2-3.ユーレイと拍子抜け
塔の上へ行くほど重要度の高い部署が集まっている、というのがバベルの基本だ。ではバベル呪符課はどのあたりに位置するのかといえば、雲を貫いて伸びる塔のちょうど雲の中あたりに位置している。
無論、この位置取りは現代社会におけるカードゲームの重要性を反映している。が、それだけではなく、日々研鑽を積み続けるカードゲーマーたちの姿を、外部の目――他国の諜報員から隠そうという、心理的な意図もあったりする。
と、いうわけで。
「どうせ外見ても雲なのに、壁ぜんぶガラスで抜いてんのは何がしたいのか。っていうか、フロアまるごと闘技場って……」
「……あのですね、カラセルさん」
「あれかな、この上か下にまだ呪符課のオフィスみたいのがあるってことで――」
「――ちゃんとした格好で来てくださいって、わたし五回くらい言いましたよね!?」
雲の中にあるのは、闘技場。
【人生結局グッドスタッフ】の地下にあったあれよりもっと上品な、ともすればダンスホールにでも見えそうなほどの大広間。色とりどりの宝石をびっしり散りばめた豪奢なシャンデリアを、カラセルが物珍しそうに眺めている。
『無慈悲な夜の俺』とどでかくプリントされたシャツを着て、眺めている。
バベル最重要クラスの部署、呪符課。下りる予算ももちろん潤沢、塔のワンフロアをまるごと使ったこの闘技場の内装は、とても壮麗なものである。
そして場の壮麗さに比例して、そこを訪れる人間も相応の格好をしてきている。本日"選定の儀"に参加する呪符課の面々は、バベル指定の
魔導巨兵のパイロットという重大役職を決める決闘。国でトップクラスのカードゲーマーたちが一同に介し、実力を競う一大行事。参加するにしろ観戦するにしろ、ふさわしい格好というのがある。
だからユーレイも、今日はフォーマルな姿で参上したわけである。単なる付き添いに過ぎぬ以上目立つ色は避ける方針で、品の良さを引き立てるネイビーのドレス。長い金髪も後ろでまとめて、いつもより大人びて見えるスタイル。
「化ければ化けるって感じだよねー。そうしてると文句なしのお嬢様!」
「わたしの話じゃないんですよ今」
その隣で無責任に拍手するカラセル。<ドレスコード>とは何ですか、おれのデッキにそんなカード入ってませんよ、とでも言わんばかりの『無慈悲な夜の俺』。
「アテがないなら私のほうで見繕うと、きのう三回くらい言いましたね?」
「戦闘服なら用意してる、ってそのたびに答えた記憶があります」
「それのことだと知っていれば引きずってでも仕立て屋に行きました!」
さして長くもない付き合い、カラセルの普段着しか見たことのないユーレイは『あの人、まともな格好をするとどんな感じになるんでしょう』などと風呂でひとり考えたりしたわけである。バベル指定のローブを着せてみたり、パーティ用の燕尾服を着せてみたり、ちょっと趣向を変えて執事服を着せてみたり……しばし脳内で着せ替えを楽しんだのち、不意にものすごく恥ずかしくなって湯船にぶくぶく沈んだりしたわけである。ユーレイ・ローゼスト十六歳の思春期がそこにあったわけである。
それが蓋を開けてみれば『無慈悲な夜の俺』である。
最初その格好を見た瞬間、とっさに出てきた言葉が「愚か者!」だったくらいには、こいつは何をしているんだという話である(『愚か者』って素で言う人初めて見た、とはカラセルの談)。
「ううう……。ただでさえ悪目立ちの激しい立場だというのに……」
あからさまに場違いなシャツ野郎とその付き添い、明らかに視線を集めている。賭場上がりのカラセルは別段視線など気にならないのだろうが、ユーレイとしては相当肩身の狭い思いを強いられているわけで――
――視線の中に、見覚えのある顔を、ひとつ発見してしまった。
少し外します、と小声で言い残してカラセルのもとを去り――
壁際にひとり佇んでいた、短髪の男に声をかけた。
「……お久しぶりです。フラグライトさん」
「ん? えー……っと、」
意志の強そうな、くっきりした瞳が特徴的な男。栗色の髪は短く刈り込まれ、着ているローブもシワひとつなく新品同然に輝いている。水晶をあしらった詠唱魔杖を、儀仗兵のように捧げ持つ――"清潔感"という概念が服を着たような男である。
さて。
ユーレイが歩み寄ってくるのを見て、彼はまず不思議そうな顔をする。小さく一礼したユーレイが『お久しぶりです』と話しかけた瞬間も、数秒、考えるような間を置いた。
「……ああ! ボーレイ先輩の……」
「……はい。兄が、いつもお世話になっています」
フラグライトは困ったように目を伏せた。
「今は、過去形にならないことを祈るばかりだよ。『お世話になりました』、って」
――さして大声でもなかったその一言で、会場の空気が凍る。
そして何よりも凍ったのは、ユーレイの背筋。
ぎこちなく周囲に視線をやれば、養成所時代の顔見知りも何人か参加者に混じっている。観戦者の中には当時世話になった教官の顔もあって――
そうした顔ぶれが、ちらりとユーレイのほうを見やっては、
『ああ、あいつか』という顔をしている。
ボーレイ失踪についての真相――『辞表』の存在は、知られていないようだが。
定例から外れたこの時期に、パイロットを決め直すという異例。"何かがあった"ということは、当然、呪符課の面々にも知れ渡っている。
「ザイナーズのスパイにでも拉致されたか、それとも怖気づいて逃げ出したか……って、どっちにしてもガラじゃないか。殺して素直に死んでくれるならよっぽど楽な人だったからね」
肩を縮めて何度も頭を下げるユーレイを、フラグライトはそっと制した。
「何があったのかは知らないけど、呪符課だってカカシの集まりじゃない。後釜に座れるだけの実力はみんな身につけてるつもりだよ。……むしろ、直接あの人と戦って、あの人を超えた証明ができなくなったってのが心残りかな」
「それなら心配ございません。超えるべき壁なら、新しいのが建ったよ」
ユーレイの後ろから顔を出したカラセルに、フラグライトが目を留める。
カラセルのふてぶてしい面構えを見据えていたはずの視線がやがて、胸の『無慈悲な夜の俺』へ下りていくのも、ユーレイにはありありと見えた。
「『虹のカラセル』。名前くらいは、聞いてるよ」
「おや。ここでも有名人?」
「先輩がよく名前出してたからね。……栄えあるパイロットに選ばれた男が、いまさら賭場の人気者風情に目つけてどうすんだろうと思ったけど」
「へー。呪符課に知られてたとは」ちらり、とユーレイのほうを伺う。「妹のほうは、はっきり名乗るまでまったく気づかなかったというのに」
「……兄は、その。幼い頃から、使用人の目を盗んでは賭場に入り浸っていたような人間で……」
「人間で?」
「……要するに、兄の個人的な趣味ということです!」
「貪欲な人だったからね。常に新しいカードゲームを求めてた」
栄光のパイロットに選ばれた身を、呪符課という最先端の環境に置きながら。それでもなお満足することなく、市井の賭場まで情報収集の手を伸ばす。
在りし日の天才を懐かしむように目を細めてから――フラグライトは、その目をカラセルへと向けた。
「新しいだけの人間じゃない、中身の伴った強さがあることを。せいぜい、期待しているよ」
鋭い殺気を振りまきながら、呪符課No.2が二人に背を向ける。
いつも通り、なにか気の利いた煽りの一言でも返そうとしたカラセルが、しかし。
痛みをこらえるような顔で立ち尽くすユーレイの姿を見て、やめた。
「……なんだかなあ。そんなビクビクするほどのもんでもないと思うんだけど」
「……兄の行為が、各方面に迷惑をかけたのは事実です。そういう立場に兄はあった。それ相応の責任がついて回る……」
「有名人は大変ってこと?」
「有名なのは、あくまで、兄で」しばらく言いよどんでから、小さく。
「私は、その身内。……それだけです」
基本、ユーレイは誠実な人間だ。だから、彼女がいまさらカラセルの実力を疑うことはないのだが、それでも不安というのは残る。
フラグライトは呪符課でもボーレイに次ぐ実力者、けして避けては通れぬ壁。その実力をユーレイは身をもって知っているから、やはり心配になるのである。
大丈夫だろうか。
勝てるだろうか。
大丈夫だろうか――――
「<虹のリヴァイアサン>の攻撃! アルケミー……スパイラァーーール!」
「ぐわあああああああ……」
「…………あれ?」
至極順当に勝ち上がっていった二人は決勝で激突することになり、至極普通に接戦となり、至極普通にフラグライトがコンボを決め、至極普通にこのままでは危ういかと思われたしかしその返しのターン、至極普通に起死回生のカードを引いたカラセルが勝利した。
ユーレイも至極普通に息を呑み、手に汗を握り、時には声も張り上げて普通にカラセルを応援していたわけだが、歓声の中ふと我に返った。
――あれ、なんか普通に勝ちましたね。
ユーレイの立場からすればたぶん喜ばしいことのはずなのだが、どうにも釈然としない気持ちが残る。
え、この人呪符課のナンバーツー……。勝っちゃった? フラグライトさんに?
「<虹のリヴァイアサン>……。このデッキ、こうも練り上げた人は初めて見たよ」
「こちらこそ。さすがにナンバーツーってなると口だけじゃねえや、相当ヒヤッとしましたよ」
しかも勝負を終えたカラセルとフラグライトは固く握手などしていて、至極普通に仲良くなっている。奇抜なデッキ構築と戦術を用いたカラセルの戦いは見る者に強烈なインパクトを与えたらしく、最初は大道芸人でも見るかのようだった観戦者の面々も、今となってはファイナリスト二人の健闘に拍手すらしている。
謎のトントン拍子で進む事態、ユーレイは微妙に納得の行かない顔をするが――
拍手する観戦者の人波を割って現れた国王の姿に、とっさに表情を引き締めた。
「見事、と言っておこうか。腕前の証明はこれで成された、ご苦労」
カラセルをまっすぐに見据えての賞賛の言葉。それから、思い出したかのようにユーレイのほうへ視線を向けて、申し訳程度にねぎらいの言葉。
ユーレイのほうは『過分のお言葉です』とこのドレス姿で跪くべきか逡巡したのだが、カラセルはといえば肝の据わったもので、むしろふんぞり返って答えた。
「で、この後は表彰式とか記念式典とかがあるやつですか?」
「それが望みならそうしてやるところだが、今はそんな時間も惜しくてな」
軽口には大した反応を示さず、ジェレイン王は顎でエレベーターを指した。
「早速もいいところだが、次期パイロットに話しておくことがある。来るといい」
言うが早いが振り返って早足に歩き出す国王に、二人は顔を見合わせる。
「らしいよ、お嬢。じゃ、行こうか」
「……あの、私もついて行っていいんでしょうか?」
「ん?」カラセルが不審げな顔をする。「いや、一応お嬢がおれの身元引受人みたいな感じでしょ、今って。そりゃ来ないとまずいっていうか、……どしたの?」
「あ、……いえ。すみません」
どうも心ここにあらずといった調子のユーレイにカラセルはしばらく首を傾げ、しかし、エレベーター前で立ち尽くす王をこれ以上待たせるわけにもいかず、ともあれ二人は歩き出した。
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