2:規則は守らなくてはならない

2-1.ユーレイとお引っ越し


 ――カラセル・クラインという人間について。


 賭場、【人生結局グッドスタッフ】周辺を活動拠点とするカードゲーマー。この近辺では人気ナンバーワンのカードゲーマーとされ、その実力は確かといえる。

 裏路地の安宿に部屋を借りていて、普段はそこで寝泊まりしているとの証言。

 もともとこうした場所の安宿は、家のない人間が寒さを凌ぐのによく利用しているとのこと。カラセルの場合はその宿の女主人が彼のファンだというのも大きいようだ。

 漆喰の剥げたボロボロの壁に、ベッドひとつが部屋の半分を埋めるほどの狭い空間。ただでさえ手狭な床は、散らばる呪符やら古新聞やらで足の踏み場もなく――


「と、そこグリープ寝てるから気をつけてね」

「ひいっ!」


 ……次点、グリープ・デザイアーもこの部屋で起居している模様。

 古馴染みとのことではあるが、詳細は不明。ただ、うっかり頭を蹴ってしまうほど狭く散らかった部屋で一緒に暮らせる程度には、気心の知れた仲である……らしい。

 床を埋める呪符の海からざばざばと音を立てて這い出してきた(グリープのぶんの呪符は鉄なので本当にこういう音がする)その眠そうな瞳が、カラセルのほうへ。


「……? …………何時間寝ていた?」

「丸一日。おまえマジでその三徹一寝サイクルやめたほうがいいと思う」

「…………」


 続いて、呆然と立ち尽くす来客のほうへ視線をやり、それが何者かを察知。


「え、ええと、その。お邪魔しています。……あと、蹴ってしまってすみません」

「…………ああ、いや。こちらも、この前はすまなかった」

「えっ」


 まあ座れ、と簡素なベッドを示すグリープに従い、着席。

 ――え、この人たしかこの前はすごく怒っていたはずでは……。


「そいつ、そのときの睡眠時間でだいぶ思考回路変わるからね。後でちゃんと話聞いたら、因縁つけに行ったのあのバカ二人のほうじゃねえかって理解できたらしい」

「…………」


 何周思考を巡らせても「よくわからない人ですね」以上の言葉が出てこなかったので、まあ、この人の生態はさておき。


「――あ! カラセル兄ちゃん!」

「帰ってきてたんだ……!」


 子供に慕われている、らしい。

『っていうか、狭い』の一声でカラセルは隣の大部屋へと移動(グリープは二度寝を始めたので放置)。入室と同時に駆け寄ってきたのは、ボロを着た子供たちである。

 ささくれだった木の床に、ベッドも机も一切ないがらんどう。物置棚のような棚だけが四方を埋めている大部屋だが、しかしその棚では大勢の貧民たちが眠っている。


 布団も何もないが、屋根だけはある。


 本気で金と住む場所に困る層が、身を寄せ合って眠る場所。設備もサービスも快適性も皆無だが格安のこの部屋に、日雇いや賭博で得た小銭を払う。

 今日この部屋で寝ている人間は、明日には路上で眠っている。今日路上で夜を明かす人間は、明日にはこの部屋で身を休めている。

 そんな具合の交代制になっているのだ、とカラセルは語った。


「おれも昔はこんな感じの子供だったからね。や、まったく馴染み深い空気ですよ」


 と言いながら、騒ぐ子供たちと一緒になって呪符遊びに興じている。

 不要な呪符を与えたり、デッキ構築・プレイングのコツを教えたり。親のない者も多いであろう子供たちに、カードゲーム教育を施している模様。


「最悪、カードゲームさえできればなんとか生きてく目はあるわけね、このへん。賭場でもなんでも入り浸ってさ、おれ自身がそういう感じでやってきたわけだし」


 ――賭場で出会った一人のカードゲーマーに呪符戦のコツを教えられ、それ以降、その人の背中を追って、今の位置まで上り詰めてきた。

 それが自分という人間なのだと、そうカラセルは語るものの。

 初対面からの言動を鑑みるに、この男はいまいちつかみどころのない人間である。とりたてて隠す様子もなく淡々と語られた来歴だが、これもどこまで信用していいものか――


「おねえちゃん、なに書いてるの?」

「――はい?」

「きれいな服……。ねえ、これバベルの服だよね。バベルから来たってほんと?」

「ねーねーなんて書いてるのそれ。見せて! 読んで!」

「あっ、ちょ……っ。いや、これは……」

「これは?」

「「これはー?」」

「……」

「……」


「……これは、そう。――秘密の報告書です! 国王に提出するための!」

「「「おおー!!」」」

「ですから! あなたたちに読み聞かせてあげたいのはやまやまなのですが、私もバベルに仕える身である以上そういうわけには……あっ待ってください、だめです、ほんとにだめなんです、返し……きゃっ! ちょ、何を……いたっ! ――こら!」


 ――子供の相手は苦手じゃない模様。が、遊んでやっているのか、それとも遊ばれているのかは……判断保留ということにしておきます。これが慈悲ってやつですね。

 傾向としては、予想外の事態に出くわすと妙に思い切りが良くなる印象。追い詰められると変なことを言う。つまりはテンパりやすいというか暴発しがちな性質というか、『意外とノリがこっち寄り』というレマイズの指摘はそこそこ妥当と思われる。

 という分析を総合して、『からかうと面白い子』。いじめたくなる体質ともいう。


 以上、代筆カラセルでした。



  *  *  *



「仲良くやれてるみたいじゃない?」

「違うんです。ちがうんです……」


 "全身兵器"という物々しい異名で呼ばれるハクローは、その全身に無数の魔法陣と呪文のボディペイントを施している。白い素肌を埋め尽くすほどにおびただしい数のペイント、完遂には人の手を借りることが必須。ソファにふんぞり返ってすらりと滑らかに足を組むハクローと、その素足の甲に細い絵筆で魔法陣を描きつけるユーレイというこの図がまさにその現場である。

 が、ハクローはふと隣のデスクに置いてあった書類を手に取ると起動、空中に魔力のホログラムを投影すると何気なく黙読を開始する。別に読まれて困るものでもないかとそれを流したユーレイだが、しかし彼女は今このときまで"代筆"部分の存在を知らず、ハクローがくすくす笑い始めたあたりで気づいて盛大に絵筆を滑らせた。


「いえ、本当にあの人は、その、初対面から無礼なことばかり……」

「うん。少なくとも分析については的確な読みだと思うのね」


 動揺のあまりなぜか魔法陣ではなく犬の絵を描き始めたユーレイを見ながら、慈愛の声色でハクローは続ける。


「ま、抜け目がないってのはカードゲーマーとして悪いことじゃないでしょ。どう? フラグライト相手でも勝てそう?」

「……それ以前に、王の許可が下りるかどうかが心配です……」


 何のためにこんな資料を作っていたのかといえば、それは王に見せるためである。

 元が当てつけから始まった話だとか、結局手玉に取られっぱなしだったとか、そういう諸々はさておいて。ひとまず有力なパイロット候補を見つけ出せたのは事実であり、となれば王へカラセルを紹介するところまでがユーレイの仕事だ。

 王とカラセルを引き合わせる前に、一通りの身辺調査は済ませておく。

 そういう心づもりで、ユーレイはせっせと資料を書き上げたわけだが――


「一任する」

「はい?」

「"選定の儀"までの間、その男の世話は君に一任すると言っている」


 いざ執務室へ参上してみると、王の返事は十数秒で終わった。

 現時点ではあくまで『候補』。"選定の儀"で結果を出すまでは、顔合わせすらすることはない。

 それが王の方針であるらしい。無論ユーレイの書類など読まない。


 一任。世話は君に一任。


 ――いや、一任と言われてもですね。


 どうしたものかと書類を焼却処分にしながらユーレイは悩んだ。当然ながら彼女は良家の子女、殿方の身の回りの世話など経験しているほうがおかしい。が、とはいえ生活の面倒を見ると本人にも言ってしまった手前、それを果たさないのも不義理。

 ユーレイは基本的に根が真面目な少女だ。

 というわけで、ここからは迷走の記録となる。


「そういう部屋に住んだ経験がないので、感覚がつかめないところはあるのですが。やはりその、お手洗いと浴場は別々のほうがいいんですよね? となると……」

「うん。お嬢が住むわけじゃないんだからさ、そのへんは適当でいいんだよ別に」

「あ、ペット可。ペット……。……あの、そういったご予定は」

「もしかして話聞かないタイプかな?」


 住宅情報誌を山のように抱えたユーレイと、その後をついて歩くカラセル。生真面目ガイドの引率で行くグランピアンお部屋探しの旅である。なお予算はバベルのほうから出るということでなんとか話がついた。

 つきはしたのだが。


「手近なところだと、このあたりになるかと思うのですが……」

「ちょっと待って。ちょっと待ってねお嬢」

「はい」

「なんで初手から当然のように一戸建てを探し始めたの?」

「え、なにかお気に召さない点が……?」


 生真面目かつ加減と世間を知らないガイドの引率である。最終的にカラセルのほうが「部屋だけ適当に借りられればいいから」という遠慮を押し通したほどには。

 安い木造アパートの一室に二人して荷物を運びこみながら、ふとカラセルが言う。


「衣食住と言いますし、あとはこのへんの飯屋でも教えてもらえれば万全かな」

「食事……ですか」

「そ。よく行くおすすめの店とか、ない?」

「……」


 ちょうどそのときユーレイが抱えていたのは、衣装箱。

 同年代の男子が普段身につけている衣服の入った箱である。どことなく漂う香のような匂い、気恥ずかしさから目を逸らすようにして運んでいたわけだが――

 呪符を詰め込んだ箱を抱えて窓際に立つカラセルは、『落とし穴』の四文字が大きくプリントされたシャツを着ている。

 衣装箱から、一枚のシャツをつまみ出す。『天の光はすべて俺』と書かれている。


「私が普段行くようなお店は、ちょっとその非常識な格好をどうにかしてからでないと……」

「カードゲーマーっていうのはね、ジンクスを気にする生き物なんだ」


 衣食住ならまず衣を気にしろ、という指摘は完全にスルーされる。


「たとえば一日三食きっちり食べるとして、十日で三〇食食うことになるわけだよね。で、カードゲームをするにあたって必要なのも、三〇枚のデッキ。そしておれのデッキは三〇枚三〇種、同じカードが二枚と入ってない特殊構築なわけです」

「……つまり?」

「十日で三〇食、全部違うメニューを食べるよう意識してるって話ですね。このサイクルを破るとね、なんか不思議と調子が出なくなる」

「…………」


 ユーレイは基本的に根が真面目な少女だ。

 というわけで、翌日のユーレイはエプロン姿でカラセルの部屋を訪れる。


「まとめてきました。バベル上層部御用達の隠れた名店から、広く一般市民に支持される大衆食堂まで。グランピアン食べ歩きマップというやつです」

「うん。まさか本気にするとはちょっと思ってなかったよね」

「とはいえ外食のみではローテーションにも限度があるかと思われますので、んしょ、そのあたりは、適宜自炊も交えていく……えいっ、方向、で……」

「……」

「……あれ、えい。えいっ。くっ……」

「あの、手伝おうか?」

「……結構ですっ!」


 なお、ユーレイはメイドや女中をむしろ使う側の身分、炊事場に立った経験などない。ゆえに、エプロンの紐が後ろで結べない。

 結局、その日は二人で近場の大衆食堂へ行くことになった。

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