第26話 須佐之男命と八人の男、身の上を語り肝胆相照らすの巻

「むかし、俺がまだらの馬の皮を忌服屋に投げ込んだ時は、生きたまま逆剥ぎをしたもんだ。

 お前らなら全く同じことをやってくれるかと期待していたのだが、さすがに人間に生き剥ぎは無理だったようだな。仕方ないから生き剥ぎは諦めて逆剥ぎだけで良しとしてやろう」


 スサノオは恩着せがましくそう言うのだが、そもそも馬の皮を剥がすなんてことを誰一人やったことも無いしやり方もさっぱり分からないので、どちらにせよ無茶振りであることに変わりはない。

 男たちは途方に暮れながら、とりあえずナタのような刃物を手に取り、雷に撃たれて焼け焦げた馬の尻に恐る恐る突き立てた。しかし馬の皮は分厚く、ナタが全然刺さらない。だんだんと力を強くしていって、最後は思いっきり叩きつけるような形でナタをふるって、ようやく刃が突き刺さった。だが今度は、ナタを引いて皮を切り裂いていくのがまた一苦労だ。力一杯引っ張っても、馬の皮が強靭過ぎて全然刃が進んでくれない。


 そんなこんなで一時間ばかり馬の死体の前で悪戦苦闘して、それなのに全く作業が進まない状態に全員がウンザリしはじめた頃、再び天からスサノオの声がした。


「何じゃお前ら。生き剥ぎどころか皮を剥ぐことすらままならないのか。全く、期待外れにもほどがある。しかたない奴らだな。ほれ。逆剥ぎもやってやるから、これを忌機屋に投げ込んでこい」


 その声が終わるやいなや、まるでみかんの皮でも剥くかのように、誰も触れていないのに黒焦げの馬の皮がベリベリと勝手に剥がれはじめて、ドサリと地面に落ちた。体から外された皮は地面をずるずると這うように勝手に移動し、男たちの前まで来て止まった。後には、皮を剥がされて赤い肉がむき出しになった、哀れな馬の無残な巨体が残された。皮には血がべっとりと付いていて生臭く、とても触る気がしない。

 川崎 瑠偉が厩舎の横にある井戸の所まで行って水をくみ上げ、それで馬の皮の内側を洗い流した。その後、皆で協力して何度もそれを繰り返して何とか血は流れ落ちたが、生臭さは取れそうにない。


「なあスサノオよ。一つ聞かせてくれ。何で俺たちなんだ?」

 崎山 貴一が空を見上げながら、疲れきった顔で尋ねた。


「俺たちは見ての通り、ただの人間だ。それもごく普通の、どっちかというと冴えない方の人間だ。

 お前ら神々に導かれて里美の家に呼ばれてから、こいつら仲間と出会えて一緒に暮らして、少しだけ自分に自信が持てるようになったような気もするが、すぐにその心を折るような、さんざんな目に遭ってばかりいる。

 しかも、その状況を何とかしてやろうとして、自分なりにもがけばもがくほど、逆にどんどんひどい方向に進んでいるような気がしてならない。

 ……なあ。こんなどうしようもない俺たちに、こんなことやらせて楽しいか?

 お前はさっきから俺たちのことを面白い面白いと言って色々やらせようとしているが、俺たち自身は、俺たちの一体どこが面白いのか、さっぱりわからないんだ」


 するとスサノオは答えた。

「そうやって、俺に平然と質問してくるところだ」

「はあ?」

「このスサノオノミコトに対して、畏みも懼れもせず、対等に質問をして文句を言い悪態をつく。あのオオナムジの野郎ですら、言葉遣いと態度はお前らほど失礼ではなかったぞ。

 とはいえ、単に失礼なだけだったら、まあお前らなどすぐに消し炭にしてやるのだが、お前らの言い分にはちゃんと、どれもそれなりの理由がある」


 スサノオの声は相変わらずの音圧で、空気全体がビリビリと震える恐ろしいものだったが、口調にはどこか優しさがあった。


「普通の人間なら、たとえ自分が正しいと思っても、相手が悪ければ飲み込んで我慢するところだ。そして自分にはできない、無理だといって簡単に諦める。

 お前らも、八人が集まったばかりの頃はそんな感じだったのだが、八人が一緒に暮らしているうちに、だんだんとそれが変わってきた。嫌なものは嫌だ、変えたい、変わりたい、変えてやる。邪魔する奴は壊してやる。

 そうやって気が付けば自らの力で自らの館を建て、戦の素人でありながらあの八犬士を倒してしまったのだから、お前らは本当に面白いのだ。高天原の八百万の神々も、そこが面白くてお前らに夢中になっておる。

 思い返せばあのオオナムジの野郎も、最初は貧弱で兄たちに何度も殺されていたのが、最後はこの俺を出し抜くまでになったしな。俺はお前らに、オオナムジと似たものを感じたのかもしれない」


 さっきからスサノオの会話に何度か出てくるオオナムジという者のことを、スサノオは野郎呼ばわりして悪態をついているが、その割にオオナムジの事を語る時は何だかうれしそうだ。

 そして、それに似たものを俺たちに感じるというのは、俺たちを褒めてくれているということでいいのだろうか。


「お前らはもっと自信を持っていい。嫌なものには嫌だと言うんだ。俺はお前たちの姿を見て、かつて自分が、逆剥ぎにしたまだらの馬の皮をアマテラスの忌機屋に投げ込んだ時の、かつての荒ぶる心を思い出したのだ。

 ――天を治めるアマテラス何するものぞ。俺は海を治めるスサノオ。アマテラスよりも俺の方が優れていることを、いまから証明してやる――

 俺が忘れていた、そんな気持ちをお前たちは思い出させてくれた。こんな愉快なことはないぞ。それなのになぜ、おぬしらは下を向いておる?なぜ自分たちの中に眠る荒魂に気づかぬ?」


 スサノオの問いに、いや、あなたは恵まれた神様じゃないですか。俺たちは生まれてからずっと、誰かから褒められるようなこともなく、石ころのように粗末に扱われてきたんですよ、と江崎 常雄がいじけた口調で答えた。

 努力すればできるなら最初から苦労しない。努力したのに全然報われないどころか、逆に神様からは人生を勝手にいじられてバカにされてる。こんな惨めな経験が積もり積もって、俺たちは今こうなっているんだ。上を向けなんて簡単に言うな、と江崎は続けた。


 しばらく、スサノオは何か考え込むように沈黙していた。その後「わからぬでも、ない」とうめくようにつぶやく。そして、

「確かに、人間であるお前らの気持ちは俺には分からぬ。だから、あくまで想像でしかないが、辛かったのであろう」

と静かに言った。江崎は「ああ。辛かった」と答えた。


 スサノオは、同情するでも優しくするでもなく、淡々とした口調で言った。

「俺はお前らの気持ちが分からぬから、お前らが今までに抱えてきた辛さに対しては何も言えぬ。だから俺は、お前らの今の姿を見て、俺が思ったことだけを言う」


 八人の男たちは、だまって天を見上げた。人間である彼らには偉大な神であるスサノオの姿を見ることはできない。しかし見上げた先に、たくましい男神がいるような気がして、その姿が頭の中にぼんやりと浮かんだ。その目は厳しくも優しかった。


「お前らは、面白い」

 スサノオが、八人に言い聞かせるようにゆっくりと言う。

「俺は、お前たちが好きだ」

 そのあまりにも素直な言葉に、皆崎 定春は意外そうな顔をして目を見開いた。


「なぜなら、昔の俺を思い出すからだ。

 俺はイザナギから海を治めるよう命じられたが、いくじのない俺は、死んだ母のことを忘れられず、毎日泣いて暮らしていた。立派に天を治めていたアマテラスに勝手に嫉妬し、戦いを吹っ掛けて敗れて、俺は地上に追放された。

 その頃の、何をやってもうまくいかなかった自分とお前たちは似ている。

 だから俺はお前たちが好きだし、お前たちの力なら、どんなことでもできると信じたい。

 この逆剥ぎにしたまだらの馬の皮だって、きっとお前たちならアマテラスの忌機屋に投げ込んで、この高天原を騒然とさせられるはずだ。お前たちならできると俺は思う」


 天から降ってくるスサノオの声の振動が体の芯を震わせて、ビリビリと不思議な気力が湧いてきた。思えば、自分たちの今までのくだらない人生の中で、ここまで自分のことを評価し、自信を持っていいと真っすぐに励ましてくれた者がいただろうか。


 スサノオの荒々しくも優しい言葉に触発された川崎 瑠偉が「俺はやる」と小声でつぶやき、田崎 満が「おう。やろうやろう!」と力強く応えた。

 男たちは気力がじわじわと感染するかのように「やるか」「そうだな、俺たちならできる」と目を見合わせてうなずきあった。その目は、自分を認め評価してくれる存在がいたという喜びに心なしか涙でうるみ、そしてその声は徐々に重なり合って、最後は「やるぞ!」「おう、やるぞ!」という大合唱になって、男たちは腹の底から雄叫びを上げた。


 ただ一人、坂崎 聡だけは「やるっていっても、何を……?」とまだ若干の冷静さを残していて、今からやるのって、たぶん超怒られるやつだよね、と心の中で心配していた。

 だが、よくわからない衝動に突き動かされて高揚状態になっている他の皆のことを思うと、何も言うことができなかった。


 男たちは生臭い巨大な馬の皮を力を合わせてお神輿のように肩に担ぐと、忌機屋とやらはどこだ?とスサノオに聞いた。スサノオは案内してやると言うと、スッと八人の周りが光で包まれ、次の瞬間にはもう見知らぬ場所にたどり着いていた。

 八人が立っている場所のすぐ隣に、檜の香りがただよう新しい白木の塀がずっと続いている。塀の高さは二メートルくらいで、塀の向こうに平屋建ての建物が見える。その建物も新しい檜の白木で作られていて、凛とした清浄な雰囲気を醸し出している。


「よーし!この塀の向こうにこいつを投げ込めばいいんだな!手を伸ばせば塀の上まで届かなくはないから、何とか皮を押し込め!」


 男たちは雄叫びを上げながら、重たい巨大な馬の皮を力を合わせて持ち上げた。そして皮の縁をなんとか塀の上にわずかに引っ掛けたが、その時遠くの方から数人の男の怒鳴り声が聞こえてきた。


「曲者!神聖な忌機屋の前で何をしている!」

 男たちは衛兵だろうか、青銅の腹巻と肩あてを身に着け、槍で武装していた。すぐに応援を呼んだのか、駆け寄ってくる衛兵はあっという間に十人ほどに増え、八人の不審な男たちを素早く取り囲むと槍先を向けた。ちょうど馬の皮を全力で持ち上げている最中だったので、逃げ出すひまもなかった。


「やべえ……囲まれちまったよ……」

「どうする?」


「動くな!ゆっくりと、その担いでいる皮を下に降ろすのだ!」

 衛兵が、カチャカチャと金属の鎧を鳴らしながら居丈高に叫んだ。

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