第5話




 椿に子供を預け、一安心したところで。油断ゆだんしたからか、香夜のお腹が 盛大せいだいに鳴った。


 誰かに聞かれた訳でもないのに。咳払せきばらいして、その場の空気を無理やり入れ替えると。空腹であることをそらすように。子供から受け取った布切れを、丁寧ていねいたたむ。


 それを持って、そそくさとくりやに向かうことにした。たとえ時間を指定していなくとも、食事を待たされることはない。なぜなら、幸いにもこの屋敷には。かんするどい料理人がいるからだ。



ひいらぎ~!」



 厨に到着とうちゃくするなり、甘えるように柊という男の名を呼ぶ。軽快けいかいな包丁の音を響かせながら。彼は笑顔で香夜を出迎えた。



「おかえり香夜」


 

 男。どこからどう見ても、どの角度かくどからでも。線の細さを除けば、背丈せたけ骨格こっかくなど。全てをふくめて男にしか見えない。


 だというのに。少し長めの紅い髪を、耳にかけ直す仕草や。柔和にゅうわ眼差まなざし。立ち振舞ふるまいや、絶妙ぜつみょうな声の低さがとてつもない色気をかもし出しているのだ。


 椿も大人の女として、なんとも言えないしたたるような色気があるが。柊のこれは、匂いたつような色気とでも言うのか。しかもそれは、本人は全くの無自覚なのだから。自覚があるよりたちが悪い。



「ただいま」



 やっと一心地ひとここちついた気分だった。椿には悪いと思っているのだが。香夜に対してではないとはいえ。帰って早々、きびしいにきる言葉ばかりびせられたのでは少々気が滅入めいる。


 冬の最中さなかの、日だまりのような柊の笑顔に出迎えられて。変わらないものに対しての安心、とでも言うのか。いつだって、同じ場所で待っていてくれる。


 そこまで考えて、香夜は苦笑くしょうした。これでは男女で立場が逆ではないか、と。不機嫌かつ、厳しく出迎える父親のような椿と。優しく穏やかな母親のように出迎える柊。


 立場が逆であろうと、対照的たいしょうてきだからこそ。下手に反発はんぱつせず絶妙に合っている。だからこそ、香夜の周りは成り立っているのだ。



「…やっぱり、食事抜きで動くものじゃないわね。目が回りそう」

「そうは言っても、香夜が欲しい物を我慢出来るはずがないしね」

「ご名答。さすが柊、私のことをよくわかってる」



 側仕えの者たちは、浅からず長年香夜と付き合っているので。よく知っているし、理解していた。


 何を考えて、どう行動するのか。それを理解してさえいれば、振り回されるどころか。むしろ付き合いやすいと、柊たちは思っていた。



「いい匂い。たまらないわ」

「出来立てだからね、特に今日のは自信作」



 現在火にかけている、鍋のふたを柊が取れば。香夜のところにまで、鶏肉と野菜の煮物がよく煮えているいい匂いが届く。


 その鍋の隣では、キノコと豆腐とネギの味噌汁がすでに完成していて。米も炊きたてが出来上がっていると聞かされれば。はしたないと言われようとも、今すぐ食らいつきたい衝動しょうどうにかられた。



「…あ、そうそう。いい匂いにつられて、うっかり忘れるところだったわ。柊に頼みがあるのだけれど」

「消化に良さそうなお粥なら、もう作ってあるよ。例の子供が起きたら温めなおそう」



 香夜の朝ごはんとは別に、小さな土鍋どなべはしの方に用意されていた。用意周到よういしゅうとうの側仕えに、ほとほと感心するも。それを自慢気じまんげに話すことなどないので。柊は、香夜からのさらなるほまれをたまわった。



「さすが『柊』」

「あらかた話は聞いたからね」

「…誰から?」

「屋敷の入り口の桜が、嬉しそうに話していたよ?あの大桜が生き返ったって」



 つい先程の出来事だというのに、話が屋敷中にめぐるのが早い。動けないものばかりで、新鮮な話題に飢えていることは知ってはいたが。これではどこまで知られているのか。気が気でない香夜だった。



「…今が盛りの花たちは、やはり力が強いわね」

「俺や椿と違って、それだけが楽しみのようなものだから。そりゃ会話も弾むさ」



 料理を皿に盛りつけて。取れたての菜の花で作った、油揚げとの煮浸にびたしも用意する。よく味が馴染なじんでいそうで食べ頃だ。



時節じせつの物ね」

美針みはりが届けてくれたんだよ。新しい商品を考えている時に、菜の花畑を見つけたからって」

「なら今度は、見て楽しむ花も手に入れられるかしら」

「出来たら真っ先に、香夜に持ってくると言っていたよ」

「それは嬉しいこと」




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