはあたふたとした。


「……う、あ、そうですね。あっしの番でやすね。

 えっと……ぽ、ポポーニャ殿がこの町にやって来たのは、チルシィ副団長が目的だった?」


「違うれふ」


 ポポーニャの返答に、鼻血無し。


「違う!?」


 マリンカは思わず立ち上がる。


「違うれふよ……わらしは教会の命によりこの町にやって来て、自分の仕事をしただけれふ。さっきから人の悪いピピット族れふね。

 さあ、次はわらしの番れふ! さっさと座んなさいな」


 よろよろと着席するマリンカ。


(違う……何で!? チルシィの一件は、本当に陰謀じゃなかった!?

 ……もしそうだとしたら……ポポーニャに弱みなんて……無い!?)


 ポポーニャは矢継ぎ早に質問を投げかける。


「次の質問。今のヒューラン・レンブラントはわらしを簡単に殺せる?」


「殺せる……ブがッ!」


 マリンカの鼻から嘘の証が吹き出る。


「……くっふふ。鼻血を出しまひたね……? この傭兵は、わらしを殺せないんれふね!? これで次の質問がやりやすくなるれふ!」


 マリンカとヒューはいよいよ“抑止力”を失う。


「にしても、あの電光石火のヒューラン・レンブラントが、わらしを殺せない?

 魔法のポーションが本人だと証明しれいるのに? うーん。どうしてかな? 不思議だなー。ふっひひ!

 ……ま、一つ言っておくなら、わらしは次の質問でこの真実トレードは終わりにするれふ。半信半疑だったわらしの直感も、今は塗り絵の様にくっきりと境界線が見えている。あとは塗るだけ!

 という訳で、あんたには後二回のチャンスがあるワケれふが、大事に質問するがいいれふね。ふひ」


 マリンカはがしがしと頭を掻きむしった。


(……く、くそっ! 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ、マリンカ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ! マリンカ!)


 マリンカは何も考えられなくなっていた。

 自身の筋書きとは違う展開に、半ばパニックになってしまっているのだ。

 劣勢な上に血の巡りが悪くなり、手がかりが少しも無い。一方、相手には既に勝ち筋が見えている。質問の数がひとつ多く出来るとしても、もはや勝敗が決したのは誰の目にも明らかだったが……。

 ふと、マリンカがヒューの方を見ると、意外にも冷静な表情でいる事に気がついた。ついに諦めてしまったのかも知れない、と彼女は考える。

 しかし、ヒューの本懐はそれとは遠くにあった。


「……マリンカ。後の二つの質問は俺がしていいか?」


 ヒューの言葉に、更に慌てふためくマリンカ。


「何を馬鹿な! あんたが一体、何の質問をポポーニャに出来るって言うんでありんす!?」


「理由は三つある。今の俺はお前より冷静だ。次に、俺はお前の主人だ。決定権は俺にある。それに……」


 ちらり、とポポーニャの顔を見るヒュー。


「この異端審問官は失言しているんじゃないか」


 どしん、とポポーニャはテーブルに肘をつき、ヒューに顔面を近づけた。

 吐息がかかるようなギリギリの距離で、彼女はヒューに挑みかかる。


「……面白いれふ。ヒューラン・レンブラントであってヒューラン・レンブラントでは無い“誰かさん”」


 ヒューはポポーニャの威嚇に怯える事無く、相手を真っ直ぐ見据える。ヒューは自分の視界のほぼ全てを、ポポーニャの顔面によって埋め尽くされていた。

 彼は彼の元居た世界での典型的なある傾向を思い出し、冷静を努めた。

 即ち……“慢心した人間は須らく凋落する”という事を。

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