第12話 八犬士、元日に捲土重来を誓うの巻

 その年、元旦の朝の剣崎家は、まるで野戦病院のようであった。


 うつろな目をした若い男たちが、毛布やありあわせのバスタオルなどを体に巻き付けて、狭いリビングの中にゴロゴロと転がっている。足の踏み場もない。どこかで一人がクシュンとくしゃみをした。


「やべえな」

「ああ。やべえ」


 窓の外をぼんやりと眺めた田崎 満と江崎 常雄が、視線の先に広がる惨状を前に、ただ短い感想を述べた。「やべえ」以外の言葉が出なかった。


 大晦日の夜に関東地方を襲った季節はずれの爆弾低気圧は、元旦の未明に太平洋側に抜けて、元旦の朝はむしろ、美しい初日の出が拝めるほどの、嘘のような晴天になっている。


 窓の外に広がるのは、強風でアルミポールの柱がボキボキに折られて崩壊した無残なタープテントの残骸と、一晩中大雨にさらされて、全てが台無しになった八犬士たちの私物だ。テレビも壊れた。ゲーム機も動かない。本棚のマンガ本は全部ずぶ濡れだ。

 コンロの残り火で溶かされて、タープテントの天井には大きな穴が開いたのでもう使えない。壁のブルーシートも泥水の中に漬かっていて、全部洗い流して干さないと使い物にはならないだろう。

 十二月の厳冬期にこの被害は、あまりにも精神的に辛すぎた。


 最初は、テレビもゲーム機もできるだけ救おうと思った。

 でも、真冬の夜の凍りつく雨でびっしょりと濡れた体は、どんなに気持ちが焦っても一切思い通りに動く事はなかった。ガチガチと音を立てる奥歯を噛みしめ、何とかしてテレビを救おうとかじかんだ手を伸ばした瞬間、ブブッと変な音を立ててテレビの画面が消えた。


 それで全員が絶望的な気分になり、もうこれ以上頑張っても何も救えない、とにかく体のほうが大切だという話になり、全てのものをその場に置きっぱなしにして全員が剣崎家に避難をした。その後、家の中にあった、ありったけの毛布やら布団やらをひっぱり出して、可能な限りの暖を取ってとりあえず朝まで眠ることにした。

 そしてこの、史上最低の元旦の朝に至る。


「みんな、風邪はひいてない?」


 お母さんがリビングに寝転がる男どもに声を掛けた。村崎 義一郎と崎山 貴一が、熱でぼんやりとした赤い顔をして力なく手を挙げた。それ以外の六人は体調の方はなんとか大丈夫そうだ。


「昨日は散々だったけど、とりあえず明けましておめでとう。

 この人数じゃテーブルも食器も足りないから悪いんだけど、おせち料理ここに出しておくから、各自この割り箸でてきとうに取って食べてね」

 毛布などにくるまった男たちは、もそもそと芋虫のようにテーブルの上に置かれたおせち料理の周りに這い寄ると、黙々と食べ始めた。


「……どうする?」

「……どうする?」


 男たちはそのまま無言でお互いの顔を見合った。こういう時はいつも、短気で押しの強い崎山が「もうめんどくせえよ!こうしようぜ!」と怒鳴り出し、それがきっかけになって各自が自分の意見をポツポツ言い始めて徐々に方向性が決まっていくのだが、今日は崎山が熱を出して、村崎と二人で布団に寝に行ってしまったので、誰も口火を切る人がいない。


「どうすんだよ」

「しらねえよ。お前どうすんだよ」

「わかるかよ。誰か何とかしろよ」


 ひとしきり不毛な責任のなすりつけ合いをして、全員がむっつりと押し黙ってしまったところに、お母さんが大鍋で一気に煮込んだお雑煮を持ってきた。

 それを食べたら、体が温まり満腹になったおかげで、少しだけ心が落ち着いて前向きな気持ちが生まれてきた。テレビから流れる、元日の生放送の演芸特番の能天気なバカ騒ぎの様子をダラダラと眺めていたら、なんとなく元気も出てきた。

「とにかく、片付けようぜ。それからだ」


 テントサイトの状況はひどいものだった。共用スペースは強風で崩壊しコンロの残り火で焼け焦げたが、荷物テントと宿泊テントも、限界を超えた大雨によって雨漏りしていて、中に置いてあった荷物の多くはぐっしょりと湿っていた。

 犬士たちは、まだ濡れていないブルーシートを探して地面に広げると、その上にテントの中の荷物を全部ひっぱり出して、濡れたものを広げて乾かしていった。


「……なんかさ。基地がほしいよな。ちゃんとした」


 暗い顔で黙々と作業しながら、塚崎 朋也がそうつぶやいた。江崎 常雄が不審そうな顔で塚崎のほうを振り向いた。

「基地?」

「そう。俺たちの基地。みんなで楽しく過ごせる最強の基地」

「この共用スペースがそれだったろ」

「ああ。そうだった。でも最強じゃなかった」


 そこで塚崎は、濡れた荷物を広げて並べる作業を中断して大きく伸びをすると、周囲の六人を見渡して、大きな声で呼びかけ始めた。


「俺さ、みんなで相談しながらこの共用スペースを作るの、本当にワクワクしたんだ。小学生の時に友達と作った秘密基地みたいなもんでさ。

 小学生の時の秘密基地は、ガラクタを集めてチャチなものしかできなかったけど、この歳で同じことやると、お金でしっかりしたテントも買えるし、テレビもストーブもコンロも置けるし、それでちゃんとした生活ができて、なんだか俺、小学生の頃の夢が叶ったみたいですげえ楽しかったんだよ内心」


 その言葉に川崎 瑠偉が「わかる」と答えた。他の犬士たちもウンウンとうなずく。

「だからさ、昨日の年越しバーベキューなんて、その秘密基地ごっこのクライマックスみたいなもんでさ。恥ずかしかったからあまり言わなかったけど、俺、あのバーベキュー、めっちゃ楽しみにしてたんだ」

 江崎 常雄が「実は俺も」と言うと、他の犬士たちも次々と「俺も」「私も」と続いた。


「それがこんなことになっちゃって……俺、すげえ悔しい」

 喉の奥から絞り出すような塚崎のそのひとことに、全員が無言のまま下を向いた。


「今まで俺って、何をやってもダメダメだったから、自分から何かやりたいとか、これやって楽しかったからもっとやりたいなとか、そういうの全然無かったんだ。

――でも、この共用スペース作りはめっちゃ楽しかった」

 田崎 満が無言でウンウンとうなずく。塚崎は続けた。


「もっともっと快適で、もっともっと楽しいみんなの秘密基地にしていきたいなって、そういうやる気がどんどん湧いてきて。それで、思いついたアイデアをみんなでテーブル囲んでワイワイ話し合うのも最高に楽しかった。

 ……まぁ、このスペースはもう潰れちゃったけどさ」

 そして塚崎 朋也は、自分の青臭い本音を吐き出す恥ずかしさに少しだけ顔を赤くしながら、それでも言わないと気が済まないといった表情で、顔を上げると大きな声で言った。


「でも、こんなので終わりなんて悔しい。すげえ悔しい。このままで終わりたくない。俺は絶対に終わりたくない!」


 塚崎が周囲を見回すと、坂崎 聡と目が合った。坂崎はうん、と軽くうなずいた。その後ろにいた皆崎 定春も、いつになく固い決意を秘めた真剣な目で塚崎の顔を見返している。他の犬士たちも、誰もひとことも発しないが心は同じである事は不思議とわかった。


 さっきまでの責任のなすりつけ合いが嘘のように、自然と皆が口を開き始めた。

「やっぱりさ。テントじゃダメだよ。ちゃんとした柱と壁を用意して、雨風でもびくともしないものを作らないとさ」

「市販のプレハブとか、みんなでお金出し合って買えないかな?」

「うーん。今ちょっとスマホで検索してみたけど、プレハブ高いわー。これは無理」

「工事現場の足場のパイプとかで何とかならない?」

「安く売ってる廃材とか無いかも当たってみようぜ」

「でもさ、俺ら素人じゃん?そんな素人工事で大丈夫なん?」


 すると皆崎 定春があっさりと言った。

「いいよ。それじゃ俺、ちょうど今のコンビニのバイト、店長むかつくし給料安いから辞めようと思ってたから、鳶とかの建設関係の仕事探してみるよ。俺もこのままずっとバイト暮らしじゃまずいし、そろそろ手に職つけなきゃな、って思ってたから、そこで足場の組み方とか、やり方習ってくる」

「定春がやるなら俺もやるよ。詳しいやつが一人より二人の方がいいだろ」と田崎 満も申し出た。

「あとは何が必要?」


 すると坂崎 聡が口を開き、テキパキと状況を整理していった。

「まずはさ、家の材料を決めなきゃだよね。廃材なのか足場の鉄パイプなのか。ベニヤとかトタン板とか、建物のどこに何を使うのか。それと、一人何円までなら出せるかを話し合いましょうよ。

 その二つが決まればさ、秘密基地の広さとか豪華さとかがだいたいイメージできるでしょ?それでイメージ作ってみて、それでお金が足りなかったらまた考える。

 まあ、考えるっていってもさ、選べる方法なんて、秘密基地を狭くするか、もっと安い材料探すか、あるいはみんなでバイト増やして出すお金を増やすか、せいぜいその三つくらいでしょ?

 その三つのどれを選ぶか、その時点でもう一回話し合って、そうやって少しずつ少しずつ決めてったらいいんじゃないかしら?」


 その説明に、一同は「おお~」と感動し、「さすが偏差値五十!」と拍手した。その光景を里美は「あいつら、急に生き生きしてきたわね……」と半分あきれ顔をしながら家の中で眺めていた。あいつらはいつも楽しそうだ。やってる事自体は本当にくだらないけど、とにかく楽しそうだ。


「よし!なんだか希望が出てきたぞ!風邪で寝てるキーチとギッちゃんの意見はまだ聞いてないけど、まぁ多分賛成だろう。よーし!やるぞ‼」


犬士たちは寒空に向けて一斉に拳を突き上げた。

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