第一章/第六話 君はいつだって従順なる囚人

 銀河系は、深遠なる闇に閉ざされている。


 一面の暗黒に散らばった、星々たちの輝き。

 ぼくは椅子に腰掛けて、夜空を無心に眺めていた。

 惑星ナピの大気層はかなり厚いが、澄んでいる。

 ぼく自身はほとんど見たことのない、例の大気中水蒸気による白いもや――雲も、ナピにはまったく存在しない。それに今夜は、ナピにおける唯一無二の不純物と称していい、風に巻き上げられる砂の姿もなかった。

 宇宙線を防ぐネクタル・フィールドの膜を通しさえすれば、星々の彩る銀河系の剥き出しの夜景を、ほとんど損なうことなく楽しむことができるのは、この星のいいところのひとつなのかもしれない。

 視界一面を占める恒星群を前に、ぼくはほっと息をついて、この広大極まりない銀河系世界へと思いを馳せていた――。

 気分をぶち壊しにする、疑念に満ちた声を聞くまで。

「――なに、たそがれてんの?」

 ぶしつけな声の放たれた元に、ぼくは眼を向けた。

 ダイニングテーブルを挟んだ向こう側には、むしゃむしゃと夕食を咀嚼しながらぼくに胡乱な視線を投げている、メロウディア姉さんの姿があった。


 つい先ほどまで、ぼくたちの家をずたずたに叩き壊していた作業ドローン群は、既にナピ中心街の倉庫へと引き上げていた。

 メロウ姉さんが突如として開催を決めた自宅の『改装』は、明日以降への持ち越しとなったようだ。

 ぼくはダイニング・テーブルの脇へと、再び目を向ける。

 今日の昼まで、見慣れた壁が遮っていた場所だ。

 しかし今は、大穴が開けられていて――というより、壁そのものが無くなったと表現すべきだろうか――そこで全面的に見通せる夜景を、ぼくは家の内側から眺めていたのだ。

 皮肉のひとつくらい、言いたくなる。

「まったく、室内に居ながらにして、こんな大パノラマが見られるとはね。姉さんの決断には感心するよ」

「でしょ?」

 メロウ姉さんは意にも介さない。普段どおり、ぼくの倍の量の夕食に取り組んでいる。

 どうやら姉さんの消化器官の機能と食い意地は、ぼくに比べてちょうど二倍強いらしい。白雲肉のソテーも、野菜サラダも、スープの分量もぼくのそれの二人分だった。それに加えて、姉さんは自分用の菓子も食後に食べる。

 惑星開発者が大食いであるという生理科学的根拠は存在しないはずだが、メロウ姉さんによれば、姉さん自身も含めてこの職業者には健啖家が多いらしい。

 姉さんの服装は例の『カウガール・スタイル』とやらのままだった。やたら大きな鍔付き帽だけは食べるのに邪魔らしく、食卓の脇に掛けられていた。だったら最初から被らなければいいのに、と思ってしまう。ネクを常時用いるこの世界では、外光を防ぐという帽子の元来の用途は存在しない。

 とはいえ、姉さんのやることなすことすべてに文句を付けていたら、本当にきりがないのは重々承知している。

 ぼくも、自分の夕食の皿へと向き直った。


 今晩の献立は、以下の通りだ。

 植生棟バイオラティオンで造られるタンパク質食材の一種――通称、白雲肉しらくもにくを、塩コショウと中火で炒めたソテー。リーフレタス、トマト、コーンとモロヘイヤに、バジルの風味を加えたサラダ。コンソメペーストをベースとしたかぼちゃの煮こみスープ。そして姉さんはローズヒップ、ぼくはミントのハーブティー。

 こう説明すれば、なんら問題のないメニューだ。この社会における、一般的な旧時代風の食事といって差し支えないだろう。

 ただ、ぼくがどうしても指摘しなければならない点は、ぼくのハーブティー以外のメニューすべてに、香辛料をはじめとする莫大なまでの調味料が加えられていることだった。

 ――このサラダ、また例の、とんでもない味付けじゃないか。

 漏れそうになったため息を抑えて、ぼくは手元に置いたパウダーボトルを取った。

 ぼくとメロウディア姉さんの姉弟きょうだいは、ふたりで生活する都合上、家事については分担のルールを敷いている。

 具体的に言えば、それは以下のような具合となる――日用品の買い付けは、ぼく。この家と敷地内の掃除は、ぼく。各種マシナリーのメンテナンスは、ぼく。洗濯物の処理は、ぼく。貨物用キャリアや冷凍庫の整頓も、ぼく……。

 例外として料理だけは、ぼくと姉さんの一日ごとの交代制だった。

 そして、今日の食事当番は姉さんだ。

 ここが中々苦心するところでもあった。

 メロウディア姉さんの味覚は、簡潔に言ってしまえば、常軌を逸していた。どう贔屓目に見ても、甘味や塩味に対する感覚が鈍すぎるとしか思えない。とてつもなく濃厚な味付けを好み、その味覚に基づいた料理を、ぼくに向けても提供した。

 ――やれやれ。

 手元に置いたコーンスターチ・パウダーを適宜加えながら、ぼくはサラダを口へと運ぶ。姉さんの料理の日は、ぼくはこうして味を薄めながら食べるのが日課だ。

 メロウディア姉さんに言わせれば、話はまったく真逆らしい。

 ぼくの作る料理の味付けが蛋白すぎる――というのが、姉さんのかねてより主張だ。

 というわけで姉さんは姉さんで、ぼくが調理を担当する日には、特製の調味料でぼくの料理に味を足しながら食事するのだ。その立場が、毎日交代となる。


 価値観の違う者が一緒に暮らしていくというのは、容易なことではない。

 サラダを食べ終えて、ナイロンのナプキンで口元を拭きながら、ぼくはあらためて傍らの空間――壁のあった箇所に視線を向けた。


 家の壁の数枚が完膚なきまでに破壊されている現状、ぼくの座る場所からは、夜景のみならず、辺りの住居街も見渡すことができる。

 もちろんそれは、ぼくたちの食事風景が、街から丸見えになっていることを意味してもいた。

 夜の帳の下。泡沫状建築の丸い家々の窓から、生活の明かりが垣間見えた。

 幸いなことに、他の住民と鉢合あわせることはなかった。さきほど配送ドローンの一機がすぐ目の前をすれ違い、指向性カメラで見つめられた経験を除きさえすれば。

 テーブルの先に座る、メロウディア姉さんを見やる。

 メロウ姉さんの無茶苦茶はいつものことだけども、今回も本当にひどい。

 事前にぼくに話すこともなく、どうしていきなり、改装を?

 あらためて、その件を尋ねようとした直前。

「ところでさ、ケイヴィ君」

 メロウディア姉さんの方が、ある話題を振ってきた。

 ぼくがずっと、待ち構えていた話だった。

「例の……なんだっけ? 学期末レポートの調査だっけ?」

 ――いきなり、きた。

 大口に頬張ったステーキを飲み込んでから、姉さんはべらべらと続けた。

「街の南東の崖だったか、亀裂だったか……今日、行ってきたんでしょ? どんな感じよ?」

 スプーンを口に運ぶ手が、つい止まりそうになる。

 平静。

 必要なのは、平静だ。

 暴走しそうになる思考を、ひとつひとつ、丁寧に整理していく。

 メロウディア姉さんだけには、嗅ぎつけられるわけにはいかない。

 この質問に対する、不自然でない回答パターンはもう事前に作っている。

 あとは、タイミングと語調。

 小さく、息をつく。

 よし。

「……良さそうな地点は見つけられたよ。今日から基本的に毎日、中期の調査を予定してる。このナピの地質の奥深さも改めて認識したよ。いいレポートが書けると思う」

「まさかケイヴィ君、なにか隠してないよね?」

 今度こそ、手が止まった。

 不思議だ。

 確かに今、舌で触れているのに、スープの味を感じない。

 姉さんには、まだなにも知られてはいないはずだ。

 ごく普通に、答えればいい。

「……どうして、そんなことを聞くの?」

 メロウディア姉さんの灰色の瞳は、伏し目がちに自分の皿へと向けられていた。

 味付けが不満なのか、少しむすっとしている。

 勘付いたような様子は、見られない。

「別に……ただ聞いてみただけだけど」

「隠す理由なんて、ぼくにはないよ」

 言ってから、しまった、と直感した。

 口を滑らせた。

 がばっと頭を上げて、メロウディア姉さんはぼくを凝視してきた。

 その面持ちは、明らかにこれまでと違った。

 灰色の瞳に、興味の光が垣間見えた。口元がにやけている。嫌な笑顔だ。

 面白そうなことを掴みそうだ――とでも、言わんばかりの表情。

「そっかあ、じゃあ……」

 テーブルの上で腕を組んで、ぐっと背筋を伸ばしてから。

 ぼくに、煽り立てるように、こう尋ねてきた。

「『隠す理由』ができたら、ケイヴィ君は嘘つきになれるって――そういうこと?」

 動揺したぼくが、更におかしなことを口走ってしまった可能性は、十分に考えられる。

 しかし、姉さんはすぐに自分で前言を撤回した。

「いや……でも、それは、ありえないか」

 ナイフの柄尻を顎に当てて、少し考えるような仕草を見せた後に。

 宣言するような声音で、ぼくに告げた。

「だって、ケイヴィ君はいつだって、この世界に従順な、幸せな囚人だから」

 言うや否や、姉さんはまるで堪えきれないかのように、


 ――あーーーーーーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ。


 快活と呼べばいいのか、狂気と呼ぶべきか。

 とにかく、とても楽しそうな調子で――姉さんは笑いだした。

「なにを言ってるのか、わからない……」

 顔を真上に持ち上げて、銀の髪を中空になびかせながら、軽快に笑い続ける姉さんに。

 ぼくは、そう呟くことしかできなかった。


 ――あーーっはっはっはっはっはっはっはっはっ、ひっひっ、はあっはっはあぁっ――。


 それ声を聞く素振りすらなく。

 テーブルに肘をついて、手のひらで口元を抑えて、それでもメロウ姉さんは笑い続けていた。

 少し、心配になってきた。

 ……大丈夫か、姉さん。

 最近、惑星開発局の任務で、重大な問題が起こっているとか? そうは思えないけれども。

 どう反応すればいいのか判然とせず、ぼくは奥に座る姉さんを見つめる。

 メロウディア姉さんは、しばらくテーブルの前に突っ伏して、その根拠さえ分からない大笑いの余韻を抑えていた。

 ふいに顔を上げて、

「……あー、笑った、笑った」

 実にけろっとした顔つきで呟くと。

 ぼくの方を見て、またくすくすと笑いだした。

 ……まったく、もう。

 これ以上姉さんと話していても、仕方がない。

 ぼくは立ち上がって、空になった皿を洗浄機の台座へと持っていく。

「あれ? もう食べ終わったの?」

「そうだよ。『囚人』らしくていいだろう?」

 このままメロウ姉さんのペースに乗せられていたら、いつのまにか洞穴どうけつに潜む少女についてさえ、べらべらと話してしまっているかもしれない。

 ぼくは自分の性格の、ある種の乗せられやすいところについても、ある程度はわかっているつもりだ。

 ひとつひとつの行動に、気をつけなければならない。

 『秘匿』の契約は、始まったばかりなのだから。




 ◆




 ベッドの上で、ふいに目が覚めた。


 はじめに視界に映ったのは、夜闇の覆う自室の天井。

 静かな夜だった。外の風音も、まるで聞こえない。

 泡沫建築固有の丸みを帯びた天井の表面を、コンピューター端末からの点滅光が僅かに青く照らしていた。


 眼をつむる。

 ベッドマットの冷たさに指を這わせる。


 まどろみの内側で。

 今日の昼に何度も聞かされた、切羽詰まった、まるで知らない言語で述べられた声が、反駁した。




 ――絶対に、わたしのことを、外の誰にも知らせないで。



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