第二章/第七話 それがあなたを傷つけるのであれば


「エアリィオービス」


 歪んだ金属柱に灯る、無数の照明群の輝き。

 壁のように積み上げられたコンテナと、でたらめな家具と、不可解な機械類。

 崖下の洞穴どうけつにこしらえられた、オービスの『部屋』。


「……今日は、君に話したいことがあって、ここに来た」


 その只中で、ぼくが琥珀色の髪の少女に告げたのは、今日の昼間のことだ。

 崖下で待ち合わせていたエアリィオービスとあいさつを交わして、洞穴に入ってから、ほどなくしてだった。


 ぼくの堅い口調に、なにかを勘づいたのか。

 『部屋』の奥に立ち、愉しげにコンテナのひとつを開いていたエアリィオービスは、くるりと体を回して、ぼくへと向き直った。

 笑顔は、もう消えていた。

 ふたつのラブラドライトの瞳が、緊張に揺らぐのを、確かに見た。

 ぼくは既に、決めていた。

 ある事実について、彼女に言うべきだと。

 昨日の昼から丸一日間、ぼくが与えられて、抱え込んでいたものを。

 そして、言うからには、慎重に言葉を選んだところで、結末はさほど変わるまい。

 ありのままを、告げることにした。


「昨日、ここから街へと帰る途中で。

 ぼくは、君の『従者』を名乗る人物に会った。

 仮面を被ったそいつは――エアリィオービス、君を『我々のもとに還せ』と、ぼくに忠告した」


 凍てつくような沈黙が、『部屋』に降りた。

 エアリィオービスは、はじめ、ぼくの言ったサジタリウス語の文意を計りかねるかのように。

 ぽかん、と口を開けて、絶句していた。

 しかしそれは、ほんの僅かな間だった。


 ――あいつらが。


 オービスの姿が、ふいに、ぼくの視界の中から消えた。

 ぼくの眼の前まで、一駆けで距離を詰めてきた。

 その事実に、やっと気がついた時には。

 もう彼女は、爆発的に張り上げた音声でもって、矢継ぎ早の問いかけを、ぼくに向けて繰り出していた。


 ――あいつらに、なにかひどいことはされなかったか。

 ――ぶたれなかったか。

 ――拘束されなかったか。

 ――蹴とばされ、(聞き取れなかった)されなかったか。


 思わず、ぼくは一歩後ろに引き下がろうとしてしまうも、それができない。

 唐突に、体が揺らいだ。

 ぼくの耐候服の胸元が、オービスの両手の指に、がっちりと掴まれていた。

 オービスの黒瞳が更に前進し、ぼくの眼と鼻の先にまで詰め寄った。

 赫怒と狼狽。

 彼女の双眸は、ふたつの感情の間で、異様な輝きを放っていた。


 ――あいつらの見せた(セダン? 聞き取れない)は、何色のものだったか。

 ――背中か脇の下に、大きなアンプルを打たれなかったか。

 ――わたしになにかを見せるように、強要されたか。

 ――黄色い(聞き取れなかった)は、耳から埋め込まれなかったか。


 ぼくの服を握るオービスの両手から、彼女の体温を感じた。

 フィールドの熱保護のもとにないその指先は、本来のこの洞穴の気温を反映して、燃えるように熱い。

 ぼくに詰め寄る語気は、獰猛と示して、まったく差し支えのないものだった。

 ふいに自分の体が、がくがくと、大きく揺り動かされる。負担を直接受けて、首の筋肉が痛みを放つ。

 目前の少女の膂力とは、到底思えなかった。

 ほんの四十数日前、オービスと初めて出会った時の様子が、心に浮かばずにはいられなかった――この琥珀色の髪の娘は、一回り大きいぼくの体を平然と組み敷いて、頸動脈の上に、金属の切っ先を乗せたのだ……。


「――違うよ!」


 正気を失ったようにすら見えた、オービスに。

 ぼくは、なんとか意思を示すべく、痛む首を大げさに横に振って、返答した。

 我ながら、まるで言い訳のような口調だった。

「暴力は、振られていない! ただ、板状端末スレートのメッセージを見せられただけだ!

 ……そして気づいた時には、そいつはもう、いなくなっていた……」


 ぼくの声の残響が、洞穴の闇へと消えかける頃に。

 ついに、ぼくの胸元から両手を離して、少女は押し黙った。

 黒瞳の輝きは、ぼくをまじまじと凝視していた。

 まるで、潜ませた真意を、探るかのように。

 やがて、ぼくのもとから引き下がると。

 琥珀色の髪の少女は、考え込むように、傍らの岩壁を睨みつけた。




 静寂の、内側で。

 ぼくはふいに、あることに気がついた。

 『部屋』の天井近くに設置された、無数の小電灯。

 そのひとつが、不規則な明滅を続けていた。

 この点滅は、ぼくが属する文明の照明装置においても、概して見られる現象だ。

 避けられないこと。

 ――発光素子の劣化による、寿命。

 どうして、なのだろうか。

 その時のぼくは。

 頭上でぎこちなく明滅する、ごく小さなひとつの電灯から。

 眼を離すことが、できなかった。




 小型宇宙船の残骸から、物資を持ち込んで造られたという、エアリィオービスの『部屋』。

 単なる洞穴の一箇所に過ぎない地点に、手作業のみでこの人工的空間を築くまでの工程には、想像を絶するものがあった。

 ぼくの視界の奥で佇んでいる、琥珀色の髪の少女は、数ヶ月前にそれを遂行したのだ。

 迫りくる追っ手から、この銀河系の果てにまで、隠れ潜んで。

 それでもなお、自分らしく生き続けるために。

 船の残骸という、あまりにも限定された材料を駆使して、彼女だけの世界を造り出したのだ。

 残骸の再利用。

 それにも、かかわらず。

 この場所は、奇妙なまでに美しい空間だった。




 ――だが、もう、長くは保たないのだ。


 明滅を含んだ、沈黙のただなかで。

 ぼくは、その事実を、ついに理解した。




「オービス」

 少女の横顔に、ぼくは尋ねた。

 いかなる返答であしらわれるにせよ、訊かなければならなかったことを。

「……あいつらは、いったい、何者なの」


 意外にも。

 彼女は、ぼくを横目に見てから――小さな声で、答えたのだ。

 アクセントのやや不安定な、しかしもう、十分に流暢と言えるサジタリウス語で。


 ――その人は、わたしの従者たち。

 ――わたしに、常に付き従う者たち。

 ――わたしがいなければ、この宇宙に存在することさえできない人たち。

 ――その、ひとり。


 もう、すでに。

 エアリィオービスの表情に、顕れていたのは。

 怒りや焦りといった、突発的な激情ではなかった。


 あたかも。

 どうしようもなく辛いことを、それでも、受け入れざるをえないような。


 それは、苦渋と悲しみに満ちた、諦念だった。


 やがて、なにかを決意したかのように、こちらに厳然と向き直ってから。

 もはや、どこか落ち着いた面持ちで。

 エアリィオービスは、ぼくへと告げた。




 ――逃げ続けていることが、ケイヴィを傷つけるのであれば。


 わたしはもう、還ったほうが、いいのかもしれない。




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