2-2.ユーレイとお食事処


 国王の肖像画と金額の他に、とある呪文が印刷されている。

 それが、ハイランド国内で現在流通している紙幣である。

 要は呪符と同じ理屈ではあるが、といってもそれは呪文というほど大層なものではなく、単なる識別コードのようなものだ。これは1ガル紙幣、これは10ガル紙幣、これは100ガル紙幣、その区別。

 そんなコードがいったいいつ必要になるのかといえば、こういう場面である。


「……ど、どうぞ」

「……」


【地雷庵】という名のその店は、古めかしい木造の店作りが特徴的な食堂である。小綺麗にしてあった【人生結局グッドスタッフ】と比べれば瞭然、床も机も黒っぽい色をした木材で統一され、ところどころにささくれが見えるその木が年季を演出する。

 ユーレイとカラセルを除けば、店内は完全な無人。

 ただ、二体のゴーレムがカウンターに無言で立っているだけである。


「……」


 ユーレイが差し出した紙幣を受け取ったのは、木製のゴーレム。店の背景に溶け込んでしまうのを防ぐべく、明るく白っぽい色の木を原材料として作られている。


「…………」


 ゴーレムはぱかりと口を開けると、受け取った紙幣を飲み込んだ。

 途端、目の空洞にオレンジ色の光が灯る。――金額認識、排出。

 が手を差し出すと、その手のひらに四角い穴が開く。直後、そこから飛び出してきたのは――びっしりと呪文と魔法陣の描き込まれた、呪符。

 指先でつまんだその呪符を、無言のまま隣のゴーレムへと手渡す。

 頭にバンダナを巻いたこちらは調理用の銀製ゴーレム。同じように呪符を飲み込むと、その目に光を灯らせる。――注文認識、『豚肉パイ』『コーンスープ』了解。

 がしゃんがしゃんと金属の足音を立てながら、ゴーレムは厨房へと消えていく。

 符売ゴーレムを無事利用できたことにユーレイが密かにガッツポーズを取る横で(名家の淑女たる彼女は普段こういった店をあまり利用しない)、カラセルがぽつりと呟いた。



「……いっつも思うんだけどさ」

「はい?」

「ああいうのって、食符の偽造とかされたらどうするつもりなんだろ。タダ飯食い放題にならない?」

「ええと、ですね……。紙幣の識別コードがそう簡単に複製可能でないのは、知っているかと思いますが」


 黙々と麺棒を転がしてパイ生地を伸ばすゴーレムが、厨房の奥に見える。


「この店の食符も同じです。材料、調理手順、隠し味……そういった秘伝のレシピを余すところなく、かつ高度に暗号化して、これだけ小さな呪符に詰め込んでいる。部外者がそうやすやすと解析・コピーできるものではないのです」


 えへん、となぜか自分が胸を張るユーレイに、カラセルが適当にうなずく。

 銀の体を熱気に曇らせたゴーレムが焼けたパイの皿を持ってきて、


「――じゃ、ないんですよ。そんな話をしにきたんじゃないんですっ」


 ユーレイがカウンターを軽く叩いた。


「わかってるんですか? 今のあなたはあくまでパイロット『候補』であって、"選定の儀"を勝ち抜かないことには正パイロットになれないんです。今は、気を抜いていい時期では……」

「とはいえ、おれは負けたら負けたで賭場暮らしに戻れば済む話」

「……『ジンクスを気にする生き物』がやる前から弱気にならないでくださいよ!」


 白いローブの内ポケットから眼鏡を取り出して、かける。

 それを押し上げるついでに、つるの部分にそっと手を触れると――フレームに刻まれた術式が起動、薄緑色に光るレンズが虚空にホログラムの資料を投影する。


「カードゲームというのは、事前の情報収集と戦術策定……そして、綿密なデッキ調整によって勝利を呼び込むゲーム。時間なんていくらあっても足りない」

「……勉強家なんだねえ、お嬢は」

「お褒めの言葉でいいんですよね」


 顔写真、使用デッキ、プレイングの傾向。そういった情報が整然とまとめられた資料を流し読みながら、どうでもよさそうにミートパイをかじる。


 ――"選定の儀"。『この国で一番強いカードゲーマー』を選び出す儀式。

 バベルの塔が誇る『呪符課』。この国でも選りすぐりの才あるカードゲーマーのみが集められた、普段からカードゲームの腕を磨くことを業務としている課。

 その課の構成員が全員参加で行われるトーナメント戦。そこで最も優秀な成績を収めた一人だけが、【シルバー・バレット】のパイロットに選ばれる。


 そして、ここはゴーレムによる店内無人化を実現した【地雷庵】。

 カードゲーマーにとって、情報とはすなわち命である。自分の戦略が相手に割れれば対策を取られるのは必定――そうした情報の漏洩を心配することなく話ができる場所。カードゲーマー御用達の、隠れ家的食事処。

 今日、二人がどうしてこんな店に来たのかといえば、それはもちろん――

 いよいよ来週に迫った"選定の儀"への対策本部、それ以外にない。


 ボーレイ・ローゼストの失踪により、定例から外れた時期に急遽開催されることとなった儀式。普通に行くなら一般のカードゲーマーなど呼ぶことはなく、呪符課の面々のみを集めて内々で行うのが妥当だろうが――

 王の意向によって、この緊急事態だというのに出場枠を設けられた一般カードゲーマーが一人いる。


「あなたの実力を疑うわけではありませんが、呪符課はプロの集まりです。パイロットを目指すのであれば、その全員に勝たなければならない……」

「つっても、そこのナンバーワンが今行方不明って話じゃん?」

「……当たり前の話をしますけどね、トップの下には二番手がいるんです!」


 ホログラム資料のひとつを指先で拡大、これを見ろとカラセルに示す。


「ウェアー・フラグライト。お兄様も一目置いていた、優秀なカードゲーマーです。順当に行けば次のパイロットはこの方になるはずで、そうなってもきっと誰からも不平なんて出ないくらい強い方なんです。そんな人にも勝たなければならないんです」

「兄貴が四つ上っつって……、お嬢って歳いくつだった?」

「――十六ですがそれがなにか!」

「あーじゃあこいつも同い年か。それで次席は偉いのかな確かに」


 ふむふむと顎先を撫でながら、フラグライトのプロフィールを読んでいる。

 ユーレイはすこし微妙な顔で続けた。


「年齢とカードゲームの腕にどの程度相関があるかはわかりませんが……、フラグライトさんが偉いのは、まあ、確かです。ですので、この相手に勝つつもりであれば、あらかじめ対策を練っておくのは必須……」

「…………」

「どんなデッキを使ってくるかまでは、当日にならないとわかりませんが。どちらかといえばあの人は、単純なビートダウンというより、コントロール寄りの戦術を好む人です。となると……あの、何か?」

「いや……。知り合いなのかな、って」


 "あの人"や"フラグライトさん"といった呼称の微妙なイントネーションを、カラセルは耳ざとく聞き取っている。

 まったく見知らぬ人間のことを話しているならこうはならないという、


「……」カードゲーマーというのは、そのあたりの観察眼がいちいち鋭い。

 だから、ユーレイは微妙に顔をそむけると、こう答えた。


「……養成所、時代に。何度か、手合わせしたことが……あります」

「あー、養成所。なるほど養成所……、……ん?」


 カラセルは一瞬不思議そうな顔をしたが、それだけだった。ユーレイは視線をわずかに落としたまま目を合わそうとせず、だからそれ以上何も聞かない。



 気づいていないわけではない。



 魔導兵装開発部。別段、カードゲームとは関係のない部署。

 そんな部署に所属する人間が、どうして養成所に通っていた過去などを持っているのかという疑問に――気づいていないわけでは、ない。



  *  *  *



 この時代、戦争の勝敗は魔導巨兵同士の勝負によって決まる。

 そして巨兵同士の決闘はカードゲームの形をとるわけで、つまりこの時代、国の行く末はカードゲームによって決定される。

 となれば、当然。

『軍人を養成する学校』があるのと同じレベルの必然で、『カードゲーマーを育てる施設』というのが作られるわけである。それが養成所というやつだ。


 養成所で優秀な成績を残した者は、呪符課の職員として"バベルの塔"への入塔が許される。呪符課で最も優秀な成績を残した者は、この国で最も強いカードゲーマーとして【シルバー・バレット】に乗ることが許される。

 国防の任を一手に担う、この国で最も栄誉ある役職。そこへと続く階段の一段目が、養成所というものだ。


 自分の子供を養成所に入れ、カードゲーム英才教育を施す。

 そうすれば、いずれ我が子は最大級の名誉を一族にもたらすかもしれない。


 今となっては別段珍しくもなくなったその考え方に基づいて、名門ローゼスト家の子供――ボーレイとユーレイの二人は、幼いころから養成所に通わされていた。


 養成所内で一定以上の成績を収めた者は、"昇格戦"と呼ばれるトーナメント戦への参加を許されることになる。年に一度だけ行われるこのトーナメントで、二位以上に入ることができれば、呪符課への編入が認められる。

 

 年に二人の狭き門。


 それを難なく潜り抜けたのが、ボーレイだった。


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