第22話 冥府の者は黄泉に還り、そして薫風が嵐を呼ぶの巻

 目の前に、縄で手首を縛られた八人の袴姿のイケメンが地面に座っている。

 その周囲を、うんこ水の入った水鉄砲を抱えた八人の残念な男たちが取り囲んでいた。


 崎山 貴一たち八人は、倒されてあちこちの地面に転がっていた本物の八犬士を縄で縛り上げ、腰に差した日本刀や懐にあった武器を没収すると、さすまたで小突いて歩かせて一箇所に集めた。


「おぬしら。一体何が目的なのだ」


 うんこ水で全身ぐっしょりと濡れ、無様に地面にひざまずきながらも、決して誇りを失わない気高い声色で、犬山道節が崎山 貴一に問いかけた。崎山は何も答えなかった。


「なぜだ。最初におぬしらは、すんでの所で玉梓に敗れるところだった我々を救ってくれたではないか。おぬしらは確か、里美殿の家にいた者共。だからこそ里美殿に一宿一飯の恩義を感じ、我々に助太刀してくれたのではなかったのか?」


 崎山は答えない。

 答えようがない。

 なぜなら、玉梓を倒すところまでは何となく彼らにも理由はあったが、その後に八犬士に戦いを吹っかけたのは、彼ら自身、よく理由がわかっていないのだ。


 お前たちヒーローに馬鹿にされたから、何となく腹が立ってやった。

 あえて言うならそれが直接の理由かもしれないが、たぶん八犬士にしてみたら、崎山たち八人の男たちを馬鹿にしたという認識すらないだろう。彼らはちゃんと礼儀正しく助太刀に対して礼を言ったのだ。それに腹が立ったなんて、自分勝手な言いがかり以外の何物でもない。


「知るか。お前らは敵だ。もうとっくの昔に一回死んでんだろお前ら。玉梓の悪霊も無事退治されたし、そうなったらお前らにもう用はねえよ。とっとと黄泉の国に帰れ」


 崎山は不機嫌そうにそう言い捨てると、うんこ水の水鉄砲を構えて、目の前に転がる八人に向けて無慈悲に大量噴射した。他の七人もそれにならって一斉に水鉄砲を発射する。


「ぐぬう!……卑劣!なんと卑劣な……‼……無念ッ!

……だが、玉梓の怨念を断ち切ることができたことだけが唯一の救いか。

……覚えておれ現世の俗物どもめ……助太刀には感謝するが、この屈辱。決して忘れん‼」


 犬山道節は苦悶の表情を浮かべながらそう捨て台詞を残すと、ボウッと全身が淡く発光し、青白く光る人魂に姿を変えた。他の犬士たちも同じように人魂に変わると、八つの人魂はそのまま天高く飛び上がって夜空に吸い込まれていった。


 ――後に残ったのは、しんと静まり返った深夜の山中にたたずむ、犬のうんこ水にまみれた男が八人。さやさやと涼しい夜風が吹いて、うんこの悪臭を風下に流した。


「あんたたち……無事?」


 遠くから、里美がとぼとぼと歩いてきた。ライトバンのヘッドライトに半身を照らされたその姿は、どこか神々しい女神のように見えた。


「無事だ。あいつらボッコボコにしてやったよ俺らで。せっかくイケメンに助けられたのに、俺たちで悪かったな」

 塚崎 朋也が遠くの里美に向かって大声でそう答えた。


「ううん。そんなのはいいよ。とにかくみんな無事でよかった」

 里美はそう言うと微笑んだ。八人のボンクラたちも、その笑顔を見て安堵したのかハハハと爽やかに笑った。


 命がけの戦いを終えドロドロに汚れた八人の男たちの輪に、里美が加わる。

 こういう時、一体なんて言葉をかければいいんだろう?

 気の利いたせりふの一つも思い浮かばず、男たちは黙ってしまった。不器用な八人の男と一人の女が、次の言葉をきり出せず躊躇する沈黙の時間が、しばらく流れた。


 風が、凪いだ。


 塚崎 朋也が勇気を振り絞って、「あの……」とかすれた声で里美に話しかけた、その時。


「臭っ‼何これ臭ッ⁉ちょっと……あんたたち何なの臭ッ‼臭ッ‼」

 里美はそう叫ぶと、八人の男たちの輪の中から慌てて飛びのいて五歩ほど距離を置いた。


 皆崎 定春が「ですよね……」とがっかりした顔をした。

 男たちはもう鼻が慣れてしまったので全く感じないが、戦いの中で、彼らもヤツフサのうんこ水を全身に浴びている。自分達はきっと、ものすごい悪臭を漂わせているに違いない。


「ちょっと近寄んないでよ!臭ッ‼何したのこれ⁉ホント臭ッ!もう最悪‼」


 里美はそう叫んでさらに二歩後ろに下がる。塚崎が「ごめん里美。でも悪いけど、これからお前を連れて家に帰らなきゃ。ライトバンの中ちょっと臭いかもしんないけど、家まで我慢してくんないかな……」と言うと、里美は「嫌‼」と即座に断って、ポケットから携帯を取り出した。


「あーもしもし?お父さん?私、里美。ごめんね心配かけたわ。うん。いま富山。そう。大丈夫、全然大丈夫。無傷だから私。ピンピンしてる。

 ……いや、そこいらへんの詳しい話はあとでするからさ。とりあえず車で迎えに来てくんない?いや色々あってさぁ、里見八犬伝の人たち帰っちゃったんだよ。そう。いや、ちょっと話すと長くなるんだけど、とにかく今、富山にいて帰る足がないからさ、お願いできる?交番行っちゃうと説明が面倒だからさ、ここで待ってる方がいいでしょ?

 うん。いま富山の登山口の駐車場にいるんだけど、近くなったらまた電話して?うん。じゃあねー」

 そしてスタスタと駐車場の方に一人で歩いて行ってしまった。

 取り残された男たちはただ、呆然と里美の後姿を見送ることしかできなかった。



 ――すると突如、気まずい静寂をぶち壊して、場違いなほど能天気な女性の高い声が男たちの周囲に響き渡った。


「どもー!ハイ、というわけでですね。結局、恋愛的にはちょっと残念な結果になってしまったわけなんですけど、今のお気持ちを八人の剣士の皆さんにお伺いしてみましょう!」


 その無遠慮で能天気な態度、耳ざわりな甲高い声。鳥のようにツンととがらせた唇、赤と青の錦で飾られたトサカのような金の冠、巫女のような装束。

 そこに現れたのは、高天原のテレビ番組『リアル人生バラエティー☆ドキドキ里美八剣伝』のレポーター、キジシナナキメだった。


 ナキメは崎山 貴一のそばに歩み寄ると、何も考えていない空っぽの笑顔で尋ねた。

「崎山さん、見事な戦いぶりでしたね?」

 崎山はにこりともせず、ナキメの顔も見ずに憮然として答えた。

「なんなんだお前は。何しに来た?」


 ナキメは背中に持っていたプラカードを差し出した。そこには頭の悪いポップな字体で


「リアルバトルドキュメンタリー☆現代に甦る里見八犬伝

~運命に導かれた八人のイケメン犬士は里見家の血を引く姫を

 救い出せるのか⁉そして姫の恋の行方は♡⁉~」


という長ったらしい番組タイトルが、蛍光色をふんだんに使って書かれている。


「いや~、実はですね。私があなた方に番組の種明かしをしたことで、『ドキドキ里美八剣伝』のほうの企画は一旦終了になりまして。で、その後を引き継ぐ形で、この緊急特番『現代に甦る里見八犬伝』が始まったんです。

 それで、私はずっと玉梓と八犬士の戦いを物陰からレポートしていたんですがね~。いや~、まさかあなた方が乱入してくるとは!

 きっと今頃、高天原の視聴者の皆様もびっくりされていますよ!」


 相変わらず悪趣味だな、と崎山 貴一はぼそっとつぶやいたが、ナキメは気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか、崎山の言葉は無視して隣の川崎 瑠偉にマイクのような形の棒を差し出して質問した。


「てっきり、あなた方は解散して普通の生活に戻られるものだとばっかり思っていたのに、一般人のあなた方が戦いに参加して、それで結果的に八犬士たちの大ピンチを救ったわけですから、これはものすごい大金星ですよ!

 おそらく怖かったろうと思いますが、戦おうと決めたとき、皆さんでどのような話し合いをされたんですか?」


 いきなり話を振られた川崎は、どぎまぎしながら答えた。

「え?……えーと。最初はみんな戦うなんて無理だって思ってたんですけどー、でもやっぱり、目の前に困っている人がいるのに見て見ぬふりをするのはダメじゃないかなーと思ってー、それで助けに行くことにしました」

「その時のお気持ちは?」

「正直怖かったです。でも、勇気出してやってよかったなって、今はそう思います」


 ナキメはさらに隣の村崎 義一郎に質問する。

「こちら、走る車の中からさすまたを突き出して、犬村大角さんを倒した村崎 義一郎さんです。大勝利、おめでとうございます」

 あ、ありがとうございます、と村崎がどもりながら答えた。

「車を追いかけさせる作戦で最初に犬士二人を倒したあと、あのプレーがきっかけとなって三人目を倒したあたりから、圧倒的不利と見られていた戦いの流れが、一気に現代剣士の方に引き寄せられた印象があります。あのさすまたは、どのような狙いで出されたのですか?」


 口下手な村崎は、緊張した顔つきでたどたどしく答えた。

「いや、特に狙ってはいないです。気が付いたら……勝手に体が動いて……」


 すると、そこで崎山 貴一が二人の間に強引に割って入った。

「おい!何やってんだよギッちゃん!瑠偉もそうだけど、何まじめにレポーターの質問に答えてんだ馬鹿野郎!

 高天原の野郎、用済みになった俺らを一回ポイッと捨てときながら、結局はもう一度見世物にしてんじゃねえか!そんな奴らの質問に親切に答えてんじゃねえよ!」

「いや……でもやっぱ神様だし……」

「うるせえ!だいたいな、俺は正義ヅラした八犬士の奴らも気に食わなかったが、俺たちの人生を見世物にして、のうのうと楽しんでた高天原の奴らにはもっと腹立ててんだ!神様?知るかよ!こんな風に人間の運命をおもちゃにして散々コケにするような奴らが、俺らが敬う神様であってたまるか馬鹿野郎‼」


 そう怒鳴ると、崎山 貴一はいきなりナキメの首を後ろから抱え込んで動きを封じ、うんこ水の入った水鉄砲を顔の前に突きつけると、空を見上げて怒鳴った。


「おい高天原!見てるか!見てるよな?

 この女は俺たちが預かった‼よく分かんないけど、どうせこいつも神様の仲間なんだろうから、さっきの八犬士みたいに、このうんこ水を食らったら動けなくなるんだろ多分?

 ――こいつは人質だ!お前らに言いたいことがある‼」

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