第27話 両神が相搏ち、天地大いに騒擾するの巻
「とにかく抵抗はするな。言われた通りにしよう」
崎山 貴一が全員にそう命じ、八人の男たちは馬の皮を地面に降ろすと、両手を肩の高さに上げて無抵抗の意思を示した。その様子を見て、衛兵の一人が何か言葉を発しようとしたが、その瞬間、天空から凛とした女性の張りのある声が響き、その轟音に空気がビリビリと震えた。
「お主ら!人間の分際でこのアマテラスの忌機屋の前で何をしておる!」
その声を聞くや否や、衛兵たちの顔は真っ青になり、アマテラス様がお怒りだ、まさかアマテラス様が、などと口々に言い合った。
「それは逆剥ぎにしたまだらの馬の皮ではないか!お主ら、自分が一体何をしようとしておるのか分かっておるのか?誰の差し金じゃ⁉」
声質自体はどことなく優しげな女性のものなのだが、天から響くアマテラスの怒りの声はスサノオの声に勝るとも劣らない迫力で、その音圧がビリビリと全身を威圧してくる。
さっきまで堂々としていた衛兵たちが恐怖にガタガタと震え出して、槍を取り落とす者もいる。八人の不審者たちもその威厳のある声に圧倒され、先ほどまでの威勢の良さは一瞬で跡形もなく吹き飛んでいた。
崎山 貴一は消え入るような情けない声で「スサノオノミコト様のご命令です……」と、あっさり黒幕の名前を暴露した。
「おのれ!このような事をしでかすのはやはりスサノオであったか!おい!そこで様子を眺めているのであろう!出てまいれスサノオよ!」
凛と響きわたる、アマテラスの美しくも激しい声に応えるように、荒々しい男のドスの利いた低い声がドンと腹に来る音圧を響かせた。
「おう。アマテラスよ。久しぶりだな。天の岩戸の時の教訓で忌機屋の警戒を強めておったか?随分と駆けつけるのが早かったじゃないか」
「あの時の私はまだお前に甘かったが、今は違う。お前には失望したぞスサノオ!」
「失望って何に失望だ?今の俺は立派に海を治めている。俺だってあの時とは違うぞ」
「我が忌機屋に、再び逆剥ぎにしたまだらの馬の皮を投げ込もうとした。お前は昔から全く変わっておらん!私はそれに失望したと言っておるのだ!」
「お前に失望されたところで、俺には痛くもかゆくもない。そのことに気付いたのさ俺は。さあ前置きはいい。かかってくるがいいアマテラス!」
スサノオがそう言うと、上空から剣を鞘から抜き放つシャリンという金属音がした。少し遅れて聞こえた同じような金属音は、アマテラスも剣を抜いたということだろうか。
「許さぬぞ、スサノオとその手先となった愚かな人間どもよ!覚悟せよ!」
アマテラスの怒りの雄叫びがビインと空気を激しく揺らした。
「笑止!覚悟するのはお前の方だ。アマテラスよ、いくぞ!」
ひときわ大きな紫の稲妻が、上空で激しく炸裂した。
愚かな八人の人間が投げ込もうとした馬の皮。
その皮を巡り、いま二人の神々の戦いの火ぶたが切られる。
アマテラスの姿もスサノオの姿も、神ならざる人間の目では見ることができない。
ただ、彼らの発する気合いのこもった声と、ぶつかり合う剣閃が轟音となって空気を震わせ、不気味なつむじ風が不規則に吹き始めた。空はあっという間に黒い雲に覆われ、ときどき激しい稲妻が走り、ドオンという重低音が音圧となって体全体を揺さぶる。
二人の神の戦いが始まると、崎山 貴一たち八人を取り囲んでいた衛兵たちは全員、腰を抜かして「逃げろ」と情けない悲鳴を上げながら走り去ってしまったので、図らずも八人は絶体絶命のピンチを脱出したことになった。
「なあ、どうする、これ?」
「どうするって言われても……ねえ?」
「これって、俺たちのせいなのかな……?」
不安そうな顔で、村崎 義一郎と皆崎 定春がヒソヒソと言い合った。空には見たことも無いような不吉な形の黒い雲がうずまき、紫の電光が天を走る。激しく剣と剣がぶつかり合って金属音を立てる回数が、どんどん早まってきている。
俺たちはただ、自分の気持ちに正直に行動して、自分たちを馬鹿にしてきた存在に噛みついてきただけなのに、それがどうしてこうなった。
こんな大変なことになって、皆に迷惑をかけるくらいだったら、俺たちは今まで通り、黙って他人に馬鹿にされ続けながら、情けない自分の人生を諦めて寂しそうにヘラヘラと笑って暮らしていた方が良かったのだろうか。どうして俺たちはいつもこうなんだ。
「スサノオよ!私はお前が分からぬ!なぜ無用に騒ぎを起こし、無用に人を傷つける!」
「それが分かっていれば世話はない。なぜ騒ぎを起こしてしまうのか、自分でも分からないから騒ぎになるのだ」
「理屈よ!そのような勝手を自分だけが通せるなどと、思い上がるでないぞ!」
「通せるなど俺も思っちゃいない!通せないから止めておこうなどと自制できるようなやつは、はなから騒ぎなど起こさぬわ。お前には分かるまい、この荒魂の行き所のなさを」
いつ果てるとも知らない二人の大神の互角の戦いは、だんだんと激しさを増していく。この戦いが長引いてしまったら、とばっちりで世界は崩壊してしまうのではないか。
「なあ、どうすんだよ俺たち……」
「どうするもこうするも、こんなの俺たちには何もできねえだろ」
「とりあえず逃げない?ここに居ると危ないわよ」
「でも、どこに逃げるんだよ。ここがどこかも分からないし、俺たちは罪人だぜ?」
偉大な二人の神が戦いを繰り広げるその下で、ちっぽけな八人の男たちは自分たちの身の振り方について揉めていた。しかし一向に議論には結論が出ない。男たちはこういう時、いつもこの男の顔を見た。
「どうすんだよ、キーチ!」
さっきから議論の輪には加わらず、一人でむっつりと考え込んでいた崎山 貴一が、ぐっと顔を上げて、そして一同を見回して大声で言った。
「スサノオに加勢しよう。このまだらの馬の皮を、塀の向こうに投げ込むんだ」
「はあ?何考えてんだキーチ?」
「理由はよく分からないが、この馬の皮がこの塀の向こうに投げ込まれるとアマテラスはとても困るんだろ?だったら、俺たちが今それをやれば、アマテラスは俺たちの方に気を取られて、その分だけスサノオの戦いが有利になるかもしれない」
すると、坂崎 聡がものすごい形相で崎山を止めた。
「待ってキーチ君!スサノオに加勢するのが本当に正しいの?私はそうは思わない!」
普段は男性の身体を持つ女性として、あまり声を荒らげたりはしない温和な坂崎が、今まで一度も見せたことがない激しい剣幕だった。
「事情はよく分からないけど、話を聞いている限り、どう見てもアマテラスの言ってることの方が私は正しい気がする。スサノオは勝手にケンカを吹っ掛けて、好き勝手に暴れているだけじゃない。そんな奴に加勢することはないわ!ここは逃げましょ、みんな」
坂崎の言い分は、最も冷静で客観的で、この状況を考えれば一番妥当な判断だったろう。しかし、それをやろうと思った時、男たちの脳裏によぎったのはスサノオの言葉だった。
――お前らは本当に面白いのだ。
――俺は、お前たちが好きだ。
自分勝手なスサノオに加担するのは、おそらく悪者のすること。正気じゃない。
でも、正義の八犬士に身勝手なケンカを吹っ掛けた末にうんこ水をぶっかけて退治し、ただのTVレポーターに過ぎないキジシナナキメを人質に取って神を脅迫した俺たちだって、もう十分正気じゃない。俺たちは悪者だ。
――自分はどちらに味方したい?
損得などどうでもいい。どっちにしろ今までだって、この身は死んだも同然だと思いながら、やけくそのような判断をしてきた結果、こんな所まで来たんだ。
――自分はどちらに味方したいんだ?
崎山 貴一は坂崎 聡の目をじっと睨みつけた。坂崎もその迫力に一歩も退かず、一切目をそらさずにキッと真っすぐに睨み返す。しばらくの無言の睨み合いの後、崎山が静かに言った。
「聡。お前の言うことの方が百パーセント正しいよ」
そして突然、地面に転がっていたまだらの馬の皮の前にしゃがみ込むと、皮をつかみ上げて自分の肩をその下に入れた。
「でも、俺はスサノオが好きだ。好きだからあいつの力になりたい」
その言葉を聞いて、田崎 満が「そうだな」と短い言葉で同意して、馬の皮を持ち上げる作業に加わった。続くように他の男たちも「やるか」「だよな」とつぶやきながら参加していく。本気で反対していた坂崎 聡も、その様子を見て諦めたように「まったく……。とことんまでやるしかないわね、それじゃ」と軽いため息と共に言うと、腹をくくってあっさり作業に参加した。
衛兵たちは逃げ散ってしまってもう邪魔も入らない。八人の男たちが渾身の力を振り絞って持ち上げた馬の皮は、先端からずるずる、ずるずると少しずつ塀の中に滑り込んでいった。
姿は見えないが、アマテラスとスサノオの戦いは全くの互角のようだ。剣と剣が激しく激突する金属音がするたびに空にすさまじい稲妻が炸裂し、二人の雄叫びが音圧となって空気を振動させる。空は、まがまがしい形の渦を巻く黒い雲で暗く覆われていた。
その戦いの均衡が、八人のちっぽけな人間たちの予想外の行動で崩れた。
崎山たちが力を合わせて塀の中に押し込もうと悪戦苦闘していたまだらの馬の皮が、ようやく半分近く塀の中に入り、あと少し押して手を離せば、重さで勝手に塀の向こうに落ちていくという段階で、アマテラスがようやくその様子に気付いた。
「お主ら!何をしておる!」
アマテラスがとっさに大音声で怒鳴りつけたのと、その一瞬の集中力の乱れをついたスサノオの剣がアマテラスの肩口を捉えたのと、ほぼ同時だった。
「ぐうっ」というアマテラスの苦悶の声が天に響きわたり、電圧の安定しない裸電球のように、世界が一瞬だけわずかに暗くなった。
スサノオはこの絶好の勝機を逃さず、アマテラスにもう一撃を加えようと剣を構え直して踊りかかろうとした。しかしアマテラスは、一瞬のスキが生死を分ける戦いの最中だというのに、襲いかかってくるスサノオの方など見向きもせず、八人の小さな人間たちに向けて光の矢を放とうとしていた。
それは天空の規律を司る神の責務として、自らの身を守るのよりも先に、忌機屋に馬の皮を投げ入れようとする不届き者を抹殺する事の方を優先させねばならないという、誇り高きアマテラスの責任感が反射的に取らせた行動に違いなかった。
「許さぬぞえ!不届きなる人間ばらよ!」
アマテラスは光の矢を放った。神の姿を見ることの出来ない崎山たち人間にとって、それは空からいきなり巨大な黄色の光線が真一文字に飛んできたように見えた。
――あ。ダメだこれは。
何も考える間も無かった。その光線が見えた瞬間、ダメだということだけが何となく直感で分かった。男たちは悲鳴を上げる間も、身を守る姿勢を取る間も与えられず、馬の皮を担いだ姿勢のままで黄金色の光に包まれた。
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