第四章/第九話 ショウダウン 3




 ――メロウディア姉さんの『ちょっと長い話』は、かくして、ついに終わった。




 椅子の背もたれに体重を傾けて、姉さんは、ふう、と息をついた。

 言いたかったことは、あらかた吐き出した――まさにそんな具合だった。

 キッチンの隅の壁際に、ぼくは視線を向ける。

 そこに黙然と佇み、姉さんの話に耳を傾けていた、ひとりの人物。

 アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官。

 しばらく前から、一言も口を挟むこともなく、キッチンの隅で姉さんの主張を聞いているばかりだった。

 痛烈なまでの沈黙の中で。

 ぼくは、息を呑むことしかできない。


 ――あんたは、惑星開発者を騙る詐欺師。


 メロウディア姉さんが披露した、一連の物語。

 それは、スタッド管理官に対する、これ以上ないほどの暴言によって締めくくられていた。

 これから管理官がどう反応しても、おかしくはない。

 しかし、ぼくの不安に反して。

 スタッド管理官が姉さんに対して、最初に送ったのは――拍手だった。


 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち……ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、ぱち……。


 沈黙の満ちるダイニングに、響き渡ったのは。

 管理官のふたつの大きな手のひらが奏でる、淡々とした破裂音だった。

 そして、彼の口元に浮かんでいたのは、意外なことに――朗らかな笑み。

「なかなか、興味深い物語だったよ」

 管理官の顔つきも、声音も、普段通り。

 冷静沈着、そのものだった。

 しかし……拍手を続ける彼の様子から、僅かな緊張が垣間見えたのは、ただのぼくの思い込みなのだろうか?

 自分の認識が、いまひとつ信頼できない。

 ぼくはただ、メロウ姉さんの今の話に乗せられて、管理官を疑ってしまっているだけなのだろうか?

「しかし」

 拍手が止まると同時に、静けさが部屋に戻った。

 その右手を姉さんに向けて掲げて、スタッド管理官は告げる。

「ユリシーズ君。まず、落ち着いてくれ」

 ゆっくりと、相手をたしなめるような声音だった。

「……今の君の話には、正直、感銘させられたよ。

 まさか、君がそこまでの仮説を組み立てていたとは、思いもよらなかった。

 それにしても、だ。わたしが管理官を騙っている――とは、いささか飛躍しすぎているよ。

 わたしは、言うまでもなく、宙政省から認可された正式な惑星開発官だ。宙域ネットワークが復旧次第、宙政省のデータベースを調べてみればいい。わたしの名は、間違いなくそこにある」

 語りながら、自らの制服の胸に飾られたエムブレムを、スタッド管理官は手で示した。

 特殊合金製の勲章は、内部に埋め込まれたチップに専用の認証情報が存在するという。

 惑星開発管理官の身分を示す、最大の証明と言えた。

 管理官の顔を、あらためてぼくは見やる。

 そこには、やましさや後ろめたさの情など、一欠片もない。

 深い碧色の瞳は、どこまでも真摯で――姉さんへの敵意どころか、憐れみすら含まれていた。

 ……まずいな。

 ぼくも、メロウディア姉さんの口車に、乗せられそうになってしまっていた。

 そうだ――姉さんの推理は、少し考えるだけでも、無茶苦茶じゃないか。

 スタッド管理官の素性を証明する方法など、いくらでも存在する。

 彼が、身分を偽っている、詐欺師?

 惑星開発管理官を騙るなんて――そんな無茶苦茶な嘘が、成立するはずがないのだ。

 管理官が姉さんに向けた表情は、上官としての威厳を保ちつつも、優しげな気配が滲んでいた。あの暴言に対しても、彼は怒る素振りすら見せなかった。

 しかし、彼の寛大な態度を受けた、メロウ姉さんは。

 ぼくの向かい側の席に座ったまま、首を少しだけ動かして――。

 スタッド管理官を、一度、睨んだ。

 その灰色の瞳に湛えられていたのは、やはり。

 まごうことなき、敵意と、軽蔑だった。

 一切、変わりなかった。

 姉さんは、自らの物語を、信じ切っていたのだ。

 その視線を受け止めた、スタッド管理官は。

 やがて肩を落として……ふう、と、小さな溜息をついた。

 あらためて、姉さんへと、諭すように告げた。

「ユリシーズ君。君の語った一連の話には、不十分な点が多々あることも、自分でわかっているのだろう?

 あらためて、その想像力には感心させられているよ。旧式のポルピュリオン衛星によるハッキング、『白雪』の散布法、そしてあの少女について……。すべて、確かにそれらしい。

 しかし結局のところ、君の話は、推測と連想の集合に過ぎない。

 いくらなんでも、飛躍した議論である上に――現時点では、なにひとつ証明のしようもない」

 そこで言葉を句切り、スタッド管理官は目を瞑った。

 ゆっくりと息を吐いてから、その碧い眼差しを、姉さんへと向ける。

「……どうか落ち着いて、自分を客観的に見つめ直すんだ。ユリシーズ君」

 真摯そのものの眼光で、管理官は続けた。

「君の管轄区の現状に対する困惑も、それに対してひとつのストーリーを組み立てたくなる思いも、察してあまりある。

 しかし、君の憶測とその結末は、あえて直裁的に言うなら――常軌を逸しているよ。

 この街のことは、我々対策本部に任せてくれ。君は、休むべきだ」

 スタッド管理官が姉さんにゆっくりと語る、その一字一句に。

 ぼくは心から、同意してしまう。

 まったくもって、その通りだ。

 姉さんは、なにかを勘違いしているのだ――そうに違いない。

 同業者に対するいたわりと同情を滲ませた、管理官の言葉に対して。

 メロウディア姉さんは、といえば――先ほどから、スタッド管理官を見てすらいなかった。

 まるでベテラン教師に対する不良少女かなにかのように、相手を無視する素振りを見せながら、目の前の空いたケーキの小皿を、フォークで突いていたのだ。

 その態度には、ぼくも閉口するしかなかった。

 だが、息の詰まるような沈黙が、再び部屋を満たした頃に。

 ついに姉さんは、新しい反応を示した。

 メロウディア姉さんは、ずっと頭を下に傾いでいた。

 大きな帽子の鍔の陰に隠れて、前に座るぼくからも、姉さんの表情は見えなかった。

 やがて。

 その、闇の内側から。

 なにかが、聞こえてきた。


 ――くっくっくっくっ、くっくっくっ。……くっくっくっくっくっくっくっ。


 姉さんが、上げていたのは。

 抑えきれないと言わんばかりの、笑いだった。

 その合間に、低い声音で、ひとりごちる。

「いやはや、よくもまあ、出るわ出るわ……口からでまかせが、本当に……」 

 そして、もうひとしきり。

 籠もった笑い声を、しばらく上げた後に。

 ふと、姉さんが、テーブルから顔を上げた。


 ――にっ。


 と、その口元が、歪んでいた。

 不敵な、笑みだった。

 自分の考えが揺らぐことなど、万にひとつもありえない――とでも言わんばかりの。

 灰の双眸は、この時、きらきらと輝いていたようにすら思う。

「『証明のしようもない』――ねえ」

 軽薄な口調で言ってから、姉さんは壁際に立つスタッド管理官を仰ぎ見て、腕を組んだ。

 口元に、笑みを浮かべたまま。

「いやはや、はたして、本当にそうかしら? 証明できない、ですって? ……

 飄然とした面持ちで、スタッド管理官を睨みながら、姉さんは言葉を続けた。

「――まず、はなっからおかしいのよ。

 惑星開発管理官を含む惑星開発者が、その任務を遂行するために航行、または滞在する場合、当該星域の惑星開発者――つまりわたしに、正式の手続きを通して事前に連絡を行わなければならない。惑星開発法第二十三条第一項、『惑星開発者の管轄外宙域行動における事前連絡の義務』。

 ……で、もちろん連絡なんてなかった。この時点で、もう偽物なのは明らか。……

「説明されるまでもなく、もちろん知っているよ」

 大宙域法を引用してきた姉さんに対して、スタッド管理官は整然と反論する。

 まったく淀みのない、当然だといわんばかりの口調で。

「わたしが君に連絡していない理由も、また明白だ。我々が担当してたのが宙域警邏軍からの極秘任務に属していたからだ。大宙域警邏軍、およびその下部組織に関連する機密保持を要する任務においては、その状況に応じて、上記の連絡義務は発生しない――第二十三条第四項」

「そんな例外条項は存在しない。

 ……正直に、言って。

 ふたりの間で交わされる話にも、その真偽にも、ぼくはついていけなかった。

 しかし、ひとつだけ明らかに理解できたことがある。

 ――先ほどから、メロウ姉さんが、なにかを数え始めていた。

 その姉さんが、管理官の胴をまっすぐに指さして、断言した。

「次。その胸の飾りも、制服も、全部精巧な偽物。本当によくできてるわ。専門の贋作職人については聞いたことあるけど。……

 スタッド管理官は、自らの胸元の勲章に視線を落としてから、やはり平然と反論した。

「いい加減にしてくれ。君の惑星開発局ナピ支部のサーバーは、わたしのエムブレムを本物と認めている」

 少なくともぼくにとっては、それは決定的な反証に思えた。

 しかし姉さんは、堂々と首を横に振った。

「あのサーバーに組み込まれた認証システムは、大宙域ネットワークとのリアルタイムの連続相互認証を前提としたもの。今のようなオフライン状態でもデータベースとの照合認証は可能だけど、あくまでも予備システムだから認証情報の偽装は比較的容易。オフライン状態前提なら、わたしでも偽物くらい用意できる。……

「それも、結局は君の推論だろう。証明手段は、現状では存在しない」

 今までと変わらない、厳然とした声音で、スタッド管理官は姉さんの主張を切り捨てた。

 しかし、ぼくは見逃さなかった。

 ほんの少しだけ――彼が口元を歪めて、笑っていたことを。

 ぼくはその微笑みに、どういう訳か、微妙な違和感を覚えたのだ。

 ――ぼくの知るスタッド管理官は、こういう時、相手を笑うだろうか?

 証明手段は、ない。

 ある意味で大胆な、管理官の宣告を受けて。

 メロウディア姉さんは、はあ、と呆れたような溜息を吐いた。

「じゃあ……これから話すのが、わたしが持っている、最後にして、最大の証拠。……

 そして、明々とした声音で。

 姉さんの持つ管理官に対する敵意と疑念の、決定的な根源を告げた。


「『惑星開発管理官アンリー・オフィオン・ストゥディウムス』が、こんなところにいるはずがない。

 ……だって、当然じゃない。彼は、アストラで隠居してるんだもの。

 わたしの訓練生時代の講師だったある惑星開発者の、そのまた師匠に当たる人が、『オフィオン管理官』と呼ばれる、御年六十三歳の惑星開発管理官。今は退役して、アストラ郊外のビーチで余生を送ってる。……

 ――それじゃあ、『わたしはストゥディウムス管理官で、彼らはその部下です』とかのたまいながら、このナピにのこのこ降りてきた、あんたは。

 一体全体、何者なのよ」


 ……ここまで。

 アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官は、姉さんからの疑惑の数々に対して、ひとつひとつ、丁寧な反論を続けていた。

 今回姉さんが繰り出した、『本物のストゥディウムス管理官』の話に対しても、同じように、迎え撃つ手段はあったはずだ。

 しかし。


 今、壁際に立っている、管理官は――口を、閉じていた。


 そして、その顔に、顕れていたのは。

 普段から見せていた柔和な表情でも、あの毅然とした面持ちでも、なかった。

 無感情、だった。


 まるで、思いを示す手段が、突然絶たれてしまったかのように。

 『スタッド管理官』の顔面からは、あらゆる感情表現が、一切合切、消え失せていたのだ。

 そして、ようやく、ぼくは。

 自分の家のダイニングの壁際に立つ人物に、底知れないほどの、恐怖を覚えた。


 ただ、動きもなく、そこに佇んで。

 勲章らしいものを付けて、制服らしいものを着た、ひとりの男が。

 メロウディア姉さんを、見つめている――。


 ぼくたちは。

 口に出さずとも。

 この時、理解したのだと思う。


 百の弁解をもってしても、千の嘘を弄してさえも、覆すことなど決してできない――ついに陽のもとに露わになった、それを。

 本当のことを。


 ――ごとり、と椅子の動く音が、唐突に聞こえた。


「わたしは!」


 メロウディア姉さんは、立ち上がっていた。

 その喉から放たれた大音声は、部屋のすべてを揺るがさんばかりだった。

 キッチンの壁の傍らに立つ、『無表情の男』に対して。

 姉さんは、一切の容赦なく、怒鳴りつけた。


「わたしは、この大宙域政府に所属する、すべての惑星開発者の顔、名前、および任務地を覚えている!

 ――なによりも、耐え難かったのは!

 その程度の中途半端な騙りで、わたしたちの職務が侮辱されたこと!」


 ほんの僅かな静寂の中で。

 姉さんが息を吸う、小さな音をぼくは確かに聞いた。

 そして、


 一喝が、轟いた。


 ――賊が、舐めるな!


 絶叫と、同時に。


 暗夜が。

 ふと、輝いた。


 視線が、吸い込まれた。

 突然、その色彩を強烈に変貌させた、窓の奥の夜闇へと。

 強烈な光芒は、照明を点けているこの部屋すらも満たした。

 そして、ほんの少しだけ遅れて、聞こえてきたのが。

 不気味なまでに低い、只事ならざる音だった。

 爆裂音。


 なにかが、窓の奥の――ナピ市街に近い地点で、炸裂したのだ。


「……これで、


 ぼくは、振り向いた。

 爆発音の余韻の中で、悠然と放たれた、メロウディア姉さんの声に。


「ヘカテー衛星に取り憑いていた、鬱陶しい妨害衛星どもは。

 全員、くたばったわ」


 再度、窓の奥の夜闇が、輝いた。

 なにかが誘爆したのか、最初のそれよりもずっと弱い明滅だった。

 窓からの光芒が、立ち上がったメロウ姉さんの姿を、傍らから照らし出した。


 口元こそは、笑っていたが。

 その灰色の瞳に湛えられていたのは、燃え上がるような、赫怒だった。


「――ポルピュリオン衛星を逆にハッキングして、姿勢制御機構をちょっと弄って、全部、ナピの大気圏に墜としてやった。

 今、そこの南の丘に落ちた奴が、最後の一機。

 ……『破ろうと思えばすぐに破れる型』って、さっき言ったじゃん?」


 凄絶な笑みを、浮かべて。

 プラチナ・ブロンドの髪を、メロウ姉さんは指で掻き分けた。

 その一瞬。

 髪に隠された、後頭部下の首から、一対の金属の突起が垣間見えた。

 それこそが、メロウディア姉さんを、惑星開発者たらしめる、他ならぬ証明だった。




 ――突然巻き起こった爆発と、姉さんの宣言。

 ぼくにもようやく、その意味と、事態が飲み込めてきた。

 『スタッド管理官』との話を続けている間、メロウディア姉さんは、侵食されたヘカテー衛星の僅かに残されたコマンドを通して、その機能に食い込んでいた妨害衛星への逆ハックを試みていたのだ。

 宇宙空間に隔てられた、機能の大部分が制御された八機の衛星。

 そのすべての、宙空を介した超遠隔からのハッキング解除。

 尋常ならざる処理量だったことは、疑いようがない。




 そしてぼくは、あるひとつの事実にも、気がついていた。

 『管理官』に向けて、勝ち気に語り終えた、メロウディア姉さんの横顔。

 その白目が、僅かに赤く染まって――充血していることに。




 ――新銀河系連盟の規律において、代替頭蓋骨処置を介し、脳神経系と通信システムの体内直接接続を、唯一認可された人々。

 それが、惑星開発者だった。

 大規模な外科的処置によって、エリクシル・フィールド・ジェネレーターを備える頭部侵襲式アンテナ・モジュールを得た開発者たちは、ヘカテー衛星群との零導波レイドウハ通信における、莫大な同時通信処理量を獲得する。

 しかし、その生来の神経系及び肉体への負担は、尋常ではない。

 任務の過酷さも相まって――惑星開発者の平均寿命は、他の人々のそれを遥かに下回る。

 それこそが、この職業が、一種の聖職として扱われる所以でもあった。




「逃げても無駄よ。あんたの部下たちは既に、警邏隊に全員逮捕させた」


 街の外で起こった、爆発の余韻は、既に失せていた。

 ダイニングに満ちていたのは、夜の静けさだ。

 その静寂を、貫くように。

 メロウディア姉さんは堂々と、告げた。

 壁際に立つ、ひとりの男――『スタッド管理官』に向けて。


「あらためて、言わせてもらう。惑星開発者を、舐めるな」


 弁解もなければ、叫ぶこともなかった。


 ……ただ、まったくの、無表情で。

 蒼い眼と大きな体躯を持つ、制服らしいものを着た、は。

 部屋の隅に、佇んでいた。


 やがて。

 『管理官』が呟いたのは、たった一言だった。

 それは、彼がこの星に着た当初から語っていた――語り続けていた台詞だった。


「わたしは、アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官だ」


 告げると同時に、『管理官』が懐からなにを取り出したのか――ぼくには、わからなかった。

 それも、そのはずだ。

 ぼくなどは、まったく見慣れない道具だったからだ。

 あまりの危険性を忌避され、長らく大宙域法が製造・所持を禁止する武器――収束反陽子銃。

 一切の躊躇いなく放射された、眩いばかりの光条が、屋内の空気を亜光速で貫いた。

 定常出力においてさえも、直線上二千キロメートルのあらゆる分子を分解するという、強力無比な携行火器。

 『管理官』の銃撃動作は、一切の無駄がなかったと言って差し支えない。

 銃口は正確無比に、メロウディア姉さんの、首から胸にかけての箇所を指していたのだ。

 それでも、なお。

 姉さんは、躱した。

 敵が懐に手を伸ばした瞬間から、いやそれ以前から――読んでいたのだ。

 自らを襲うであろう銃撃の、性質と、タイミングと、照射地点を。

 全身の筋肉を爆発的に用いた、真横への回避。

 瞬間、部屋を照らした光条は、姉さんの長髪のごく先端を焼き切るのみに終わった。

 そして、ぼくは垣間見た。

 『管理官』の表情に、途端に湧き上がった、恐怖の色を。

 自らの銃撃の成功を、勝利を、確信していたのだろう。

 収束反陽子銃の光芒は、もう消えていた。

 たった二歩で接近したメロウディア姉さんを、『管理官』は、見やることしかできなかった。

 ぼくが気づいた時は、もう。


 ――ぴたり、


 と、止められた、姉さんの右腕が。

 『管理官』の制服を纏った胴体に、当てられていた。

 優雅なまでの動作で、メロウ姉さんが一歩引き下がる。

 そして、ぼくは見た。

 賊の胸の中央――鳩尾から伸びた、細長い物体を。

 姉さんがまっすぐに突き刺した、小さなケーキナイフの柄を。

 男は。

 全身を、震わせていた。

 直立の姿勢で、佇んだまま――両の眼を見開いて、呆然と、姉さんを見ていた。

 胴のナイフが突き立った箇所からは、僅かな出血が見られるばかりだった。

 しかし、それこそが、決定的なダメージだったのだ。

 姉さんが刺したのは、全身の運動神経に連なる、いわば集中点だった。

 その箇所を、一撃で抑えられていた。

 黙として、動けない。

 ごとり、という音響が、床から響いた。

 力を入れることのできない手から、収束銃が零れ落ちたのだ。

 族の、愕然とした面持ち。

 首を曲げて、床を見ることすらも、許されなかった。

 眼のみならず、その口も、小さく開かれていた。

 その喉の奥から、ぼくの方まで聞こえてきた。

 ようやくできるといった具合の、か細く苦しげな、吐息が。

 それに伴う、乾ききった、「かっ……かっ……かっ……」という、奇声が。


 ――その顔が、ふいに、吹き飛んだ。


 僅かな時間、巨体が、床から浮き上がった。

 空を裂き、全身が一回転する。

 したたかに体を床に打ちつけて、『管理官』は、仰向けに転がった。

 静けさの中で。

 ぼくはふいに視線を上げて、その傍らに立つ者を見た。

 リベットの飾るボトムスに包まれた脚をまっすぐに伸ばして、爪先を頭上まで蹴り上げていた、メロウディア姉さんを。

 悠々とした動作で、脚を下げてから。

 充血したふたつの眼が、かつてストゥディウムス管理官と呼ばれていた存在を、見下ろした。

 視線が湛えていたのは、嫌悪と、軽蔑。

 それは、今までとまったく同じ――つまり、賊が初めてこの星に現れた時と、まるで変わらないものだった。

 ぽつりと、つぶやいた。


「これから、全部吐いてもらう」



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