第二章/第四話 ぼくたちを結びつけるもの
――考えることすらも、恐ろしかった。
しかし、思考を止めることも、また無理な話だったのだ。
琥珀色の髪の少女との邂逅から、今に至るまで。
ぼくの前に、しばしば現れては去っていった、不可解な要素たち。
それらを、ぼくは今まで、半ば目を背けるようにして、無視していた。
しかし、決して忘れ去っては、いなかったのだ。
記憶の奥深くの底に、沈殿していた、それらは。
今回の衝撃を、ついにきっかけとして。
ひとつひとつ、ゆっくりと、まるで引き合うようにして、集まって――。
今。
一貫性を装ったまとまりを、ある物語として、結実しはじめていた。
――数ヶ月前に崖下に不時着した、小型宇宙船の残骸。洞穴に潜み暮らす少女、エアリィオービス。彼女の語るデータベースにない奇妙な言語。人知を超えた驚異的な代謝能力。ぼくとともに交わした秘匿の約束。「わたしのことを誰にも伝えないで」。電磁波障害をもたらす原理不明の堆積物、『白雪』――
そして。
砂塵の中で、ぼくの前に突如現れた、奇怪な仮面の男。
ぼくに示された、ひとつの言葉。
『姫を還せ』。
――エアリィオービスは、あの連中から、逃げ出したのだ。
窒息した記憶が、造り出した化身。
一貫性を装ったまとまり。
それが、いかにも正しいことであるかように、ぼくに甘く囁いていた。
わかっている。
断片的な情報を繋げただけの、単なる空想の産物であることは。
だが、それにもかかわらず。
自嘲するぼくの反対側には、この説の合理性に素直に感銘して、納得さえしている自分も、確かに存在していたのだ。
まるで、すべての断片が繋がったかのように、喜んでいた。
勝手に回りはじめた思考の歯車が、止まらない。
これまで、エアリィオービスが、自らについて、かたくなに教えようとしなかったのも。
外部に決して知らせないようにと、執拗なまでに告げてきたのも。
すべて、辻褄が合うじゃないか。
「逃がしはしないし、万が一逃げたとしても、もしお前の素性を外の世界に漏らしたりしたら、我々は容赦しない」
彼女が、かつていた場所にて。
オービスは、自由を封じていた何者かに、そう告げられていたのだ。
脅されていた。
しかし、その上で、彼女は逃げ出した。
――合理性を騙る妄想は、次から次へと膨らんでは、ぼくの思考に漏れ出てきた。
エアリィオービスが所属していた世界は、疑いようもなく、ぼくの属する社会とはまったく独自の社会規範を有するコミュニティだ。
しかし、それはぼくの想定していた、穏健な集団ではなかったのだ。
『宙賊』。
新銀河系連盟――および大宙域政府に、激しい反発の意思を示すものたち。
ありとあらゆる犯罪行為に手を染め、無関係の人々の命さえも餌食とする、この銀河系世界のならず者――。
旧銀河系連盟時代から、そう呼ばれ続けていた存在。
辺境惑星であるこのナピに、これまで、宙族が来たという記録はない。
理由は、ごく単純だった。
奪うべきものなど、この星にはまるで存在しないからだ。
ぼくも、報道やデータの中でしか、見知ったことのない存在だった。
ナピの街に宙賊が来訪する可能性などについても、考えたこともない。
しかし、仮の変数として、宙族という要素を一連の事態に置けば。
ほとんどの謎に、筋道の通った説明ができるのだ。
少なくとも、そう感じる、という程度においては。
街の星域警邏隊や開発局支部さえも、その正体と原理がわからないという、電子情報妨害システム――『白雪』。
あんなものを、いったい何者が所持し、街に散布したというのか。
そう、エアリィオービスを追う、あの仮面の男。
奴が所属する一味だ。
彼らこそが、他ならぬ不法集団――宙賊であり、あの堆積物の製造に所持、そして使用に関与していると考えれば、不思議のないことなのだ。
一貫性を装い、合理性を騙って。
ぼくの中で身勝手に膨らんでいった、ひとつの物語。
まとめれば、その概要は、以下のようになる。
――数ヶ月前。ある宙賊集団が監禁していた、重要な生体工学上の試験体である少女が、彼らの母船から逃げ出した。
一時消息を見失ったものの、どうやら逃亡者の少女は、ある辺境惑星に潜んだらしい。
そして宙族集団は、こう考えた。
まず、少女の潜んだ惑星の社会機能を、大宙域政府にさえ認知されていない通信妨害装置、『白雪』を用いて麻痺させる。
その混乱に乗じるかたちで、目的の娘を発見し、回収する――。
筋道は、通っているように思えた。
しかし、心の中の冷静な側に立つぼくは、首を横に振った。
大きく、何度も、繰り返して。
そうだ。
この話はあくまでも、仮定に過ぎない。
妄想と言い換えても、なんの問題もない代物だ。
そう考え直しても、なお。
強い説得力を持っているように、思えてならなかった。
とはいえ。
仮に、このシナリオが真実だとしても、不明点はいくらでも散見できた。
まず、どうしてあの仮面の男――宙賊と仮定した存在――は、直接あの崖下に行って、エアリィオービスを連れ戻さないのだろうか? 奴が、オービスの場所を知らないとは到底思えない。なんといっても、崖下から街へと戻る直線の経路上で、ぼくを待っていたのだから。
“我らが姫を還せ”。
この文をぼくへと見せてきたのも、奇妙だ。
それではまるで、「彼女に戻るように言え」と、ぼくという人物をわざわざ介して、間接的にエアリィオービスに訴えているかのようだ。
つまり、奴らには、オービスと直接会えない理由が存在するのだろうか? それは、何故なのか? それとも、彼女と接触してしまった、ぼく個人を脅す狙いがあって、あのような手段に踏み込んだのか?
ついでに言ってしまえば。
エアリィオービスを、『姫』と呼ぶ意図はなんだろう?
元始地球史には明るくないぼくも、これくらいは知っている――『姫』とは、旧地球時代の専制政治体制における、君主の娘を指す言葉だ。
奴らの中の単なるコードネームであって、深く考える必要はないのだろうか。
……やはり、現状ではわからないことが、多すぎる。
仮定に仮定を、妄想に妄想を重ねるような事態に、陥ってしまう。
――ぼくは。
ただ、頼るあてのない、ひとりの弱りきった娘を、助けたつもりだった。
そのはずなのに。
知らぬ間に、ひとつの策謀に巻き込まれてしまっていたというのか。
あるいは。
知るのが、遅すぎたのかもしれない。
一見では認知できないが、しかし闇の奥には、確かに秘められていたもの。
そう――ぼくたちを結びつけるものの、その正体を。
ふと、思う。
今のぼくが、あの少女のためにできることは、いったいなんなのだろうか?
◆
家に戻ったのは、まだ陽が高い時分だった。
白色の堆積物に包まれて、別世界の様相と化したナピの住居街は、相変わらず静まり返っていた。
――砂塵の中に出現した、奇妙な車両。
そして“姫を還せ”と告げた、仮面の男。
彼らと、対峙したばかりだった。
不気味な感覚が、ぼくの体の中で、残響しているように思えた。
半ば茫然自失の状態で、ぼくは
心ここにあらずのまま、そして妄想じみた『宙賊逃亡説』に精神を蝕まれながら。
事前に予定していた、家の機器の加工作業へととりかかった。
そして、市長室からの音声放送の音量に、再び仰天させられてしまった。
正確な時間は覚えていないが、午後五時か六時のことだったと思う。午前中に引き続いての二回目の放送だと、女性の声は淡々とした調子で語った。
作業する手を動かしながら、ぼくの思考に、憂鬱な予感が浮かび上がる。
――まさか市長室は、こんな手法を今後も続けるつもりなのだろうか?
ぼくは生まれてからずっとナピの街に住んでいるが、『特製の地中回線を介して、信号をスピーカーに流すことで、音声のかたちで街に情報を伝える』などという、あまりにもアナクロな設備については、その存在さえも知らなかった。
音声放送は、さも当然といった声音で、以下のような現状報告を粛々と行った。
――星域警邏局ナピ支部、およびナピ宙港からの合同報告。不明堆積物体、通称『白雪』が街に降下したと考えられる本日午前三時頃と同時期に、複数の宙空用観測機器が機能不全に陥ったことが判明した。現在、運用可能を確認できた装置を利用して原因の捜査を継続中だが、ナピ上空において、不審な船やその痕跡は見つからない。
――
あるところで、手を止めた。
メロウディア姉さんだ。
きっと今頃も、姉さんは部下たちと総出で、『白雪』の正体を探っているのだろう。
緩慢な思考の中で、ぼくはふと考えた。
――姉さんたちは、どこまで辿り着いているのだろうか?
『白雪』降下を人為的な事件であると想定すれば、犯人に捜査情報を与えるのは危険だ。今の音声放送の内容が制限されている可能性は、十分に考えられる。
捜査の進展の真相は、ぼくたちにはわからないのかもしれない。
メロウディア姉さんたちが得ている情報量が、気になった。
『白雪』の機動原理は、判明したのだろうか?
昨夜の散布手段は、どうだろう?
それとも、あの仮面の男――エアリィオービスを探る宙族集団の存在まで、姉さんたちは行き着いたのだろうか?
市長室の放送は、やはり、わざわざ言及しなかった。
正体不明の物質の散布による、外界との無線通信の完全不通。
今、ナピという小さな世界が、穏やかな、しかし最大級の緊急事態にあることを。
◆
夕食は、まるで喉を通らなかった。
ぼくは今、自室の標準型ベッドに仰向けになって、天井の夜闇を見つめている。
ふと冷気を感じて、ブランケットを肩までたくしあげた。
首を傾けて、天井隅にある空調機のコンソールの点滅を、ぼくは凝視した。
つい先ほどまで二時間かけて、部品の追加と加工処理を続けたものだ。
その結果、ついに手元からでも簡単に操作できるようになった空調装置は、正常に動作していた。
小さなモニター上の、仄かに出現した表示を見つめる。
室内気温は、セ氏二十四度に保たれていた――これも、普段どおり。
なのに、どうしてだろう。
ひどく、空気が冷えている。
きっと。
――あの仮面が、ぼくを今も見ているような気がしていたからだ。全方位が地平線まで開けたナピの紅い荒野。猛烈な陽光とそれを覆い隠す砂嵐。ぼくの前に立ち塞がるもの。不気味なまでに背筋の張った影。何故か砂に汚れていない黒一色のブーツ。唯一白い仮面の奇妙な紋様の下に、男の眼は完全に隠されていた。なのに、どうしてだというのか。ぼくは、完全に確信していた。奴は、ぼくを、見ている。紅い砂塵の中で、ぼくはその事実を、本能としか言いようがない感覚で識っていたのだ。その表象なき視線は、ぼくの脳裏にまとわりついて離れなかった。ぼくは視線を逸らすことさえもできない。凄まじいまでの情念を宿す、瞳の輝き。揺れ動くその光は、ぼくの視覚をあまねく支配していた。ふいに、仮面の口元が、ぼくになにかを告げる。その視線に見合わぬ静かな声音で。しかしその内容を聞き取ることができない。身動きが取れなかった。指一本たりとて動かすことができない。奴の視線を、一身に受けたぼくは、砂風の中で立ち竦み、思考を奪われ、怯えて――今、この自室のベッドの上でさえも、体をがたがたと震わせている。それでもなお、仮面の男は、繰り返し繰り返し、死人のような声音で、ぼくに告げるのだった。
――我らが姫を、還せ。
貴様の命は、もう預かっている。
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