1-11.ユーレイとvs国民総カードゲーマー化政策の弊害―②


「――《スリープ・シープ》一同の攻撃! 羊を数えて永遠に眠れ!」


 ドローと同時に出された号令、羊たちが一斉に駆け出す。鋭利な牙を剥き出して草原を疾走する獰猛な羊たち――牙? 草食動物に牙? 羊たちは目玉をあらぬ方向にぐりぐりと動かしながらよだれを撒き散らして突っ込んでくる。ユーレイの中で羊という生き物への印象がかなり変わった。


「七点は――ちょっと痛いかなぁ!」


 旋回する蒼玉の欠片が七つチェーン状に連結し、それを掴み取ったクラインが鞭のように虚空を打つ。七つのビットは閃光弾のごとく強烈な蒼光を吐き出し、クラインの眼前に壁を作った。

 七点相当の攻撃に対する七点分の魔力壁、本性を剥き出して襲いかかってきた羊たちが壁に激突して気絶。妙にしぶとい一匹が執拗に頭突きを繰り返して壁にヒビを入れたが、クラインがその額を全力で殴りつけるとおとなしく引き下がった。


 壁は少しずつ透けて消えていき、魔力を絞り出された七つのライフビットが崩壊する。残りライフは、これで十三点――

 青い顔をするユーレイに、クラインが空々しく笑う。


「まあ、まあね? まあ、まだ半歩リードされたくらいでしょう」

「半歩では物足りんと言いたいのか?」


 鉄の呪符が灰の炎に溶けた。


「<メノシタノ・ベアー>を召喚」


 ――灰の魔法陣をくぐって現れるのは、全身を血で赤黒く染めた二メートル級の巨大熊。獰猛に毛を逆立てて、ふうふうと荒い息を吐いている。

 二本の後ろ足で自立する熊は、その前足に巨大な両刃の斧を握りしめていた。

 下級使い魔、のくせにステータス3/3。


「睡眠不足は攻撃性を高める。――<メノシタノ・ベアー>の追撃!」

「三点もやっぱり痛い――なあ!」


 あからさまな殺意の表出と共に、斧を振りかぶりながら走り込んでくる熊――その足元に、クラインはライフビットを三つ投げつける。

 床で弾けたサファイアがその場に光の壁を立ち上らせ、行く手を阻まれた熊は苛立たしげに斧で壁を打ちつけた。二度、三度と繰り返し、それでも割れないことがわかると、歯ぎしりしながら引き下がる。

 凶暴な獣たちの攻撃を凌ぐのに魔力を使わされ、クラインのライフは残り一〇点。対するグリープは一五点、かつ――


「これで俺はターンを終了する。と同時に、<原風景の柵>を起動」


 羊が八匹、羊が九匹、羊が一〇匹、熊も一匹。また三匹増えた羊を加えて、敵陣には使い魔がしめて十一匹。海のようにもこもこと広がる羊毛の白のその中で、熊の巨体の黒と赤がかなり不吉な目立ち方をしている。

 総攻撃力は十三点。こいつらの攻撃がすべて通れば、クラインは死ぬ。

 そしてそのクラインの場はといえば、現在、まったくのがら空きである。


 ――戦力に差がありすぎる。


 冷や汗が止まらなくなってきたユーレイの耳を追い打つがごとく、グリープの独白が始まった。


「ごく単純に考えよう。一日に八時間寝るとして……その場合、人生の三分の一が『睡眠』という闇に喰われることになる。俺はそれが嫌でしょうがない。もっと時間を有意義に使いたい」


 病院服のような格好に、手入れのされていない長髪。いかにも不健康そうなこの男の目元には、今は、どす黒いクマが浮かんでいる。


「だが、気づけば俺はNo.2。このまま上り詰めてしまうと……俺はまた、『眠れる』ようになってしまう」


 ――落ち窪んだ瞳のその奥に、きらりと光る殺意を宿して。


「さて――最後の砦は、どうしてくれる?」

「まあまあ落ち着いて落ち着いて……。それではおれのターン、ドロー」


 クラインがカードを引くと同時に、半分に減ってしまった十個のサファイアが再び青く点灯。手番交代、クラインのターンが始まる。


「……そろそろ、反撃に出ないとまずいのでは? こちらも主力の使い魔を展開して、応戦するべきです」


 ここまで、クラインは使い魔を一匹たりとも召喚していない。今まで使ったカードは、すべて呪文スペルだ。

 いい加減こちらも頭数を揃えねば、物量で押し切られてしまう。

 頼みますよ本当に、という祈るようなユーレイの視線を背に受けつつ。


「毎度、ちょうどいいタイミングで合いの手入れてくれるよね、お嬢さんは」

「……という言い方をするということは」

「ちょうどそういう呪符を引きました。ライフビットを三連結!」


 十個並んで飛んでいたサファイアのうち、三つが編隊から離脱――静止。それぞれの放つ青い光線が、虚空に三角形を描き出す。

 その三角の中心に、クラインが一枚の呪符を置いた。


「ビット三! 結界呪文――<FフェイクFファミリアFファクトリー>を発動!」


 三角形の頂点に位置する魔力片のそれぞれを中心として、歯車のようにいびつな形をした魔法陣が三つ出現。がっちりと三つ組み合った歯車――本来なら回るはずのない歯車が、ぎこちなく回転を始めた。


 ――このカードは、自分の場および廃棄場ダストに使い魔が場合に限り、発動することができる。



「<F・F・F>の効果を起動。一ターンに一度! デッキからカードを一枚ドローし、それをお互いに確認する!」


 ――通常呪文スペル、<きまぐれ泉女神>。

 クラインが引いたカードを見せた瞬間、その呪符が青い炎に包まれる。


「それがもし使い魔であった場合は、<F・F・F>をこの場で破壊する。ただし! それが呪文であったなら、その呪符を破壊することで効果発動!」


 灰となって消えた呪符の代わりに――青い光によって作られたホログラムの擬似呪符が、クラインの手の中に出現。

 三つの歯車が火花を散らしながら猛回転を始める。


「――<フェイク・ファミリア・トークン>一体を、おれの場に生成する!」


 そして魔法陣から現れたのは、青く輝く一匹の竜。

 影絵のように青一色で塗りつぶされた、竜のシルエット。そこらの小型犬程度のサイズで羽ばたく、ちゃちでかわいらしいその使い魔もどきのステータスは、1/2。<スリープ・シープ>よりはいくらかマシ、という程度の貧弱なものである。


 ――引いた呪文スペルを、使い魔モドキトークンへと変換してくれる結界。

 ユーレイは思考を巡らせる。


「……万一、この効果で使い魔を引いてしまった場合。<F・F・F>は自壊、連動して三つのビットも破壊され、ライフを三点失うことになる。高いリスクの伴う呪符カードです」

「それに関しても、基本的には心配いらないようになってるんだな、これが」

「……」


 ――まさか、とは思ったが。

『同じ呪符を二枚以上引いてしまうとデメリット』という効果に、クラインは「心配いらない」と言った。そもそも同じカードを二枚以上入れてはいないから、と。

 で、今しがた『使い魔を引いてしまうとデメリット』という効果にも、クラインは「心配ない」と言った。


 今の今まで、クラインは一枚たりとも使い魔を召喚していない。


 と、いうことは……。



「……もしかして、の話なのですが。ひょっとして、ひょっとすると、あなたのデッキには……使

「おおむねそっち方向の理解で合ってますね」


 ――――あなた何考えてんですか、という言葉をユーレイは寸前で飲み込んだ。


 理屈はわかる。同じカードを二枚以上入れない、使い魔を一枚も入れない。それによってデメリットを気にせず発動できるようになる呪符カードがある、そういう呪符を使うためにこういう特殊構築をしている。設計思想は、まあ、わかる。


 だが、それで


 こまごまとしたメリットは得られているようだが、そもそもの話――勝ち筋が、まったく見当たらない。

 使い魔を一匹も召喚せず、同じカードを二枚以上使うこともなく、相手のライフ二〇点を削り切る。そんなことを可能とする戦術など、ユーレイにはまったく思いつかない。


「まあまあ、大船に……、大船……、……救命ボートくらいには乗ったつもりで見ててくださいな。使い魔ぜんぜん入れてないぶん、呪文の扱いには自信があってね」


 クラインの手札は現在三枚。ふよふよと宙に浮く三枚に一瞬だけ視線を走らせると、その視線を敵陣へと移し――鋭く、一度、指を弾いた。


「というわけで一枚目、<録音ロック・オン>を発動!」


 ――攻勢。


「"ひとつ前のおれのターン"で、"おれがそのターン一番最初に使った呪文"を手札に戻すことができる。――さてお嬢、一個前のターンでおれが最初に使った呪文は!」

「え、…………<ディスペリング・ストーム>!」

「正解っ!」


 どこからともなく吹き込む灰がクラインの手の中に集まり、呪符の形に再生。

 地面から青い竜巻が立ち上る。


「呪文一枚の効果を無効にして破壊する。何を狙うかは言うに及ばず!」


 羊たちが足元の若草にしがみついて暴風に耐えるのをあざ笑うかのように、竜巻はその横を通り抜けて<原風景の柵>をねじ切った。飛んでくる柵の破片をグリープが屈み込んで回避する。

 ――追撃。


「二枚目、<代用詠唱の代償>!」


 姿勢を崩したグリープを――三色の光線が襲う。


「廃棄場にある"ダメージを与える効果"を持った呪文を選択し、その効果を<代用詠唱の代償>の効果として発動コピーする。くらえ、<トリコロール・バァ――スト>!」


 <一点探査!>/<ミラーリング・シールド>/<鎖状さじょう牢殻ろうかく>――詠唱成立オールクリア

 不意を突く形で放たれた一撃だが、グリープの反応は早い。手元のダイヤを三つ砕いて灰の防御壁を形成、その陰に隠れて事なきを――



 ――得たかと思ったその瞬間に、壁の脇から回り込む竜。



「<フェイク・ファミリア・トークン>で――」

「――――防げ!」

「――<スリープ・シープ>を攻撃する!」


 青一色に塗りつぶされたチープな体で大口を開け、魔力の青い炎を噴射する。

 とっさに割って入った羊が全身の綿毛を焼かれて絶叫。瞼が燃えて閉じなくなった瞳をぎょろりと動かして竜に最期の体当たりを仕掛けるが、ステータス上は1/2と1/1。多少の手傷は負いつつも、蒼影の竜は破壊されない。


 十匹いた羊の一匹がこれで消滅――加えて、無限の羊を生み出す結界<原風景の柵>も粉砕した。それと連動して失われたビットがひとつ、<代用詠唱の代償>による<トリコロール・バースト>でさらに三つ。四点のライフが失われ、グリープのライフは残り十一点。

 クラインのライフは残り十点。かつ敵陣にはいまだ九頭の羊と、熊。

 逆転とは到底言えないが、――応戦できているとは、言えるか。


「ちなみに<代要詠唱の代償>には読んで字のごとく代償があって、これで与えたダメージと同じ枚数分、おれはデッキの上から呪符を廃棄場ダストに送らなきゃならない」


 与えたダメージは、三点。三枚の呪符が焼け落ちるのをまるで意に介したふうもなく、クラインは最後の手札を切った。


「そして三枚目、自分の廃棄場に十枚ぶんのカードがあることを条件に、ビット1:結界呪文<身長制限>を発動だ!」


 <トリコロール・バースト>の連打によって、廃棄場ダストの枚数はさんざん増えた。残り一〇のサファイアの一つが茫と光り輝いた次の瞬間、闘技場を二つに割るように、土中から巨大な魔力壁が生える。

 表面に稲妻をほとばしらせるその青い壁は、グリープとカラセルの陣営を隔てるように立ち上っていた。


「この結界が存在する限り、お互いに攻撃力2以下の使い魔では攻撃できない!」

「――<メノシタノ・ベアー>が止まっていません!」

「当然、それについても計算のうち」


 羊害を防ぐ柵の設置、だがこれでは一番凶悪なのが防げない。斧を素振りする獰猛な熊にあわててユーレイが声を上げるが、しかしクラインは冷静なものだ。


「下級使い魔のくせに、3/3なんてステータスを持ってる熊ですが。そのぶん、あいつには面倒なデメリットがあってね。おれはこれでターン終了だけど……」

「……<メノシタノ・ベアー>の効果発動」


 グリープが後を引き取った。


「この使い魔は、"俺が、一枚たりとも呪文の効果を発動しなかったターン"……すなわち、ターンの終了時に。破壊されてしまう」

「あ……」


 ターンの始めから終わりまで、一切の呪文を唱えることがなかった場合。

 主が、場合――この使い魔はひとりでに消え失せる。

 これまでは<原風景の柵>の効果発動によって維持されていたが、その柵も既に破壊された。今まで凶暴性を剝き出していた熊が一転安らかな笑みを浮かべ、灰色の泡と溶けて消えていく。


「知り合いを不眠症にすんのも、ちょっと申し訳ないかなって思うけど。このお嬢さんも、えー……まあ、こう見えて結構反省してるから不問ってことにでもしといてさ。このへんでお開き、ってことにしない?」

「どちらも無理だ。俺は今日から枕が手放せなくなるらしい」

「……あん?」


 ――グリープの主力である羊は、<身長制限>によってせき止めた。

 <柵>が潰れた以上これ以上の供給もなく、獰猛な熊もこれで排除完了。



「本当に、これで良かったのか?」



 これならば、とユーレイがひそかな期待に拳を握った瞬間である。


「十分な睡眠を取ったということは、それだけということだ。<メノシタノ・ベアー>の、さらなる効果を発動」


 手にした詠唱魔杖の先端に嵌め込まれたグリープのデッキ。

 グリープが手をかざすと、そこから一枚の呪符が飛び出した。


「この使い魔が、自身の効果によって破壊されたとき。俺は、デッキから任意の呪符を一枚選択し、手札に加えることができる……」


 このタイミングで、それもピンポイントで敵の手札に加わった呪符。 

 ――明らかに、敵デッキのキーカード。

 息を呑むユーレイが視線をやると、クラインも表情を消している。


「俺のターン、ドロー。――呪文スペルを発動」


 そしてグリープはターンの開始と同時に、手札に加えたそれを発動した。



「――<フィードバック:ナイトメア>」



 油まみれの黒髪を箒のように逆立てたグリープの背後に――

 これまで、《原風景の柵》が立っていた位置に。


 地獄の門としか呼びようのない、黒い、巨大な門が突き立った。

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