第20話 八剣士、鬱金色の破邪の力を以って魔に相対すの巻
江崎 常雄が運転するライトバンは、玉梓だと思われる尼さんをめがけて猛スピードで突っ込んでいった。
尼さんの周囲を取り囲んでいた八人の袴姿の男たちは、突然背中側から照らされたまぶしいヘッドライトの光とエンジンの轟音に驚いて一斉に後ろを振り向き、巨大なイノシシのように突進してくるライトバンの姿を確認すると、慌てて飛びのいて道を開けた。
尼さんは驚愕の表情を浮かべて身をかわしたが、わずかに遅れて下半身がライトバンに接触し、吹っ飛んで地面に倒れこんだ。ゴン、という嫌な鈍い音が車内に響きわたり、坂崎 聡は思わず顔をそむけた。
「さすまたと水鉄砲よこせ!ドア開けろ!」
鋭くそう叫んだ崎山 貴一は、皆崎 定春が差し出したさすまたを奪い取るように手に取ると、ドアを乱暴に開けて外に飛び出して、地面に倒れこんでいる尼さんの体の上に容赦なくさすまたを押し付けた。さすまたは尼さんの胸の辺りを地面に押さえつける形となり、この状態では尼さんは上半身の自由を奪われて、上体を起こすことができない。
他の七人が、いくら何でも車にはねられて倒れている女性に対して、この仕打ちは無いのでは?という表情で見ていることなど一切気にせず、崎山は容赦なく「もう一本さすまた!下半身も抑えつけろ!あと水鉄砲!」と手短に指示を出していく。
崎山に言われて田崎 満が、もう一本のさすまたで尼さんの太ももの辺りを地面に抑えつけたので、尼さんはもう完全に身動きが取れなくなった。
「なんじゃ……おぬしら……?何者かは知らぬが、わらわの邪魔をするとは、ただではおかぬぞえ……」
精神の奥底に直接呼びかけてくるような、おぞましい声で尼さんがそう言った。さすまたを持つ田崎は、その声の恐ろしさにおびえて、思わず腕の力を弱めそうになる。
「この玉梓、里見家への復讐を妨げるものは、たとえ無辜の百姓であろうとも決して許さぬ……さあ今すぐこのいましめを解くがよい。さもなくば……ぐふっ⁉」
余裕たっぷりに話し続ける、尼さんの姿をした玉梓の顔面めがけて、崎山 貴一は村崎 義一郎から渡された水鉄砲で、至近距離からうんこ水を容赦なく発射した。玉梓が発言中であることなどは、一切考慮しないらしかった。
残りの七人は内心「えげつねえな……」と玉梓に同情したが、冷静に考えれば、負けたら死ぬかもしれないこの真剣勝負の場、一切の情け容赦なく自分のペースで相手を制圧し続ける崎山の冷徹なこのやり方は、確かに一理ある。
「な……なんじゃこの水は⁉臭い‼臭いわ‼おのれ小癪な!覚えて……ぐわぁ‼」
怒り狂う玉梓の顔面に、崎山が全くの無表情で二発目のうんこ水を浴びせた。
「ぬう‼これは……おのれ我が妖術を封じるために、穢れを用意するとはお主、なかなかの策士ではないか。しかしまだこの程度……うぷっ‼」
三発目のうんこ水が玉梓に浴びせられる。崎山に慈悲はない。タンクが空になったので崎山は無言で水鉄砲を背後の村崎 義一郎に渡す。受け取った村崎は、タンクが満タンの別の水鉄砲を崎山に渡すと、トランクに積んであるポリタンクにうんこ水を補充しに行った。
……効いてる……
……うんこ水、めっちゃ効いてるよ……
皆の内なる心の声を感じ取ったか、誰も何も言っていないのに田崎 満が「だから言ったろ?」と得意げな顔でひとりごとを言った。誰も反応はしなかった。
最初は余裕たっぷりの強気の口調で、ペラペラと饒舌だった玉梓も、少しでも口を開くと崎山が何も聞かず即座にうんこ水を顔面に必ず噴射してくるので、だんだん心が折れて言葉少なになってきた。それを眺める他の七人も、相手は恐ろしい悪霊とはいえ、全身うんこ水でぐっしょり濡れた玉梓がだんだん気の毒になってきた。
すると、そこに八人の袴姿のイケメンたちが、抜き身の日本刀をギラギラさせながら近寄ってきた。体のあちこちに痛々しいすり傷と切り傷をつけ、着物のあちこちは破れ、全身泥だらけになっているボロボロな姿が、これまで繰り広げられてきた玉梓との死闘を物語っていた。
「どなたか存じ上げぬが、助太刀かたじけない。礼を言おう」
そう言って道士風の身なりをした男が礼儀正しく頭を下げた。たしか今朝、犬山道節と名乗っていた男だ。一緒に他の犬士たちも頭を下げる。
「我々は里見家の八犬士。あそこにおわす里見家の姫君が、この悪霊玉梓にかどわかされて、我々は姫を救い出さんと戦っていたのだ。しかしこの玉梓、里見家に仇なす稀代の怨霊にして、我々の力を以ってしても打ち倒すのはまこと容易ではなかった」
少し離れた木の幹にしばりつけられていた里美の方を見ると、いつの間にかイケメンの犬士たちが素早く駆け寄り、縄を切ってかいがいしく助け出しているところだった。
「姫、お怪我はございませぬか?」という凛々しいイケメンの優しい言葉に、里美は「ええ、大丈夫……」と、崎山たちの前ではこれまで一度も見せたことのない、おしとやかな口調で答えている。
かいがいしくエスコートするイケメンに左右を挟まれて、救出された里美がライトバンのそばまでやってきた。ボンクラな八人の現代の若者と目が合った。
「……よう」
塚崎 朋也が、なぜか気まずそうな口調で里美に声を掛けた。なぜ気まずい感じがするのかは塚崎自身にもよく分からなかったが、なんとなく自分がとてつもなく場違いな気がしてならない。
「よう」と里美もどこかバツの悪そうな表情で答えた。そのまま八人の男たちと里美は、誰一人何も言わず、ただ無言で向き合っていた。こういうシチュエーションで一体何を話したらいいのか、よくわからない。不思議な沈黙がしばらく続いた。
お互い何も話さないので用件は済んだのだろうと思ったのか、今朝に犬塚信乃と名乗っていた女性風の優男が、二本のさすまたで仰向けの姿勢で地面に押さえつけられている玉梓に向かって声を掛けた。
「さて玉梓よ。里見家を呪い続けたお主の怨念も、お主と里見家との間の長きにわたる因縁も、ようやくこれで終わりの時を迎えるようじゃな」
玉梓は「ふん。まだ終わってはおらぬわ」と強がったが、そう発言する口に向かって、崎山がこの期に及んでもまだしつこく水鉄砲でうんこ水を機械的に噴射してくるので、玉梓はもう怒る気力も発言する意欲も失って、ただ黙ってしまった。
「最期はこの名刀、村雨丸で我々の因縁にけりをつけようではないか玉梓。覚悟!」
そう叫ぶと、犬塚信乃は手に持った日本刀を振りかぶり、地面に仰向けに押さえつけられた玉梓の首に振り下ろした。玉梓の首から鮮血が噴き出し、切り離された首がコロリと力なく転がった。現代人の里美と八剣士たちは、その凄惨な殺人現場に思わずウッと顔をそむけたが、本物の八犬士にとってはこんなことは日常茶飯事であるらしく、平然とその様子を眺めている。
周囲は一瞬だけ血まみれになったが、犬塚信乃が村雨丸と呼ばれていた日本刀をサッと一振りすると、刀からミストシャワーのような霧雨がパッと出て、不思議なほど跡形もなく、飛び散った玉梓の血を残さずきれいに洗い流してしまった。
「おのれ……八犬士どもめ……無念……」
そう言い残して動きを止めた玉梓の生首に向かって、崎山がうんこ水を浴びせかけた。
戦いは終わった。
正義の八犬士が勝利し、悪霊の玉梓は成敗され、里見家の家名と里美の身の安全は守られた。
イケメン八犬士たちは、長く苦しかった因縁の戦いを終えた満足感で、晴れ晴れとした笑顔を浮かべながら、肩を叩いてお互いの健闘を称え合っていた。
「さあ、早く里美姫を連れてご母堂の元に帰ろうではないか。姫君の無事を願って待たれているご母堂のご心労、いかばかりであろうか」
そう言って八犬士たちは、崎山ら八人を無視して、勝手に帰り支度を始めた。里美は崎山たち八人に一言何かを言いたげな様子だったが、イケメン八人にうながされて、彼らに守られるように周りを囲まれて、やむなくその場を離れた。
「貴公らも、刀を持たぬ百姓の身でありながら、あっぱれな武者ぶりであったぞ!この犬山道節、貴君らの奮闘、決して忘れはせぬ!」
最後に犬山道節が駆け寄ってきて、崎山 貴一にそう挨拶すると、握手を求めて右手を差し出してきた。崎山 貴一もその様子を見てスッと右手を差し出した。
だが、握手はしなかった。
「お前らよ……。なんか勘違いしてねえか?」
「は?」
犬山道節が怪訝そうな顔で崎山 貴一の目を見た。崎山の目は抑えた怒りでふつふつと燃えている。ふと見回すと、崎山の仲間の七人の男たちも、崎山と同じ目をして物凄い形相で自分を睨みつけていた。
「お前らさ、さも自分たちが玉梓を倒したみたいな顔してっけど、違うだろ」
「何を申すか?」
「お前ら俺たちが助けに来るまで、玉梓のビリビリ攻撃にやられて、ボロボロで死にそうだったじゃねえか」
「???」
「そこに車で突入して、お前らのピンチを救ってやったのは俺たちだ」
「……⁉」
「さすまたで押さえつけて玉梓を動けなくしたのも俺たちだ」
「む……‼」
「くさい思いしてうんこ水を用意して、何度もぶっかけて奴の力を奪ったのも俺たちだ!」
「無礼な!何を申すか⁉」
「うるせえ‼お前ら何も役立たなかったくせに、当然のように主人公面して、全部自分が倒しましたみてえな顔しやがって!全部俺たちの手柄だろこれは!」
「‼」
「大体よぉお前ら、イケメンだからって、俺たちみたいな人間のクズは眼中にもないってか?何が『どなたか存じ上げぬが助太刀かたじけない』だよ。朝に俺たちお前らと会ってんじゃねえか!
今朝、俺たちの腕をさんざん傷めつけといて、もう俺たちのこと完全に忘れてるとはね。さすがイケメン主人公様たちは違いますな!我々のような下々の者にわざわざ関わってる暇などないってか?何が『貴君らの奮闘、決して忘れはせぬ』だ!てめえら上から目線で俺たちを見下すのもいい加減にしろよ?この全然使えねえ八犬士サマたちがよぉ!」
そして崎山 貴一はうんこ水の入った水鉄砲を素早く構えると、犬山道節の顔面に向けて思いっきり噴射した。突然の蛮行に犬山道節はかわすこともできず、臭いヤツフサのうんこ水をまともに喰らって上半身がびしょ濡れになった。
「お前ら!一旦退くぞ!車に乗り込め!」
崎山の指示に、八人のボンクラ剣士たちは江崎 常雄のライトバンに一斉に飛び乗ると、ドアも閉めずに全速力でバックし始めた。そして乱暴に方向転換するとそのまま逃走する。
「待て!なんという卑劣な‼武士の風上にも置けぬ痴れ者どもよ!」
八犬士たちは、さえない男たちから突然突きつけられた無礼極まりない宣戦布告に激昂し、全員が即座にスラリと抜刀して、逃げ出したライトバンを走って追いかけ始めた。
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