1-7.ユーレイと謎のナンパ野郎


 実際、隣に座ったユーレイに男はきょとんとした顔で振り返った。


「……お? なにこの子。ナンパ?」


 不思議な色の髪をした少年だ。――たぶん同年代の少年だとユーレイは判定した。


 夜明け前の空のように深い濃紺色の瞳。さほど手入れに気を遣わないらしいぼさぼさの髪の毛も、その瞳と同じ紺色をしているのだが――ところどころに、白い色が混じる。その混じり方がまたなんとも不思議で、白髪のウィッグと紺髪のウィッグを重ねて振ったらなんか混じった、という形容をユーレイは考えついた。

 人懐っこそうな瞳をユーレイへと向けるその少年に、レマイズがため息をつく。


「あのねえ、パッと見てわかんないかな。どう見てもいいとこのお嬢に決まってんじゃん、あんたと釣り合うわけないでしょうが」

「宝石と美男子は掘り出して磨くもの。おれという原石の発掘にお忍びでやってきたプリンセスかもしれない」

「……『虹のカラセル』を探してるって子だよ」


 へえ、と少年は体ごとユーレイのほうに向き直った。

 Tシャツ一枚に適当なズボン、シャツにでかでかとプリントされた『天の光はすべて俺』というフレーズが適当さをいっそう引き立たせている。半袖から伸びる腕はひょろりと細く、そのあたりもユーレイが同じくらいの歳だろうと考える根拠になっている。


「カラセルに会いたいときたか。へー。へえー……。お嬢さま、お名前は?」

「……ユーレイ・ローゼストと申します。以後、お見知りおきを」

「うんうん、おれとしても以後があるといいなーとは思ってる。おれのことはクラインって呼んでくれると嬉しい、親愛の情をたっぷり込めて。なんならもっとストレートに、熱い愛情を込めてもらってもいい。ではリピート、クライン。せー、の?」


 夏の太陽のようにさわやかな笑みを浮かべて、クラインはユーレイに頷きかけた。

 さて、ユーレイは普段あまり同年代の男と接する機会がない。

 が、彼女は良家の子女としての教育を受けたローゼストのお嬢様だ。


「申し訳ありませんが……、初対面から妙になれなれしい殿方には注意せよというのが、家の教えでして」

「あら、ちゃんとした教育方針。……あのさ、コーヒーくらい出さないの?」

「……」カウンターを指で叩くクラインに、レマイズは白けた顔をする。

 後ろの棚からガラスポットと紙袋を愛想悪く持ち出してくると、豆をぶちまけ、呪文の刻印されたそのガラスの表面を指でぴんと弾く。

 魔力がざりざりと豆を挽く音。レマイズは伝票をクラインの前に置いた。


「……あ、おれが払うわけね?」

「でなきゃ誰が払うと思ったかな」

「いや、はじめてのお客さんだし? そこはほら、店からのサービス的に」

「あんたがそーやって溜めたツケ、あたし回数と総額そらで言えるよ」


 クラインはぺろりと舌を出した。


 ――軟派な男であるのは間違いない。が、わからないのは……。


「名乗りも済ませたことですし、単刀直入に伺いたいのですが。……あなたは、いったい何者です?」

「ま、『虹のカラセル』とつながりのある人間とだけわかってればいいよ。人探ししてる女の子に全然関係ねーナンパ男をあてがうほど、この女は薄情に見えたかな?」


 薄情は別に間違ってないけど、と笑うクラインにレマイズが呆れた顔をした。

 どうも、舐められている気がする。

 注がれたコーヒーに手を伸ばし、ユーレイは顔を引き締める。どこかで会話の主導権を握り返さなくては――

 ――――苦い。


「……それはつまり、あなたに頼めば『虹のカラセル』との会合を取り付けてもらえるということですか?」

「そーいうことではあるけれど、それだけってわけではないかな」


 舌先を走る苦味にユーレイが顔をしかめる中、クラインは店の壁を指差す。


 天井近くにかかっている柱時計の、その横に。純金のプレートに呪文と魔法陣を彫りつけた黄金の呪符が、額に入れられて飾られていた。

 <水晶薔薇の霊竜>と題されたその金製呪符の隣には、誰が描いたのかは知らないが妙に上手い絵がかけられていた。炎と煙のたなびく市街に屹立する銀色の巨人、その隣で水晶のように透き通る翼をはためかせる、一匹の竜――


 ――かつての首都決戦でこの呪符が用いられたところを描いたであろう、絵。


「そもそもの話、お嬢さんはなんでカラセルと会いたいわけ? そこんとこが不透明なまま、手を貸すわけにはいかないなあ」


 <水晶薔薇の霊竜>といえば、かなり強力な使い魔カードとして知られる。その召喚術式を封じた呪符、それも純金製――しかるべき層に売り込めば相当な値が付くだろうその呪符は、『高級店』の象徴のように店の壁の高いところに飾られる。

 その呪符をちょいちょいと指で示しながら、クラインはさりげなく、本当にさりげなく、伝票をユーレイのほうへと滑らせた。


「いやあ。おれのお財布、今ちょーっとばかり心もとない感じでね」


 ――さて、どう応じたものか。


「……申し遅れましたが、私は"バベルの塔"に所属する身。これは国家運営にかかわる重大事、どこの誰とも知れない人間に軽々しく教えていいことではありません」

「それって、ほとんど用件言ってるようなもんじゃない?」

「……」どうにも分が悪い。

 どうしても根が真面目な少女と、日頃からこの裏社会を根城として活動する少年。こうした言葉での刺し合いにおいて、ユーレイが優位に立てるはずはないのだ。


 余裕ある微笑みを崩さないクラインを前に、ユーレイは焦っている。

 そして往々にしてユーレイは、緊張が高まるほどにテンパる女だ。


「……別に、『虹のカラセル』一人だけを探しているわけではありません」

「へー。他にも候補がいるわけ?」


 急遽、アドリブを挟むことにした。



「探しているのは、です。『虹のカラセル』より強いカードゲーマーがいるなら、それでも――」




 ぴしり。



 ユーレイの口を問答無用で閉ざさせるほどの凄まじい殺気――見えないピアノ線を張り巡らせたような緊張感が、一瞬のうちに店内を支配した。

 周辺のテーブルにたむろしていた博徒たちが、ユーレイの言葉を引き金として、突き刺さるような殺気を一斉に放出していたのだ。


 ――いや、何人かは


 これ以上ユーレイが不用意なことを言おうものなら、その瞬間この店は戦場になる。目に映るものをすべてカードゲームによって打ち下し、己こそが最強のカードゲーマーであると照明する――言外にそう語りながら、博徒たちは自らのデッキに手をかけている。


「……困るなあ。こーいうとこで迂闊にそーいうこと言っちゃダメってわかんないかな?」


 声を出すこともできないほどの圧力にユーレイが凍りつく中、出会ってからここまでで一番困ったような表情をクラインは浮かべた。やれやれと肩をすくめながら、軽い調子で場を収めにかかる。


「あー、ごめんね。この子ちょっとまだこっちの雰囲気に慣れてないみたいでさ。いや、だからみなさん落ち着いてちょーだい。ほら、でなくてもカラセル以上のカードゲーマーなんてこのへんにゃそうそういないでしょう? わかったら皆でミルクでも頼んでカルシウム摂って仲良く――」

「――それは違う。最強のカードゲーマーと言ったか」


 わたわた両手を動かしながら愛嬌を振りまいていたクラインの動きが、止まる。


 殺気立っていた人々の心が、その一瞬だけひとつになった。今の声は、どこから?

 店内の人間が発した声ではない。中から聞こえた声ではない。全員の視線が閉ざされた入口のドアに集中した、その直後のこと。



「答えよう。最強のカードゲーマー候補なら、ここにも一人いる」



 丸太のようなぶっとい足が、店のドアを蹴り砕いた。

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