1-12.ユーレイとvs国民総カードゲーマー化政策の弊害―③
――上級使い魔と下級使い魔の差異は、召喚に必要な魔力の量だ。下級よりずっと強大な力を有する上級使い魔は、絶えず魔力を供給し続けなければ、使い魔としての形を維持できない。
呪符とビットを連動させ、使い魔が倒れればビットも砕け散る――要は、結界呪文と同じ理屈だ。呼び出す使い魔が強ければ強いほど、数多くのビットが必要となる。
ダイヤモンドが五つ連結し、グリープの頭上で五芒星を作った。
「たとえば、俺が部屋で眠っているとする。幸せな夢を見ているとする。そんなとき、たまたま部屋にやってきたおまえが、眠っている俺に心底意地の悪い笑みを向け……俺のこの鼻と唇を、指でつまんで塞いだとしよう」
「おれがそんな真似したことあったか?」
「五回目で俺がキレて以来は、無い」
「ごめん」
覚えてやがったかとクラインは自分の額へ手をやった。緊張感がまるでない。
が、グリープの背後にそびえ立つ巨大な門は今まさに開きつつあった。
「肉体の苦痛は夢に反映される。俺は五回とも溺れる夢を見た。深い深い海の底で、息もできずにもがく夢を見た。<フィードバック:ナイトメア>の効果――デッキから、<
灰の五芒星の中央で、魔力の光に鉄の呪符が溶ける。液体鉄が星の輪郭を一筆書きに満たすと同時、グリープの背後に立つ漆黒の門がついに全開となった。
――暴風が闘技場を吹き荒れる。
九匹の羊が一匹残らず光の泡になって溶け、そうして溶けた魔力の泡は門の中へと吸い込まれて消えた。かすかに門が震えだし、
激震。
その親指から小指までの幅が既にグリープの身長を超える、巨大な手。
五メートル超の巨大門を、それでもまだ狭いと言わんばかりに。
力任せに押し広げながら、窮屈そうに、地獄の門をくぐって現れる――
山羊頭の、死神。
闇の瘴気がそのまま形を取って動き出したように、輪郭の曖昧な漆黒の巨人。
肩に大きな黒鎌を担いだ、グリープの切り札の降臨に――観客席が沸き立った。
「"羊を数え続けている"というのは、まだ眠れていないということだ。ならば、俺を眠らせたのはおまえで、俺に悪夢を見せたのもおまえだ。<フィードバック:ナイトメア>は、『ひとつ前のターンに、俺がダメージを受けている』場合……場の羊すべてを生贄に捧げることで発動。俺の場に、悪夢の具現を呼び出す」
そこでグリープは言葉を切ったが、説明はクラインが続けた。
「……この効果で召喚された<
ビット5:<怠惰なる死神>の素のステータスは5/5。
前のターン食らわせたダメージは四、生贄にした羊は九匹。
指折り数えるまでもない。
「攻撃力――18、ですか!?」
「睡眠不足というのは、ゆっくりと、確実に近づいてくる死神だ。毎夜毎晩眠るのが遅い、睡眠を軽視する人間の首筋に……密かに刃を押し当てる、
「わかってるならちゃんと寝たらどうなんだ?」
「通常呪文、<ライトニングボルト>を詠唱」
軽口への返答は、稲妻。使い魔または相手プレイヤーに二点のダメージを与える。
残り耐久力1の<フェイク・ファミリア・トークン>が爆散した。
クラインの場は、がら空き。残りライフ十点、敵攻撃力十八点。
――――ほんのわずか、間。
<身長制限>の作り出した魔力壁を、<怠惰なる死神>が蹴り割った。
「――ちょっと!」
「結界呪文! <
トリプルギアが泡を食って回る。
結界呪文は相手ターン中であっても発動することが可能。とっさにドローした通常呪文:<溺れる者の借りる猫の手>が、クラインの手の中で燃える。
「<フェイク・ファミリア・トークン>を特殊召喚し――さらなる効果発動!」
生み出された影絵の竜が<死神>の圧力を受けて消滅した。
「生成した<トークン>を生贄にすることで! この<トークン>の生成に使った
呪文を使い魔に変換する能力、からの使い魔から呪文への逆変換。
燃えたばかりの<溺れる者の借りる猫の手>の灰が慌ただしく吹き集まり、
<怠惰なる死神>がその巨大な黒鎌を振り上げた矢先、
――発光。
「<溺れる者の借りる猫の手>の効果! このターン、おれ及びおれの使い魔が受けるダメージは――すべてゼロになる!」
ギリギリで間に合った青の魔力壁が、<死神>の鎌を受け止めた。
が、破砕。
かろうじてダメージをゼロに抑えるだけの間に合わせの防御壁、上級使い魔の圧倒的プレッシャーまで受け止めることはできない。あまりの衝撃に壁は砕け散り、風圧に照明がいくつか割れて、観客席から悲鳴が上がる。
クラインもその圧力によって闘技場の壁に叩きつけられ、入場用通路にまで吹き込んできた風に、ユーレイもその場で尻もちをついた。
特別感慨もなさそうな声で、グリープは淡々とカードを切る。
「二枚目の、<スリープ・シープ>を召喚。<原風景の柵>を再発動し、ターン終了」
ひしゃげて歪んだ地獄門の背後に再び現れる、のどかな田舎の牧羊風景。柵を飛び越えてやってきた四匹の羊が、<死神>の膝元で身を寄せ合う。
死と牧場の奇妙なミスマッチ。生い茂る緑の若草も、心なしか彩度が落ちている。
それとなく"あの世"を思わせる異質な光景に、ユーレイの声が震えた。
クラインは倒れたまま起き上がらない。
「……ここで、あなたが負けたら、私は、……私は……どうなるのですか」
「まあ……無傷じゃ帰れない、っていうか。帰れるかどうかが、まず怪しいかも」
むくりと体を起こすクラインに、観客たちの罵声が降り注ぐ。
闘技場の逆サイドでは、グリープが既に眠ってしまったかのような不動の直立を決めている。その後ろに控える弟分二人と視線が合ってしまって、もはや勝ちを確信して疑わないその瞳を見てしまって、ユーレイは思わず肩を震わせた。
――早くゲームを続けろ、
――負けろ、
――殺せ、
――早くカードを引け。
狂気に湧く観客が投げかける怒声が、群れなして鳴く蝉のように聞こえる。
それが怖くてしょうがなくて、心の中で助けを呼んで、
――――お兄様。
思わず出てきたその名前に、瞬間、じわりと涙が滲んだ。
どうしてこんなことになってしまった? 自分は、どうしてこんなところに来た?
兄が逃げてしまったからだ。
兄が、すべての責任を放棄して、身勝手に――逃げ出したからだ。
どうして。
――どうして?
「……あー。ユーレイ、だったっけ? ユーレイ・ローゼスト、だったかな」
よいしょっ、といかにも億劫そうな声を上げ、クラインは立ち上がった。
「そういや、まだ聞いてないんだよね。なんで『虹のカラセル』を探してるのかっていう、その理由。まあ、なんか知らんがいつの間にかこんな崖っぷちまで来たわけだし、そろそろ話してくれてもいいんじゃないかなって思うんだけど、どうかな」
入場用通路の近くまで後ろ歩きに戻ってくると、観客のブーイングはすべて無視して、闘技場の壁へと不敵にもたれかかる。
せめてもの自尊心でもって涙を拭い、ユーレイはつっかえつっかえ答え始めた。
「……【シルバー・バレット】のパイロットを探すのが、私に与えられた使命でした。その候補が、『虹のカラセル』だと」
「ああ、やっぱそういうの。そっかー……。……え? 前のパイロットは?」
「……私の、兄でした」
「あ、そう……。あー、まあ、いろいろあったのかな?」
泣く子をあやすような態度だと、ユーレイにも伝わっている。
けれど、取り繕う余裕はない。
「で?」
「で、とは」
「いや、お兄さんっていうからさ。なんか、こう……個人的に? 思うところとか。ないのかな、って」
「……何の話ですか?」
「まあ、今こういう感じなので。言いたいことがあるなら、全部今のうちにぶちまけといたほうが……悔いが? 残らなくて? いいかな? みたいな」
「……」
かなり縁起でもないことを言っていた。
早くしろと急かす観客の声に、クラインが渋々カードを引く。
思うところ。思うところなど、
――あったとしても、今日会ったばかりの赤の他人に言うことではない。
頭では、そうわかっていた。
けれど、引いたカードを検分するクラインの背に、ユーレイは声をかけた。
「……兄は」
「うん」
「兄は、強かったんです」
「そりゃ、まあね」
「だから、いなくなったというなら、きっと何か……理由があったんです。やむを得ない事情があったのかもしれなければ、くだらない理由かもしれないけど。……怯えて、逃げたわけじゃない」
「うん」
「でも、きっとそう言われる」
「うん」
「いなくなったと、知れ渡ってしまったら、きっと……パイロットという役職の重圧に押し潰されて逃げ出した、臆病者だと。そう言われる」
「ふむ。それで?」
「――嫌です」
魔導巨兵のパイロットに選ばれる。それはつまり――
その者こそがこの国で一番強いカードゲーマーであると、皆が認めたということ。
それがユーレイの兄だった。
それが、ユーレイの見ていた背中だった。
「兄は……兄は、誰よりも、強かった」
「うん」
「目の前の敵に恐れをなして、逃げるような人じゃなかった!」
「うん」
「――だから!!」
聞いているのかいないのかわからないような曖昧な相槌を、けれどクラインは欠かすことなく打ち続ける。
それに乗せられるようにして声を荒らげたユーレイは――今更のように我に返ると、知らず熱くなってしまった羞恥心に頬を赤らめながら、それでも、自分の言葉を結ぶ。
「……だから、その。兄の不在を埋めるだけの、優秀なカードゲーマーを……『私が』、連れてくることができたら。なんとか、面目も立つんじゃないかと。その間に、失踪の真意を突き止めるか、兄を探し出すことができれば、なんとか……」
「お兄さんの名誉が保てるんじゃないかって?」
「……はい」
当てつけのつもりではないか、とハクローは推測した。王は兄の逃亡に怒っていて、その怒りをユーレイに向けているのだと。
最悪、王のそれは当てつけでも構わなかった。
ただ、不特定多数の人間から『ボーレイ・ローゼストは臆病者だ』と謗られるのは我慢ならなかった。
パイロットの失踪という特級非常事態、今はまだ情報も秘匿されている。が、いずれ、兄の逃亡はバベル内の魔導士に――ひいては、市井の魔導士に。知られることになるだろう。そのときに、
親族であるユーレイが、文句なしに強いカードゲーマーをどこからか連れてきて、
『この私が代わりを連れてきた』のだと、『何か文句でもあるのか』と
一歩前に出て、高らかに宣言することができたなら、少しは。
少しは、兄をかばうことになるのではないか――と。
それが、ユーレイがぼんやりと思い描いていたビジョンだった。
兄に代わって戦場に立つことはできないユーレイが、せめて、と考えた案だった。
だが、その結果はこの現状だ。
「ふーむ。お兄さん、すごい強かったんだね」
もたれかかる闘技場の壁を、詠唱魔杖でコツコツと叩きつつ。
ふんふんと白々しく頷いてから、クラインは控えめに手を挙げた。
「じゃあ、これは興味本位で聞くんだけどさ」
「……なんです?」
「おれと、そのお兄さんってさ。比べると、どっちのほうが強――」
「――お兄様に決まっていますっ!!」
言ってからユーレイ自身が驚いたほどに食い気味の返事だった。
クラインもその紺色の目をきょとんと見開いて驚いている。
半秒ほどの沈黙ののち、ユーレイは白桃のような頬を真っ赤に染め上げて俯いてしまい、クラインはといえば心底愉快そうな表情で笑い始めた。
「っくくくく……。いや、即答かあ。好きなんだねー、お兄さんのこと」
「いや、これは、その、……その……」
「通常呪文、<異脈探知>を発動」
ユーレイの弁明を遮るように、クラインは呪符を魔力球に差し入れた。。
「自分の廃棄場にある、一番新しい
廃棄場にある一番新しいカード。すなわち、クラインが最後に破棄したカード。
それは、<F・F・F>で引いた通常呪文:<溺れる者の借りる猫の手>。
「参照したのと違う種類のカードを一枚抜き出して、デッキの一番上に置く!」
通常呪文と違う種類のカード。すなわち、結界呪文か、
あるいは――
クラインの背後で青の歯車が三つ同時に回転を始め、
「<F・F・F>の効果を発動。一ターンに一度、カードを一枚ドローする。そして!」
――三つ、すべて砕け散った。
「……え?」
滞空していたサファイアが三つ崩壊、破片が青い雪のように舞い落ちる。
きらめく蒼光が乱反射する中、クラインは引いたカードを見もしない。
――――デッキからカードを一枚ドローして
――――それが使い魔だった場合は、<F・F・F>を破壊する。
「さっきのにしてもそうなんだけどさ、なかなか言ってくれるよね。カードゲーマーっていうのは、どいつもこいつも『最強』になるために戦ってるやつらですよ。……そんなやつら相手にさあ、『この国で一番強いカードゲーマーを探してる』なんて言ったら、どうなるかくらいわかんなかった?」
まだ少しこみ上げる笑みを押さえながら、クラインは宙に手を伸ばした。
クラインのライフは残り七点。残るサファイアの数は、七個。
そのうちの五個が、五角形に並ぶ。
「いやもうほんとに言ってくれるよね。このへんの賭場でナンバーワンのカードゲーマー相手にだよ、『おれより強い?』『当然です!』だもん。命知らずにも程があるって」
「――はい?」
先の会話を声真似までして再現してみせるクラインに、思考が止まった。
五個の魔力片が光線によって結びつき、青のペンタゴンが虚空に出現。
その中央に、クラインは<F・F・F>で引いたカードを設置した。
「そーいう台詞が聞きたかったんだよね、最初っから」
――虹色の光が迸る。
青く輝く光の五角形、その内側から溢れ出る色とりどりの光。
赤、黄、緑、青、紫――意思持つ蛇のように、残光の尾を引きながら闘技場を駆け巡ったその魔力の光が、やがて一点へと収束。
瞬きするごとに色を変える、不思議な光の玉を作り出す。
「"我が魂は虹色に、しかしこの虹は七色にあらず"。じゃ、改めて自己紹介です」
そしてクラインが指を鳴らすと同時、光の玉は姿を変えた。
翼にも似たヒレを無数に生やした、巨大な海蛇。
全身を覆うその鱗は、見る角度によって色を変える。ゆえに、ユーレイの位置からは紺色の海竜に見えるこの使い魔は、対峙するグリープの目には鮮紅色の大蛇に映る。
上級使い魔、<虹のリヴァイアサン>。ビット5:ステータス5/5。
「おれの名前はカラセル・クライン。こう見えてこのへんの賭場じゃあ一応一番人気のカードゲーマーってことになっていて、『虹のカラセル』なんて通り名……っていうか、芸名? みたいなので呼ばれたりもする男です。今後とも、末永くよろしく」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます