第二章 包み込んだもの - The Fallen

第二章/第一話 そして白雪が街を包んだのだ 1

第二章 包み込んだもの The Fallen






 ――思い返せば。

 はじめから、その日はなにかが妙だった。







 日常に埋め込まれた動作というものは、普段はあまり意識しない。

 それが睡眠から目覚めたばかりの、普段ベッドの上で行っているジェスチャーであれば、なおさらだった。

 いつもどおりの動作をしても、部屋のライトが点かない。

 実に些細なことながら、これがなかなか辛いところがあった。

 最初は、センサーの感知ミスだと思った。しかし、二回、三回と続けるうちに、違和感はいや増していく。

 積み重なった不可解さが、まどろみからぼくの神経を目覚めさせる。

 この部屋の光源と空調を操作するためのジェスチャー信号が、まったく機能しないことに気がつくまでに、少なくとも七回は腕を体の上で振っていたと思う。

 故障、だろうか?

 ぼくは内心で疑義を唱える――つい最近、センサーのメンテナンスを済ませたばかりだ。

 眠気の中で記憶の糸を手探り、昨夜のことを思い出す。

 ぼくが作った地質レポートの中間稿。それを読み終えた直後には、平常通り動作していた。

 それにしても、なにかがおかしい。

 全身の怠さに抗いながら、ベッドから起き上がる。

 窓が小さいぼくの部屋は、朝早くでも光源がないと薄暗い。

 わずかに頬に吹きつける微風が生暖かいことに、ここで気がついた。空調も、夜間設定のまま変更できていない。

 起き上がってから、天井の壁の間に備えつけられたセンサー兼コントローラーに向かって、今度は異なるジェスチャーを見せる。やや大げさな動作で。

 それでもやはり、反応はない。

 この辺りで。

 ぼくは、ただならぬ気配――言葉にしようもないが、決定的ななにかが発生していることを、感じ取っていたように思う。

 普段の朝と、とりたてて強烈な変化が見られたわけではなかった。

 それでも。

 ――絶対に、おかしい。

 ぼくの中の頼りない直感とでも言うべきものが、そう告げていた。

 あえて、根拠を挙げるならば――周囲が、静かすぎたのかもしれない。

 わざわざ意識して、窓の景色に視線を向けたのではない。

 ただ、視界の隅に、妙な違和感を覚えた。

 ごく、何気なく、見やった。


 ――純白のなにかが、見慣れた街の景色を、徹底的に覆い隠していた。


 見知っていたはずの光景の、あまりにも大きな、突然の視覚的変化。

 たったそれだけでも、尋常ならざるインパクトを与えるのだと、思い知った。

 ただただ呆然として、呼吸も忘れて、立ち竦んでしまっていた。

 ――なんだ、これは?

 全身の血流が、急速に沸き上がるように感じられた。

 まだ、眠りの余韻が残っているのを感じて、ぼくは頭を振る。

 平静さ――それが今、もっとも必要とされる感情のはずだ。

 まず、現状で行うべきことを、考えないと。


 ぼくはまず、家の内装の確認に取り掛かることにした。

 ほどなくして、ぼくの部屋のセンサー装置群のみならず、家中の機器になんらかの異常が発生していることがわかった。

 それにしても、この家全体の屋内環境を制御するネクタル・フィールド・システムに、不具合が見られなかったのは幸いだった。他のものより遥かに頑強な装置ではあるものの、もしネクまでやられていたら、寝ているうちにとっくに酸欠でぼくは死んでいるハズだった。

 ひとつひとつ順繰りに、機器の故障の状態を確認していく。

 冷蔵庫やクリーナーも、照明と同様、ジェスチャー信号の受信は一切機能しなかった。しかし、すべての機能が壊れているわけではないこともわかった。手動ならば、普段どおりに動作するようだ。

 いまひとつ、掴めない。

 停電などのショックによる、部分的な動作異常だろうか?

 コンソールから投射されたホログラフィック・スクリーンを操作して、自己確認機能を呼び出す。今、この家に通っている電源のありかと電圧状態を点検した。

 今家に供給されている電気は、家に備えられた予備電源からのものではなく、街の電力区から供給された平常のものだった。

 昨夜の動作ログを見ても、停電や電圧異常が発生したわけではないらしい。

 しばらく調べているうちに、段々とあらましが掴めてきた。

 各種の家電を操作するジェスチャー信号の不具合については、センサーの故障だと思っていた。

 だが、実のところはそうではなかったのだ。

 その後の段階――ぼくの示したジェスチャーを部屋のセンサーが読み取り、空調や家電といった外部機器へと発信される無線信号の送受信こそが、まったく動作していないのだ。

 自室の空調や光源も、手動操作では問題なかった。ただ、ジェスチャー・センサーのみならず、他の装置からの無線通信も、本体に送ることができない。

 通信異常。

 自室に戻り、ぼくは自らのコンピューター端末の前に座った。

 やはり端末そのものは、何事もなく平常動作した。

 しかし、宙域ネットワーク・コミュニティには、まったく繋がらない。

 起動直後から複数のアプリケーションが、同じ通知を一気に弾き出す。

 通信が確立されていません。

 コマンドを叩いて、ローカル回線、遠隔カレッジ貸与の学習専用回線の両方の送受信を、ハードウェアのレイヤーからチェックする。

 出現したのは、予想通りのメッセージだった。

 ――エラー。ping応答なし。

 ネットワーク接続が見つかりません。

 こうして。

 ついにぼくも、この事態を現実のものとして受け止めつつあった。

 家中の、あらゆる無線通信。

 そのすべてが、一斉に、そして完全に、封じられていた。


 あらためて。

 自室の窓から、ぼくは街の様子を見やる。

 何度見ても、衝撃的な光景だった。

 まったく見覚えのない白色の堆積物が、よく見知っているナピ住居街の光景にオーバーラップすることで、完全に別のものへと一変させているのだ。

 嘘なのではないか、とすら思う。

 眼前にあるのに、まるで現実味が感じられない。

 そして、どうやら電子機器の異常――正確に言えば、無線異常――が発生していたのは、ぼくの家ばかりではないらしい。

 窓から見える、近所の家々。

 その玄関口や窓から、ぼくの知る人々の顔がいくつも見られた。

 彼らもまた、ぼくと同じように、辺り一帯を覆う白い堆積物を見やっていた。

 反応は、様々だった。呆然として立ち尽くす人、軒先に積もった見慣れぬ物体を手に取る人、屋内の家族に振り向いて話す人。

 共通点が、ひとつだけ見られた。

 ぼくを含めた近隣のナピ住民の皆が、この状況に当惑していた。

 まさか。

 白い物体は、このナピの住居街すべてに、降り注いでいるというのか。


 一抹の恐怖を抱きながら、ぼくは家のドアを開いて、玄関先に出た。

 ネクタル・フィールドの結界を越して、最初にぼくの肌に吹き抜けてきたのは――冷たい風だった。

 ――冷たい? どういうことだろう?

 そして、視覚的な衝撃が、再びぼくを襲った。

 外に出て街の全容を見渡すと、堆積物の影響が徹底的であることが、あらためて理解できる。

 住居街の家々を構成するドーム状建築の天井や、家々を結ぶ道の上はもちろんのこと、庭の内側、街の看板や装置群、その他の街中のなにもかもに、純白の堆積物は隙間なく積み重なっていたのだ。

 首を上げて、ナピの朱い空を見上げる――地上の変貌ぶりに対して、上空はなにも変化がないように思われた。斜め上に浮かぶナピの燃えるような太陽。その光線のスペクトルと厚い大気が光学的に編み出す、一様の朱色。

 平時と変わらない空だからこそ、ぼくには不可解に思えた。

 街中の謎の白い物体は、恐らく風によって横から運ばれてきたのではない。建築物への積もり方から見るに、上部からまっすぐ降り落ちたように思われたからだ。それではいったい、どこから、どうやって落ちてきたというのか。不純物ひとつ見えない朱い空は、黙して答えなかった。

 次に、ぼくは再び地上へと視線を転じた――市長室や惑星開発局支部といった行政機関や、商社の支店などが集中している、ナピ中心街の方に向けて。遠くにそびえる建物群も、やはりこの辺りと同様に、白色に変じていた。

 周囲一帯に、視線をぐるりと向ける。

 どうやら、逃れられた場所はないようだった。

 本当に街中が、夜間に降下したと思われる、この白い堆積物に覆われているらしい。


 今日の朝という時間が訪れてから、もう何度目になるかも判然としない疑問が、再度ぼくの頭に去来する。

 ――なんなんだ、これは?

 ナピの街に降りそそぎ、一様に白く塗りつぶしたもの。

 その堆積は、いったいどこまで続いているというのか。

 あらためて、空気の冷えをぼくは感じた。

 そもそも、“冷たさを感じる”時点で、おかしいのだ。

 ぼくたち、過酷環境に暮らす人々の全身を覆う、不可視の幕――ネクタル・フィールドは、接触した大気の極端な高熱や低熱を遮断して、定められた範囲内のみの温度を体に届ける。

 夜ならば、冷えた空気に当てられることは毎晩のことだ。

 しかし今は、陽の出た朝だった。ナピの太陽の照射熱は凄まじい。夜間に零下だった気温は日の出からみるみると上昇し、通常であればこの時間帯の気温はセ氏三十度を優に超える。空気が冷えるなどという事態が、前代未聞なのだ。

 足元に、眼を向ける。

 ぼくの立つ玄関先にも、白色の謎めく堆積物は、隙間なく積もっていた。

 触れるだけならば、恐らく害はないだろう。楽観と興味が、ぼくを動かした。体を屈めて、手ですくって取ってみる。

 堆積物は、想像以上に柔らかい――しかしつい、払い除けてしまう。

 想像以上に、冷たかった。

 やはり、この堆積物が、街を覆っている奇妙な冷気の元凶らしい。

 あらためて少量だけを手のひらに乗せて、観察してみる。

 色は、陽光を反射するほどの純白だ。積み重なった隙間に、多量の空気を含んでいた。綿や服飾の合成繊維にやや似ているが、かなり重みがある。

 堆積の表面を、靴で踏んでみる。

 ――さくり。

 軽やかな感触とともに、ぼくの靴の先は簡単にめり込んだ。脚を離すと、くっきりと足跡が残された。

 堆積物に覆われた街をあらためて眺めながら、本来の街の地面の高さと現状を見比べる。

 多いところで、堆積はせいぜい三十センチといったところだろうか。まったく歩けないほどの深さではないが、このまま自由に歩き回るのはかなり難儀するだろう。

 つまり。

 ――目下現在、このナピの街は。

 無線による情報通信も、直接の移動も、ともに遮られていることになる。

 あまりにも唐突で、謎めいた膠着状態。

 それに、ぼくの暮らすナピというコミュニティは、包まれてしまったのだ。




 メロウディア姉さんが、家にいる気配はなかった。

 ぼくが目覚めてから、何度か姉さんの部屋にも声をかけていたのだが、どうやら外出しているらしい。

 家の機器の調査を一通り行って、事態の重大さがわかりはじめた頃、ぼくは同時に理解した。

 メロウ姉さんは恐らくぼくが寝ている間にも、中心街の惑星開発局ナピ支部で、この白い物体、及び通信妨害についての調査を開始しているのだ。


 中心街に、再び視線を送る。

 ――今、この街の中枢たる市長室や開発支部では、なにが話し合われているのだろうか。




 ◆




『――現在、午前九時になります。ナピ市長室より、お届けします』


 最初にそれを部屋で聞いた時には、飛び上がるように驚いてしまった。


 スピーカーによって著しく拡大された人間の音声が、ナピの街中に響き渡っている――そう認識するまでには、ちょっとした時間が必要だった。

 そんなものを耳にするのは、生まれて以来、初めてのことだったからだ。

 調整に失敗しているのだろうか、その音量は信じられないほど大きく、残響も凄まじいものだった。それでいて、内容を確実に伝える意図があるのだろうか、とてつもなく間延びした口調で続けられた。

 スピーカー・システムに載せられていたのは、いかにもアナウンスメントといった具合の、穏やかで艶のある声――市長室の広報スタッフに、こうした声の女性がいたと思う。

 部屋の空気を震わせるほどの大音声に、体を思わず竦ませながらも、その内容にぼくは耳を澄ませた。




『これより、緊急用の地中有線音声放送網を介して、ナピ住居街の皆さんにご連絡いたします。

 現在、市街の各所において、無線通信に障害が発生しています。

 住居街におかれましても、地表や建物に積もった、白色の堆積物が確認できると思います。

 職員の証言とカメラの情報によれば、きょうの午前三時から四時頃にかけて、当該物体は一斉に街に降りそそいだとのことです。

 住居街から宙港に至るまで、当該物体は街の全域で確認しています。

 この物体と、現在発生している無線通信に関する問題の因果関係は、現時点では不明です。

 公共ドローンシステムにおきましては、無線通信による自動操作を介するため、現在全面的に機能を停止しています。

 また、ナピ宙港からの連絡によりますと、ナピの中央通信アンテナにおきましても、きょうの午前三時頃より、原因不明の不通状態が始まったとのことです。

 街の皆様には、大変なご不便をおかけしています。

 市長室は現在、惑星開発局支部、星域警邏隊、ナピ宙港、電力区、植生棟等の各機関と連携して、この問題の対策を講じています。

 また、市長室ならびに各関係機関は、暫定的に、当該物体を『白雪』と呼称しました。

 どうか住民の皆様におかれましては、無闇な行動は避けて、屋内でお待ち下さい。

 繰り返します――緊急用の地中有線音声放送網を介して、ナピ住居街の皆さんにご連絡いたします……」




 それから二回のリピートを続けて、市長室からの最初の音声放送が終わった。

 終了を意味するらしい簡素なメロディが流れてからも、街中に残響がこだましていたように思う。まったくもって、尋常ではない大音量だった。

 ぼくは、放送内容とは離れたある一点で、まずひとつのショックを受けていた。

 地中有線放送によるスピーカーシステム――ぼくは生まれてからこの街に暮らして、このような原始的な放送設備が用意されていることさえも知らなかった。この街については、大抵のことは知っていると思いこんでいた。

 それにしても。

 今の放送の中で示された、複数の重大な情報を差し置いて。

 ぼくの心に残りつづけて止まなかったのは、どういうわけか、重要度のかなり低い、ある一箇所だった。


 『白雪』。


 銀河系における座標が忘却の彼方に葬られて久しい、人類の故郷――元祖地球。

 その環境に近い惑星、あるいはそれが模写された人工環境における、冬の光景のステレオタイプが、今ぼくの脳裏に再現されていた。

 この窒素大気の惑星ナピには、決して存在できないものたち。

 ――大気中の水分循環の一形態として、高度の大気中に浮かぶ水蒸気や氷晶の総合体、『雲』。そして、その中に含まれる氷結晶がひとつのかたまりとなり、地表へと降り注ぐ気象現象――『雪』。

 ぼくは、思い出していたのだ。

 その、残酷なまでに白い雪片たちが、人々の住む街に降り注ぎ、世界を一変させた光景を。


 


 ◆


 


 スピーカーによる大音声放送を担当したのは、『市長室』だった。

 この惑星ナピにおける行政管区の仕組みについて、簡単に説明してみよう。


 新銀河系連盟における、このナピのような小・中規模行政管区の施政には、一般的に二名の代表責任者が赴任される。

 まず、行政区全体における最終決定権を有する『市長』。

 そして、開発に限らず非常に広範な法的権限を与えられた『惑星開発者』――つまり、このナピで言えば、メロウディア姉さんだ。

 この両名を代表とする組織が、それぞれ『市長室』と『開発局支部』であり、この二機関は互いの権利を補完しあうかたちで、街の施政に携わるのだ。

 ……といっても、このルールはかなり杓子定規的というか、『普通の規模の行政区』のそれであって、このナピという惑星においては、いまひとつ有効性に欠けていた。

 実のところ、およそ一年半前にメロウ姉さんが着任するまでの二十年間以上、この星の惑星開発者の席はずっと不在のままだったのだ。そして当時、ナピ開発局支部には、権限の小さい代理人を含むごく少数のスタッフが赴任されているばかりだった。

 つまり、市長室が星の行政の大部分に関与していたのだ。そんな施政原則の欠落とでも言うべき状況にありながら、ぼくの知る限りでは特に問題も起こりはしなかった。こういった状態は、ナピに限ったことではないらしい。

 市長室と開発局の分立機能が効果的に発揮されるためには、このナピというコミュニティは、少しばかり小さすぎるのかもしれない。

 とはいえ、現在ではメロウディア姉さんが開発局ナピ支部に赴任したし、それから開発局のメンバーも入れ替わりがあったそうだ。

 姉さんからの「市長室の決定が遅くて」といった愚痴は聞くこともあったが、それでもナピにおけるふたつの行政機関は、順調に足並みを揃えているようだった。




 今の音声放送は、ナピ市長室によるものだ。

 だから、その内容についても、ナピ市長の意思決定が含まれていることに疑いの余地はない。

 もうひとつの執政機関――メロウディア姉さんが率いる惑星開発局の名前は、街の他の組織と一緒に触れられただけだ。各機関と連携して対策を講じています。


 一夜にして街中を巻き込んだ、謎の通信妨害。

 しかもそれは、宙域の中継基地と送受信を行っている、中央通信アンテナすらも巻き込んだのだという。


 音声放送の内容は、決定的だったといっていい。

 ぼくの中で、ひとつの推測がじわじわと、確実に強まっていた。

 心の一部が、それをずっと否定しようとしていたが、もう難しいようだった。


 ――これは、決して小さな事件などではない。


 今、このナピというコミュニティには。

 白い結晶体で造られた、切っ先が。

 声なき『白雪』の鋭利な刃が、向けられたのだ。

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