2-6.ユーレイとお嬢はメロンって柄じゃなくないと思いつつ口には出さないカラセル


『ジャイアント・レギュレーション』の改訂というのは、カードゲーマーの立場からすればそれはもう一大事である。

 自分の愛用していたカードが禁呪指定により使用不能になれば、単純に考えてデッキの大幅な改修を余儀なくされるわけである。そのカードが抜けた穴をうまく埋めてくれる代用カードが見つかればいいが、なかなかうまくはいかないのが実情。


「<鎖状の牢殻>が使えなくなって、その状態からザイナーズとの勝負。……あれ? それって大丈夫なの?」


 ふと書類から目を上げるハクローに、ユーレイもため息を返した。

 流行りの強カードが姿を消せば、対戦環境は一変する。

 <鎖状の牢殻>の存在によって、サーチ・ドローを多用するデッキは抑圧されてきた。が、その<牢殻>が使用不能になった以上、押さえつけられてきたデッキたちが暴れだすのは明白で――

 そうしたデッキの猛威に、<鎖状>の牢殻>抜きで立ち向かわねばならない。

 チョキばかり出すのがわかりきっている相手に、グー抜きで戦うようなものだ。


「あれ禁呪になっちゃったらさ、【チェイン】って、だいぶ……野放しにならない?」

「……絶対、そうなりますよね」


 そしてなんとも不運なことに、この改訂で得をするのは敵国だ。

 ザイナーズとの戦闘記録は呪符課に保管されていて、現在、カラセルは自宅にて過去の対戦譜とにらめっこしながらデッキの調整中。敵と戦うのは彼の仕事で、ユーレイにできることはない。

 とはいえ、それでも焦るのが人情。


「……ふーむ」悩ましげに息を吐くユーレイを見かねて、上司から一言。

「行ってきたら?」

「はい?」




 そんなわけで、ユーレイは大玉のメロンを抱えてグランピアン市街を歩いている。

 陣中見舞い、というやつである。

 今は大した仕事もないし、様子くらい見てくればいいんじゃないの――軽い調子で出された半休だが、なにぶん根が真面目なユーレイは立ち寄った果物屋でもメロンを真剣に品定めした。たわわに実った果実を真剣に見据えるユーレイに対し、なぜかついてきていたハクローは「望みはあるわ。まだ若いんだもの」と何かを勘違いした優しさを向けてきて、ユーレイには意味がよくわからなかったのだが、わからないなりにこの上司はとりあえず速やかに塔へと帰らせた(仮にも一つの部の長が私用でオフィスを空けないでください)。

 

 木造二階の古びたアパート。きしむ階段を一段ずつ登る。

 別に、今日が初めてではない。カラセルがこちらに来てからというもの世話にあちこち連れ回されたわけだから、部屋に入る程度のことは決して珍しいことではない、が。

 なにぶんユーレイは純真なので、この部屋の戸を叩く瞬間、どうしても。

「はしたない」とか「まだ早い」とか、そういった感情が胸の中でぐるぐると渦巻くのを感じてしまって、頬が赤らむのを抑えられない。

 だから彼女は今日もいつも通り、深呼吸をして心臓を落ち着け、咳払いをして喉の調子を整え、万全のコンディションを整えてから二回ドアをノックした。


「失礼します、ユーレイです。差し入れなどお持ちしましたので……、ええと、その、お邪魔でなければですが」

「はいはい、どうぞお入りください」

「……はい?」


 女の声が返ってきた。

 鈴を転がすようなユーレイの声とは対照を成している、やや低めのハスキーな声である。けれど間違いなく男ではない。

 鍵のかかっていなかったドアノブは抵抗もなく回り、四畳半の狭い部屋へとおそるおそる足を踏み入れたユーレイが目にしたのは、

 小さなテーブルを挟んで向かい合う、カラセルと――見知らぬ女。 


「……こちらの方は?」

「今日が初対面。ガラの悪い連中に絡まれてたのを助けたらお礼がしたいって言われまして、聞けばカードゲーマーだっていうし、なんか話が盛り上がっちゃって」


 ユーレイより頭一つは低い、随分と小柄な女子である。身に纏う濃紫色のローブはかなり丈が長く見えるが、これでは裾を踏むどころか大部分引きずって歩くことになるのでは――と考えて、ローブのデザインに気づく。

 水兵服の意匠を取り入れているらしい、特徴的な襟。胸元に添えられたリボン。

 これも水兵のものを模したらしいマリンキャップを深々と被り、不自然に目元を隠している。


 ――このあたりでは、見ない格好だ。


 短く思考をまとめたユーレイは、「つまらないものですが」とメロンをテーブルにどっかと置いて正座する。


「じゃ、せっかくだし切ってもらおっかな」

「はい?」

「包丁とまな板。場所わかるでしょ?」

「……」そしてすぐに立った。

 包丁片手に戻ってきたユーレイを見て、女がくすくすと笑う。


「部屋のどこに何があるかを把握している。ひょっとして、お邪魔でしたかね」

「まあ、そういう関係にあるのは否定しませんが」

「してください」まな板を叩きつけた衝撃でテーブルがぐらりと揺れる。

 小芝居である。

 小芝居ではあるが、心なしか包丁を握りしめる右手には力が籠もり――

 そこで、ユーレイは静止する。


「あっと、これは失礼を。ローゼストの令嬢に包丁仕事なんかさせちゃいけないな」

「…………ええ。恥ずかしながらこのわたくし、生まれてこの方炊事場に立ったことが一度もないものでして」


 頬を引きつらせて合わせるユーレイに、カラセルは大仰に肩をすくめた。


「はてさてどうしたものかなあ。おれは死んだ爺さんの遺言で『死んでも刃物は握るな』って言われてるし……」

「なのに包丁は置いてあるんですか?」

「この世の七不思議ってやつですね」あまりに雑な返しではあるが。

「不躾なお願いで恐縮ですが……頼んでも、よろしいでしょうか?」


 ユーレイは大輪のひまわりのような微笑とともに包丁を差し出した。

 キャップの下に隠れた瞳――猫の目にも似た金色の瞳が、揺れる。

 水兵ローブの女はいつまでたっても包丁を受け取ろうとはせず、



 ユーレイが鋭く包丁を投げると、安物の刃は女の体をすり抜け――その背後、カラセルのベッドへと突き刺さった。



「一応聞くけど、なんでわかったの?」

「一応聞きますが、わからなかったんですか?」


 衣服に呪文を仕込むのは魔導兵装開発の基本であり、ゆえにユーレイは服飾デザインに関する知識が豊富である。そして何よりも、今は戦時中。

 水兵服。この服を好んで着る人間が、どこの国の者かなど――


「どう見ても、ザイナーズの人間。一目で看破してしかるべきです」

「さすが。あとはベッドを避ける配慮があれば言うことなかったんだけどな……」


 派手に破れた布団から派手にこぼれ出る綿を悲しげに眺める横で、

 がさつくホログラムの肉体をようやく整えた女が、そっと帽子を脱いだ。


 紫陽花のような紫色をした髪を、一房、サイドテールに括っている。

 猫目の金瞳。朱を引いた唇。不敵に釣り上がる口元――


「そこでばったり会ったってのはマジだよ。カードゲーマーってのもマジ。なんか急に押しかけてきた。名前は……」

「ユカグラと申しますわ」

「とのこと」ユーレイは腰の剣に手を伸ばした。

 敵国の人間というバイアスを差し引いても、いかにも性悪そうな女だった。



 海洋国家ザイナーズ。大陸――すなわち他の四大国からは切り離された、島国。

 潮風を前に鉄は錆び、木は朽ち、人は生活の糧を求めて海へ出て、飲み込まれる。命の根源たる海に細く長い国土を浮かすこの国は、綺麗事抜きの大自然の理に晒され続けてきた国である。漁に出た船は嵐に消えて、陸地にあってすら津波が襲い来る。

 が、魔法というのは世の理に逆らうからこそ魔法。

 そして、魔法を極めんとするのが魔導士という生き物である以上――この世の法則に歯向かうその気風は、環境が厳しければ厳しいほど、強く反骨の意志を育てる。

 要するに。


「降伏のチャンスを差し上げに来ました。あなたのような凡俗の血など、見るだけ無駄というものですから」


 ザイナーズ育ちの魔導士は、実力と口の悪さを併せ持つ。

 立体映像のみをこの場に飛ばしているらしいユカグラという女。小柄な体をふんぞり返らせ、長いローブの下で態度も大きく堂々と足を組む。


「えーっと、なにかな。使者みたいな人? それとも……」

「【コンセプター】には私が乗ります。聞いているとは思いますが、近いうちに」

「だよね。こんだけ態度でかいのが使いっ走りだったらどうしようかと思った……」


 そこでユーレイのじっとりした視線が飛び、カラセルは小さく弁解する。


「いや、マジで何も喋ってない。っていうか、マジで何しに来たのかわかんないんだよね。まさかパイロット同士カードゲーム談義しにきたわけじゃないだろうし、まさか本気で降伏しろとか煽りに来ただけじゃないだろうし……」

「あら、結構じゃないですか。同じパイロット同士のカードゲーム談義。実に結構」


 サイドテールを揺らしながらの微笑みは、心底から白々しい。


「魔導巨兵の発見から二〇年、世界がおかしくなって二〇年です。どうです?」

「どうです、とは」

「強い者が勝って生き残り、弱い者は負けて死ぬ。絶対普遍のルールです。なのにカードゲームというのは、その時々の引き運次第で強い者が負けることもあれば、信じられないような弱者がたまたま勝ちを手にすることもある。――そんなもので国の行く末が決まってしまうこの時代を、茶番だとは思いませんか。不合理だとは思いませんか? 事前の話し合いで強者がどちらか理解しそれで終われるならば、よほど上等な結末です」

「なるほどなるほど」カラセルがうなずく。

「なにぶんおれは凡俗なので、むずかしくて回りくどい話って理解できないんですよね。一言でまとめてくれないと。なので、はじめっから『ケンカ売りに来ました』ってだけ言ってくれれば十分です」


 煽り合いはカードゲーマーのお家芸、この程度の舌戦は先攻後攻のジャンケンにすら及ばぬ些事である。両者は一切表情を変えず、この場で最も一般的な感性を持つユーレイが腰の剣を抜いた。


「お帰りいただきます。なにひとつ建設的な会話になりません」


 細剣に彫り込まれた呪文をちらりと見て、ユカグラは嘲るように笑い――


「――……?」そこで。

 ただただ二人を見下すばかりだったユカグラの金色の目が、一瞬、困惑に揺れた。

 なにか、小骨が喉につっかえたような違和感を覚えているだろうことが、瞳の動きから読み取れる。


「……何か?」あからさまな動揺にユーレイが眉をひそめて問えば、

 ややあって、水兵服の魔導士はやはり見下したように笑う。


「……これはまあ、似てない兄妹ですわね。しばらく気づきませんでしたわ」


 さて。

 このとき、カラセルは冗談を飛ばそうとした。『彼女と間違われたことはあるけど、おれらが兄妹に見えるって節穴は――』初めてだね、そう言おうとしたのだが。

 その瞬間、刀身に彫り込まれた呪文が爆発的なまでの輝きを見せたので、すぐさま制止に回るほかなかった。


「褒められた人間でなかったのは確かですが」

「お嬢」

「あなたのような無礼者が、兄の知り合いにいた記憶はない」


 基本的にユーレイは善良な人間で、カラセルは初対面のときですら向けられたことがなかった。どころか、誰か他人にこうまで剥き出すところを見たことがなかった。

 明確な敵意。明確な――殺気。


「この女は兄を知っているようです。ローゼストの家、バベルの塔を挙げてなお、未だ消息の掴めない兄を」

「敷金というシステムがあるんだ。お嬢には縁のない話かもしれないけど」


 止めなければ、この四畳半がまるごと焼き払われたろう光。

 ユカグラは冷めた目で息を吐く。


「結局、降伏勧告は受け入れてくれないということでよろしい?」

「何もかもがよろしくない話し合いだったということで、よろしーです」

「はっ」無駄なことは嫌いな性質ですが、と吐き捨てて。

「となれば、あなた方には私が手ずから土をつけねばならないと。どこの馬の骨とも知れぬ賤民に、出がらしの妹。……つくづく、時間の無駄というもの――」


 ユーレイの太刀筋はユカグラの首をすっぱりと切り飛ばす形で入った。

 水兵服の少女の像が霧のように消え失せる傍ら、まだユーレイは剣を納めない。


「……ひとつ聞きますが」

「まずい情報は漏らしてないよ。ほんとに」

「……」呪文の彫り込まれた白銀の刀身。

 デコボコに映り込む自分の顔を、ユーレイはじっと見つめている。


 ――粗雑な安アパートとはいえ、カラセルは国を背負うパイロットだ。その身にはバベル最高位の魔導士たちがいくつも監視・保護の魔法をかけていて、実のところ情報漏洩に関する心配はさほどのものではない。

 が。


「……気になることが、一点あります」

「うん。おれもそこが気になってる」


 魔導巨兵のパイロットに選ばれておきながら、突如姿を消した兄。

 生まれも育ちもハイランド国民であるはずのボーレイ・ローゼストを、ザイナーズの人間が知っていた。否、あれは知っていたどころか――面識がある、とでも言いたげな。

 消えぬ憂いをひとまず振り払って、細剣を鞘へ納めるユーレイに――


「実際んとこ、どうなの?」

「……はっ?」


 テーブルの上に転がされていたメロンを指差し、カラセルが聞いた。

 ユーレイが目を丸くする横で、ベッドに刺さった包丁を抜く。


「や、あれはそういう演技だけどさ。実際んとこ、お嬢はメロン切れるのかなって」


「……」

「……」


「……あのですね。たかだか果物をひとつ切り分けるだけのことですよ」


 と言って、ユーレイは渡された包丁をさも当然のように逆手に握った。

「メロンごときに慣れも何も」と強硬に主張するユーレイを必死で止め、結局カラセルが切って、二人で食べた。

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