1-8.ユーレイと大ピンチ


「ここにバベルから来た女がいるはずだ! 出せ!」

「出せ! さもなくばおまえら全員四大欲求の餌食にしてやる!」


 テーブルを蹴り倒し、椅子を振りかざし、血走った眼を店の隅々に向ける見覚えのある筋肉男。突然の闖入者に酒場にいた男たちが一斉にデッキを取り出した。

 スススと空気のように忍び寄ってきたレマイズが、立ち上がろうとしたユーレイを制止。持っていた丸盆でユーレイの顔を隠し、唇に人差し指を添えて「しー」と横目で囁きかける。

 庇ってやろうというわけでもないだろうが、代わりにクラインが立ち上がった。


「誰かと思えば、デザイアーズの次男坊と三男坊じゃんか。道場破りに憧れる年でもなかろうに……」


 けたけた軽薄に笑いながら、おどけた調子で肩をすくめる。が――

 リビドーとアパタイト、二人の巨漢に挟まれるようにして立っている、もう一人の男を目にした瞬間。出会ってからここまで常ににやけた笑みを絶やさなかったクラインが、初めて、その表情を消した。


「……。この時間にしては珍しいね」

「無礼者がやかましくてな。さすがに、寝苦しくなった」


 油に浸したようにぬらぬらと輝く漆黒の長髪。糸のように細められた瞳、入院患者の病院着のような格好、隣の二人とは似ても似つかぬひょろ長い手足が印象的。

 男は、病院着の懐に手を差し入れると――その長い腕を鞭のようにしならせ、目にもとまらぬ速さで一枚の呪符カードを投擲した。

 ユーレイの眼前で硬質な音。

 盆の中心に突き刺さった鉄製の呪符にレマイズはぺろりと舌を出し、使い物にならなくなったそれを無造作に床へ放り捨てた。


 三人の男たちの視線が遮るものなくユーレイに突き刺さり――獣のような咆哮を上げた筋肉ダルマ二人を制し、長髪の男が一歩進み出た。


「弟分が世話になったようだ。さすがに見過ごすわけにもいかない」

「……なるほどね。あの二人、ぶちのめしてここまで来ちゃったわけだ」


 面白そうに忍び笑いを漏らし、クラインは調子よくユーレイの肩に手を置いた。

 その手を払う余裕もないほど、ユーレイの思考は緊張している。が、緊張しているなりに考えていることというのはあって――四大欲求という意味不明の思想を標榜する二人組。カードゲームはさておくとして、一人は食欲、一人は性欲。

 となればまあ、そりゃもう一人いるか。

 それどころではない状況なのだが、妙な納得をしてしまう。


「グリープが出てくるってなると、相当だぜ。ただのお嬢さまじゃないってわけか」

「……って思うところだろうけど、その娘、デッキ持ってないの」

「は?」


 横から囁くレマイズの言葉に、クラインはグリープと呼んだ男とユーレイを交互に五回は見た。信じられないという顔をした。


「え、……デッキ持ってないって、じゃあ何。普通に? 普通にぶちのめしたの?」

「その娘は、アパタイトとリビドーが『正当に』決闘を申し込んだにもかかわらず、カードゲームに応じることなく武力を行使した。さすがの俺も寝てはいられない」


 ぎぎぎ、とぎこちない動作で首を回して、クラインはユーレイに向き直った。


「……あのさ、それはちょっとさすがにお嬢さんが悪いんじゃないかな……?」

「なっ」

「いや、ここいらでデッキ持たずに歩くってのはさあ……。家の鍵全開にして旅に出たやつが空き巣食らっても同情されにくいっていうか……」

「――ど、どうしてそういう話になるんですか!?」


 あまりにも理不尽なクラインの言葉にユーレイはしばし硬直し、数テンポ遅れて立ち上がる。が、出会ってからずっとユーレイに対しては軽薄な態度を取り続けてきたクラインが、このときばかりは本気で困っているように見えた。


「どうしてそういう話にって、いや、どうしたもこうしたも……」


 内緒話をするように顔を寄せると、三人組の暴漢を小さく指さして、ぼそりと。 


がさあ、まともな理屈の通じる人間に見える?」


 ――道中見てきたのがである以上、あまりにも説得力がありすぎる。

 黙らざるを得なくなったユーレイに、グリープからの追撃が飛ぶ。


「睡眠、食事、セックス、カードゲーム。四大欲求を否定することはすなわち人間であることを放棄すること。獣だ。獣であれば駆除か躾のどちらかが必要だ。その娘を差し出せ」

「言うだけは言ってみようか。……見逃してやってくんないかな?」

「身内に二人被害者が出た。その娘はもう害獣だ」


 だよなーと額をぺちんと叩いて、それから苦々しくユーレイのほうを向く。ぞくりと背筋を震わせたユーレイは、それでも精いっぱいの自尊心から、なんとか生唾を飲み込んだ。


「……ご心配いただかなくとも結構です。自分の身くらい、自分で守れますから」

「感づいてるとは思うからさあ、あんまり説教臭い言い方はしないけど……」


 が、箱入り娘の精いっぱいの強がりなどスラムボーイは歯牙にもかけない。


「あいつを、横の二人と一緒にすんのは……あんまり、おすすめしない」

「……」


 そのくらいユーレイも感じ取っている。グリープと呼ばれた長髪の男――横二人とは比べ物にならないほど貧相な体格をしているが、横二人とは比べ物にならないほどのプレッシャーを放っている。

 そんな男が、今、ユーレイにはっきりとした敵意を向けている。


「この場のカードゲーマー諸君に問おう。この少女は我々カードゲーマーの誇りを踏みにじった」


 細い両腕を大きく広げて、グリープは酒場を見渡した。脂ぎった髪を振り乱しながら、きびきびと、店内のカードゲーマー一人一人に視線をやる。


「我が弟分二人が紳士的に決闘を申し込んだのを嘲笑ったどころか、もっとも原始的かつ野蛮な手段である"暴力"に訴えた。到底、許されるべき罪ではない」


 それを受けた男たちの視線が、ゆっくりとユーレイに集中していき――


「制裁が必要だ。その絹のような柔肌に刻み付ける制裁が、この女には必要だ!」


 扇動に乗せられるがまま、カードゲーマーたちは一斉に吠えた。テーブルを蹴り倒し、椅子を蹴り倒し、酒瓶を割り、カードを引く。店にいた全員が迸る怒りを十六歳の少女へと叩きつける。


 ――この数を、自分一人で対処できるか?


 状況を検分するユーレイの華奢な腕が、愛剣に伸ばした手が震える。混じりっ気なしの殺意が渦巻く環境において生き残るのに必要なのは実力ではなく胆力で、その点このときのユーレイは完全に気圧されていた。


 魔導巨兵の発見以降、カードゲーマーは増長した。

 自分たちの手にする呪符デッキは今や、ひとつの国を破滅させるほどの絶大な力と直結するようになったのだ――そう理解してしまったカードゲーマーたちは、こういうふうにわけのわからない熱狂を街のあちこちで見せるようになった。

 そうして噴き上がる男たちは今、あと一秒もすれば雪崩のごとくユーレイに襲いかかっていたことだろう。



「――デッキも持ってないような相手に、何を熱くなってんの!」


 が、狂気じみた熱気に包まれた酒場をぴしゃりと打つ――

 雷鳴のようなレマイズの声が、そのとき、店内に轟いた。


「カードゲーマーの誇りを語るなら、カードゲームで語りなさい。せっかくここにちょうどいいのがいるんだから、まずはこいつをぶちのめしてから!」

「は?」


 そしてレマイズはぼけっと突っ立っていたクラインの背中を一切の遠慮なく蹴り飛ばした。

 勢いよくつんのめったクラインが、片足で跳ねながら店の中央へ躍り出る。

 いまだ殺気の渦巻く中央部――立ち尽くすグリープの、すぐ眼前へと。


「カードゲームができないのなら、カードゲームをさせるのみ。このクラインがこの娘の代理、この娘をぶちのめすというのならまずこの男を殺してからにすることね」

「ちょっと待って殺さないで。おれ全然話わかってない」 

「ツケの清算。ここで将来のお得意様を失う事態を阻止できたなら、将来的な利益を見込んで今までのぶんチャラにしてやろうかって言ってんの」


 店内に吹き荒れる殺意の矛先が一瞬にしてクラインへ向きを変える。

 ぽかんと放心するユーレイに、レマイズはいたずらっぽく片目を閉じた。


「来いって言ったのはあたしだからね。まあ最低限の責任は持つよ」

「その責任持ってんのおまえじゃなくない? どう見てもおれのほうに来てない?」

「不良債権の使いどころができた上に、新規顧客にも貸しが作れる。一石二鳥の展開ってこと」

「ちょっと待って。おい、おいグリープ。ごめん、ちょっとだけ待ってくれ。今なんかちょっと話がおかしなことに……」

「――――なるほど。すべておまえの差し金か」

「だから待って? なんでそうなるの?」


 気づけば、いつの間にかこの場の中心にクラインという男がいた。

 それまで場を掌握していたはずのグリープですら、腕組みをして頷きながら、クラインをまっすぐに見据えている。


「いいさ、せっかく目も覚めたことだ。ここで改めて、ケリをつけておこう」


 やがて、グリープは懐から自らのデッキを取り出すと――

 仇敵に剣を向ける騎士のように、デッキをクラインへと突きつけた。


「そこの礼儀知らずに、カードゲーマーの掟を教え込むより先に……まずは、貴様とのケリをつける」

「…………」


 たっぷり十秒ほどの硬直を挟んだのち、クラインはゆっくりと振り返る。


「ねえ、お嬢さん。おれ今ちょっとこの状況の意味がマジでわかんないんだけどさ」


 口元だけに半笑いが浮かんでいた。


「にしても、これがあんたの運び込んできた面倒事だってのはたぶん間違いないと思うんだけど。そこんとこ、どう思います?」


 基本、ユーレイは真面目な少女なので、この状況で「知るかよ」と開き直れるほど面の皮が厚くない。



 ――あの、これって私が悪いんでしょうか。



 その判定をしてくれるだけのまともな感性を持つ人間が、悲しいことに今この場には誰一人として居なかった。

 ここはイカれたカードゲーマーたちが熱狂を求めて集う吹き溜まり、カードゲーム専門の賭場【人生結局グッドスタッフ】である。

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