第三章/第二話 ふたりの惑星開発者 1
アンリー・オフィオン・ストゥディウムス惑星開発管理官――スタッド管理官による就任演説は、ナピの人々の歓迎の中で幕を閉じた。
その中で管理官は、『白雪』による無線通信妨害に閉ざされたナピ市街の事態に対して、迅速かつ包括的な対応案を示した。
まず、『不明堆積物対策本部』という名の新組織の設置が発表された。
スタッド管理官は、現在のナピにおける最大の問題を、不明降雪物こと『白雪』による、居住区の生活への侵害であると位置づけた。
その前提に立ち、居住区の管轄と被害拡大防止を第一目的として、ナピの公共組織の大規模な再編成を遂行した。ナピ市街の運営・政務に関わる複数の組織を、対策本部という新組織に一括化することで、意思決定と行動を速やかにするのが目的だった。その再編対象には、市長室や惑星開発局ナピ支部――メロウディア姉さんの組織も、一部含まれていた。
ここまでは、ある程度想定できる内容ではあった。しかし、スタッド管理官が演説内で発表した新組織の場所は、かなり予想外だった――ナピの中心街ではなく、ぼくたちの暮らす住居街に設置する、と彼は宣言したのだ。
住居街の中央部に建つ、一軒の大きな空き家――というより、現在は使われていない公共用ホールとその周囲の建物群に、公共機能の多くが『対策本部』を中心に移転されることになった。
街中に降った『白雪』は、人々の物理的な移動を妨げるばかりか、その妨害電波によって、あらゆる周波数帯の無線通信を閉ざしている。その結果、中心街に通う人々の姿はなく、公的施設の他はほとんど無人化していた。スタッド管理官はその状況を懸念した。市当局と住民との速やかな連携がなければ、この事態に立ち向かえないと彼は考えたのだ。そして両者のコンタクトにおける最大の阻害要因となっていた物理的な距離を、まず縮めることにしたらしい。
これは、ぼくにはかなり賢明な考えに思えた。というのも、もちろんナピの街の住民との連携がとりやすくなる利点もあったが、降雪量の最も多い中心街に比べれば、住居街は『白雪』要因によるインフラへのダメージが少なかった。このような状況であれば、街に住む人々から遠い中心街に、行政機能を置く必要性もあまり感じられない。
スタッド管理官は、暫時的組織である対策本部の指揮官として、自らを置くと宣言した。
市の公共機能の再編成計画が発表された際には、すぐにどこかから反発が巻き起こるのではないか、とぼくは疑っていた。
だが、それは要らぬ心配だった――どうやら市当局は、現役の警邏軍人であるスタッド管理官のリーダーシップに任せることにしたらしい。思い返せば、市長室をはじめとする各機関は、『白雪』の分析ひとつにさえ苦慮していた。そこに危機対応のプロフェッショナルが来訪したのだ。渡りに船、といったところだろうか。
とはいえ、管理官が演説の中で主張した市組織の再構成案は、やはり急激な変革と言っていいものだった。
それこそメロウディア姉さんの管轄する開発局ナピ支部から、管理官たちに対する反発が起こりそうなものだった。しかしどうやらあの姉さんも、そこまで市政を掻き乱したいわけではないらしい。
組織再編計画を発表する管理官の後ろで、姉さんはなんとも微妙な表情で、黙っていた。
言ってしまえば、ふてくされていた。
新行政組織『不明降下物対策本部』の移転作業と、その関連処理が、あの演説からほぼ一昼夜で終わってしまったのには、かなり驚かされた。
手の空いた市長室スタッフや住民の有志に直接かけあって、スタッド管理官とその部下は移転チームの編成と主導を行った。そして『白雪』の影響が小さい
その作業に取り組むスタッド管理官たちの姿を、一度ぼくは街で見かけた。彼が人々に出す指示はわかりやすく丁寧で、実に手慣れたものだった。大宙域警邏軍より『宙賊』事件処理を任されているチームの本領発揮といったところか。こうした不測の事態への対応処理は、彼らには日常茶飯事なのだろう。
そして、ここが惑星開発管理官という立場の真骨頂なのかもしれない――とりわけぼくの目を引いたのは、管理官が効率よく作業を指揮しつつ、生活する街の人々への配慮も欠かさないことだった。
ある日のこと。住居街のストリートの一角にて、スタッド管理官とその直属の三人の部下が、運搬作業中の人々に停止号令を出しているのをぼくは目の当たりにした。そして、除雪された路上を進むふたつの小さな影を見て、ぼくは虚を突かれた――現れたのは買い物のためか、
その様子を遠くから見ていた時、隣に立っていたおじいさんが、「いい人が来てくれたねえ」と、感慨深げに呟いていた。
行政機能と同時に、医療センターや
通信販売も
医療センターの臨時支部には、初日から住民が大挙した。どうやら、先日の『雪かき』で体を痛めた人や、ぼくと同じように無線妨害対策の作業を自宅で行った結果、怪我してしまった人も多いらしい。
例え静かなかたちであっても、『白雪』という非日常が、徐々に街を蝕んでいる――そう思えてならなかった。
スタッド管理官の主導した事態対応の中で、もっとも注目すべき要素は、市政の補助業務において、彼らが積極的にボランティアを街中から募集した点だろう。
先ほど述べた対策本部への物資の運搬作業は、そのほんの一端だった。
溶けることのない『白雪』の除去作業、街における降雪量と電磁妨害の調査、医療センターの機能、麻痺した各関係機関の事務処理――そうした様々な分野における人手不足を、管理官はナピ住民の空いた手に頼ったのだ。
ぼくが見るかぎり、この措置はいい意味でナピの人々を刺激した。スタッド管理官のあの演説を皮切りに、街の指揮が彼らに移転されてから、ナピの人々は明らかに活気づいてきたように思う。
謎めいた通信妨害システム――『白雪』に閉ざされてから、日常生活の休止を余儀なくされて、閉塞した街の様子を、ぼくはこれまで目の当たりにしてきた。
『白雪』の降ってからの二日間は、皆が家々に閉じこもり、まるで無人街と化したかのように静まり返っていたのだ。
それに対して、管理官たちが訪れてからの、今の街はといえば。
夜も人々が行きかい、活気に満ちた声を交わしながら、除雪作業に取り組んでいた。
もちろん、状況はまだまだ予断を許さない。
『白雪』の科学的組成すら、ほとんど解明できていないのだ。事件としての捜査は、始まったばかりと言えた。
それでも。今のナピの人々が持つ、活動的な雰囲気を見ていると、ぼくも不思議と安心感を覚えてしまっている点は、認めぜるをえない。
間違いなくその盛り上がりの中心は、住居街中央に設置された対策本部施設だった。
若干、奇妙な話ではあったが……街の皆の様子は、『白雪』の降る以前よりも、生き生きとしているようにさえ感じられた。
共通する危機こそが、人々をもっとも団結へと向かわせる――行動心理学の実例を見た思いがあった。
ナピの人々のこうした心理的変化も、スタッド管理官の計算どおりなのだろうか。
疑ぐり深い性格も手伝って、当初のぼくは彼の言動にやや懐疑的な立場だった。
しかし今は、他のナピ住民と同じく、管理官の高い指揮能力を認めつつある。
この宇宙の闇を切り拓くもの、人類の代表者――惑星開発者の理想像とは、ああいった人物を指すのかもしれない。
それにしても。
ここ数日におけるスタッド管理官の、精力的かつ献身的な活動を目の当たりにして。
ぼくが対照的に、どうしても意識してしまう人物がいる。
もうひとりの惑星開発者――メロウディア姉さんだ。
姉さんは、相変わらず家に帰ってこなかった。
ここ数日で何度か、メロウ姉さんの姿を街で見つけることはあった。つい先ほど、対策本部から中央街の方へと歩む姉さんの銀髪を見かけたし、ある朝は開発局支部の部下を連れて、なぜか街外れの方まで歩いていた。
そうした姉さんの立ちふるまいは、一見では、普段どおりの堂々たるものだった。
少なくとも、この間のたった一度の帰宅時ほどの疲弊は見られなかった。
しかし、ぼくは姉さんの普段の様子を、嫌というほどよく知っている――どことなく、周囲に対して、神経質になっているような印象を受けた。
――姉さんは、なにをやっているのだろう?
市長室が主導していたあの大音声の音声放送の管轄は、今や対策本部に切り替わっていた。その内容は、対策本部からの『白雪』対策の情報が主なトピックとなり、利便性は増した一方で、開発局支部の動静についてはほとんど言及されなかった。
これまでと変わらず、姉さんたちは『白雪』の分析に注力している――ということなのだと思う。しかしあまりにも、公開されている情報が少ない。
街外れに向かって、黙々と歩いていく姉さんの姿を想起しながら、ぼくは思う。
今、スタッド管理官が街全体に講じている措置は、本来メロウディア姉さんがすべきことではなかったのか――と。
スタッド管理官の指揮により、『白雪』被害に対する街の整備は、格段に進行していた。
その一方で、『白雪』の謎にまつわる捜査については、停滞しているようにも思えた。
対策本部の主導となった音声放送の中においても、街のインフラやサービスの情報に多くの時間を割く一方で、捜査結果の情報はごく僅かなものだ。
もちろん、ナピ市街への『白雪』散布を行った者――すなわち『犯人』の素性についても、まるで明らかになっていない。
管理官の指揮する対策本部は、しばしば音声放送の中で呼びかけていた。
『白雪』降下の前後に、身の回りに変わったことは起こりませんでしたか。情報がありましたら、どのようなものでも対策本部まで連絡してください――と。
しかし、有効な情報は見つかっていないようだった。
そして。
ぼくは、この数日の間、多くのことを考えないようにしていた。
陽光の差す荒野の只中で、ぼくの前に現れた、あの存在について。
砂塵のヴェールの中に立ち現れた、仮面の男について。
あの日の夜は、驚きと恐怖から、飛躍した妄想に駆られてしまった。
しかし、時間が経つにつれて、ぼくも少しずつ冷静になってきたようだ。
結局、ぼくが本当に見知ったものは、非常に断片的で曖昧な情報に過ぎなかった。
あの不気味な存在と、『白雪』という通信妨害システムの、そして、エアリィオービスとの関係が明らかになったわけでもない。
実のところ、ぼくがあの荒野の中で出会ったものが、果たして現実だったのか、ホログラム投影などによる幻影の一種だったのかさえも、定かではなくなっていた。
対策本部に渡す捜査情報としては、流石に不明瞭に過ぎる。
そして、なによりも。
エアリィオービスと交わした約束を――秘匿を、破るわけにはいかなかった。
◆
……身勝手なこと、なのかもしれなかった。
洞穴の壁と天井に灯る、色とりどりのライトたち。
その光芒に照らされて、少女の琥珀色の束ねられた長髪が僅かに揺らめく度に、無数の光の粒が、ぼくの視界の中で閃き、発散した。
振り仰いだ少女は、ぼく自身が彼女へ教えた言葉たちでもって、ぼくを呼び止めた。
そして、ぼくの名を告げた。
――ケイヴィ。
どうしても。
エアリィオービスの、その声を、ぼくは護りたかったのだ。
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