第25話 天の斑馬は生き剥ぎを拒み、八剣士途方に暮れるの巻
さっきからスサノオは「天のまだらの馬を逆剥ぎにして、アマテラスの忌服屋の屋根から突き入れろ」と命令してくるのだが、そもそもその「天のまだらの馬」だの「逆剥ぎ」だのというのは一体何なのか。とにかく語感が恐ろしげだということ以外の情報が無さ過ぎる。
「天のまだらの馬は用意しておいた。こいつだ」
天から降ってくるスサノオの声に従って、順番に勝手に開いていく戸をくぐりぬけていくと、八人は厩舎と思われる中庭のような場所にたどり着いた。
その厩舎の中に、サラブレッドの二倍はありそうな背丈で、ありえないほど筋骨粒々な巨大な葦毛の馬が一頭だけ入れられている。馬の鼻息は荒く、興奮しているのか、ときどき首をブルブルと激しく振り、蹄で地面を苛立たしげにカツカツと掻く仕草をみせている。
馬の葦毛はところどころが黒っぽかったり、白っぽかったりして、それが晩年のゴッホの描く夜空のように渦を巻いて、どこか不吉さを感じさせるまだら模様を描いていた。
「こいつの皮を尻の方から頭の方に向けて剥げ」
事も無げにスサノオが命じた。
「はあ⁉生きてますよこの馬‼」
「生きてるが?それがどうした」
「そんなの絶対に無理無理無理‼普通の馬でもそんなの絶対無理なのに、……第一こいつ、本当に馬⁉こんなに大きくてごつい馬なんてありえねーだろ。象かよこれ。近づいただけで踏み殺されそうなんだけど俺ら⁉」
「天のまだらの馬だから、地上の馬とは違う。当たり前だろう」
「いや、当たり前だから……ってそれだけかよ⁉無理だって言ってんだろ!」
「やってみもせずに、なぜ無理だとわかる?使う道具はそこに用意しておいた。やれ」
有無を言わさぬスサノオの厳しい命令に、男たちはウンザリした顔をしながら、厩舎の方にしぶしぶ歩き出した。厩舎の前には、太い荒縄と巨大なナタやのこぎり、そしてどうやって使うのかよく分からない意味不明な形のぶっそうな刃物がたくさん無造作に並べられている。
「いや、無理でしょ……」
まだらの馬がギロリとこちらを睨んだ。呼吸のたびにブフゥ、ブフゥと恐ろしげな鼻息を鳴らし、白と黒の毛がごちゃごちゃに混ざり合ったその不気味な姿はまるで死神のようだ。
厩舎の中に立っている馬は、柵で四方を囲まれているだけで、体はどこにもつながれていない。もし本気で皮を剥ごうとするなら、まずはこの巨大な馬の体をどこかに拘束しなければ話にならないのだが、馬は少しでも近づくと蹄で地面を掻き、首をぶるんと振って威嚇してくる。
男たちはとりあえず荒縄を手に取った。直径が十センチ以上はあろうかという、綱引きで使う綱のようなもので、とても一人では持ちきれないし、ぐるっと輪にするだけで一苦労だ。
確かに、普通の馬の二倍はあろうかというあの巨大なまだら馬を縛り上げようとしたら、これくらい太い縄でなければ無理だろうとは思うが、これだけ太いと取り扱いもままならないわけで、果たしてこんなものを、暴れまわる馬に巻きつけて縛り上げることなどできるものだろうか。
しかし彼らに拒否権はない。とにかくやらねばならないので、男たちはへっぴり腰で荒縄を分担して持ち、ゆっくりと厩舎に近づいていった。
「とりあえず、柵の外から縄を投げて、馬の首に引っ掛けてみよう」
引っ掛けた後にどうするのかはよく分からないが、とにかくやってみるしかない。
まずは崎山 貴一が柵の前に立ち、縄を四周させて輪にしたものを抱えて、ハンマー投げか投網のような要領でブンと振り回して厩舎の中に投げ入れた。馬は「ブヒヒヒィン!」と吼えて暴れ回り、厩舎のあちこちに体をぶつけてガンガンと大きな音を立てた。投げられた縄は馬の首に引っかかることはなく、大きく外れて厩舎の中に落ちた。
男たちは厩舎の外から引っ張って縄を回収し、今度は田崎 満が縄を投げる係に交替したが、田崎が投げてもやはり縄が都合よく馬の首に引っ掛かってくれるような事はなかった。
男たちは交替しながら何度も何度も、厩舎の外から縄を投げては引っ張って回収するのを繰り返し、馬はそのたびにイラついたそぶりで体を乱暴に振って厩舎の壁に激突した。厩舎はそのたびにガツンと鈍い音と共に揺れ、時々ミシミシと嫌な音を立てた。
男たちがもう十回以上この不毛な作業を繰り返していたら、まだらの馬は苛立ちが限界に達したのか、投げ込まれた縄をいきなり口でくわえた。
そして馬がぐるんぐるんと乱暴に首を振ると、縄のもう一方の端を持っていた男たちは、不意に馬に縄を引っ張られて、八人もいたにも関わらず、前方につんのめって折り重なるように倒れた。
「ふんばれ!縄を離すなよ!離したら持っていかれるぞ!」
田崎 満が大声で叫び、ぐっと腰を落とした。それでも田崎の巨体がずるずると縄に引っ張られて、少しずつ前に引きずられていく。馬はとんでもない怪力だった。
つんのめって倒れてしまった塚崎 朋也と川崎 瑠偉と坂崎 聡が急いで起き上がって体勢を建て直し、馬と人間八人の綱引きが始まった。しかし、人間の方がじりじりと前に引きずられており形勢が悪い。
馬はもう一度首を大きく振り回そうとした。しかし今度は男たちも身構えていて、馬の好きなようにはさせなかった。縄がピンと張ってギリギリと音を立てる。苛立った馬は、二度三度と首を振って男たちを振り払おうとしたが、男たちは必死で耐えた。馬の体がはずみで厩舎の壁にぶち当たり、ガンガンと激しい音を立てる。
四度目に馬が首を振り回した時だった。男たちは躍起になって飛ばされないように必死で足を踏ん張る。馬は怒って男たちを跳ね飛ばそうと全身に力をこめる。
ほんの一瞬だけ力が釣り合ってピンと縄が静止したあと、馬の力のあまりの強さに、八人の男はたまらず縄に跳ね飛ばされてゴロゴロと地面に転がった。
急に支えを失った馬は、勢いよく厩舎の壁にその巨体を激突させる。メキメキメキと木材が折れる音がして、厩舎の柱がゆっくりと傾きはじめ、そして轟音と砂ぼこりを立てながら屋根が落ちた。
もうもうと立ち込める砂ぼこりで、周囲は濃い霧がかかったようになり手の先も見えない。男たちは無様に地面をのたうち回りながらゲホゲホと咳き込み、一体何が起こったのかと崩壊した厩舎の方に目をやる。
徐々に砂ぼこりがおさまり、遠くには倒れた建物のシルエットと――
その前に堂々と立つ、四つ足の巨大な黒い影が見えてきた。
ブフー、ブフー、という怒りのこもったような激しい鼻息が静かに聞こえてくる。
「……逃げろ」と田崎 満が怯えた表情で小声で言った。
砂ぼこりの向こうから、バフフーン!という、とても馬の鳴き声とは思えないような獰猛な獣の声が響きわたり、蹄が地面を掻くガツガツという音がする。
男たちは悲鳴を上げながら、ちりぢりに四方八方に向かって逃げ出した。馬はたまたま視線の先にいた運の悪い男――江崎 常雄に狙いを定め、一直線にその背中に追い付くと鼻先で軽く突いた。江崎はそれだけで二メートルほど跳ね飛んで、地面に叩きつけられて倒れ込んだ。馬は倒れた江崎には目もくれず、次の哀れな獲物を探して周囲を見回す。そして今度は塚崎 朋也の方に向かって駆け出した。
「スサノオ!見てるか?見ろ、俺たちはこのざまだ!やってみなきゃ分からないってお前が言うからやってみたさ!でも無理だったろ?どう見ても無理だろ?神様のお前と違って、こんなの人間には無理なんだよ!分かったろ?分かったら何とかしろこのクソ野郎‼」
空を見上げながら崎山 貴一が口汚く怒鳴りつけた。スサノオは心底恐ろしいが、もうそんなことはどうでも良かった。里美も、八犬士も、高天原の神々も、ナキメも、スサノオも、まだらの馬も、どいつもこいつも俺たちを見下して、馬鹿にして、それで勝手なことばかり言ってくる。
俺たちはひどい目に遭いっぱなしだ。それでも、俺たちなりにダメでも必死でもがいて、もがいて、もがいて……自分に正直になろうとした結果たどり着いたのがこれだ。
もう、これ以上ひどい状況なんてありえないだろう。スサノオが怒ろうが、これ以上知ったこっちゃない。それよりもお前がお遊びで招いたこの状況を何とかしやがれこの野郎。お前は神様だろうが。
すると、天からスサノオの重々しい声が降ってきた。
「しかたない奴らだな。ほれ。こうすれば逆剥ぎにできるだろう。満足か?」
その刹那、ドドーンという地響きのような音と共に、中空にいきなり紫色の電光が走った。電光に撃たれたまだらの馬は黒焦げになって、ドサッと力なく横倒しになった。
「逆剥ぎ……って、これの皮を剥ぐの?……俺たちが?」
皆崎 定春が呆然とした顔で、サラブレッドの二倍はあろうかという巨大な馬の死体を眺めた。
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