第三章/第五話 ふたりの惑星開発者 3




 人々の行き交う、対策本部のホールの隅で。

 ところで――と、ストゥディウムス管理官は、ぼくに切り出した。

「君は、遠隔テレカレッジの学生とのことだったね。通信妨害は、君の学業にとっても辛いところがあるだろう」

 そこまで知らされていたのか、と思いながら、ぼくは頷いた。

「そうですね。オフラインでできるレポートを片付けています」

「この通信妨害を歓迎する人物など、誰ひとりとしていないはずだ」

 スタッド管理官はふいに、こちらから見て左下に視線を向ける。

 この社会ではありふれた仕草だった。包視界ホロに条件付けで投影された、現在時刻の確認。

「次のミーティングまで、もう少し時間がある。ユリシーズ君の弟に会ったのも、せっかくの機会だ。ケイヴィ君。他にも質問があれば――

 おっと、そこの台車を運んでいる君!」

 突然、ホールの群衆のある一点に向けて、管理官がその通る声を上げた。

 溢れていた雑多な会話の気配が、途端に静まり返る。

 管理官の視線を追うと――人々の中にいたひとりの人物が、立ち竦んでいるのが見えた。

 手押しの台車を使って荷物を運んでいた、小柄な女性だった。

 管理官のそれと、デザインに共通性のある制服を身に着けている。

 唖然とした様子で、彼女はこちらを見つめていた。

 知っている顔だった。

 惑星開発局ナピ支部の職員――つまりメロウディア姉さんの部下のひとりの、エイセル女史だった。

「はっ、はい!? わたしですか……?」

 まさか、ここでストゥディウムス管理官に声をかけられるとは思っていなかったらしい。慌てふためきを具体化したような声と仕草で、エイセルさんは応対した。

 開発局勤務は、職員にも一定の資格が必要だ。彼女も長期の専門実習を受けているはずだったが、その外見や振る舞いのためか、二十四歳のメロウディア姉さんよりも――もしかしたら、ぼくよりも年下に見えることさえある。

 上司であるメロウディア姉さんへの忠誠は強いらしく、姉さんによれば「遊び相手にちょうどいい」なる評価を受けていた――それは、いいことなのだろうか?

 エイセル女史が押していたシンプルな手押し台車の上には、金属製の無骨なコンテナがいくつも重ねられて、ベルトでまとめられていた。あまり大きな貨物ではないが、運ぶのが小柄な彼女だと、かなりの重荷に見える。

「ええっと、管理官……これはですね、その……!」

 なにから言い出せばいいんだろう、といった具合で、エイセル女史は目を丸くしていた。

「まず、息を整えて、落ち着いて。……君が運んでいるコンテナを見てくれ」

 スタッド管理官は片手を上げて、エイセル女史の運ぶ台車の上の貨物を示した。そうした仕草ひとつひとつさえ、この人物からはどこか尊厳のようなものが見てとれる。

「それは、保管庫から隣の棟に運ぶ非常食だろう? わたしの記憶が正しければ、発注書に載っていたのは、その半分の量だった。上のふたつは空だと思うのだが」

 管理官の言葉を理解してから、更にひと呼吸後、台車の上の貨物をじっと見つめて。

 ――あっ、とエイセル女史は声を上げた。

 しどろもどろの調子で、彼女は管理官に答える。

「え、えっと……ふたつがまとまってたんですね、これ。よっつって言われてたから、わたし、四ユニットと勘違いしてたみたいで……」

「いや、いいんだよ」

 落ち着き払った声で、管理官は彼女を制した。

「こちらの書類の表記法にも、足りないところもあった。直しておこう」

「も、戻してきます!」

 ぺこぺこと頭を下げてから、エイゼル女史は台車をターンさせて、そそくさと保管庫の方へ引き下がっていった。

 その制服の背を最後まで見送ってから、ふむ、と唸ってから。

 ぼくに向き直って、

「さて、なんの話だったかな?」

 と、スタッド管理官はぼくに告げた。


 正直、今の何気ない一幕だけでも、ぼくはかなり感心させられていた。

 つまるところ――スタッド管理官はぼくとの会話を続けながらも、この対策本部のホールを移動する数多くの人々や荷物を認識して、それぞれへの判断を粛々と続けていたのだ。

 少し、メロウディア姉さんに近しいところを感じた――素晴らしい観察力と頭の回転だ。

 あるいは、惑星開発管理官という立場に就くからには、この程度の機敏さは備えていて当然といったところなのか。

 姉さんにも、しばしば驚かされるのだが――惑星開発者と呼ばれる人々は、あたかも呼吸のようにその機知を披露する。

 管理官の悠然とした態度を前にしていると、なんだかこちらまで、少し自信が湧いてくるような気がしていた。

 ぼくは、小さく手を挙げて、彼に尋ねてみることにした。

「なにか質問があれば……とのことでしたが。ひとつだけ、いいですか」

 管理官は碧眼を光らせて、ゆっくりと頷いた。

 以前から気になっていた疑問のひとつが、ぼくの意識に浮かんでいた。

 せっかく目前に、その答えを知るであろう人物がいるのだから。

「――よろしければ、現在のナピの中央アンテナと、宙域中継基地との通信状態について、教えていただけないでしょうか。

 中継基地との定時通信は途切れている――と、数日前に市庁舎が発表しました。にもかかわらず、それを察知するはずの宙域警邏軍所属連隊の応援はいまだに来ていません。

 この原因について、スタッド管理官はどうお考えですか?」

 ぼくの質問に、思うところでもあったのか――ほう、と管理官は唸った。

「まるで、ジャーナリストだな。君はそこまで気がついていたのか」

「色々と考えてみても、どうしても引っかかるんです。いくつか推測は立てているんですが……」

 ぼくの話を聞きながら、管理官はホールの人々に、軽く視線を巡らせる。

 そして、「こちらへ」と、ぼくに部屋の端の出入口を示してきた。

 スタッド管理官に連れられて、対策本部のロビーから続く、ひとつの廊下に入った。

 ホールと同様に合成金属の壁が覆う、近代的な造りの一角だ。

 人々の喧騒の気配が、一気に絞られる。

 この場所でなら、話ができるということか。

 ごほん、と咳をひとつしてから、スタッド管理官はぼくに抑えた声で言った。

「これはまだ確定した情報ではないから、言外はしないでほしい。君が約束を守る人物であることは、わたしもわかっているつもりだが……」

 無言でぼくが頷くと、管理官も小さく頷き返した。

 そして、ぼくが懸念していた、ひとつの回答に言及した。

「ダミー信号だよ。この星から宙域基地に送られているはずの常時通信信号が、どこかから――地上か上空かは不明だが――偽装されて発信されている。そうと見てほぼ間違いない、と我々は考えている。目下現在、我々の捜査対象のひとつが、そのダミー信号の送信元の特定だ」

 ……やはり、そうだったのか。

 犯人――電波妨害システム『白雪』を撒いたものは、単発的にそれを街に散布しただけではなかった。

 以前から、準備は着々と固められていたのだ。

 各行政区と宙域中継基地によって二十四時間常に送受信されている確認信号は、基地と同じく宙域軍の管轄にある。その偽装が容易ではないことは明らかだ。

 だが、敵は、それをやってのけたのだ。

 『白雪』を街に散布し、ナピの中央アンテナからの常時通信を妨害する。それと時を同じくして、平時の情報に似せた、偽物の信号の発信を中継基地へと始めたのだ。

 だから、基地の側にはわからない。

 全面的な通信妨害が発生していることを、認識すらしていない。

 現在の惑星ナピの状況は、入念に意図された、計画上の孤立だった。

「宙域基地の側は、今はなにも異常はないと認知している――ということですか」

 そういうことだ、と神妙に頷いてから、管理官は続けた。

「……さて。とはいえ、これだけでは不安になってしまうだろう? もう少し踏み込んで、いいニュースについても教えよう。勉強にもなるだろうからね」

 管理官が教えてくれた内部情報は、ダミー信号についてのみに留まらなかった。

「ケイヴィ君。七日間に一度、常時通信よりも遥かに大容量の集積情報を、一段階高度な零導波レイドウハ通信帯域で送受信していることについては、ご存知かな?

 これは公式情報にも載ってはいるが、かなりの『通』しか知らないはずだ」

 七日感に一度の、集積情報?

 まったくの初耳の話だ。ぼくは首を横に振った。

 管理官は腕を組むと、廊下の白い壁に軽く寄りかかって、話を続けた。

 実に興味深い内容だった。

「……重要なのは、この集積情報の送受信の手続きだよ。

 その性質上、宙域レベルの零導波通信網の帯域が大きく絞られているのは、知っての通りだ。しかし、七日に一度のこの機会に限っては、平時より大容量の相互通信が開放される。

 そして、その目的のひとつが重要だ。行政区の港の代表者と宙域中継基地の担当者が、通信回線を介した直接対話という手段で、互いの所在の確認をする手続きが行われる」

 ――つまり、それは。

「ふたりの人間が直接対面することで、ダミー信号の存在を考慮した、より高度な確認をしあう。いわば……面通し?」

「そう、面通しだな。五分間だけだが、限定された高級帯域をふんだんに用いた、リアルタイムでの映像対話となる。これは宙域警邏群共通の伝統といってもいい習慣なのだが、まさに現状のような場合に、その実用性を発揮するはずだ。

 というのも――この時、各行政区の宙港と中継基地の代表者が、無作為抽出された最新の話題について会話を交わすからだ。

 ダミーのデジタル信号やテキスト会話のアルゴリズムの偽装は、事前に十分な準備を練っていれば、不可能ではない。情報量が小さいからね。しかしこうした映像対話だと、虚偽の映像を作ってごまかすことはできないから――」

「段違いに、偽装が難しくなる」

「その通りだ。今でも中央アンテナは『白雪』による不通状態で、零導波通信での対面などできるはずもない。しかし、『できないということ』は中継基地に伝わる。それに大きな意味がある。そしてこの、週に一回の対面通信だが――」

 一呼吸置いてから、管理官はもっとも重要なことを、ぼくに告げた。

「今夜の、午前三時ごろに行われる」

 ふと、心が軽くなるのを感じた。

 確かに、それは朗報だった。

「じゃあ、警邏軍はもうすぐ――」

「惑星ナピとの常時通信がダミーだったと発覚次第、超光速移動ヘルメス・スキップで、少なくとも一艦隊は明日の早朝に飛んでくる――と、わたしは見ている。

 現在、我々がこの街の整備や被害防止に重きを置く一方で、『白雪』を撒いたものの捜査に比較的力を入れていないのは、実のところ、そういうわけなんだよ。

 結局、警邏軍は近々来る。ならば、その捜査力と物量に頼った方がいいからね」

 ということは、つまり。

「……明日の朝には、解決、なんですか」

 そう願うがね、と管理官はかぶりを振った。

「残念ながら、これも百パーセント確定的とは言えない。

 相手は、相当入念な準備をしているようだ。今言った『面通し』についても、非常に巧妙なトリックを使えば、突破の可能性もないとは言い切れない」

 ぼくは、『非常に巧妙なトリック』について、思いを巡らせる。

 ……確かに、映像による直接対話といえど、絶対にごまかせないということはない。

 本来のナピからの通信を完全に妨害しつつ、同じ通信回線に乗り込み、精巧な偽物のナピの代表と通信室のセットを用意し、更に対話の情報も準備して、そつのない演技によって偽の『面通し』を済ませればいいのだから。

 手間とコストは計り知れないが、不可能でないだろう。

「あまりその可能性について考えたくはないが、もしも明日の朝、警邏軍からの連絡が来なかったら――」

 考えたくもないような嫌な展開が、頭に浮かんだ。ぼくはそれを口にする。

「このナピの孤立は、今後長期的なものになるかもしれない……と」

 スタッド管理官は、重々しく頷いた。

 それだけは避けたい、という面持ちだった。


 ――そういうこと、だったのか。

 今、ぼくの中で、数多くの疑問が氷解していた。

 懸念していた常時通信のダミーの可能性についても、管理官が明かしてくれた。現在の対策本部の『白雪』処理重視の姿勢についても腑に落ちた。

 ダミー信号や、今の『面通し』のプロセスについては、あえて公開を避けていたのだ。不確定な要素がまだ多く、無用な混乱を招いてしまうのを避けるために。

「……ありがとうございました。色々と、教えていただいて」

 管理官は再び左下に視線を向けて、時刻を確認した。

「ケイヴィ君がいい質問をするものだから、ちょっと長く喋りすぎてしまったかな」

 お世辞を言いつつぼくに微笑んで、管理官は歩き出した。

 悠々とした足取りで廊下を進み、雑踏が小さく聞こえるホールへと戻っていく。

「……そうだ。ケイヴィ君」

 ここで管理官は、なにかを思いついたかのようにぼくに振り向いた。

「今、比較的重視をしていない、とは言ったが。我々も『白雪』事件の捜査を続けていることに、変わりはない」

 ここで一度、言葉を切って。

 スタッド管理官は念押しするように、真剣な面持ちと声音で、ゆっくりとぼくに告げた。

「ケイヴィ君。現時点でも、この一連の事件には、未知の点が数多い。

 ――なにかおかしなことが身の回りにあったら、どんなことでも知らせてくれ」

 そして、口元を綻ばせてから、最後に付け加えた。

「……それと、もしユリシーズ君と会った時は、もう少しわたしの話も聞いてくれるように――弟君として、どうかよろしく頼む」



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