第4話




 うまく男たちから逃げきり、子供を連れ帰ることに成功したことに。香夜は思わず笑みを深くした。計画はとりあえず成功したのだから、機嫌も底上げするというものだ。


 気分よく鼻歌を歌いながら、正面に見える自分の屋敷に向かって歩きだす。機嫌の良さも手伝ってか、子供を抱えながらも足取りはとても軽い。


 その軽やかなあゆみで、結界である白い鳥居とりいをくぐる。主である香夜に抱えられているからか。子供が拒絶されなかったのが幸いだった。


 この結界は強力であるがゆえに、融通がきかないところがある。主の香夜が、考えがあって通そうと思っていても。よこしまな思いを抱く者は、決して通さないのだ。


 ただし、そんな思いを抱く者でも。力の強い者なら、容易よういに通れてしまうし。結界を破壊はかいすることも可能だ。


 強者が勝つのは世の道理とはいえ。それが出来る者は、こぐわずかな一握りの者に限られる。


 屋敷の玄関に近づくにつれ。まさに春の代表格の桜の木が、まず姿を見せた。先程の大桜には負けるだろうが。色艶いろつやではおとらないこの桜の木は、樹齢二百年の長寿の木だ。


 さらに屋敷の奥にある庭では、およそ二十を越える様々な花木が。春を告げる為に、今を盛りに咲き誇っていた。



「ただいまー!」



 満面まんめんの笑顔のまま、玄関先で帰還の声をあげる。すると奥の方から、白いモヤのようなものが現れた。それは段々と人の形を作ってゆき。美しい微笑みを浮かべた女が、はっきりと姿を現した。



「あら、小汚ない土産ですこと。お帰りなさい、香夜」



 香夜を見た瞬間しゅんかんは、喜びにちた表情ひょうじょうで出迎えたというのに。ふところにいる子供を見つけた途端とたん。一瞬で、氷のような冷たい顔に変化した。


 その変わり身の早さに驚くところだが。彼女にいたっては、いつもの仕様としか言い様がないので。香夜は苦笑することしか出来なかった。



「いきなりそれ?可愛い子供に向かって」

薄汚うすぎたなくて貧弱ひんじゃくで、せ細った子供ではありませんか」



 あごで切りそろえられた黒髪を手ではらいながら。不機嫌そうに話す彼女に、どう取りつくろったらいいかと思案するが。今は何を言っても無駄だと悟る。態度が軟化なんかすることはないと、早々に見切りをつけた。



「手厳しいわね、椿は」

「正直なだけですわ」



 そう言いながらも、黙って子供を受け取る椿は。側仕そばつかえのかがみと言える。


 しっかりと子供を抱き留めて、奥に向かおうとしていたが。その子供が、強くにぎって離さない布切れを見つけ。あからさまに、もう一度眉まゆを寄せた。



「これはなんですの?」

「あぁ、これは……宝物よ」

「…まさか、こんな物の為にわざわざ出かけたなどとおっしゃいませんわよね?」

「この為に出かけたのよ。早起きした甲斐かいがあったわ」



 固く閉じられた子供の指を、優しく解きほぐしていく。強く掴まれた布切れを受けとると、愛おしそうに眺めた。



「めったに出会えない名品よ。苦労するだけの価値があるわ」

「つまり、ここまでの段階だんかいで苦労したのか。これから苦労するという意味なのでしょうか?」

「どちらも正解。苦労すればするほど、価値は高まり力の質が良くなっていく。そうなればそれは、苦労であって苦労ではない」



 幸せが一気に逃げていくような、重いため息を椿は吐き出す。なんだかんだ言っても、こんな主を放っておけるはずがない時点で。苦労するのはいつだって、側仕えの者たちに決まっているのだ。


 とうにあきらめの境地きょうちたっしているとはいえ。やはり度々起こる厄介事やっかいごとに、椿が頭を悩ませてしまうのは。彼女が基本、真面目な性格ゆえだからだろう。


 だが、どう考えてもこの主が変わる訳はなし。厄介事を楽しめるまでに至らない、自身の性格を変えられるでもなし。


 今日も大人しく、仕事を淡々とこなすのが。椿にとっての、最良の道と言えるのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る