第四章/第八話 ショウダウン 2
電灯の光芒が照らす、ぼくの家のダイニング・キッチン。
そこには、三人の人物がいた。
まず、椅子に腰掛けている、ぼく。
テーブルを挟んでぼくの向かい側に座り、テーブルの上で腕を組んでいる、メロウディア姉さん。
そして、テーブルから少し離れた壁に、背を寄りかけた姿勢で立つ、ストゥディウムス管理官。
――この時、ぼくたち三人の間に降りていた沈黙を、いったいどう表現するべきだろう?
ぼくは、メロウディア姉さんの顔を、まじまじと見つめてしまっていた。
こちらの困惑など意にも介さず、姉さんは、実に晴れやかな面持ちを浮かべていた。
二つの眼を丸く開き、広角を軽く上げて。
壁際に立つスタッド管理官へと、灰色の眼光を送っている。
――ようやく、言いたいことを吐き出せた。
そう言わんばかりの具合の、迷いや逡巡など微塵もない、爽やかな笑顔だった。
テーブルの向かいに座る、ぼくは。
姉さんの笑みにも、そして言い放たれた内容にも。
動揺せざるを、えなかった。
続けて、姉さんの見る先――部屋の隅に立つスタッド管理官へと、ぼくは眼を向けた。
彼も、メロウ姉さんに視線を返していた。
当然のことだろう。
自分に向けて、たった今、姉さんはひとつの『宣告』を行ったのだから。
管理官の顔に表れていたのは、怪訝と、当惑だった。
どんな言葉から話すべきか、それすらも困っている――という様子だった。
ぼく自身もきっと、同じような顔になっていたと思う。
――いったい、なんなんだ、姉さん?
奇怪な沈黙を、ともに過ごしてから。
やがて、スタッド管理官が、壁にもたれていた肩をぐっと持ち上げて、直立した。
一度ぼくに向けて、沈痛なまでの表情で、視線を送ってから。
メロウディア姉さんに、低く小さな声で、ついに呟いた。
「……正直」
管理官らしい生真面目さは、彼の態度や声音から滲んでいる。
それでも、彼の面持ちは、やはり困惑を抑えられない様子だった。
「……君の言葉に、どう反応すればいいのか、わたしは困っているよ。……ユリシーズ君」
――まったく、その通りだ。
ぼくも既に、姉さんが放った発言を、何度も頭の中で反復させていた。真意を図るために。
今のは、本当に姉さんの、心からの発言だったのか?
あるいは、姉さんにありがちな、質の悪い冗談の一種なのか――?
そんな可能性さえも、ぼくは考えていた。
ぼくと管理官が共に抱く、当惑の念に対して。
メロウディア姉さんは、言葉では応えなかった。
ただただ、相も変わらず、勝ち誇ったような表情を浮かべている。
――しかし、その愉快げな面持ちが。
ほんの少しずつ、変化していくのを、ぼくは見て取った。
笑みを浮かべる口元にこそ、変わりはない。
だが、壁際に立つスタッド管理官を睨む、姉さんの眼は、少しずつかたちを変えて――。
やがて、その眼光に湛えられた感情は。
嘲りと、怒りだった。
しばらくの間、無言で管理官を睨んだ後に。
「さて」
ふとメロウディア姉さんは、前に座るぼくへと、視線を翻した。
瞳の敵意は、すっかり抜けていた。
そして穏やかとしか言いようのない声で、ぼくに告げた。
「今から『こいつ』を交えて、ケイヴィ君に色々と説明をしていくから。
そうね……ちょっと長い話になると思うけど、聞いてもらうわ。ケイヴィ君も、当事者だから」
――あんたが、街に『白雪』をバラ撒いた張本人。
メロウ姉さんは、あろうことか。
スタッド管理官に向けて、そう宣言したのだ。
正直に言って、ぼくの心は、今も混乱のさなかにあった。
理由は、単純だ。
姉さんが、どうしてそんな根も葉もないことを言うのか、まるでわからなかったからだ。
『白雪』による通信妨害と、ナピの隔絶を引き起こした、謎めく犯人。
その混乱に陥った街に、身を挺して貢献を続けている、スタッド管理官。
ふたりが同一人物であるはずが、ないじゃないか。
まったく、理屈が通らない。
姉さんの顔を、あらためて見やる。
やはりその表情は、確固たる自信に満ち満ちていた。
――まるで、わからないけれども。
どうやらメロウディア姉さんも、独自のスタンスから、この一連の事件を追っていたらしい。
真偽については、ひとまずは置いておくしかない。
いったいどういった背景から、姉さんがそんな無茶な結末に辿り着いたのか。
そのプロセスについては、知る必要がある――ぼくには、そう思えた。
姉さんの視線を受け止めながら、やがてぼくは、無言で頷いた。
「……まさか、君がそんなことを考えているとは、思いもしなかったな」
落ち着いたテノールが、明々と部屋に響いた。
スタッド管理官の表情からは、先ほどの当惑は、もうなりを潜めていた。
壁に背を戻し、腕を組んで、メロウディア姉さんの方を伺う。
実にスタッド管理官らしい態度だ、とぼくは思った――彼はどんな意見や情報でも、まずはそれに冷静に耳を傾けてから、分析と判断を遂行するのだ。
たとえそれが、自分に対するとんでもない暴言だったとしても、代わりはない。
メロウディア姉さんは、今。
「お前は管理官などではない、嘘つきのペテン師だ」と、彼に発言したのだ。
他にないほどの、侮辱だろう。
それを聞いても、管理官が怒りの気配を見せることは、決してなかった。
「いったい、どこからそんな考えに行き着いたのかは、わからないが……。君の話は、聞かせてもらうことにしよう」
姉さんに対する、怒りの気配どころではなかった。
管理官の口元には、僅かに笑みすら浮かんでいたのだ。
まるで、愉快な仮説を聞くことができそうだ――とでも言うような。
こうして、ぼくたちの利害は一致した。
スタッド管理官とぼくは、メロウディア姉さんがこれから語る一連の仮説を、その妥当性を差し置いても、耳を傾けることになったのだ……。
◆
ぼくたちの、一応の納得を見て取って。
テーブルの向こうに座るメロウディア姉さんは、ぼくを見て、前置きから告げた。
「……それじゃあ。まずは、これからわたしがする話について。
いくつかの要素が並行しているから、全容は少しだけややこしい。だからトピックを分けて、それぞれ時系列順に話を追っていこうと思う」
手元のフォークとナイフを手に取って、まるでステーキのごとく、一人分にしては大きなケーキを皿の上で切り分けながら。
メロウディア姉さんは、悠々と語り始めた。
「まずは、この惑星の孤立状態とその要因について、話しましょう。
目下現在、行政区ナピに置かれた問題のひとつは、宙域中継基地との孤立。
それを造り出すためには、合計で三種のシステムが必要だった。
その内のふたつについては、ケイヴィ君も知ってるでしょ。それでは問題。なにと、なにでしょうか?」
ケーキを切り終えてから、まるで愉快なクイズでも出しているかのような口調で、姉さんはぼくに振ってきた。
いきなり問題が来るとは思っていなかった。
頭の中で、現状の情報を整理してから、ぼくは回答する。
「……街から電波通信を遮断するための、『白雪』。それと……中継基地に正常な送信を偽装する、ダミー信号の発信機?」
メロウ姉さんは、一口分のケーキを飲み込んでから、関心なさげに頷いた。
「――というのは、まあわかりきってるんだけどね。
それでは、ここからが本当の問題。残りのひとつはなんでしょう?」
――残りの、ひとつ?
思考を巡らせるも、ぼくには思いつかない。
妨害装置と、偽装装置。
宇宙空間上の行政区を外部から孤立させるためには、そのふたつのシステムで十分ではないのか。
「じゃあ、ヒント出したげる」
からかうような視線でぼくを睨んでから、姉さんは指をひとつ立てた。
「『白雪』の発信する妨害電波は強力極まりない一方で、その効果範囲はとても短い。周波数によってバラバラだけど、完全な妨害が可能と言えるのは、せいぜい八百メートルちょい」
つまり――その『白雪』の効果範囲に関係している、ということか。
ヒントを出されても、すぐに答えられないぼくに苛立ったのだろう。
メロウ姉さんは「ああ、もう」と呟いてから、話を先に進めてしまった。
「どうしてヘカテー衛星が動かんのよ、って話よ」
――あ。
と、声が漏れてしまった。
大宙域政府によって、各行政区に貸与されている、限定的収束零導波照射衛星――ヘカテー衛星。
このナピにおいても、合計八基のヘカテー衛星が、軌道上を周回している。
そして、その操作権を一手に担うのが、この星に専属する惑星開発者――つまりメロウディア姉さんだった。
ここでひとつの違和感に、突き当たった。
今、ヘカテー衛星は『白雪』の電磁波妨害のために、起動不能の状態に置かれている――かつて演説の中で、スタッド管理官はそう語っていたのだ。
姉さんは、『第三のシステム』の為だと言い、管理官は『白雪』が原因と主張している。
それぞれの説明に、明らかな隔たりがあった。
「……ねえ、しっかりしてよ。先が思いやられるなあ」
と、ケーキをつつきながら姉さんはぼやいて、もう一口分を飲み込んだ。
「話を進めましょう。仮に、わたしが妨害電磁波要因でヘカテー衛星の操作権を失っていたら、その時点でヘカテー衛星が
そこでようやく、ぼくは答えらしきものに思い当たった。
姉さんの仄めかす、隠された『第三の妨害システム』の正体について。
「ケイヴィ君、おさらい。ヘカテー衛星の円軌道は、ナピの地上からおよそ四百三十キロメートルね。もちろん『白雪』の効果範囲なんて、気にするまでもない」
つまり、この話の焦点は。
たった数百メートル程度の、『白雪』の妨害電磁波の範囲が。
どうして、遥か上空に浮かぶヘカテー衛星の機能さえも、抑え込んでいるのか、ということだった。
「もう、ケイヴィ君でもわかったでしょ? こんなの、考えるまでもない話なのよ」
ぼくは姉さんに向けて、自分の推測を告げた。
「……『白雪』の性質は、そもそも遠いヘカテー衛星の機能を妨害できるものではない。だから、衛星を阻害するための機構が、独立して存在している?」
姉さんは、こくりと頷いた。
「そういうこと。ヘカテー衛星を抑え込んでいる装置。現在進行系で動いてるそれが、妨害・偽装システムの第三のからくり。
……そしてその準備は、今日から八十二日前の時点から、観測されていたってわけ」
話が随分と飛んだ。
「……観測、されていた? 八十二日前?」
「そう。その正体は、阻害衛星群。宇宙船でヘカテー衛星まで直接接近して発射、同じ軌道上にぴったり張りつかせる。そしてごく至近距離からの電磁波操作でもって、ヘカテー衛星の各機能を停止させる仕組み。専門的には、ポルピュリオン衛星っていうんだけど」
ちょっと待ってくれ、と思った。
八十日以上前の時点で、その、妨害衛星なるものが準備されていた?
そんなことは、まったく耳にした覚えがない。
ぼくはこの街の住民として、ナピ市街の発信する情報には、一通り目を配っているつもりだった。
当該惑星の開発と治安の根幹を司る、ヘカテー衛星への直接の妨害行為。
間違いなく、緊急事態と見なしていいものだ。
どうして、それが公開されていなかったのだろう?
思わず、小声で訊いてしまう。
「……どうして、街に隠してたの」
メロウディア姉さんは、ケーキの一片にフォークを刺しながら、あっさりと答えた。
まるで、さも当然のことのように。
「もちろん、相手の今後の動きを見るため」
心から、呆れてしまった。
『相手の動きを見るため』なら、情報公開の規則を無視しても構わない――今、姉さんはそう暗に告げたのだ。
「だってさあ、聞いてよ――」
と、まるで友人についての愚痴を語るかのような口調で、姉さんはぼくに語りだした。
この星の擁する最大の防衛システムへの、直接攻撃の話を。
「その妨害衛星、もう、信っじられないくらい古臭い代物でさ! もう、百年なんかじゃきかない、いつの時代のアンティークなんだって水準のやつだったのよ。そんなのが、いきなり来た小型船でへこへこ設置されてたんだから、なに考えてるんだこいつらは――って、開発局でも話題の的だったわけ。
八基のヘカテー衛星すべてへのポルピュリオン衛星の設置完了を観測したのが、ことが始まってからの五日後、つまり今日から数えて七十七日前ね。この時点では、まだ妨害自体は発動してはいなかった。あくまでも設置と準備が終わっただけ。その後、ずっと放置された」
それにしても。
率直な疑問が、ぼくの口から出た。
「……ヘカテー衛星に無許可で接近した時点で、相手を逮捕できたんじゃないの?」
姉さんは、手元の茶を一口飲み込んでから、やはりいとも平然と応える。
「できたわよ?」
「……じゃあ、警邏軍への通告は?」
「しなかったわよ?」
「どうして?」
ぼくの当然の疑問に、姉さんは眉をひそめて、鬱陶しそうに答えた。
「だから、さっき言ったじゃん。様子見って。
――とりあえずわたしたちは、相手側の行動を追うことに決めたの。あまりにも古くて、破ろうと思えばすぐに破れる型だったし、気づいてないふりをしていれば、相手のそれからの動向が読みやすいだろうとも思ったから」
……確かに、姉さんの言うとおり、なのかもしれない。
罠に気がついていないというポーズを取っていれば、相手の行動を無条件に観察できる。
しかし、街に公開すべき情報を出さなかった事実とは、話は別ではないか。
メロウディア姉さんは、そんなぼくの懸念を気にする素振りすら見せず、皿に残されたケーキの最後の一欠片をフォークで取って、口に含んだ。
たっぷりと味わってから、話を進めた。
「さて。ポルピュリオン衛星群に次の動きがあったのは、一気に時間が飛んで、七日前の深夜のこと。その時になにがあったかは、流石にケイヴィ君でもわかるわよね?」
七日前の、深夜。
それは――もちろん。
「『白雪』の、街への降下」
「それと時を同じくして、八機のポルピュリオン衛星群も、一斉に起動した。そして、ヘカテー衛星の宙域基地への零導波発信を含む全機能が、
さてと、次は『白雪』の話ね。……ところで、これもらっていい?」
そこで姉さんが指を示したのは、ぼくの目前に置かれていたケーキだった。手を付けないでいた、ぼくの分のものだ。
正直、あまり食欲は湧かなかった。
曖昧に頷いて、ぼくがその皿をテーブルの奥に滑らせる――と、まるでぶんどるように、姉さんの手に引っ張り込まれた。
にやっ、と笑みを浮かべた姉さんを、じっと睨みつける。
早速、一口分をフォークとナイフで切り分けながら、メロウ姉さんは話を続けた。
「まず『雪』が降った範囲なんだけど、街の宙港の中央アンテナを中心とした、半径六キロメートルくらいの楕円形のエリアだった。
これを当時の風速地図と重ねると、散布手段も自ずとわかってくる。たぶん街の上空にフィールド膜を生成して、水風船のように破裂させたってところでしょ。
――そういえば、ケイヴィ君? これの正体って知ってる?」
姉さんはふいに立ち上がると、キッチン台に置いてあった一枚の小皿を取って、テーブルの上に載せた。
一見、皿に乗っている白く丸っこいものが、新しいデザートかなにかに思えた。
『白雪』の塊だった。
そしてメロウディア姉さんは、この物体を修飾する、ふたつの単語を言い放った。
「マイクロマシン。自己増殖型の」
息を呑んだ。
皿の上に丸く乗せられた、まる菓子のような『白雪』。
ぼくはまじまじと、その表面を凝視してしまう。
生命構造を模すとされる微細機械群――マイクロマシンは、遠い昔――旧銀河系連盟時代に研究と開発が行われ、その詳細が『空白』の時代に失われたとされる技術のひとつだった。
その劇的なまでの危険性から、製造も所持も宙域法で固く禁止されている――と、データベースで読んだことはある。
ともあれ、ぼくの生活では、まずマイクロマシンに接する機会などはない。
まれに報道の中で摘発されている程度の、非日常的な代物だった。
メロウディア姉さんは、『白雪』のひとかたまりを指先で摘むと。
ぼくに示しながら、説明した。
「この雪っぽいポリマーは、太陽光と周囲の熱を吸収して活動エネルギーに変換・貯蓄・伝達するための培養組織。この中に無数の微小な本体が散らばっていて、事前に設定された周波数帯に電波をぶちまける。この駆動機関がとんでもない代物で、周囲の熱エネルギーまで消費するもんだから、周囲環境との均衡点まで培養体も含めて冷たくする。しかも備蓄エネルギーと経過時間に応じて、本体は自己増殖して殖えていく。
――まあ、ざっと言えば、そんな感じ」
解説を終えてから、姉さんは指先の『白雪』をじろりと睨んで、小皿の上に戻した。
にわかには、信じがたい話だ。
姉さんの話が仮に本当だとすれば、『白雪』は、まさに常軌を逸した技術の塊だということになる。媒体も駆動機関もその基本原理さえも、一から十まで聞いたこともない。
しかし、ぼくは心のどこかで、納得もしていた。
常識外れな『白雪』の性質は、同じく常識外れな回答でしか説明できないのだ、と。
「……
「いや、開発局でね。本体の構造が細かすぎて
――いやあ、と、ここで姉さんは腕を上げて、大きな伸びを見せた。
カウボーイハットの鍔が大きく揺れて、姉さんの上向いた顔に深い影を差した。
「それにしても、こいつが降ってきた日は本当にすったもんだだった。自己増殖型マイクロマシンによる選択的妨害装置なんて代物には、わたしたち開発局も流石に度肝を抜かされたわ。古臭いポルピュリオン衛星なんかとは、文字通り次元が違う相手よ。でも、今言ったような、『雪』の正体のおおまかなところは、実は初日に解析は終わってた。公表はしなかったけどね」
終わり頃の台詞に、ぼくは眉をしかめてしまう。
初日に、解析は終わっていた?
「……知ってたの? じゃあ、なんで」
ぼくから奪ったケーキをつまみながら、姉さんはつまらなそうな調子で答えた。
「だってマイクロマシンって、めちゃくちゃ評判悪いじゃない? 生態被害とか感染だとかさ。今回のはそういう
「……公表しなかったら、感染に限らず、なにか別の問題が起きていたかもしれない――という可能性については、考えなかったの」
ぼくの質問に、一切の躊躇いなく、姉さんは答えた。
「考えなかった。起きないし」
ハーブティーを一口飲んで、ふう、と息をついてから、説明を続けた。
「まあ、それはともかく……『白雪』の降下および電波妨害の発動と、ポルピュリオン衛星群が起動とヘカテー衛星の機能停止は、同時刻だった。ここから、ふたつの妨害システムの設置が同一グループによることは、ほぼ確定。
で、最初にわたしが思ったのは、やけにちぐはぐだな――って感想だった。
だって『白雪』は、噂すら知らなかった完全に最新型の兵器だってのに、打って変わって、事前に仕込まれていた八機の妨害衛星群の方は、信じられないくらい古い型だったし、仕込みも古典的だったから。
だから、やっこさんの目的がなににせよ、『これはありあわせのもので動いてるな』って思った。
そいで、市長室に連絡して情報交換したけど、あっちの解析装置は大したもんじゃなかったし、こういった状況にも全然気づいてなかったから、放置することにした。
そして、わたしたち開発局は、待った。
情報公開を最小限に絞って、ひたすら、待つことにした。
機能停止だ、やられた――ってふりをしてね。
……そうしたら、三日目になって、あんたらがあの御高説をぶりながら、現れたってわけ」
そこで、鼻で笑ってから。
やはり、あの嘲りの視線で、姉さんは部屋の隅の人物を見た。
壁際に佇む、スタッド管理官を。
ぼくも姉さんに合わせて、目を向けた。
管理官は。
もう、笑っては、いなかった。
先ほどのように、まったく、わけのわからないことを――と、姉さんの話を一笑に付す、といった様子ではなかった。
ただ。
真剣そのものの面持ちで。
姉さんの話を、聞いていた。
◆
……ここまででも。
メロウディア姉さんが『ちょっと長い話』と呼んでいた解説は、その名に反して、かなり長大なものになっていた。
ひたすら話し続けてきたのにもかかわらず、姉さんの調子は一向に落ちる気配を見せない。
愉しげにすら思われる声音で、説明は続行された。
「ポルピュリオン衛星に、『白雪』、そして恐らく宙空にあるダミー信号機。
――ナピを取り巻く妨害システムについては、大体そんな感じね。
さて! その一方で、七日前――『白雪』降下時点でのわたしには、絶対に片付けないといけない別件の用事を、ひとつ抱えてた。
わたしの考えを言わせてもらえれば、そっちのほうがずっと重大な案件だった」
姉さんは、一度ティーカップを持ち上げて、口元で傾けた後に。
ぼくに向けて、断言した。
「それが、なにを隠そう……我が弟であるケイヴィ君が、五十日前から乳繰り合っていた、あの女の子――エアリィオービスちゃん、その人だったってわけよ」
「――え?」
つい、声が出てしまった。
いくらなんでも、不意を突かれた。
まさか、その名がここで出てくるとは、思っていなかったのだ。
ぼくの反応を見越していたのか――意地の悪い笑みを浮かべてから。
「さて! これでようやく、あの
はきはきとした調子で、メロウ姉さんは言葉を連ねる。
「まず、ケイヴィ君にひとつ確認。
小型船に乗って、あの崖下に不時着した――ってのが、オービスちゃんのかねてからの主張だったよね?」
ぼくは狼狽を抑え切れないまま、姉さんに頷く。
その通りだ。エアリィオービスは輸送用の小型宇宙船で、この星へと逃げ出したのだ。
崖下に倒れた、ひとつの残骸のシルエットを思い出す――ネペンゼス号、とオービスはかつて呼んでいた。
焼け焦げて、また内装の多くが剥がされ、半ば骨組みと化したあの船体は、今もあの崖下の隅に放置されているはずだ。
「……でもねえ」
メロウディア姉さんは、間延びした声音でそう呟いたから。
灰色の瞳でぼくをまっすぐに見つめて、話を続けた。
「――どう考えたっておかしいのよ、それって。
あの娘がナピに来た日付については推測するしかないけど、ケイヴィくんと会った五十日より前から、長く見積もっても三年はないでしょう。
でも、その時期のナピのレーダー網のログを隅から隅まで辿っても、未許可の船を観測したデータなんて、まったくない。更に言っちゃえば、惑星ナピの開発開始時点から遡っても、その飛来物体の情報は見つからない」
……確かにぼくも、その点については不審に思っていた。
ナピ
だから、あの崖下に降り立ったエアリィオービスの小型船を観測できなかったことも、それ故に彼女が当局に見つからなかったことも、ほとんど考えられない話なのだ。
姉さんは、その矛盾点を更に強調した。
「もうね、完全に、常識はずれなのよ、それって。
ナピ級のレーダーや測定器に一切観測されずに着星できる船――そんなものがもしありえるとしたら、警邏軍が喉が手を出して欲しがるような代物だわ。
五十日前に、ケイヴィ君がオービスちゃんと知り合った時からずっと、わたしは宙港のログを追ってた。……けれど、結局この謎については、今でもわからずじまい」
……え?
つい、聞き流すところだった。
今、メロウ姉さんは、なんと言ったんだ?
耳にこびりついた違和感――記憶の糸を、ぼくは必死にたぐろうとした。
まるで、その思いに呼応するかのように
「なに?」
今度はメロウディア姉さんの方が、怪訝そうな眼でぼくを睨んだ。
思いもよらなかった、とでも言わんばかりに。
ぼくは、テーブルの向かい側の顔を、ただ凝視するしかなかった。
……たった今。
姉さんが何気なく語った、ひとつの事実に。
ぼくは、唖然として。
なにを言えばいいのかも、わからなかった。
――つまり。
メロウディア姉さんは、エアリィオービスとぼくが出会って、交流していた事実を、始めからずっと、知っていたのだ。
「……まさか、ケイヴィ君?」
とぼけたような声音で、メロウ姉さんはぼくに尋ねた。
「昨日まで、わたしがオービスちゃんのことを知らない……とでも思ってたの?」
――思っていたよ。
としか、答えようがない。
だめだ。
あまりにもの衝撃と、それが示唆する情報量に、思考が追いつけない。
これは、どういうことなんだ、姉さん。
露わになった事実と思われることを、少しずつ、なんとか頭の中で噛み砕いてから。
ようやく、ひとつの疑問を、口に出すことができた。
「……いつから?」
メロウ姉さんは、やはり平然と答えた。
これも、衝撃的な回答だった。
「多分、初日かな? ちょうどあれでしょ、家の改装をはじめた日だよね? あれって一応、妨害衛星対策だったんだけど」
吐息に、やっと乗せられる程度の声しか、出せなかった。
「どう、やって……」
メロウディア姉さんは、「うーん」と唸りながら、肘をテーブルに乗せて、手に取ったフォークをふらふらとさせた。
どうして、そんな態度でいられるのか、わからなかった。
「なんだろうなあ。最初のきっかけは思い出せないけど、とにかくケイヴィ君の様子がおかしかった。それにあの日の夜、これから毎日あの谷間まで行くって話もしてたし。これといった根拠はないわよ。ただまあ、こっそり調べることにしたの。色々と」
呆然と、するしかない。
ぼくの動向は、ずっと、姉さんに調べられていたのか。
……まったく、知らなかった。
気づきすら、しなかった。
押し黙るしかなかったぼくに向けて、メロウ姉さんは話を続けた。
やはり、あっけらかんとした語調で。
「そしたら、どうやら例の谷間に何者かが潜んでいて、ケイヴィ君がその人物に日がな会いに行ってるってことは、すぐにわかった。
谷間に棲むもの――そのプロフィールを推測するのは、さほど難しいことじゃなかった。公共ホールでのプリンター――ああ、端末じゃなくてプリンター側の方ね――の使用履歴から、どうやら、ケイヴィ君がその何者かにサジタリウス語を教えているってことはわかった。その前から、ケイヴィ君の部屋のコンピューター端末からは、あの日を境にして、唐突に少数民族やその言語形態について調べてたよね。……ああいや、あの端末には触ってないよ。でも外から履歴を覗くことはできた。
他にもケイヴィ君は、年頃の女の子に必要な食事の摂取量とか、代替肺をはじめとする生体改造とかについても――」
……今。
ぼくはどんな顔で、姉さんを見ているのだろうか。
まったく。
本当に、信じられない。
知って、いたのだ。
メロウディア姉さんは、五十日前からのぼくとエアリィオービスの内情を、彼女の言語も生体能力も、『秘匿』の契約さえも、知っていて。
ずっと、それを黙っていたのだ。
姉さんの声音は、やはり、平然としたものだった。
「というわけで、オービスちゃんのプロファイリングは済ませてたんだけど、実際に会ったのは昨日が初めてね。それで、ここからが本題なんだけどさ。
……ねえ、そんな顔にならないでよ、ケイヴィ君」
姉さんは溜息をついてから、意地悪な笑みを浮かべて、ぼくに軽口を叩いてきた。
まさに、普段どおりのように。
だが。
その軽口を、皮肉で返す余裕すら、ぼくは持ち合わせていなかった。
「……そうね。まず、基本的なところから説明していかないと、かな?」
一言も話せずにいた、ぼくの愕然そのものの様子を前にして。
流石のメロウ姉さんも、ある程度は察したのだろうか。
慮るような表情を浮かべてから――落ち着いた声音で、説明を始めた。
「何度でも言うけど、この一連の件の中で、圧倒的に飛び抜けて重大だったファクター。
――他ならぬそれが、あのオービスちゃんだったわけ」
ようやく、ショックと思考の渦から、ぼくは立ち直りつつあった。
ぼくは顔を上げて、姉さんを見とめる。
衝撃は、大きい。
けれども、少なくとも、話を聞くのが肝心だ。
ただ、今姉さんが語った主張――オービスの重要性については、どうもわからなかった。
エアリィオービスは、言ってしまえば、崖下の洞穴に籠もっていただけの女の子だ。
昨日の昼まで、このナピの街に来ることさえもなかったのだ。
街中を混乱に陥れた『白雪』や、行政区への直接攻撃である妨害衛星群よりも、彼女が重大な存在とは、どういうことなのだろう?
「……あのさあ、ケイヴィ君」
判然としない思いが、顔にも表れてしまったのだろう。
じろっ、とぼくを睨みつけてから、姉さんは呆れたような声音で問うた。
「あの娘とずっと一緒に居て、どこまで意識してたわけ? さっき言ったレーダー未認識の着星とか、彼女の完全循環に近い、しかもネク要らずの生体システムとか、あの言語とか……なにからなにまで、とんでもないわよ」
ぼくは考えを整理してから、素直に答えた。
「……まあ、ある程度は……。一般的な科学技術では捉えきれないことが多かったし、彼女の言葉が既存のデータベースにはないことも、知っていたよ」
「けど、容認してたわけだ」
わざとらしい溜息をひとつついて、両腕をテーブルの上で重ねてから。
姉さんは、ぼくに向けて告げた。
諭すように、そして、やや呆れるような口調で。
「わたしにはね、本当に一から十まで、衝撃的だったっての……! ケイヴィ君の残した情報から、オービスちゃんのことを知れば知るほど、打ちのめされたわ。とてつもない相手が、この星に来てしまった、って思った。
いや、相手取ってはいけない存在だった――って感じか。もう、わけがわからなすぎてね」
ここで姉さんは手を上げて、「参った」とばかりに広げた。
なんだかその態度に、少し苛々する。
「……オービスがそんなに重大な事柄だと思っていたのなら、どうして、それをぼくに言わなかったの」
ああぁぁ――――――――ーっ…………。
と、姉さんは低い唸り声を上げた。
渋いものでもつい口にしてしまったような顔で、ぼくを睨む。
そんなこともわからないのか、といった調子だった。
「『秘匿』だから、でしょ!」
声のトーンを上げて、姉さんは苛立たしげに告げた。
「あの
ぼくは、口をつぐんでしまう。
……いや。
そう説明されても、まだ、いまひとつ、わからない。
「それに!」
憮然としていたぼくに向けて、声音を切り替えて、からかうようにメロウディア姉さんは付け足した。
「あんなに必死にケイヴィ君が隠してたのに、『もうとっくに知ってるわよ』とか言って、ショックを与えたくなかったし?」
……姉さん。
その分の衝撃はすべて蓄積されて、今まとめて、ぼくを襲ってしまっているよ。
「まあ、実際ね」
椅子の背もたれに体重を預けてから、メロウ姉さんは声を抑えて付け加えた。
「動揺させたくなかった――ってのは本心よ。
ケイヴィ君とオービスちゃんの逢瀬について、わたしは外から観察を続けることに決めた。そうしているうちに、ちらほらわかってきた。まず彼女が、完全に想像を絶する存在だった、ってのもだけど。
――最も重要だったのは、彼女の関心の対象が、他ならぬ、ケイヴィ君の意思にあったってことね。それは明確に、把握できた」
また、わからない言葉が出てきた。
ぼくの、意思?
それが、どう関係しているというのだろう?
ぼくの疑念も無視して、姉さんの話は、また別の方向に進んでいった。
「……ともあれ、わたしにとっては。
オービスちゃんに関して求めるものは、たったひとつだった。このナピの惑星開発者として、事態の収拾を図ること」
姉さんの声音は、ふざけているようで、真剣だった。
「完全に未知の文明圏から、どこからともなく出現した、完全に得体の知れない、とんでもない暴れ馬――それが言わば、エアリィオービスちゃんだった。
彼女の存在が、この惑星ナピ、ひいてはこちら側の世界になるべく影響を与えないように、極力穏便なかたちでもって、もといた場所に還すこと。
それが、わたしにとっての最上位の優先事項で、今まで決して動くことはなかった。
……あの娘と、その
言いながら、姉さんは手に取ったフォークの先端を、皿の上のケーキに突き刺す。
先ほど奪い取るようにした、本来はぼくのチョコレートケーキの残りだ。
食べるにはかなり大きなその欠片を、最後の一口分として、おもむろに口腔に放り込んだ。
しばしの間、それをマイペースに愉しんでから。
今度はティーカップを口につけて――ふう、と満足気に息を漏らした。
「……さて、話を本筋に戻しましょう。
そんなわけで、わたしはケイヴィ君が残しちゃってた情報由来で、オービスちゃんを間接的に観察していた。
そして多分一ヶ月くらい前に、あることに気がついた。
あの娘の置かれた、『未成年が知らない星にひとりぼっち』というシチュエーション。そしてケイヴィ君に課した、過度なまでの秘密主義」
ここで、まるで困ったかのような面持ちを見せてから。
姉さんは、低い声音で続けた。
「……訓練生時代、わたしは、ある移動部族の話を聞いたことがあった。
オービスちゃんの動向は、そういえば、あれにとても良く似ている――ってね。
そう思ってからは、ある仮定を置いて、わたしは行動することにした――あの娘は、事前に定められた行動パターンに沿って動いている。つまり、まあ言っちゃえば、『通過儀礼』――のルールに沿ったものとして」
更に、わからない方向に進み始めた。
いったい、姉さんは、なにを言っているんだ?
移動民族? 通過儀礼?
今までの話との、脈絡が見えてこない。
妨害衛星の素性に、『白雪』の正体――ここまでメロウ姉さんが展開してきた一連の話については、やや複雑ながらも、ぼくもある程度はついていくことができたと思う。
しかし、このオービスに関する話は、想定をあまりにも乖離しすぎている。
他ならぬ困惑の色を、ぼくは顔に浮かべていたと思う。
それにも構わず、メロウ姉さんは話を更に進めていった。姉さん自身のペースで。
「そのシナリオ上では、オービスちゃん自身が選んだ接触者である、ケイヴィ君の意思こそが重要だった。……これは、さっき言ったよね」
確かに、言っていた。
オービスの関心の対象が、ぼくの意思だった――とか。
しかし、肝心のその意味がわからなくては、どうしようもない。
ぼくの意志とやらが、いったい、どう関係しているというのか。
姉さんは、ひとつため息をついてから、困ったような声音で続けた。
「そのルールがねえ……厄介だったわけよ。
なんといったって、ケイヴィ君とオービスちゃんのやり取りに、わたしが直接接触せずに、それでいて干渉していく必要があったから。
もちろん、わたしがオービスちゃんにコンタクトを取るのはアウト。わたしが事前にケイヴィ君に指示したりしても、それは『ケイヴィ君の意思』ではないって、相手に勘づかれる危険があった。オービスちゃんはもちろん、ケイヴィ君にバレてもいけない。
この点については、ここ一ヶ月くらい、ずっと慎重に慎重を重ねた。なんといっても、相手の得体が知れなかったから。ナピにとって最大の脅威だったから、と言い換えてもいいわ」
言い終えてから、姉さんはぼくに向けて人指し指を立てた。
「……そういうこともあって、さっきは、ちょっとした工夫を凝らさぜるをえなかった。
繰り返すけど、オービスちゃんの儀礼においては、契約対象のケイヴィ君自身の意思が大切。
だから、わたしは――ケイヴィ君の思考と行動を事前に読んで、それに間接的に干渉することにした。それなら、ルール違反にはならないはずだから。
例えるなら、ビリヤードの
正直、どうなるかと思ってたけど……結果は成功みたい。ケイヴィ君は、無事、彼女を『還して』くれた」
ここまで、話してから。
穏やかにすら見える面持ちで、メロウディア姉さんは、小さく頷いた。
――今、ぼくの心に湧き上がっている、混乱と狼狽など、まるで知らないかのように。
エアリィオービスという存在と、その『通過儀礼』。
メロウディア姉さんは、実に何気ない調子で、それを説明した。
しかし、ぼくにとっては、ひとつの驚くべき事実が、明瞭に示されていたのだ。
……つまりは、こういうことだ。
メロウディア姉さんは、ぼくが隠したつもりになっていたエアリィオービスの存在を、ぼくたちが出会った初日から、知っていた。
そして、その事実を、ぼくに隠し通した。
同時に、メロウ姉さんは、オービスを惑星ナピにとっての脅威であると認識していた。
しかしそれでいて、なんらかの要因のために、姉さんはオービスへの直接接触については、慎重に避けざるを得なかった。
だから、ぼくにもオービスにも、決して悟られないように。
実に巧妙に、間接的なかたちで、オービスの帰還を促したのだ。
――他ならぬ、ぼくの『意思』を、歪めることで。
「……さて、こうして最大の不確定要素だったオービスちゃんも、ついにこの星から去ってくれた。ケイヴィ君の協力もあって、わたしの目論見通りに進んでくれたわけね」
メロウディア姉さんは、そうして話を締めくくった。
やはりその表情は、穏やかだった。
姉さんの話を、ぼくが完全には把握しきれたとは、とても言えそうにない。
しかし。
――そうなのではないか、という、ひとつの懸念を掴むことはできた。
それを、姉さんに尋ねた。
……つまり。
「さっきの、ぼくとの喧嘩。……あれ、演技だったの?」
――ぼくを怒らせて、気を急かして、オービスを『従者』に還すための――?
続きの台詞は、言うことができなかった。
最初の質問を声に出すのが、やっとだった。
巨大な空隙のようなものが、ぼくの意識の大半を埋めていた。ぼくの脳は、それをまったく処理できないでいたのだ。
口の中が乾いているのを、ふいに感じた。
そんなぼくの顔を、やはり平然たる面持ちで、見とめてから。
姉さんは、うん、と頷いた。
あまりにも、あっさりと。
そして、ぽつりと、呟いた。
「ごめん、あの時は言い過ぎた」
……ぼくの視線が、姉さんから下のテーブルの表面へと、零れるように落ちてしまう。
本当に、言葉のひとつも出てこない。
先ほど――今日の昼間、メロウディア姉さんとぼくは、ちょうど今と同じように、ダイニング・テーブルを介して向き合った。
そこで、ぼくたちの間に起きた、衝突。
驚くべきことに――姉さんは、想起すらも躊躇われるぼくの昔話を、引き合いに出したのだ。
狼狽し、落胆して、激情に駆られたぼくは。
エアリィオービスを連れて、『従者』のもとに、彼女を還した。
しかし。
あの、ぼくたちの喧嘩さえも。
姉さんが言い放った、『森の館』という禁句も。
結局は、オービスを彼らに引き渡すための、メロウ姉さんの作戦だったのだ。
――ぼくの『意思』に、干渉するための。
メロウディア姉さんが、今ぼくに向けて、教えてくれたこと。
そして、明らかになったこと。
これについては、あらためて別の機会に、考え直す必要がありそうだった。
◆
しばらくの間、暗い思考に、意識を奪われてしまっていた。
――ふああああああぁぁぁあああぁ――――――……――――っ。
メロウディア姉さんの声を聞いて、ふと我に返る。
テーブルの、向こう側で。
姉さんは吐息を漏らしながら、両腕を上げて、長々と背伸びをしていた。
ようやく伸びを終えると、ぼくをまっすぐに見つめて、頷いた。
「……ま、こんなところかしら。やっぱり、ちょっと長い話になっちゃったけど」
語りながら、テーブル上のケーキ用の小さなフォークを取って、同じく小型のナイフと揃えるかたちで、空いた皿の上に並べ直した。
「『白雪』、妨害衛星、そしてエアリィオービスちゃん。
……この、すべての不確定要素がこのナピから片付いたことで、わたしもこうして、やっとケイヴィ君に打ち明けられるようになった――ってわけ」
愉しげなまでの様子で、そう告げる姉さんに比して。
ぼくの意識は、沈降していた。
――エアリィオービスは、姉さんにとっては、『片付ける』相手だったのか、と。
薄暗い考えの内側に、ぼくが留まっていると。
唐突にメロウディア姉さんが、ひとつ声を上げた。
「……あっ、そういえば」
ぼくは、なんとか視線を上げて、姉さんの方を見やる。
ひとつ、言い忘れていたことがある、とでも言わんばかりだった。
どうでもいいことではあったが、一応は言っておかねばならない――姉さんにとっては、その程度の扱いのトピックに思えた。
メロウ姉さんは、ある場所に視線を翻して、ぼくに示してきた。
その先を、ぼくも眼で追う。
ダイニング・キッチンの壁際――そこには、これまでのぼくたち姉弟の話を、黙して聞いていた、ある人物がいた。
彼はもう、半時間もの間、ここに立っていたのだ。
アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官だった。
メロウディア姉さんは、やはり軽蔑そのものの視線で、彼を見やってから。
再び、断言した。
「さっきも言ったけど。
この賊は、自分たちが撒いた妨害システムで混乱したナピの街に乗り込んで、散々煽り立てた挙句、目下現在、市長室の余剰クレジット権限を持って逃げようとしている、惑星開発管理官を騙る、ただの詐欺師。
……以上。わたしがしたかった話は、本当にここまで。ケイヴィ君、お疲れ様」
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