第四章/第二話 ならばささやかな秘匿を明かそう 2
街をひとたび抜ければ、今日も惑星ナピの景色に変わりはない。
朱く澄んだ空がどこまでも覆う、紅色の岩づくりの荒野。
少量の酸素を含んだ窒素の大気と、ケイ素と酸化鉄で満ち満ちた大地――その天地がただひたすらに続くナピの世界。
その荒野を、ぼくは今日も、
――ただ、普段とは、決定的に異なる要素があった。
ぼくの背後について走行する、もう二台のホバーの存在。
それぞれを駆っていたのは、ふたりの惑星開発者――ストゥディウムス開発管理官と、メロウディア姉さんだった。
あの、閉ざされた崖下の世界へと。
エアリィオービスの、秘匿の領域へと。
ぼくはメロウ姉さんたちを、先導していた……。
◆
不明降下物対策本部のロビーは、今日も盛況だった。
受付カウンターで、「管理官に伝えたい重要な情報があります」と告げると、しばらく職員間でのやりとりがあった後に、スタッド管理官の執務室まで通されることになった。
そして、部屋に向かう途中の廊下にて、ぼくは意外な人物と鉢合わせたのだ。
メロウディア姉さんだった。
「や」
などと気軽そうに声を上げて、ぼくに手を振ってきた。
顔をしかめてしまったかもしれない。
まさか、こんな時に出会うとは――ぼくを待っていたはずもないだろうに。
ずい、と立ち塞がって、ぼくの歩みを止めてから。
メロウディア姉さんは、毅然と言い放つ。
「あの間抜けに話したい重要なことって、なによ」
つい、低く嘆息してしまう。
まったく、他にやることはないのだろうか?
『白雪』が街に降ってから、もう丸六日が経過している。
それから今日に至るまで、メロウディア姉さんはほとんどまったく家に帰ってきていない。
スタッド管理官の昨日の話によれば、この対策本部にすらほとんど顔を見せないのだという。
それならば、姉さんはこの数日間、いったいなにをしているというのか。
『白雪』の分析作業が、危機にある街を疎かにするほど忙しいのだろうか?
そして、今は――廊下を進もうとするぼくの前で両腕を広げて、ふざけたように笑っている。当然のように、上官であるはずの管理官を間抜け呼ばわりだ。
もう、職務放棄ではないか。
「……久しぶり、姉さん」
「重要なことってなに? 話すまで通しませーん」
にたにたと笑みを浮かべながら、姉さんは挙げた両腕を揺らしている。
その口ぶりや態度は、一見元気そうに見えた。
しかし、必然的に姉さんを見慣れているぼくにはわかる。
よく観察すれば――やはり、あの内なる疲弊を隠しきれていない。
「姉さん、本当に……最近、なにをやってるの?」
そう尋ねても、姉さんは決して笑顔を崩さなかった。広げた両腕もぼくを邪魔したままだ。
「別に、普段どおりよ。ところで、重要なことってなに?」
「……ぼくは、今の姉さんが、少し心配だよ」
「嬉しい配慮ありがと。ところで重要なことって?」
「……ここ、通してくれない?」
「いや。重要なことについてわたしにも話して」
――以上のような具合で、とにかくしつこかった。
結局、ぼくはメロウディア姉さんも同行させて、スタッド管理官と三人で話をすることに決めた。
まあ、相手が姉さんなら、仕方がないところもある。
今はスタッド管理官の影に隠れて目立たないけれども、この街の執政を担う惑星開発者は、現在でもメロウディア姉さんなのだ。
最近の挙動についてはやや不安ではあるものの、姉さんは決して頼りにならない人間ではない。問題はないはずだった。
スタッド管理官の執務室の入口を、ぼくと姉さんはくぐった。
執務室は、対策本部の二階奥に設置されていた。移転作業を行う数日前までは倉庫かなにかだったのだろうか、決して広くはない簡素な造りの部屋だった。
管理官当人は、豪奢とは決して言えないデスクに座り、レーザー印刷されたドキュメント群に目を通していた。
入ってきたぼくたちを見て取った彼は、やや神妙な面持ちを浮かべた。
「……変わった組み合わせ……でも、ないのか。君たちは、姉弟だったね」
「管理官。お忙しい中、わざわざありがとうございます」
頭を下げてから、ぼくは傍らに立つメロウディア姉さんを見やる。
――姉さんのスタッド管理官への態度は、ある意味で予想通りというか……これまでと、まったく変わらないものだった。
敵意と嫌悪そのものの視線で、席に座る彼を、遠巻きに睨んでいる。
どうやら、挨拶すらしたくないらしい。
管理官にふたつの椅子を示されても、姉さんはそれを無視するかのように、部屋の奥の壁によりかかり、ぼくたちを観察するように見据えた。
まったく。
いったい、なにが姉さんをそうさせているというのか。
とはいえ、ぼくが注意しても、どうせ聞く耳など持つまい。
失礼極まりない姉さんの態度に、当のスタッド管理官があまり気にしていない様子だったのは、ひとまず幸いした。
「それで、ケイヴィ君。重要な話というのは?」
「姉さんも連れてきてしまいましたけど……本来は、管理官だけにこの話をしたいんです。だから……」
ぼくは周囲のスタッフの人払いを、スタッド管理官に頼んだ。
更に、部屋の録音装置の有無と機能停止についても確認してから。
――ぼくは、ぶちまけた。
――およそ四十日前に、ぼくが街外れの崖下で、ひとりの少女に出会ったことを。不時着した小型宇宙船の物資を持ち込み、
一連の話が、終わってから。
「にわかには、信じがたい話だが……」
そう言いながらも、真剣な面持ちで、スタッド管理官は頷いた。
あまりにも現実離れした話であることは、当事者であるぼくがもっとも知っていたつもりだ。
だからこそ、管理官が事実と受け止めてくれたことに、安堵を覚えた。
一方で――壁によりかかっていたメロウディア姉さんの方は、意外にもぼくを途中で茶化すようなこともなく、灰色の眼を細めて、ぼくの話をじっと聞いていた。
まるで、真偽を図るかのように。
保護フィールドに、現在時刻を投影する。ぼくが話をしている間に、三十分以上が経過していた。
スタッド管理官はふいに椅子から立ち上がって、告げた。
「――話はわかった。その少女のもとに、これから行ってみよう」
やはりこの時も、彼がぼくに向けていたのは、真摯な、それでいて柔和な眼差しだった。
ぼくが重大な秘密をずっと隠していたことについて、別段咎めるつもりはない――彼の表情は、無言でそう教えてくれていたのだ。
しかし。
この一瞬、ほんの少しだけ、ぼくの心にひとつの感情が湧いていた。
――それは、他ならぬ、後悔だった。
ついにエアリィオービスを、ぼく以外の人に見せる時が来てしまったのだ、と。
だが、我ながら非合理的な感情だ、とも思った。
管理官の申し出を断る理由など、見つかるはずもない。
オービスについて話をしようと決めたのは、ぼくの方なのだから。
こちらを見る管理官へと、ぼくは頷いた。
内心の動揺が顕れないように、口元を締めて。
壁際にいたメロウディア姉さんも、「わたしも同行する」とそっけなく言った。それもまた、断る理由は見つからなかった。
それから、いくつかの質疑応答と準備を済ませた後に。
ぼくは惑星開発者のふたりを同行させて、エアリィオービスのもとへと――あの地表よりも明るい崖下の世界へと、案内することになったのだ。
◆
ぼくの
最後尾を走っている、メロウディア姉さんの方をぼくは仰ぎ見た。姉さんが搭乗しているのは、開発局ナピ支部の保有する汎用一人乗り機体――に、姉さん本人が『少々の手』を加えた代物だ。その妥当性については、今は目を瞑っておこう。
姉さんの前を走る、スタッド管理官のホバーへと、次にぼくは目を配る。
彼が運転していたのは、市長室管轄の倉庫に保管されている中型機だった。
運転席の後部に、広い積載スペースを擁している。
貨物や、あるいは、人を載せるための。
ぼくはあえて、管理官のその選択の意図について、尋ねることはしなかった……。
特に支障もなく、ぼくたちは予定通り、荒野に開いた巨大渓谷の前に到着した。
それぞれのホバーを停めて、ぼくの案内のもと、崖下に続く斜面を降りていく。
足元に気をつけて――などと、背後のふたりに言う必要もない。
スタッド管理官もメロウディア姉さんも、継続的かつ専門的な訓練を山ほど経験している惑星開発者だ。初めてここを通るにもかかわらず、その足取りはぼくよりもスムーズなほどだった。
……とりたてた理由など、なかった。
ぼくは今日、エアリィオービスが自らの住処である洞穴を抜けて、外で待っていることはない、と思い込んでいた。
強いて根拠を挙げるならば、前々回、彼女が着ていない日があったからだろうか。
それこそ、自分勝手な思い込みだった。
彼女は、待っていた。
――高らかにそびえ立つ一対の絶壁。頭上に僅かに覗く朱色の空。
地下であるにもかかわらず、絶壁よりの反射光によって地表よりも強く照りつける太陽光に、視界が奪われそうになる。
その光芒の中に、紅い台地の上に、佇む少女。
突如として。
大きな動揺が、ぼくの胸の中に広がった。
少女の持つ、一対の、ラブラドライトの瞳は。
斜面を下る、姉さんと管理官を――彼女の
そして、彼らを連れてきた、ぼくを、見ていた。
言うまでもなく。
エアリィオービスは。
ぼくを、待っていた。
ぼくだけを、待っていたはずだった。
――ごめん。オービス。
その、言葉すら、出せない。
強烈な陽光の中に、曖昧な影を連れて佇む、オービスの姿を見て。
他ならぬぼくが、見知らぬ人間を崖下に連れてきた――その事実を理解して、呆然としてしまっていた、彼女の表情を見て。
ぼくは、ようやく。
少女の信頼を、完全に裏切ったことを、心の底から、思い知った。
あまりにも、自分が、情けなかった。
――秘匿は、ついに、破られたのだ。
◆
しばらく、沈黙の時間が続いた。
エアリィオービスはほとんど無言で、
ぼくたちも黙って、紅い岩盤の上を歩き、彼女の背についていく。
ふと、背後のふたりの惑星開発者を見やる――スタッド管理官もメロウディア姉さんも、真剣な面持ちで、前を進む少女や、この崖下の空間の周囲に目を向けていた。
崖下の地に落ちる、四つの影。
少女の揺れる一束の髪を見ながら、ぼくはひとまずの安堵を覚えていた。
不安視していたトラブルは、起きなかった。
予告もなく、ぼくが連れてきてしまった赤の他人――管理官と姉さんを前にしても、琥珀色の髪の少女は、黙然としているばかりだった。
暴れ出したり、刃物を突きつけるようなことはなかった――ぼくたちが、初めて出会った時のように。
それどころか、オービスの面持ちや態度からは、どこか諦めたような気配さえも見て取れた。
いや。
それは、ぼくの思い違いかもしれない……あるいは、願望だろうか。
まもなく、絶壁に開いた暗い横穴――崖下の洞穴の入口の前に、ぼくたちは辿り着いた。
広くはないそこに順番に入り、各々の光源を持って、岩壁の道を歩いていく。
洞穴も、決して長くはない。
やがて、この崖下にまたがるエアリィオービスの
『部屋』の中で、いくらかの言葉を交わしてから。
事前の打ち合わせどおり、スタッド管理官とメロウディア姉さんによる、エアリィオービスへの『質疑』が開始された。
ぼくはその過程において、観察役と翻訳係の中間のような立場に置かれることになった。
ふたりは順番に、ぼくの見る前でオービスにいくつかの質問を繰り出した。場合に応じて、ぼくがその内容を彼女がわかるような簡単な語に再解釈して、オービスが自分の言葉で回答する――その応酬によって、『質疑』は続けられた。
オービスの態度は始終、淡々としていた。
完全に他人だったに姉さんたちに対しても、姉さんたちを連れてきてしまったぼくに対しても、大声になったり、情動的に食いかかるようなことはなかった。
むしろ、彼女の感情は、抑えられすぎていたように思う。
その表情と声音には、一種の暗い気配がこびりついていたように、ぼくには感じられてならなかったのだ。
――こんな時に、と、笑われてしまうかもしれないけれども。
少しだけ、誇らしかったことがある。
ふたりの惑星開発者との『質疑』において、エアリィオービスが常に用いていた言語は、ぼくたちと同じサジタリウス語だった。
他ならぬ、ぼくが彼女に、数十日の時間をかけて一から教えたものだ。
完全な流暢さにはまだ遠いものの、淀みや躓きといったものはほとんど見せずに、ふたりへと応対を続けるオービス。
それを目前で見ながら、ぼくは、胸の奥に奇妙な熱を感じてしまったのだ。
概ね、予想していた経過ではあった。
この崖下に突然現れた、見知らぬふたりの惑星開発者――メロウディア姉さんと、スタッド管理官。
姉さんたちに対するエアリィオービスの応答は、決して朗らかでも、委細に渡るようなものでもなかった。
「――君はいったい、何者なんだね」
始めの頃にスタッド管理官が投げかけた、直球といっていい質問。
それに対して、琥珀色の髪の少女は、自分がこの星域の外から来たことについては、あっさりと認めた。
しかし、それだけだった。
オービスの回答は、あくまでもごく最低限に過ぎなかった。
ぼくが既に知るよりも多くの情報を、彼女が新たに明かすこと――つまり期待していた答えは、得られなかったといっていい。
スタッド管理官は、崖下に放棄された小型運搬船の存在にも気がついていたらしい。オービスが載っていたという、『ネペンゼス号』の残骸。
その正体についてもオービスに問うたが、やはり彼女は硬い表情で、最低限の回答だけを残した。
――わたしは、あれを使ってここに来ました。
エアリィオービスの応答は、始終、このような具合だった。
二十個ほどの質問を繰り出したスタッド管理官もやがて、仕方がない、といった調子で肩をすくめた。
この初対面の段階では、彼女に無理に問い詰めるようなつもりもないようだった。ぼくは管理官の、未知の存在に対するその遠慮がちな態度に安心した。
結果は実り多いとは言えなかったが、スタッド管理官がオービスに訊いたのは、未知の相手に対するごく真っ当な質問だった。簡単にして、正鵠を射るものばかりだったといってもいい。
それに対して。
メロウディア姉さんが、初対面のエアリィオービスに向けた疑問は……。
最初から、最後まで。
――まったく、どう表現すべきだろうか……。
正直に言わせてもらえば、ふざけているのか、と怒りたくなるような代物だった。
まず姉さんは、椅子に腰掛けていたオービスに向かって、はっきりとした声音で、こう尋ねた。
笑顔さえ浮かべて。
「――で、ケイヴィ君と乳繰り合うのは、楽しかった?」
途端、気まずい沈黙が、『部屋』を貫いた。
エアリィオービスは、姉さんの放った語の意味がわからず、きょとんとしていた。
必要な時の簡易語への訳のみに専念していたぼくも、この時は思わず姉さんに声を上げた。
「姉さん!」
平然とした面持ちで、姉さんはぼくに振り向いた。
なにが悪いの、とでも言わんばかりだった。
「単なる質問よ。どうしたの、ケイヴィ君。そんな気難しい顔しちゃってさ」
……以降、メロウディア姉さんがオービスに繰り出したのも、どうしようもない質問ばかりだった。
オービスの方はといえば、姉さんの語る、ある種の――サジタリウス語としてかなり高度ではあるが、品位は非常に低い――表現の意味さえわからず、答えようがなかった。
一度、姉さんの質問のスラングの文意を勘違いして回答してしまった時には、ぼくはただただ当惑させられた。
「ごめんごめん、悪気はないのよ」
ふざけた調子で告げる姉さんを、ぼくは睨みつけた。
困り顔を浮かべたエアリィオービスを、実にけろっとした面持ちで、メロウディア姉さんは愉しげに見ていた。
まるで、この世間知らずの娘をからかうのが面白い、とでも言わんばかりに。
ふいにぼくは、スタッド管理官に視線を向けた。
彼は『部屋』の端に佇み腕を組んで、ぼくたちの様子を見ていた……ほんの少しだけ、その顔に怪訝そうな気配を浮かべて。あまり、こちらに関わり合いになるつもりはないようだった。懸命な判断だと思う。
と、少しだけぼくが眼を離した隙に。
「その服ってすごい造りだよね、どうやって脱ぐわけ?」
などと『質疑』しながら、メロウ姉さんはオービスの衣服に手すら伸ばそうとした。ぼくは、それを必死に制する。
……なんなんだ、と思う。
これでは、わざわざ姉さんに秘密を打ち明けて、連れてきた意味もないじゃないか。
もういいよ、スタッド管理官ひとりで十分だ――そう、率直に姉さんへと伝えた。
ぼくの焦った声を耳にしたメロウディア姉さんが、どう反応したのかといえば。
顔を上げて、実に陽気な調子で。
――かっかっかっかっ、と笑ったのだ……。
怒りながらも、ぼくには、わかっていた。
陽気そうに、振る舞ってはいた。
しかし、メロウディア姉さんの表情や振る舞いからは、やはりにじみ出る疲弊の色が見えたのだ。
この数日間、姉さんは一向に街の人々の前に現れない。その疲れの由来も、どんな課題に取り組んでいるのかも、まるでわからない。
ただ、琥珀色の髪の『逃亡者』の少女に向けて、無礼な質問を投げ続ける、姉さんの姿を前にして。
ぼくの懸念は、一段と強まっていた。
まさか。
――今のメロウ姉さんは、正常な判断能力さえも、失っているのではないか。
不愉快な仮定が、まるで少しずつ地上に膨らむ砂塵のように、ぼくの心に暗い影を差していた……。
市の執政責任者のひとりが、この有様なのだ。
スタッド管理官の一行が、もしこの星に来ていなかったら、ナピの街はどうなっていたのか――。
その可能性について考えると、恐ろしい思いがした。
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