1-14.ユーレイとわたしあの人だいっきらいです


 しばらく勝利の実感が持てなかったユーレイにとって、それからの時間は夢のように過ぎた。

 菓子の空き箱やら紙コップやらカードやらが、野次や歓声と一緒になって雨あられのように降ってくる。そんな中、カラセルは大の字に倒れ伏したグリープに歩み寄ると、手を差し出した。


「約束は約束。このお嬢さんもまあちっと失礼な……失礼なとこが……、……あったんだっけ? まあともかく、何にしてもそれはこの決闘に免じて許すってことで」

「……構わんさ。おまえと闘えた、それだけで俺は十分だ」


 幽鬼のように重みを感じさせない動作でふわりと起き上がる。纏う衣服は衝撃波によってズタボロになり(ユーレイは頬を赤らめて目を逸らした)、破れ目からのぞく生白い肌のあちこちから血が滲んでいるにもかかわらず、グリープはその細腕のどこにそんな力が眠っているのかと思わずにはいられないほど軽やかに、気絶しているリビドーとアパタイトの二人を担ぎ上げた。


「寝ている暇などないのだと、世界にはもっと上が大勢いると……それが理解できただけで、この人生を……有意義に……生きていける」


 寝たほうがいいと思うんだけどな、という至極真っ当なカラセルの反応を背に受けながら、グリープは去っていった。

 最後までわけのわからない人でしたね、というユーレイの感想はさておいて。


 海竜ただ一匹だけを己がしもべとして従えて、多種多様な呪文を手足のごとく自由自在に操り闘う――賭場ナンバーワン、『虹のカラセル』。

 その実力をもはやユーレイはまったく疑っていなかった。この人になら兄の空席を任せられるかもしれないと思った。

 一時はどうなるかと思ったものの。紆余曲折の冒険の果てに、ようやくユーレイは本来の目的を達することが――


「いや、乗らないけど」

「……はい?」


 できなかった。


  *  *  *


 長い階段を上って【人生結局グッドスタッフ】店内に戻ってきた二人は、今一度コーヒーを片手に交渉の席についていた。

 さりげなく伝票をこちらに滑らせたカラセルの行動にも目をつぶっていいかなと思う程度には、ユーレイは上機嫌だったのだ。


「……すみません、もう一度お願いできますか?」

「【シルバー・バレット】でしょ? おれは別に乗る気ないって言ってんの」


 それがどうしたことだろう。戦闘中の鋭いカードさばきが嘘のように、今のカラセルは気が抜けている。


「だって、ねえ。魔導巨兵に乗るってことは、国の命運を背負うってことで……そんな面倒なことを、おれがやりたがるわけないでしょう? 責任重大。ガラじゃない」

「で、ですが……これは国の存亡にかかわる問題ですよ!?」

「あのさ、これ一応機密情報とかそういうのじゃないの?」


 あくまでクールなカラセルの制止に、思わず立ち上がってしまったユーレイは顔を赤くして座り直す。動揺を鎮めるために勢いよくコーヒーを呷って、むせた。


「おれはね、お嬢さん。何がしたいかっていうと、カードゲームがしたいわけ」

「……【シルバー・バレット】のパイロットになれば、嫌でもカードゲームができます。ごほ。それに、この国が失われたら……こほっ、カードゲームの相手だって失われてしまうでしょう。けほ」

「人間二人とデッキが二つ、それだけあればカードゲームはできる。それがどこの国であってもね」


 レマイズが持ってきてくれたお冷を涙目で飲んで喉を整えるユーレイに、カラセルは亡命をほのめかす。

 ハイランドという国に特別の愛着や忠誠があるわけではない。その気になればどこへでも逃げられる――静かに笑うその顔が、なぜだか兄の顔と重なった。


「っていうか、そもそもの話だよ。おれみたいな路地裏の賭場上がりが魔導巨兵乗りますって言ったところで、どーせろくにお給金も出ないでしょ? こんな薄汚いクソガキなんて、テキトーに安く使い潰して終わり。もっとちゃんとしたパイロットが見つかるだけの間に合わせ、その場しのぎの消耗品。そんなところでしょ」

「――それは違います! 【シルバー・バレット】搭乗員という大役……望むならきっと、十分な額の報酬が約束されるはずです!」

「って言ってもなー、別にお嬢がバベルのそろばん弾いてるわけじゃないでしょう」

「そんなことはありません。給金なら、ちゃんと――」


 ――ちゃんと、出るんですよね?

 ……あれ、そういえばそのあたりの話をぜんぜん聞かされていないような。


「なんの後ろ盾もない根無し草、どーせ多少ちょろまかしたところでバレないだろって舐められて、相場よりずっと安い給料でこき使われるに決まってるんだ」

「……少なくとも、ジェレイン王はお金をケチる人ではありません。……おそらく。そこだけは、保証、できる、はず、ですので……」

「なんか目が泳いでるよ、お嬢」

「う、ううう……」


 なにぶんユーレイは善良純真かつ極めて真面目な少女なので、正直なところ交渉人という役にまるで向いていない。のらりくらりとした態度を崩さないカラセルを前にして、テーブルにしがみつくユーレイはどんどん小さくなっていく。

 が、彼女としてもここで引き下がるつもりはないのである。

 百聞は一見にしかず。当初民間人の起用に難色を示していたユーレイも、『この人であれば』という信頼をカラセルの実力に寄せ始めている。それに――


 ――この人は、どことなく兄に似ている。


「……私が払います」

「お?」

「――万一、国のほうからあなたに報酬が出ないというようなことがあれば! 私のほうから十分な額の報酬をお支払いいたします! ですから、【シルバー・バレット】に乗ってください!」

「わあ頼もしい。でもなー、お嬢のお財布それで大丈夫?」

「ご心配には及びません。これでも私はバベル所属……身に余るほどの十分なお給金を、国からいただいていますっ」


 と言ってふいとそっぽを向くユーレイのこの言葉は真実ではある。真実ではあるが、まあ売り言葉に買い言葉。自分がそこそこ熱くなりがちな性格であるとユーレイは自覚していない。


「ふーん。で? これから毎朝こんな迷路みてーな路地裏からいちいちいちいちバベルまで通勤しろって言うんだね」

「それなら交通費もこちらで……」

「こちらで?」

「……住むところも私が見繕ってさしあげます!」

「さすが太っ腹。でももう一声!」

「家賃でも食費でも雑費でもなんでも、最悪、私が面倒を見ます! ですから……」

「――よし乗った! おつかれさまでした!」

「【シルバー・バレット】に……え、はい?」


 ヒートアップしていくユーレイに冷や水をぶちまけるかのごとく、突如カラセルはテーブルに一枚の呪符を叩きつけると立ち上がり、隣のテーブルへと歩いていった。


「どーも、どーも。いやー、今日も勝ったって感じの顔してるよね、うんうん。となるとその勝ちの立役者はおれで、じゃあおれに一杯奢ってもいいと思わない?」

「げ、カラセル……うるせえ、テメーに張っても配当なんざ知れてんだっての」

「ちっとは負けるようになってから言えバカ」


 見知らぬ男たちと憎まれ口を叩き合うその姿を横目に、テーブルに置かれた呪符へと目をやる。

 カード名は、<録音ロック・オン>。


『――私のほうから十分な額の報酬をお支払いいたします!』

『家賃でも食費でも雑費でもなんでも――』

『私が面倒を見ます!』


 何もない空間から、ユーレイの声がひとりでに聞こえてくる。


 しばらく呆然とそれを聞いてから、とっさに、その呪符を手に取ろうとして――

 それより早く、いつの間にか戻ってきたカラセルが<録音>の呪符を奪い取る。


 まだ口をぽかんと開けているユーレイの視線などお構いなしに、カラセルは<録音>を無造作にポケットへしまうと、別のテーブルへと歩み去る。

 音もなく歩み寄ってきたレマイズが、ユーレイの肩を優しくぽんと叩いた。


「お姉さんは、将来、素直で優しい良い魔導士になると思います。でもね、やっぱりこーいうとこにはちょっと向いてないとあたしは思うなー……」

「――――!!」


 思わず椅子をひっくり返しながら立ち上がるが、店内にカラセルの姿はない。

 初手からフルネームを伏せた所業。わざわざ念入りに言質を取るこの態度。

 なにぶんユーレイは良家のお嬢様、こういう男の相手は初めてである。


「……なにから、なにまで、……え、え、――なんなんですか、あの人!?」

「ご愁傷様でーす……」


 つまるところ、この交渉の席はユーレイの完全な敗北であった。


  *  *  *


 店内隅のテーブルには、陰鬱な表情をした数人の男がたむろしていた。

 今回のカラセルとグリープの試合、グリープの勝ちに賭けていた連中である。


「……今日こそは、あいつの負けだって思ったんだがなあ……」

「マジでわかんねえ。なんなんだあいつは。なんであんなデッキで勝てる?」

「いや、なんであんなヘラヘラした野郎に誰も勝てねえんだよ……」


 カラセルがトップでグリープが二番手、大勝ち狙いで後者に賭けて有り金を呑まれた男たち。安酒をちびちびと飲みながらカラセルへの、愚痴をこぼしている。

 そんな闇に包まれたテーブルに目を留めた看板娘レマイズは、せめてもの情け、少しくらいは場を盛り上げてやろうと男たちのもとへ歩み寄った。


「パーッと飲んで忘れましょー。それでは音頭はわたくしが」

「うう……」

「じゃ、アンケート取るから手ぇ挙げてねー。『ぶっちゃけ、カラセルのこと嫌いな人』ー?」

「はいはい」

「はーい」

「ういーっす」

「はーい……」

「よーくわかりました。じゃ、あの愛すべき憎まれ野郎に――かんぱ」



 ――――バァン!



「い……」


 そのとき店中に響き渡った音に、テーブルにいた男たち全員、レマイズまでもが言葉をなくした。

 普段の上品さをすべて投げ捨て、ずかずかとイノシシのように肩を怒らせてその席へ突進してきたユーレイが、両手でテーブルをぶっ叩いたのである。

 酒を注いだグラスがゆうに十センチは宙を舞い――ごとごとと音を立ててそれらグラスがテーブルに戻った瞬間、ユーレイは頬を膨らませて吠えた。


「――はいはいはいはい! わたしもです! わたしもあの人むかつきますっ!」


「……」

「……」


 事情のわからない男たちは、みな一様に顔を見合わせて――


「……いや、ごめん。ちょっと訂正」


 しばらくぽかんと口を開けてから、それから、レマイズは苦笑した。


「案外、ノリは向いてるかもしんない……」




「――わたし、あの人だいっきらいです!」




 魔導巨兵同士の戦争が国の行く末を決めるようになり、それに伴い『強いカードゲーマー』の地位が大きく向上した時代。

 国の誰よりも強いカードゲーマーを兄に持つ少女は、その兄が逃げ出したことによって、今日、『虹のカラセル』というカードゲーマーと出会うことになった。

 その出会いは、国にとって、そして彼女にとって――はたして、良き巡り合わせということができるのかどうか。それはまだわからない、が。


 カラセルというカードを引いた、この一ターン目でのユーレイの感想は――

『最悪なカードを引いた』、である。

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