第13話 八犬士、砦を築き高らかに鬨の声を上げるの巻

「ミツル、なんか最近少しやせたんじゃない?」

里美がそう聞くと、田崎 満はうれしそうに「そう?」と言って笑った。


「そうかなぁ~。いや、大して変わってないと思うんだけど、里美はそう思うの?いや~、変わってないよ全然。ホント全然、前と一緒一緒」


 あーハイハイ。私に「そんなことないよ!ミツル超やせたじゃん!すごーい!」って甲高い声で手を叩きながらバカみたいな笑顔で言ってほしいのね。ハイハイ。やだ。


 ちょっと気が付いたことを素直に言っただけで田崎からうざったく絡まれて、里美は後悔した。この自意識過剰なデブはもう絶対に褒めてやらない。


 そんな里美の決意はともかく、指摘して褒めてあげるかどうかは別として、最近の田崎 満の体は明らかに以前よりも引き締まっている。

 以前はだらしなく出っ張っていた下腹が引っ込み、首周りの肉も落ちて、あごの骨の形が見えるようになった。それでも全体的な印象はまだ「太った人」だが、だらしなく太っている感じは消えた。


 田崎 満は二ヶ月前から建設会社に勤めている。

皆崎 定春と田崎 満はそれまで、どの仕事も長続きせず色々なバイトを転々としていた。しかし、自分達の「秘密基地」を作るにあたっては、建築のやり方を知っている人がいた方がいいだろうという理由で、二人は職探しをして建設会社の社員になったのだ。


 肥満体の田崎が、きつい肉体労働の仕事を自ら選んだことを全員が心配したが、田崎は「デブはデブでも、俺はただのデブじゃないの。相撲取りみたいなもんなの。実は腕力にはけっこう自信あるし、体力もあるんだぜ俺」と笑っていた。

 実はその言葉を誰もが信用しておらず、きっと三日で音を上げるだろうと内心思っていたのだが、田崎は意外とがんばった。それで、毎日激しく体を動かす生活に変わったおかげで、見違えるほどに痩せた。


「だから言ったろ?俺はデブじゃねえんだよ。相撲取りみたいなもんなの」


 しつこく何度も何度もそう繰り返す田崎のドヤ顔にうんざりしながら、太ってるかどうかなんて、実は人間の魅力にとってごく一部分に過ぎなくて、もっと別の大切なことがいくらでもあるんだなと里美は思った。


 それにしても、大晦日に大雨でテントサイトを壊されて、元旦に「秘密基地」の再建を決意してからのこの三ヶ月、八犬士たちの頑張りぶりは里美の目から見ても意外だった。

 犬士たちは相談して秘密基地のおおまかなイメージを決めると、基地の材料に使う足場用の鉄骨や塩ビの波板、ベニヤ板のコンビネーションパネルなどの資材をできるだけ安く手に入れるよう、手分けして探し始めた。

 それから、秘密基地建設に必要なお金の総額を見積もって、毎月少しずつ共同で積み立てをしている。そのためにバイトの数を増やしたり、給料を上げるためにバイトをやめ、正社員になることを考えたりしはじめた。


 一方、里美は前回の模試の成績表を見てため息をついていた。

「はぁ……。この成績じゃ全然足りないわよね……」


 四月から里美は高校三年生になる。受験の年だ。里美には以前から、東京の四年制の大学に行って一人暮らしをすることに憧れていたが、お父さんもお母さんも先生も、自宅から通える千葉市周辺の短大か専門学校をそれとなく薦めてくる。

 まぁ、とりたてて優秀でもない自分の成績を考えたら、一人暮らしさせてまで遠くの四年制大学に通わせるくらいなら、就職に強くて下宿代もかからない近くの専門学校とかに行ってくれた方が色々と助かるなぁと親が考えるのはそりゃ当たり前だろう。


 そんな無言の圧力を跳ね返して、里美が来年から憧れの一人暮らしを勝ち取るためには、とにかく勉強して成績を上げて周囲を黙らせるしかないのだが、現在の里美の成績はそれには程遠い。


「……っていうか、何を焦ってんだろ私。ホント馬鹿みたい」


 里美は自己嫌悪していた。一向に成績が上がらない自分にではない。

 今までダラダラ暮らしていた八犬士たちが、まるで電気に打たれたように突然やる気を出し始めたのを見て、わけもなく焦っている自分に対する自己嫌悪だった。

 ハッキリ言って、彼らがやろうとしている秘密基地の建設なんてのは、冷静に考えたら本当にくだらない全く無意味なことだ。

 でも、その無意味な目的を本気で達成しようとした結果、彼らはフリーターから正社員に転職して、結果的に収入が安定し始めているんだから、人生、何がきっかけで変わるのかなんて本当に分からない。


 里美自身ははっきりと自覚はしていなかったが、正直なところ、これまでの里美の心の奥底に、八犬士たちのことを見下す気持ちが全く無かったと言ったら嘘になる。

 将来のことも考えず、高校を中退しバイトで日銭を稼ぎながらダラダラと無計画に暮らしている八犬士たちと自分を比較して、自分はここまでダメじゃないから、まだ大丈夫だと安心する。そんな無意識の優越感が、里美の心の中にはわずかだが確実にあった。


 彼らが生き生きと頑張りはじめて、将来を真面目に考えるようになってしまったら、自分の中にあったそのちっぽけな優越感が崩れ去ってしまう。里美にとっては、八犬士たちにはずっとダメなままでいてもらわないと困るのだ。


 そんな、自分の中の汚い気持ちを薄々感じ取りつつも絶対に認めたくなくて、里美はただジリジリと焦る気持ちを抱きながら、自己嫌悪にひたすら耐えていた。

 「やばいな、私も勉強しなきゃ」と里美は、以前よりも自然と多く勉強机に向かうようになっていた。実は犬士たちの姿に触発されたのだと周囲に絶対に気づかれないよう、自分の意志でやっている風を装いながら。


 ――そんな里美の秘かな焦りをよそに、犬士たちはこの三か月、コツコツと金を貯め資材を調達し、自分たちの秘密基地の建設に向けて着実に準備を進めてきた。

 そして三月の半ば、ついに秘密基地の建設が始まったのである。


 最初、自分の家の土地に勝手に変なものを建てるなんて、お父さんもお母さんも絶対に認めないだろうと里美は思っていた。

 ところが、里見八犬伝マニアのお母さんはもともと犬士たちに甘いし、お父さんも自分の中の「男子」の心が刺激されるのか、「面白そうじゃないか」と好意的な目で見ていて、あっさりOKが出てしまった。

 大みそかに呼ばれたバーベキューで、犬士たちが作り上げた共同スペースが意外としっかりしていて快適だったのも、お父さんとお母さんが彼らに寛大な理由かもしれない。


 建設作業は、建設会社に勤め始めた皆崎 定春と田崎 満が現場監督となって進められた。彼らは会社ではまだ全く使えない新入社員にすぎないが、八人の中では頼れる経験者だ。

 二人は、会社で見て聞きかじった得た知識を全員に説明して、危なっかしいながらも少しずつ秘密基地の建設を進めていった。


 最初に地面に何本も杭を打って、それと建設足場用の鉄パイプを金具でがっちりと固定する。大みそかに暴風雨でテントを倒された苦い思い出に加えて、今度の秘密基地は屋根をテントではなく板できちんと作るので、万が一倒壊したら中の人間が大けがをしかねないことから、杭は少し多すぎるくらいではないかというくらいの数が打たれた。

 その後は鉄パイプを縦横に組んで金具で杭と固定して、建築現場の足場を組むような要領で秘密基地の骨格を作っていった。足場と違って使用後の解体は考えていないから、筋交いを何本も入れて、とにかく強度と安全性重視の設計にした。


 建物の骨格ができたら、次はそれに壁と屋根と床を取り付けていく。

壁はベニヤ板のコンビネーションパネルを使うが、それだけだと風が通ってしまい寒いので、内側にブルーシートを張る。地面にはスノコを敷いて泥が入ってこないようにする。天井は塩ビの波板を斜めに傾けたものを設置する。


 ――そして、大みそかの悲劇から三か月弱が経った三月末。

今までダラダラと目的もなく暮らしていたのが嘘のように、八人の犬士たちが心を一つにして一つの目標に取り組んだ結果、剣崎家の家庭菜園の端に、堂々とそびえ立つ頑丈な自作の秘密基地がとうとう完成したのだった。


「去年までのテントの基地もそれなりに快適だった。でも、今この新・秘密基地を見てしまうと、あれはもう過去のものだ。俺たちは頑張った。俺たちはやれる!

みんなこの三か月、本当によく頑張ってくれた。ありがとう!乾杯!」


 崎山 貴一の、普段の彼からは信じられないほど立派で心を打つ乾杯のあいさつで、秘密基地の完成記念バーベキュー大会は幕を開けた。参加メンバーは大みそかの悲劇の時と同じ、八犬士と招待された剣崎家の三人だ。


 ワイワイとバーベキューコンロを囲んで盛り上がる八人の男たちは、もう以前のようなダラダラとその日を漫然と生きるだけのダメ人間たちではない。一つの目標に向けて力を合わせ、チームの中で自分の果たすべき役割を自分の頭で考えて行動し、それによって自信を付けた、気力あふれる若者たちである。


「あぁ、長かったけどやっと最近、みんなが八犬士としての自覚を持ち始めてくれたみたいで、本当に私はうれしい」

 お母さんはなんだか、実の子の里美以上の思い入れの深さで八犬士たちの成長を喜んでいて、感慨のあまり今にも泣き出しそうな勢いだ。


「まったく、イタズラ描きで生まれた八犬士のくせに、よくやるわ実際……」


 里美は不機嫌そうに、八犬士たちの喜びようを冷ややかな目で眺めていた。

 でも、そんな冷めた気持ちになる理由は自分の嫉妬であって、同類だと思って一緒にダラダラしていたら、いつの間にか置いてきぼりにされていて、それを勝手に裏切られたように逆恨みしているだけだと気づいて、里美はさらに自分が嫌いになった。

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