第18話 落魄の剣士、臥薪嘗胆を誓い戦術を練るの巻

 俺たちには、何もない。


 自分にはきっと何かがあると今まで信じていたけど、それが何もないということが今日分かった。

 俺たちはただの冴えない一般人で、絶体絶命のピンチが来ても、隠されていた本当の自分が覚醒して強くなるなんて都合の良いことは起こらない。そもそもそれ以前に、ただの冴えない一般人である俺たちの人生には、「絶体絶命のピンチに陥る」というドラマチックな舞台自体が用意されていない。


 里美の人生には、それが用意されていた。

 なぜなら里美は里見家の血筋だから。本人には何の罪もないし、こんな身の丈に合わない舞台なんて里美は望んでもいないだろうが、里見家の血を引いているという、自分の意志とは何一つ関係ない理由だけで、彼女は悪女玉梓の怨みを受けて誘拐されてしまった。

 玉梓は本物の怨霊だ。イケメンの本物の八犬士達がしくじれば、きっと里美は殺されるだろう。その可能性はゼロではない。


 でも、逆にイケメンの八犬士たちが華麗に悪を斬って、あざやかに里美を救い出す可能性もある。物語の展開としては、むしろそうなる可能性の方が高いはずだ。

 そうなった後、救い出された里美はどうなるのだろうか。きっと里見家の正統な跡継ぎである「里美姫」として、八人のイケメン達に囲まれて大切にされて暮らすのだろう。

 そして「一体誰が私の運命の人なの?」みたいな、八人のイケメンたちが里美を巡って恋のさや当てを繰り広げる、里美にとっては都合の良すぎる新ストーリーが始まるのにちがいない。


「やべえな」

「ああ。やべえ」


 何がやばいのかはよく分からないが、田崎 満と江崎 常雄が、自分たちの今の状況に対して短い感想を述べた。「やべえ」以外に言葉が出なかった。


「……どうする?」

「……どうする?」


 男たちはそのまま無言でお互いの顔を見合った。こういう時はいつも、短気で押しの強い崎山が「もうめんどくせえよ!こうしようぜ!」と怒鳴り出し、それがきっかけになって各自が自分の意見をポツポツ言い始めて徐々に方向性が決まっていくのだが、今日はさすがの崎山も自分の整理がつかないのか完全に沈黙してしまっており、誰も口火を切る人がいない。


「どうすんだよ」

「しらねえよ。お前どうすんだよ」

「わかるかよ。誰か何とかしろよ」


 ひとしきり不毛な責任のなすりつけ合いをして、八犬士――いや、さっきまで「ドキドキ☆里美八剣伝」の主人公だったボンクラな八人の一般人たちは、全員がむっつりと押し黙ってしまった。


 里美のお母さんは、お父さんと一緒にさっさと家の中に帰ってしまっていた。お母さんの心はもはや、昔から憧れ続けた本物の犬士たちの方に完全に移ってしまっている。

 無謀にも本物の犬士につかみかかって、一つも攻撃を加えられずに一瞬で撃退された俺たち偽物の八剣士など、物語の序盤で犬士たちにあっけなく退治される、名前もない雑魚敵くらいの存在に違いない。


「帰るか」

 崎山 貴一がボソッと発したひとことに、他の七人が驚いた顔をして崎山の顔を見た。


 短気な崎山の意見はだいたいいつも強気で勢いがあったから、崎山はきっと皆を焚きつけて、前向きな気持ちになるような提案をしてくれるに違いないだろうと、他の七人は無意識に心のどこかで勝手に期待しているところがあった。

 その期待が外れ、今まで見た事もないような弱気な崎山の姿を目の当たりにして、他の七人は今さらながら、そこで初めて自分たちが直面している絶望の大きさを実感した。川崎 瑠偉が泣きそうな顔で食ってかかった。


「帰るって、どこへ帰るんだよ!今まで借りてた家も解約しちゃったし、帰るっていっても帰る場所がねえじゃんか俺たち!」


 崎山は眉間に深いシワを寄せながら、表情を動かさずに答えた。

「また借りればいいだろ。まず不動産屋行くんだよ。それで各自、好きな場所に次の家を借りる。そしたらこの秘密基地も解体して、里美のお父さんお母さんにも挨拶して、それで新しい家に引っ越して新しい生活を始める。それだけだ」

「そんな!せっかくここまで皆で頑張って、この秘密基地作ってきたじゃん!それなのにあっさり壊して終わりかよ!ここに集まった俺たちは何だったんだよ!」

「何だったも何も、何もねえよ。俺たちは神様の気まぐれのお遊びで集められた、ただのダメダメな一般人。そのお遊びも終わったんだから、元の暮らしに戻るだけだ」


 崎山が突きつけた冷厳な現実を前に、川崎 瑠偉は十八歳にもなって、人目もはばからずボロボロと泣き始めた。

「そんな……。そんなのありかよ……。ひでえじゃねえかよ……。俺、ここの暮らしすげえ楽しかったのに……。お前らと会えて、人生が変わった気がして……すげえ楽しかったのに……。こんなのありかよ……ひでえじゃねえかよ……」


 後ろで坂崎 聡がつられて、肩を震わせて泣きじゃくり始めた。田崎 満がオオオウ!と雄叫びのような声を上げて嗚咽している。あふれ出た感情は伝染し、十八歳と二十二歳のいい歳した八人の男たちが一斉に自分の感情を剥き出しにして、ただ子供のように泣いていた。

 なぜ泣いているのかは自分でも分からない。とにかく自分が情けなくて、自分を殺したくて、自分を消してしまいたかった。でも自分はとことん自分でしかなく、死ぬこともなく、こうして変わらずに元気に生き続けている。


「やだょう!俺やだよぅ!」

 一番の年長で、普段は落ち着いて醒めたところのある江崎 常雄が、いきなりそう叫ぶと、駄々っ子のように地面を拳で叩き始めた。それを見て、他の七人も一斉に感情が高ぶり、まるで情けない自分自身を殴りつけ踏みつけるかのように、砂利の地面を無駄にドンドンと叩きだした。


「俺だってやだよぅ!こんなの絶対にいやだ!」

「いやだぁー!」

「いや!イヤ!いや!」

「ちっくしょう!ちっくしょう!」

「絶対にいやだァ!俺こんなの認めねえ!」

「あああー!あああああー!」

「くっそー!ああもう!ちっくしょう!」


 そのまま、どのくらい地面を叩いていただろうか。

 涙も枯れ果てた。心の中で、情けない自分を何度もメッタ刺しにして殺害した。でも現実の自分は情けないくらい健康で無傷で、そして情けないままだった。


 男たちは無言で立ち上がり、誰が言うでもなく自然と秘密基地の方へのろのろと歩きだした。八人が集まって今後のことを相談する時、その場所はいつもここだった。

 秘密基地の中央に大きなテーブルがある。彼らが何か相談をする時は、いつもこのテーブルの上に紙を置いて、周りを椅子で囲んで車座になる。

 口火を切るのは、いつも崎山 貴一だ。


「……このままじゃ終われないのは、わかった。問題は何をするかだ」


 泣き腫らした赤い目で、一同を見回した。しかし誰も口を開かない。

 崎山は自分では口を開かず、もう一度一同を見回した。

 おずおずと、村崎 義一郎が遠慮がちに、しかし力強い口調でボソッと言った。


「里美を……助けに行くべきじゃ、ないのかな」


 その言葉に、すぐには誰も同調しなかった。重苦しい沈黙が流れた。

 だって、何で俺たちが里美を助けに行かなきゃいけないんだろう。


 里美が命を狙われ誘拐されたのは、里見家と玉梓の長年の因縁が理由であって、一般人の俺たちには一切関係がないことだ。

 里美の誘拐に関係があるのはイケメンの本物八犬士たちのほうであって、本物八犬士たちには、命を懸けて里美を救うために戦わなきゃならない宿命と義務がある。そして彼らには、玉梓と戦って倒せるだけの武術の腕前もある。本物の武器だって持っている。


 俺たちには、戦う理由もない。腕前もない。武器もない。

 ついでに言うと、別に俺たちは里美の恋人でも何でもない。


 じゃぁ、何で助けに行くんだ……???

 イケメンの八犬士に任せておけばいいじゃないか。あいつらならきっと上手くやるだろう。何しろこの物語の主人公なんだから。

 そうやって考えていくと、俺たちには何一つ里美を助けに行く理由などないのだ。


 でも、なんだかそれで自分自身を納得させてしまうのが、とても腹が立った。理由はよく分からないけど腹が立った。

 口をとんがらしたキジシナナキメの軽薄な笑顔も、完全無欠で凛々しい本物八犬士の決意を秘めた力強いまなざしも、憧れの本物八犬士を前に、目がハートマークになってしまっている里美のお母さんの顔も、「あんたら、ホント最低ね」というウンザリしたような軽蔑の目でこっちを見てくる里美の顔も、今まで空の上でニヤニヤと俺たちの人生を眺めて楽しんでいた高天原の神様たちの顔も、想像するだけでムカムカと腹が立ってくる。


 そこに、理由はねえ。

 とにかく腹立つ。腹が立つから、全部ぶっ壊してやりたい。


 そこで突然、皆崎 定春が名案を思いついたとばかりに、目を輝かせながら言った。

「――例えばだよ。いま大地震が来て、目の前で里美が助けを待っているみたいな状況があったとするじゃん。その時にお前らはさ、災害救助は消防隊の仕事だから俺たちは関係ありません、なんて言って、そのまま里美を助けずに放っておくか?」


 一同は「それはねえな」「放っとくわけにはいかないだろ」と首を横に振った。


「肝心なところは消防隊に任せるにしてもさ、自分たちで何かできる事はないか?って考えるよな普通。で、それがどんなに無意味だったとしても、とりあえず自分にできることをやるよな、普通なら。

 だって里美と半年以上一緒に暮らしてたんだぜ俺たち?そりゃ何かやるよな!」


 実は皆崎の心の中には、里美を救いたいという純粋な気持ちよりも、玉梓も本物の八犬士もひっくるめて、全部をめちゃくちゃにしてやるという邪悪な意志の方が先にあったのだが、そんな本音はこの際どうでもいい。

 とにかく彼らには、何でもいいから里美を助けに行く理由が必要だった。その理由を探していた他の七人にとっても、皆崎のこの言葉は非常に都合がよかった。「そうだな!」「そうだよ!それだよ!」「それな!」と七人は口々に皆崎がこじつけた理由に乗っかり、あっという間に場の雰囲気は里美を助けに行く方向に流れた。


「でもよ、あいつらガチだぜ?本物のポン刀を持ってる奴らに、俺らがどうやって戦うんだよ」

 川崎 瑠偉の疑問に、坂崎 聡が口を開いた。

「最近さ、小学校に刃物を持った不審者が入ってきた時のためにさ、『さすまた』だっけ?なんか半円形の棒が先っぽに付いた長いアルミの棒を教室に常備してるって言うじゃない。あれなんかどうかな?」


 おお~、と他の七人が坂崎の知恵に感嘆していると、坂崎はさらに続ける。

「あの本物の犬士の人たちってさ、江戸時代よりもっと昔の人だからかな。やっぱ背低かったよね」

「ああ。こいつら小学六年なのにずいぶん老けた顔してんなって最初思った」

「体が小さいってことは、それだけ格闘技では不利ってことじゃん。ボクシングなんて体重が二、三キロ違うだけで違う階級で戦うことになるんだよ」

「いや、でもあいつら強かったぜ。あっという間に腕をひねられて、何をされたのか俺。全然分からなかった」

「それは一対一で、手の届く位置まで近寄られたからよ。必ず二人一組で戦うようにして、さすまたを使って相手と距離を置くようにすれば、体格差もあるし、あるいは……」

「チームワークだな」

「そう。相手は伝説の勇者なんだから、絶対に一対一じゃかなわない。こっちは必ず何人かで固まって逃げ回るようにして、相手が仲間から離れて一人になったら、そこでワッと大人数で取り囲む。卑怯かもしれないけど、そうでもしないと多分勝てない」

「卑怯だとか、そんなのどうでもいいじゃん。アイツらは正真正銘のサムライだけど、俺ら現代人だし。ケンカもしたことねえし。要は勝ちゃいいんだろ、勝ちゃ」

「あらかじめコンビ決めておこうぜ。そのコンビは絶対に離れないようにして、二対一になるまでは絶対に逃げて戦わないようにするって決めとくのよ」


と、そこで田崎 満がニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて言った。

「いま、いい事思いついたぜ俺。ちょっと里美んち行って、ヤツフサ借りてくる」

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