第19話 八剣士、八房の鬱金水を携え玉梓討伐に向かうの巻

 ウヘヘ、と下品な笑いを浮かべながら剣崎家に向かった田崎 満は、しばらくすると何かが入ったビニール袋を持って帰ってきた。そして「確かポリタンク三つあったよな。使ってないやつ」と言って倉庫テントから古いポリタンクを持ち出してくる。

 何それ?と皆が不審がっていると、田崎は得意げに持ち帰ってきたビニール袋を開いた。


「ヤツフサのうんこだ。まだ庭に埋める前でよかった」


 何すんだよ⁉臭え!と一同が悶絶していると、田崎は一向に気にせず、プラスチックの汚いトレーにヤツフサの黒い便をドサドサと広げ、トレーに水を注ぎ始めた。秘密基地内に悪臭がたちこめ、田崎以外の七人は口と鼻を押さえて悶絶した。


「何やってんだよ満!ふっざけんなコレ!臭え!」

「うんこ水作ってんだよ。うんこ水」

「はあ⁉」


 田崎はどこからか拾ってきた木の枝で、トレーに広げたヤツフサの便と水をかき混ぜてぐちゃぐちゃにしている。その様子はどこか楽しげだ。


「何に使うんだよこんなもん!」

「敵にぶちまけるんだよ。水鉄砲でさ。最近の水鉄砲ってマシンガンみたいな形してて高性能だろ?水もたくさん入るし、飛距離もある」

「はあ⁉ふざけてんのか⁉馬鹿じゃねえの⁉」


 しかし田崎は真面目な口調で答えた。

「いや、これは職場の先輩から聞いた話なんだけどさ。機動隊の人たちっているじゃん。楯持ってヘルメットかぶってデモとか鎮圧するやつ。

 最近のデモはそんなに過激じゃないけど、三十年くらい前のデモってすごかったらしくて、卵とか石とか火炎瓶とかが平気で飛んできたらしいんだわ」

「それがうんこ水と何の関係があるんだよ⁉」


 田崎は得意げに続けた。

「それでな。その頃の機動隊の人達の体験談らしいんだけど、デモ隊から卵とか石とかが飛んでくるのは、別にそれほど大したことないらしいんだ。機動隊員はヘルメットや防具で完全防備してるからダメージは実際それほどでもないし、もしそれで隣の仲間がやられたりすると、この野郎!絶対に鎮圧してやる!って逆に闘志が湧き上がってくるんだってさ」

「はぁ」

「でもね。時々、うんこを水に溶いたのとか小便を袋に入れて投げつけてくるやつが居たらしくて、それが一番精神的に辛かったらしいんだよ。

 石とか投げられるのと違って、別にうんこ水をぶっかけられても実害は何も無いんだけど、これを喰らうともう、理屈じゃなく心が勝手にヘナヘナって折れるんだってさ。何で自分はこんなことやってるんだろう?って急にバカバカしくなってきて、戦おうとする気力が一気に萎えるらしいんだ。

 だから、俺たちもそれをやってみたらどうかなって」


 しれっとした顔で平然と言い放つ田崎の顔を、残りの七人はげんなりした顔で見つめた。命を賭けた真剣な戦いの場にうんこ水だなんて、正気だろうか。


「ええ……?そんなバカみたいな手が効くかなぁ……?」

「効くよ多分。だって俺がそれやられたら絶対嫌だもん」

「逆にめっちゃ怒って向かってこないかな」

「そうしたら、それこそ俺たちの思う壺じゃん。水鉄砲で遠くからうんこ水ぶっかけて、怒って向かってきたら一旦逃げてさ。で、あいつらが仲間から離れて一人だけに孤立するようにおびき出せばいい」

「でもさ。なんか後で、あいつらが破傷風とか病気になって死んだら嫌じゃね?」

「大丈夫だよ。だってあいつら霊だし。一回死んでるんだし。破傷風とか無いだろ多分。だいたいさ、あっちは本物の日本刀で斬りかかってくるんだぜ?そんなのと比べたら、俺らのうんこ水なんて可愛いもんだよ。

 逆にお前らに聞かなきゃだけどさ、お前ら全員、子供の時に破傷風の予防接種やってる?」


 なんでこんな便利な武器を使わないんだ?と、難色を示す七人の方が逆に不思議で仕方ないというくらい自信たっぷりの田崎 満の言葉には、妙な説得力があった。

 田崎の揺るぎない態度に押し切られるような形で、仕方なく残りの七人は悪臭に顔をしかめながら、三つの古いポリタンクに水を九割ほど入れて、そこにトレーで作ったうんこ水の原液を流し込んでいった。耐えがたいほどの臭気を放つ、ヤツフサのうんこ水が完成した。


 それから八人は、不審者制圧用の「さすまた」を今すぐ人数分用意できるのか、ネットで検索して探し回った。運よく木更津の業者に在庫があることが分かったので、ライトバンで取りに行く事にした。

 その帰りにバイク用品店に寄り、そこでバイク用のヘルメットと厚手のライダージャケット、グローブを買う。日本刀を相手にそれがどこまで意味があるのかは分からないが、普通の店で手に入る服の中ではこれが一番ましだろう。出費は痛いが命には代えられない。

 最後にホームセンターに寄って、敵を縛り上げるためのロープを一人二本ずつと、ゴムバンドで頭に巻くヘッドライトと子供用の水鉄砲を人数分買った。容量一・二リットルの大きな水タンクと七mの飛距離という、かなり本格的で値段もそれなりにするタイプのものだ。これであれば、日本刀の届かない距離から大量のうんこ水を相手に浴びせられるはずだ。


「よし。それじゃ行くぜ」

「ああ。覚悟を決めよう」


 ヤツフサのうんこ水がたっぷり入ったポリタンクを三つ積んだ悪臭ただようライトバンは、南房総の富山を目指して走った。富山は南総里見八犬伝の舞台とされた山で、伏姫という正義の味方側の姫が暮らした洞窟があるとされている。


「でもよ。富山って言っても結構広いぜ?里美は富山のどこに誘拐されてんだ?」

「検索したけど、富山の高さ三四九mだってよ。うぇえ。ハイキングコース一周が一時間とか二時間とかって書いてある……」

「マジで?うんこ水のポリタンクかついで登るのそれ?」

「えええ……」


 一同は後部座席の後ろでダプンダプンと揺れて音を立てる臭いポリタンクの方を振り向いた。さすまたとこいつを持って登山かよ……と、戦いが始まる前からすっかりうんざりした空気が流れた。

「な……なんだよお前ら!そんな目で俺を見るなよ!うんこ水、絶対必要だって!」

 皆のじっとりとした冷たい視線に耐え切れなくなり、うんこ水作戦を提案した田崎 満が慌てて言い訳を始めた。しかし誰もフォローをしてくれず無言のままだ。


「分かったよ!それじゃあさ、全部の水鉄砲のタンクに満杯まで水入れてさ、余った水は置いていこうぜ。さすがに臭いポリタンク担いで山登りは無理だ!それだけあれば充分だろ、うんこ水」

 他の全員は、うんこ水なんてもう全部置いていこうぜと内心言いたかったが、ここまで臭い思いに耐えて持ってきたのに全く使わないのも虚しいので、田崎の妥協案で済ませることにした。

 富山まで残り一キロという標識が出たところでライトバンを路肩に止めて、八人の剣士たちはポリタンクから各自の水鉄砲のタンクにうんこ水を移し替えた。普段は風呂に入るのも面倒くさがる不潔な八剣士たちだったが、そんな彼らですら、もう服に臭いが染みついて絶対取れないだろうな……と情けない気持ちになった。


 よく分からないけど普通、戦いをする前ってのはもうちょっとこう、興奮してハイになって「俺最強!」って感じに気分を高めてから臨むもんじゃないのだろうか。


 時刻はすでに夜の十一時を回っていた。

 川崎 瑠偉が、わざわざこんな幽霊に有利な時間帯を選んで行かなくても、と怯えた顔で言った。狭いし臭いけど今晩はここで野宿して、明日の朝に助けに行けばいいじゃないかという。

 それに対して塚崎 朋也が、そんな悠長なこと言ってたら戦い終わっちゃうかもよ、里美が殺されるかどうかって話なんだから、ここは嫌でも頑張るしかないだろ、と反論する。


 この点に関しては、八人の間でも意見が四対四でまっぷたつに割れた。翌朝まで待つ派が川崎 瑠偉、江崎 常雄、田崎 満、村崎 義一郎。夜でも行く派が塚崎 朋也、崎山 貴一、皆崎 定春、坂崎 聡だった。

 車を路肩に止めたままで八人はずっと結論の出ない議論を繰り返していたが、最後はとにかく山のふもとの最寄りの駐車場まで行って、そこで山道の入口を見て、暗すぎて登るのは無理だということになったら朝まで待ち、なんとか登れそうだったらすぐに登ると、その場に行って判断することになった。


 月明かりの無い新月の夜。二つの峰を持つ真っ黒な富山の姿が、夜空をバックにだんだんと迫ってくる。こんな時間帯に、わざわざこんな場所に来る物好きなど誰もいるはずがない。街灯もほとんど無い寂しい道を、ゴトゴトと音を立てながらライトバンは静かに進んでいった。

 無料駐車場入口という看板が目の前に見えてきて、運転手の江崎 常雄は左へのウインカーを出した。チッカ、チッカというウインカーの音だけが、無言の暗い車内に響き渡る。


 とうとう決戦の地、富山に到着した。果たして誘拐された里美と玉梓、そしてイケメンの本物八犬士たちはこの山のどこにいて、今頃何をしているのだろうか?


 無料駐車場には他の車は一台も止まっていない。街灯もなく真っ暗な駐車場の隅にライトバンを止め、江崎 常雄がサイドブレーキを引いたその時だった。

 駐車場の奥のほう、木が鬱蒼と茂ってよく様子が見えない辺りから、何やら人の叫び声と金属のぶつかり合う音が聞こえてくるのに八人は気が付いた。


「ぐはあッ!玉梓あっ‼おのれぇ‼」

「ぬうう‼われら八犬士、何度倒れようとも決して屈せぬ!」

「伏姫の名にかけて!里見家のため!絶対に負けんッ!」


 目を凝らしてよく見ると、駐車場の反対側の端に、白布を頭にかぶり紫の衣を着た尼さんが暗がりの中に一人で立っている。

 尼さんの周囲を、時代劇風の袴を着て刀を持った八人の男たちが、半円形の陣形を組んで取り囲んでいるが、男たちは額から血を流したり地面に膝をついたりして、八対一だというのに見るからに苦戦をしているようだ。

 さらによく見ると、尼さんの後ろにある木の幹に、若い女性のような人影がぼんやりと見える。女性は木の幹に縄でしばりつけられている。

 状況からいって、その縛られている女性は里美で、尼さんが玉梓、そして刀を持った八人の男たちが八犬士であることはほぼ間違いないだろう。


「マジかあいつら……。なんで駐車場でラスボス戦やってんだよ……」


 最後の戦いは当然、富山の山頂だとか伏姫の洞窟の前だとか、そういうドラマチックな因縁の場所で繰り広げられるものだとばかり思っていただけに、八人は拍子抜けした表情のまま、駐車場のアスファルトの上で繰り広げられている戦いを眺めていた。

 見ると、尼さん姿の玉梓は丸腰である。両手に何も持っていない。それでイケメンの犬士たちが踏み込んで斬りつけようとすると、スッと軽く手を前に出す。すると玉梓の指先から紫色の稲妻のようなものがビビッと走って、それを喰らった犬士たちは悶絶すると玉梓に触れることもできずにその場に倒れてしまう。


「やべえなアイツら。負けそうじゃねえか。助けに行くぞ」

 そう言うと皆崎 定春は、座席の脇にあったさすまたを手に取ると、ライトバンのドアの取っ手に手をかけた。

 それを「いや、ちょっと待て定春」と崎山 貴一が手で制止した。何でだよ?と睨みつける皆崎には構わず、崎山は運転席の江崎 常雄に平然と言い放った。


「車から出るな。このまま車であいつ轢こう」


 ええっ⁉と運転席の江崎がうろたえた。「嫌だよそんなの!俺、人殺しになっちゃうぜ⁉」と泣きそうな声で言い返す。


「大丈夫だよ。あそこにいる全員もう死んでるようなもんだろ。江戸時代より前に生きてた奴らだぞ。もともと幽霊なんだから、轢いても人殺しにはならない」

「はあ⁉ちょっと待てキーチ。運転すんの俺だからってテキトーに言いやがって畜生」

「じゃあ、あの電撃ビビビ女と正々堂々と戦うのか俺たちが?本物の犬士でも全然歯が立ってない奴らだぞ」

「いや、そりゃそうなんだけどさ!……でも轢くのって……マジで⁉」


 それでも冷たい目で「やれ」と言い張る崎山の固い表情を見て、江崎は半泣きの声で叫んだ。


「ちっくしょう!裁判になったら全部お前のせいだって言うからな!ここにいる全員が証人だからな!」


 そしてサイドブレーキを落としてハンドルを大きく左に切ると、思いっきりアクセルを踏み込んだ。崎山は二列目の席から身を乗り出し、落ち着き払った態度で運転席の江崎の頭のそばまで自分の顔を近づけると、低い声で短く言った。


「いいぞ。全部俺のせいにしていい。迷わずやれ」

「くっそおおおお!!!!」


 ライトバンはエンジン回転数を乱暴に高め、グワアアン!と獰猛な轟音を立てながら、八人の男とその中心にいる尼さんめがけて一直線に突っ込んでいった。

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