1:兄がご迷惑をおかけしております

1-1.ユーレイとそのお兄さん


 天高く、雲を突き抜けてなおも高く伸びる塔――"バベル"。国中の優秀な魔導士が集う研究機関であると同時に、国王の座す政治機関としての役も担う、ハイランドの中枢。この国における最も偉大な魔導士であるところの国王は、上へ上へと伸びるこの塔の最上階に居室を構えている。

 その高さと太さが相まって、地上から見上げると相当な威容を備えた建築物ではある。が、あまりに縦に長いので、各階への移動はかなり手間だ。

 まさか雲の上まで階段で上がれというわけにもいかないので、この塔にはエレベーターが通っている。建国からこの塔と共に歴史を刻んできたハイランドの誇る伝統技術、磁力魔法を利用したエレベーターである。


 そのエレベーターの一室に、今、一人の少女が乗っている。


 ほつれ一つない長い金髪は歩くたびにさらさらと靡き、丸く大きな水色の瞳は、大人びた顔立ちの中にあって若さと純粋さのきらめきを残している。軍服のような衣装を取り入れた、動きやすいデザインの白いローブ――バベルが指定する制服に身を包んだその少女の名は、ユーレイ・ローゼストという。

 要点のみ簡潔に説明すると、齢十六にして優れた才能を有する才色兼備の魔導士である。『ローゼスト』といえば代々優秀な魔導士を輩出してきたハイランド有数の名家で、ユーレイがこの若さでバベルという国の中枢に身を置けているのも、彼女が名門の血を余すところなく受け継いだ令嬢であることを意味する。


 そんなユーレイは今、塔を縦に貫くエレベーターに乗って、バベルのを目指している。地位の高い人間ほど上のフロアを使うという不文律が存在する、このバベルの頂点――すなわち、国王の居室へと。

 いかに良家の子女といえども、おいそれと踏み入れる場所ではない。

 上りゆくエレベーターの中で、ユーレイは形のいい眉を不安げに潜めたまま、口を真一文字に引き結んでいる。



 ――二機の魔導巨兵の激突から、二十年が経過したハイランド首都。

 この物語は、一人の少女に突如として災難が降りかかるところから始まる。




  *  *  *




 挨拶の文面は八回くらい口の中で復唱したし、ノックをするまでには三回くらい深呼吸をする必要があったのだが。


「……失礼します。ユーレイ・ローゼスト、ただいま参上いたしました」

「入ってくれ」


 そんな緊張などどうでもいいと言わんばかりの、あっさりした返事。

 やはり戸を開けるまでにもわずかな間があったのだが、ともあれ、ユーレイは一度頭を下げてから入室した。


 いかにもな玉座の間――というよりは、執務室のような装いになっていた。


 質実剛健なこの国王は、華美な装飾を好まない。絨毯もカーテンも紺のビロード地で揃えられたその空間は、深い水底に迷い込んだような錯覚を入室者に抱かせる。

 そしてその水底の主もまた、海の男を思わせる頑強な肉体を有している。

 分厚く重い生地で織られた、ゆったりと大きな漆黒のローブ。本来なら体のラインが出にくい服装ではあるのだが、しかしその身長と肩幅はどうにも隠しようがない。 浅黒く焼けた肌、立ち上がると本当に岩のように見えるだろうごっつい体格。綺麗に剃り上げたスキンヘッドと相まって、その迫力は相当なもの。


 二十年前に立てた功績によって、先王からその座を受け継いだ――成り上がりの君主。それこそがハイランドの現国王、ジェレイン・ラミソールという人間である。


「君と直接会うのは、これが初めてか」

「……はい。兄が、いつもご迷惑をおかけしております」


 執務机の上で何気なく両手を組み、静かに落ち着いた声色で言う。

 その程度の仕草ではあるが、なにぶんユーレイは十六歳の少女である。相手の立場と見た目とが放つプレッシャーをまともに受けて、答える頬には冷や汗が伝った。

 しばらくの間沈黙があって、ジェレインはゆっくりと口を開く。


「最近、どうかね。ボーレイとは」

「……はい?」

「兄妹仲は良好かと、そう聞いている」


 ――端的に言って、ユーレイはお嬢様だ。当然、家柄に相応の教育というものを施されているし、貴人に対する礼儀というのはきちんと弁えているのである。

 だというのに、そんなユーレイが、それも相手が貴人も貴人の国王だとわかっていながら、「はい?」と呆けた声を返すしかなかったほどには、唐突な質問だった。


「……あ、え、っと、……非常に申し訳ない限りなのですが、兄とは、その、あまり会話をすることもないと言いますか……。……あの兄は、そう。ここ三日ほどは、家にも帰ってこないほどでして……」

「ふむ。仲睦まじい兄妹だと、ボーレイからは聞いていたのだが」

「……兄が、そんなことを言いましたか……」


 引きつった愛想笑いを貼り付けながら、ユーレイはひたすら困惑していた。


 ――なんですかこれは。なんの話をしているんですか、私は。


 聞いての通り、ユーレイには兄がいる。その名をボーレイ・ローゼスト、四つ歳上の兄である。が、そんな兄との近況をなぜ王の目の前で報告せねばならないのか。

 それでなくてもユーレイにはまったく心当たりがなかったのだ。いかに名家の令嬢とはいえ、国王から見たユーレイなどただの下っ端魔導士に過ぎないはず。そもそも普通ならユーレイという名前すら覚えられていない、というか知られてすらいなくてもなんらおかしくないくらいの立場なのである。


 ――、自分をわざわざ王が呼び出す理由など、ない。


 だというのに、なぜ? 

 ――その理由がまったくわからないまま、なぜか兄妹仲を問われている。


「まあ、いいだろう。そのことについての話でもある」


 いやだからですね、どのことについての話ですか――

 という台詞をユーレイは口にこそ出さないが、表情に全部出してしまっている。

 ゆったりと大きく息を吐き、ジェレインは鷹揚な口調で言った。


「【シルバー・バレット】の現行パイロットが誰かは、知っているか?」

「…………はい?」


 またもや質問の意図がわからなかった。

 今度は、そんなのわざわざ聞くまでもなく自明だろう、という意味で。


「敵国の魔導巨兵による襲撃があった際、【シルバー・バレット】を駆ってそれを迎え撃つ任を負う役職。ハイランドの国防を一手に担う、非常に栄誉ある大任は……今、誰の肩にかかっているのだったかな」

「……恐れながら、その大役は……愚兄ボーレイ・ローゼストが務めるはずだったと、そのように記憶しておりますが」


 もしかして私がなにか間違っているのか、と不安に思いつつもユーレイは答えた。


 一機で国ひとつ滅ぼせるほどの力を有した超兵器――魔導巨兵の発見以降、戦争のルールは大きく変化した。もはや人間同士がちまちま魔法を撃ち合う時代ではない。

 鍵となるのは、巨兵同士の戦い。敵国の巨兵に自国の巨兵をぶつけ、相手方の魔導巨兵を完全に破壊してしまうことができれば、あとは巨兵を失った魔導国家など赤子の手をひねるかのごとしである。

 そして、その魔導巨兵を動かすのが一人の魔導士パイロットである以上――搭乗者の腕が戦局、どころか国の命運すらも左右するのはもはや必定であるといえる。

 国中から集められた優秀な魔導士たちをさらに厳しい審査と選考にかけ、厳選に厳選を重ねた末、最後には残された候補者同士を争わせてもっとも強かった者が選ばれる。それが魔導巨兵のパイロットというもので、

 そうして選ばれた栄光のパイロットが、兄ボーレイであるはずだった。


 息子が国で最も栄誉ある地位を授けられたその瞬間の、両親の喜びようときたらなかった。ローゼスト邸は即座にパーティー会場へと変化を果たし、辿れる限りのコネをすべて辿り、貴人という貴人をすべて呼び寄せて三日三晩騒ぎ倒したものである。


「その通り。では続けて、仮定の話をするとしよう」


 だから、その喧騒を昨日のことのように覚えているユーレイとしては、この王がなぜそんなことを今更聞くのかまったくわからないわけであるし――



「【シルバー・バレット】のパイロットは、国防における最重要役職といえる。では、仮定の話――このパイロットが、突如として行方をくらましたとしたら、その場合はどうなる?」



 こんなを聞かされる理由も、当然ながらわからない。

 ゆえに、ユーレイは困惑しつつも馬鹿正直に答えたのである。


「……一刻も早く、代わりのパイロットを選定する。それが、急務となるのでは」

「そうだ、その通り。代わりのパイロットだ。それがどうしても必要になる」


 魔導巨兵同士の戦いにおいて、わずかでも対応が遅れれば。そのとき国土がどんな状態になるか、二十年前の経験からハイランドは痛いほど思い知っている。一瞬たりとも空席にしておくわけにはいかないポジション、それがパイロットだ。

 で、この話はなんなんですか、と疑念の表情をあらわにするユーレイに、王は懐から一通の封書を取り出すと、それを手渡した。


「ところで、これが私のところに来た辞表だ」

「は?」


 ――端的に言ってユーレイは礼儀を弁えたお嬢様なのだが、このときばかりはすべての品格を置き去りにする反射的な「は?」が出てしまった。


 辞表。

 この流れで辞表。

 兄妹仲、からの仮定の話、からの辞表。

 まるで脈絡が見出だせない。

 何事?


 ――話がここまで来れば、さすがに結びつけて考えてもよさそうなものだが。

 普段は聡明なユーレイの脳が、このときばかりは思考を拒否していた。

「開けてみろ」と促す声に、おずおずと封筒の口を開ける。

 薄っぺらい、やっすい紙が一枚だけ入っていた。




『拝啓 国王様

 こんな国でノンキしてる場合じゃない。俺は出ていきます、止めてくれるな』




「…………………………」


 舐めきった文面にこの上なくマッチする、三秒で書き殴ったような雑な字。

 紛れもなく兄の筆跡であると妹には一発で理解できてしまったのだが、トドメを刺すかのごとく結びには『byボーレイ・ローゼスト』とここだけは達筆な署名。


「私のところにこれが来たのがちょうど昨日のことだった。三日ほど帰っていない、と言ったかな」


 ――捜索を出してはいるものの、行方が掴める気配はない。

 淡々と言い添える王の低い声に、ユーレイは声を震わせる。


「あ、あの、その。これ、これは……」

「亡命宣言のようにも取れる文面だ」


 にこりともしない強面で言われて、ユーレイの返事はそこで止まった。

 王は、背もたれに体重を預けると、少し上へと視線をやって――総括するように、疲れた息を吐いた。



「国の防衛を一手に担う、この上なく栄誉ある役職。この上なく責任重大な役職。そんな役に任ぜられておきながら――ボーレイ・ローゼストは、逃げ出した」 



 めまいを起こしてユーレイは倒れた。

 基本、ユーレイは緊張すると極度にテンパる性質である。


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