第二章/第五話 翌朝にして、もう既に…


 目が覚めて、すぐに違和感に気がついた。


 ぼくの視界にまず入ってきたのは、天井奥の空調制御コンソールの点滅だった。

 眠気の中で、それをじっと見つめているうちに。

 妙な感覚の原因に、意識が行き着いた。

 見覚えのない配線がコンソールから伸びており、壁を伝って、床まで伸びていたのだ。

 ……あれは、なんだっけ。

 眼を瞑り、まどろみの中で、ぼくは思い出しそうと試みた。

 謎は案外、あっさりと解けた。

 ――ああ、そうだった。ぼくが有り合わせの部品を使って、新たに取り付けたのだ。空調と照明を、手動で操作できるように。昨日からの無線通信妨害のせいで、ジェスチャー信号がまったく届かなくなったから。

 昨日からの。

 無線通信妨害。


 願うように、祈るように。

 ぼくは、ベッドの上で思った。

 ――昨日、起きたことが、全部、嘘であればいいのに。

 と。


 頼むまでもなく、さまざまなものの像が、ぼくの脳裏に去来した。


 『白雪』に包まれ、一変した住居街。

 通信妨害と、市長室からの音声放送。

 洞穴の奥。独りで洗髪していた、エアリィオービス。

 そして。


 ――砂塵と、あの仮面を被ったもの。


 まったく、本当に。

 昨日などという日は、すべて、夢であればよかったのだ。


 倦怠感と不快感に押しつぶされそうになりながら、ベッドから起き上がる。

 視線を向けるかどうか、少しの間、戸惑った。

 ――部屋の窓から街の景色を覗くと、『白雪』が、綺麗さっぱり消えている――そんな束の間の幻想は、もちろんあっけなく破られることになった。

 眼前には、白色に一変したナピの街並みが、やはり広がっていた。

 この時。

 ぼくは、自覚してしまう。

 二日目の翌朝にして、もうすでに。

 白変した街の光景に、ぼくは見慣れつつあった。

 この異常性にさえ、適応しつつ、あるのだ――と。

 今後、いったいどれだけの期間、この景色が続くのだろうか。

 どれだけ、慣れなければいけないのだろうか。

 長い溜息が、知らずに漏れてしまう。


 ナピの住居街は、静けさをいや増したように思えた。

 まだネクを着けていないので、ぼくは部屋の壁掛け時計を仰ぎ見る。

 午後七時半過ぎ――これといって、早すぎる時間ではなかった。

 普段であれば、道には徒歩や浮揚機ホバーの姿が複数見られたろうし、他の家々から生活音や声が聞こえてもいい時刻だ。

 今朝は、人っ子ひとり見えなかった。

 街は、静まり返っていた。

 ぼくの他の住民が軒並み、夜のうちに街から逃げ出してしまったのではないか――そんな馬鹿げた考えを、思いついてしまうほどだった。

 もちろん実際のところは、街の皆は各々の家にこもっているのだ。

 ごく自然な反応だと思う。

 ――突如、街中に正体不明の『白雪』が撒かれて、街の中のみならず外星系との通信すら完全に遮断された。しかも、かろうじて現状を広く伝えることができるメディアである、市庁舎の音声放送さえも、この白い堆積物を撒いたのが何者であるのかすら、現状ではわからないと宣言していた。

 家の中から、今後の様子をうかがうのが、最善の手だろう。


 普段着に着替えて自室を出てから、洗面台で顔を洗った。

 顔を拭いてから、気がついた――今日も、水道設備に支障はない。

 電源用のモニターを確認すると、電気も中央街の電力区から支障なく供給されている。

 ただ、やはり無線通信に至っては、各所のディスプレイがエラー表示を吐き出し続けていた。

 家の中も、やけに静かに思えた。

 メロウディア姉さんの部屋に向けて一応声を掛けてみるも、返答はやはりない。

 姉さんは、昨日に続いて不在のようだった。リビングを見る限り、帰ってきた痕跡もなかった。

 恐らくは、中心街の惑星開発局にこもりきりで、『白雪』の分析を続けているのだろう。

 昨日の音声放送の、植生棟バイオラティオンからの報告を思い出す。

 簡潔だが、安心できる情報が含まれていた――科学分析の結果、『白雪』の主成分はポリマーであり、直接の生体への毒性は見られなかったという。

 その説明については、身をもって納得できるところがある。というのも、実はぼくは昨日の時点で、地肌で少々あれに触っていたからだ。

 一日が経過しても皮膚へのダメージは感じられないし、肺や喉を痛めるようなこともなかった。

 『白雪』は、水として溶解しないことを除きさえすれば、映像情報に記録される気象現象――雪に、本当によく似ていた。

 そう。この堆積物は、ある程度の熱を加えても溶けることがなかった。ナピの陽光の直接照射にも平然と耐えて、溶解の気配すら見えない。そして延々と、高出力のノイズ電磁波を全方位に放ち続けている。

 特別な発信装置もなく、これだけ強力な電波信号を放つことができるのは、この物質の奇妙な特性のひとつだった。

 もちろん、電磁波を無から作り出せるはずがない。エネルギーの一形態である以上、なんらかの入力と、その変換工程が必要だ。

 ナピの朝の陽光を受けて、まばゆい輝きを放つ白い街並みを見ながら、ふと思ったことがある。

 原理はわからないが、『白雪』の動力源は、太陽光なのかもしれない。

 周囲の大気よりも、常に冷たさを保っている――これも熱力学からすれば、まったくもって奇妙な『白雪』の特性だった。しかし、この物体そのものが、太陽光を介した一種の熱循環系を有していると想定すれば、一応筋道は通らないでもない。そんな所作が可能であれば、の話だけども。


 それにしても、最近ぼくの基本的な科学の知識群が、あっさりと踏みにじられているような思いはある。

 『白雪』のノイズ発信能力にも、エアリィオービスの身体的特性にも。

 まるで。

 ふたつが、同じところからやってきたかのように。







 やはり、睡眠は大切なのだ。

 一度、ベッドで眠ったからだと思う。

 心理的な動揺と消耗感は、昨夜より薄れている自覚があった。

 昨日の昼、砂塵の中にふと現れた、黒い車両と仮面の男。

 掲げられたメッセージと、獰猛に膨らんでしまった妄想――。

 そのような混迷についても、今はやや客観的に、冷静な視線で捉えることができた。

 とにかく、わからないものに考えを馳せても、為す術もない。

 より実用的なことに、力を割くべきだ。


 溶けることを知らない『白雪』と、その通信妨害による情報の分断。

 この麻痺状態が、いつまで続くのか。それがわからない現状では、今後の生活の見通しについても、ぼくなりに考えなければならなかった。

 簡単な朝食を摂ってから、ぼくは貯蔵庫の確認を始めた。

 家に残された緊急用の食糧品は、ぼくひとりでもせいぜい二週間分程度だろう。配送ドローンが運行できないからには、街の植生棟バイオラティオンの店まで、直接赴くしかない。音声放送の中で、店は運用していると言明されていた。浮揚機ホバーが『白雪』の上を無事に運転できるとわかった以上、行けないということはないはずだ。

 次に、ぼくは自室に向かって、情報処理コンピューター端末を立ち上げた。

 市長室や電力区等からの公的通知パブリックノートと、その返答手続きについて、少し思うところがあったからだ。もちろん無線回線をベースとするローカル通信は停止状態で、新規の通知も届いていない。

 広報や公的料金の請求書といった公的機関からのお知らせは、ローカルネットワークを介して、日々各家庭のアカウントに伝達されている。住民は同じ回線からリモートで各機関に返信し、その際にクレジットの入金などの処理も行うことができる。

 しかし、あらゆるネットワーク網が断ち切られている現状では、もちろんそうした手続きが踏めるはずもない。

 ぼくの中で、ひとつのささやかな疑問が浮かんでいた。

 今の状況で、この辺りのプロセスはどう行うべきなんだろうか?

 比較的優先順位の低い話だけれども、もし料金の未払いのせいで、電力区や水道区からの供給が自動で止められたりしたら、たまったものではない。こちらの準備が整い次第、問い合わせてみたほうがいいのかもしれない。

 続いて、街に定期的に運ばれている貨物について、ぼくは考えを巡らせた。

 街の宙港中心アンテナの通信能力が失われている現状を踏まえると、中継基地を介した星系ネットワークまで、ナピの情報は届いていないのだから……。

 ここで。

 ――あっ、と、小さな声が漏れた。

 ぼくはようやく、街が明かしていない、ある事実に気がついたのだ。


 もし『白雪』が、宙港の中央通信アンテナの機能さえも阻害しているのであれば、惑星ナピと所属星系を繋ぐ定時通信網も、また絶たれているはずだ。

 しかし、もし情報断絶が中継基地に観測されたのであれば、即座に星域警邏軍が、超光速移動ヘルメス・スキップでナピに駆けつけてくるはずではないか――?

 星々を結ぶ情報通信回線は、物資運搬網に並ぶ、銀河系人類の生命線だ。

 あまりにも広大な真空の暗黒によって隔てられた、宙域内の行政区群。

 それらのコミュニティを、情報というかけがえのない共通性で繋ぎ、ひとつの共通性を与える――通信回線は、そのために必要不可欠な経路だった。

 通信妨害による行政区の孤立――ナピの現状は、大宙域政府にとって、もっとも避けなければならない事態のひとつだ。

 そして真っ先に動くとすれば、大宙域政府の治安、及び宙域中継基地を管轄する警邏軍とみて間違いない。

 それでは、なぜ、警邏軍は未だにナピに来ないのだろうか。

 ぼくがこの単純な疑問に思い当たるのは、遅すぎるほどだった。

 今、家々にこもっているであろうナピの住民の中には、星系間ネットワーク通信の専門家や、元警邏軍人も含まれている。警邏軍の未着の謎まで考えが及ぶ人々は、他にもいるはずなのだ。

 この件について、どうして市長室は報告していないのだろう。

 そして、惑星開発支部――姉さんが、この謎に気づいていないはずもない。

 いったい、行政区で、なにが起きているんだろうか。


 


 沈黙を保つ市長室と開発支部の動きに、若干の焦りといらだちを感じながら。

 ぼくは再び、オービスの待つ崖下へと向かうことにした。

 ガレージの扉を再びてこで開き、浮揚機ホバーに乗り込んで、ぼくはストリートの雪原の上を駆ける。

 無視できるはずもない、疑惑と不安感を抱えながら。


 今日はエアリィオービスに、話さなければならないことがあった。


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