第三章/第四話 ふたりの惑星開発者 2
そして、『白雪』がナピの街に降ってから、五日が経過した。
ぼくはこの日、広々としたロビーへと足を踏み入れていた。
住居街の中央部に設置された、『不明降雪物対策本部』の建物だった。
対策本部と呼ばれるその組織は、スタッド管理官がこの地に降りて以来、彼が構築し、現在のナピの街を実質的に統治している。
吹き抜けのロビーは、思っていたよりもずっと多くの人々が行き交っていた。入り際、ぼくはその熱気に少し圧倒されてしまった。
各々の荷物を抱えて歩き、あるいは立ち止まって談笑している中には、ナピの住居街で見知っている顔が数多い。
対策本部は、ナピ市街の住民を、積極的にその活動に募っていた。
例の音声放送で聞く限り、その業務連絡や公開通知も、この対策本部を軸に行っているようだ。
ぼくのすぐ傍らで、通信妨害の範囲の調査法について、ふたりの知り合いのナピ住民が会話している声が聞こえてきた。大きな通信調査用の機器を背負って、出入口へと急ぎ足で進んでいるのも、ぼくの知り合いだ。こちらも大荷物を持った市長室の職員と
『白雪』という未知の脅威に、一致団結して対応すると決めたナピの人々の、熱意の中心点――実際に訪れると、その気配をあらためて強く感じる。
施設のロビーを含む中央ホールは、三階までの高さが丸々吹き抜けになっていた。強い照明も手伝って、とても広大な印象を受ける。
床の材質は、よく磨かれた黒い石材――おそらく大理石製だ。明るい色の壁は、高耐候性の合金板だろう。どちらも、他の星域からの外来品だ。
清掃ドローンの運行やセキュリティ関連のチェックといった管理を除いては、これまで人が立ち寄ることもなかったようだ。新築といってもいい、清潔な建物だった。
ナピのような開発途上惑星の街においては、将来の人口増加を想定して街が構築される。だからこうした『予定設備』が、街のそこかしこに設置されているのだ。
ぼくが実際に見るのは初めてだったが、こうして臨時的な行政組織の拠点としての運用も想定しているそうだ。
明るい色彩の壁や天井も、一定間隔で立てられた柱も、このあたりの一般的なナピの泡沫式建築には見られないもので、都会的な洗練を感じる。また、中央街から運ばれてきた家具や装飾類によって、簡潔ながら改装もされていた。
行き交う人々が放つ活気も含めて、なかなか居心地がいいところだった。
しかし。
ぼくの些細な用事は、思いのほか簡単に、終わってしまった。
「街がこうした状況ですから、電力区も水道区も、料金回収時期は無期限延期を決めたそうです」
ホールの受付カウンターにて、市長室の職員に、やや困り顔でそう告げられたのだ。
もう少し詳しく聞いてみると、どうやら公共料金の回収の延期については、前に音声放送で言及されていたらしい。
ぼくがこの対策本部まで来た理由は、自宅のそうした料金の振込手段だった。通信回線が不通のため、通常の振込ができないことを懸念していたのだ。
この数日間、ずっと気になっていた件だったのだが、あっさり解決してしまった。
ぼくがなにか他のことに集中していたせいで、延期についての放送は聞き取れなかったのだろう。
まったく、とんだミスだった。
職員に謝意を表してから、ぼくはホールを横切って、対策本部の雑踏から立ち去ろうとした。
そこで――背後からの声に、足を止められる。
「たしか、君は……」
聞き覚えのある声色に、ぼくは振り向いた。
人々がせわしなく移動する中でも、そのひときわ目立つ人物の影は、すぐに判別することができた。
よく通る低い声が、再びぼくへと向けられる。
「ユリシーズ君の弟の……ケイヴィ君、ではないかね?」
ホールに立っていたのは、アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官――通称、スタッド管理官だった。
この不明降下物対策本部という臨時組織の設立者であり、今やナピの街を実質的に束ねていると見なされている、言ってしまえば時の人だ。
惑星開発者の濃紺の正式制服が、彼の大柄の体躯も相まって、人々の中でもひときわ目立っていた。管理官自身が放つ独特の存在感も、一役買っているのかもしれない。
明々としたテノールの声は、ホールの喧騒の中でもよく聞こえた。
「ユリシーズ君の部下から、君については聞いていたよ」
壁際に立つぼくに向けて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ちなみに『ユリシーズ君』とは、メロウディア姉さんの姓を指した呼び名だ。
「はじめまして。ストゥディウムス管理官」
「スタッド、で構わんよ」
そう何気なく告げてから。
彼は口の端を小さく持ち上げて、眉を上げた。
内心、少し動揺してしまう。
――なんとまあ、朗らかな笑みを見せる人物だろうか。
「……ずいぶん、忙しそうですね」
「そんなことはないさ。各機関の諸君も含めたこの街の人々は、十分に我々をフォローしてくれている」
ぼくに続いて、ホールを歩きまわる人々に視線を向けてから、管理官は悠々と頷いた。
実に誇らしげな、一切の陰りの見られない面持ちで。
――あの演説の時と、まるで同じだ。
スタッド管理官の態度や表情、立ちふるまいからは、自らの行動に対する強い信頼や余裕とでもいうべきものが、強烈なまでに滲み出ていた。
演説のために築いた表向きのイメージなどではなく、平時からこのような人物なのだと、対面してすぐに思い知らされる。
腕を組み、ふたたびホールの光景を見回しながら、管理官はしみじみと呟いた。
「この街の人々の対応は、見事なものだよ。閉塞されたコミュニティにおいては、蓄積したストレスが暴発してしまう事態がしばしば見られる。一方このナピでは、未だに軽犯罪のひとつも起きていない。非常時に際しても、皆が解決に向けてまとまっている……銀河のどのような場所にいても、こうした光景がわたしは好きだね」
銀河のどのような場所にいても――という何気ない台詞に、その経歴が端的に現れていた。
演説の中で、スタッド管理官は自らの略歴についても触れていた。
現在四十一歳。十六年前に惑星開発者の資格を得て、ある惑星の開発任務に就いたという。その後、大宙域警邏軍の任を受けて、宙域をめぐっては犯罪に立ち向かう、現在の立場に就いたそうだ。開発管理官として昇格したのは四年前とのことだという。
彼の顔に刻まれた古い傷跡たちの存在に、ぼくはもう気がついていた。宙賊との戦いの痕跡――相当な修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
「……あの、管理官。ひとつ質問しても、いいでしょうか」
「構わんよ」
尋ねたぼくの顔に、ちらりとその碧眼を合わせてから――小さく、しかしはっきりと頷いて、スタッド管理官は答えた。
彼から放たれる自信と自負の気配に、やや気圧されつつも。
ぼくは気になっていた質問のひとつを、目前の市政の責任者に尋ねることにした。
少なくともぼくよりは、なにかを知っているはずだ。
「姉さんは……メロウディア姉さんは、今、どうしていますか?
『白雪』が降って以来、全然家に戻ってこないんです。管理官は姉さんを監督する立場なんですよね? ご存知だと思うんですが……」
「――ふむ」
ぼくの質問を受けて、ゆっくりと、一息ついてから。
「ケイヴィ君」
スタッド管理官は、眉をぐっと持ち上げて、答えた。
――予想だにしていなかった、少し、子どもっぽい語調で。
「お姉さん思いなんだね、君は」
「そんなことはないですけど、ただ――」
やや困ったような表情を見せてから、管理官はもう一歩ぼくに近づくと。
周囲の人々には聞こえないよう、抑えた声で告げた。
「ユリシーズ君――君のお姉さんはどうやら、我々よそ者に、かなり手厳しいようだ」
その大きな肩を軽くすくめて、惑星開発管理官は続けた。
「同業者を、非難するつもりはないんだがね。正直なところ」
ぼくは、慌ててかぶりをふった。
「いえ、ぼくも詳しく尋ねるつもりはないんです。ただ、メロウディア姉さんが――」
「ケイヴィ君!?」
……ぼくの弱々しい言葉は、あっさりと断ち切られた。
聞き慣れた声が、ロビーの向こう側から、残響を伴って襲ってきたからだ。
声の主が誰なのか、今度はすぐにわかった。
噂をすれば影、といったところか。
ぼくがまさに今、話題に挙げていた人物――メロウディア姉さんだった。
例のカウガール・スタイルの衣装は、この非常時でさえやめるつもりはないらしい。おかしなブーツの底で大理石の床を叩き、明々とした音を上げながら、こちらに歩み寄ってくる。
街の有名人だからか、あるいは堂々とした佇まいのためか、それとも仮装大会のような格好のせいか――周囲の人々も思わず足を止めて、姉さんに道を譲っていた。
一歩一歩を踏み込むたびに、巨大な鍔付き帽の先端が揺れる。
その鍔の影が落ちた顔は、まさに仰天の形相で。
甲高いものの混じった大音声が、やがてぼくに容赦なくぶつけられた。
「どうして、こんなところに来たのよ!?」
……姉さんの声の余韻が、ようやく途切れた辺りで。
ぼくは普段どおり、特にうろたえるようなこともせずに、淡々と答えた。
「メロウ姉さん、久しぶり」
「こっちは、なにしにきたって聞いてるの!」
姉さんの怒りさえ感じられる大声に、眉をひそめてしまう。
まったく、挨拶くらいしてもいいだろうに。
「電気料金の支払いについて、ここの受付まで聞きにきたんだよ」
「電気料金!?」
姉さんは、わざとらしく両手を口に当てて。
信じがたい! とでも言わんばかりに目を見開き、その灰色の両の瞳をぼくに向けた。
「こんな時にケイヴィ君、いったいなにを言ってるわけ!?」
……なんなんだ。随分と、大げさな反応だなあ。
「じゃあ、おとといのあれは聞いてなかったの!?」
「えっと、それは……」
「あの、めっちゃくちゃうるさい上にろくに役にも立たないスピーカーの放送で、公共の料金とかについて、散々言ってたじゃない!」
メロウディア姉さんの大音声は、止まる気配がなかった。
ホールの皆が、耳をそばたてているような気がしてくる――正直、うっとうしい。
「……だから、ぼくはどうやらそれを聞き逃していたらしいんだよ。あと姉さんは市政側なんだから、あの放送をうるさいとか、そういうことは言っちゃだめだよ。今は街のみんなが問題の解決に向けて頑張っているんだ」
「あのねえケイヴィ君、最初からこんなのは――!」
そこで。
唐突に、姉さんは口を閉じた。
ようやく、気がついたのだろうか?
ぼくの前に、この建物の――対策本部の責任者であり、もうひとりの惑星開発者でもある、ストゥディウムス開発管理官が立っていることに。
――あるいは、とっくに知っていた上で、姉さんはわざと無視していたのだろうか?
姉さんの底意地の悪さを考えれば、どちらも考えられる。
ともあれ。
ストゥディウムス管理官と、メロウディア姉さん。
これで、ぼくの目前に、ふたりの惑星開発者が立ち並んだことになる。
メロウ姉さんの様子は、ぼくと普段どおりの会話をしていた時からは、別物と化していた。
ぼくをからかうための、あの大げさなリアクションは、もう完全になりを潜めている。
灰色の視線が、スタッド管理官を睨めつけていた。
そこに湛えられていた感情は、柔らかい表現など、しようもない。
冷徹と、敵愾心。
異様な沈黙が、ぼくたち三人の間に、充満した。
あの演説から――スタッド管理官がこの星に降り立ってから、もう三日目だ。
どうやらこの時間が、メロウディア姉さんの態度を改めたわけではなさそうだった。
むしろ、逆だ。
姉さんが管理官に対して抱く敵意は、いや増していた。
一方で、姉さんの冷徹な視線を向けられた管理官の方は――眉を下げて、当惑を隠せないといった面持ちで、無言で佇んでいた。
やがて、メロウディア姉さんは、ぼくに向き直ると。
落ち着き払った語調で、断言した。
「ケイヴィ君、こいつに関わらないで」
姉さんは、その灰色の視線を、ぼくの顔にじっと注いでいた。
いつにも増して、強い眼光だった。
「どうして? だって、姉さん――」
「とにかく、こいつの話はまともに聞かないように。わかった?」
――わからないよ。
即座にそう思ったが、ぼくはこの場は黙り通すことに決めた。
言っても、無駄だからだ。
……それにしたって、いくらなんでも、理不尽ではないだろうか。
ひとことの理由すら、メロウ姉さんはぼくに話していないのだ。
――とにかくわたしは、このスタッド管理官を心の底から嫌悪している、だからなんとしてでも、わたしに従え。
まるで、そんな具合だ。
どうして管理官に反発するのか。教えてくれたって、いいだろうに。
すぐに、ぼくは思い直した――いや、理由など、必要ないのか。
メロウディア姉さんにとっては。
ただひとつの事実だけで、十分なのだ。
ぼくが、姉さんの弟だから。
ぼくと姉さんの間で。
視線が交錯し、重なり合った。
ぼくの瞳の向かう先に待つ、姉さんの瞳。
こちらを覗く、暗く輝く、深い灰色。
その奥に潜む感情を。
ぼくには、見通すことができなかった。
無関心? 不安感? 嘲り? ――それとも、焦燥?
どれだけの時間が、経ったのだろうか。
メロウディア姉さんは、やがて、ぼくから視線を離すと、
「……まだしばらくは、家には戻らないと思うから。それじゃ」
そっけなく告げて、ホールの玄関方向へと立ち去っていった。
ぼくが、言葉をかける間もなく。
人々の雑踏に紛れて、すぐに姉さんの銀髪の背は見えなくなってしまった。
……なんなんだ。
呆然としてしまっていると、少し疲れたような声音のテノールが聞こえた。
「このような具合なんだよ。ケイヴィ君。……今の、君の姉君はね」
眼を向けると、スタッド開発管理官がホールの隅に立っていた。
困惑の面持ちだった。
「そう、なんですか……」
まあね、と呟いて、姉さんが去った方を一瞥してから、彼は肩を落とした。
管理官の態度は、メロウ姉さんが自分に向けている強い反抗心は心得ているが、とりたてて対抗するつもりもない――といったものに見える。
ぼくにはその違いが、ふたりの器の大きさの相違に思えてしまう。
スタッド管理官は、続けてぼくに告げた。
「実際のところ、惑星開発関連法の側面から見れば、今のわたしは部外者だ。あくまでも、単なる滞在者に過ぎないからね。同じ開発者とはいえ、ユリシーズ君とわたしは、互いにまったく初対面の身でもある。
それにしても、あそこまで辛辣に扱われるいわれは、こちらにはないつもり……なんだがね。
ともあれ、うら若きレディにあのような態度を取られるのは、少し、困ったところだよ」
困ったと言いながらも、スタッド管理官は、実に屈託のない笑みを浮かべた。
それは、相当のひねくれ者を除いた大抵の女性にとっては、魅力的に映る仕草に思えた。
「……なんだか、すみません。うちの姉さんが、ご迷惑をかけてしまって」
心外だと言わんばかりに、管理官は首を横に振った。
「君が謝る必要など、あるはずがないよ、ケイヴィ君。
ユリシーズ君はまだ若い。この状況に際して、色々と思うところがあるのだろう。わたしも、若かった時分を思い出す。彼女の気持ちが理解できないとは言えないよ」
管理官は、むしろ姉さんの荒れ具合に、同情すら覚えているようだった。
ひとつのフレーズが、ぼくの脳裏に思い浮かぶ――成熟した大人の対応。
こうして直接言葉を交わすと、今自称したとおり『部外者』であるスタッド管理官が、ナピの街の人々に強く支持されている理由も納得できた。
どのような状況下でも、相手の立場を受け入れた上で、熟考する度量――それは実のところ、貴重な能力なのだ。
スタッド管理官は、間違いなくその持ち主だった。
どこか心安らぐ話しぶりや声も、その印象を際立たせている。
そういえば、と、彼はおもむろに呟いた。
「君が質問したのは、ユリシーズ君の最近の動向……だったか。
残念ながら見てのとおり、彼女は私との行動を拒んでいてね。いい答えはできそうにない。ただ、しばしば
ここで、言葉を切って。
「ところで、思うに……ケイヴィ君」
やや神妙そうな声音で、管理官はぼくに語りかけてきた。
口元には笑みを浮かべながらも、あくまでも厳格さは崩さない――絶妙な具合だった。
「今の短い会話を聞いていて、思ったのだが。
ユリシーズ君のような家族と一緒に暮らすのは、なかなか刺激的な体験だろう。ご苦労をお察しする」
「まあ、それは……そうですね」
大いに頷ける話だ。
自然と、笑みが漏れてしまった。
姉さんに振り回されるのは、まったく、今に始まったことではない。
それにしても。
本当に、『白雪』の騒動が始まってから、メロウディア姉さんの様子は妙だった。
こんな時にどうして、街のためにとても献身的に行動している管理官に向けて、あそこまで強い敵意を顕わにするのだろうか。
確かに管理官の言うとおり、惑星ナピに正式に配属された唯一の開発者は、メロウディア姉さんだ。
しかし、この外星域との通信不通という非常時においては、同業者とは手を取り合うのが筋なのではないか?
その相手が、スタッド管理官のような好人物であれば、なおさらだ。
第一、開発管理官は開発者の上官にあたる存在ではないのか。公人として、あそこまであからさまな反抗の態度を取っていいのかについても、疑問が残る。
嫌な響きの言葉が、脳裏に浮かぶ――派閥争い。仲間割れ。内ゲバによる自壊。
突然この星にやってきたスタッド管理官に、非常時の指揮権が任されてしまっていること――惑星開発者としてのプライドが、今のメロウ姉さんを悩ませているのかもしれない。
とはいえ、まるで街から隠れるように振る舞っているのも、姉さんじゃないか。
……これまでも、いまひとつよくわからない人ではあった。
しかし、『白雪』が降ってからは――メロウディア姉さんという人物が、ぼくには本当に理解できなくなってきている。
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