仲のよかった相互フォロワーの方がSNSを引退するときに餞別として送れるss

網槻 志保

仲のよかった相互フォロワーの方がSNSを引退するときに餞別として送れるss

なんだか夢を見ていたようだ。暖かくて、煌びやかで、柔らかくて、静かで、騒がしくて、刺激的で、辛くて、怖くて、楽しい夢を。

様々な味のガムを噛んでいるかのようだった。産湯に浸かっているかのようだった。それほどまでにこの空間は楽しかったし、心地よかったのだ。


あなたは呟いた。 「もう、行かなくちゃ」


――もう行っちゃうの?


どこからか声が聞こえてきた。

なんだか寂しそうで、どこか諦めているようでもあった。


あなたは肯定した。 「そう決めちゃったからね」


――そう、ならしょうがないね。


「悲しそうな声をしないでよ。出来れば笑って送り出してほしいなあ」


――わかった、笑ってみる。……行ってらっしゃい。


あなたは苦笑した。


「うん、行ってきます」





あなたは歩き続ける。無色で極彩色な空間を、一口味わうだけで幸せになれる霧の中を、一呼吸すらしないで歩き続ける。


――おーい、そんなに急いでどこへ行く?


再び、どこからか声が聞こえてきた。


――そんな性急に離脱する必要はないんだぜ。何事も息継ぎが肝心だ。息を吸わなきゃ、いつかは窒息死しちまうだろう?


あなたは首を振った。


――そうか。まあ、あんたが決めたことなら仕方がない。俺は笑って送り出すだけだ。


あなたは頷いた。


――じゃあな。元気でやってろよ。ご武運を祈ってるぜ。





――やめられるだなんて凄いなあ。僕にはとても出来ないよ。


そろそろ新鮮な空気が吸いたくなってきた頃、またしても声が聞こえてきた。


――僕だってやめようとしたさ。こんなぬるま湯に浸かっている場合じゃない、人生の荒波に揉まれてしかるべき時じゃあないか、ってね。……でも、無理だった。


自嘲するように、ため息を吐くように、声は続けた。


――僕はこの空間の味を知りすぎていた。現実に比べて、ここは余りにもビビッドで心地よかったんだ。結局離れられなかったよ。現実が犠牲になるのを承知で、ね。


あなたは目を伏せた。


――君もここの味を知っているんだろう? それでいて、ここから離れるという英断を下せたんだ。なんて強い意志力、僕にはとてもできないよ。


……どうかな。あなたは苦く思った。自分も案外早く現実に打ちのめされ、こっちに戻ってきてしまうかもしれない。離れたからといって、繋がりをすっぱり断ち切れるかというとそうでもないからだ。

時折発作的にこっちの世界へと帰還したくなるだろうし、何ならそれが起こるという確信めいたものすらある。

もし、仮に自分が戻ってきてしまったとして。この人たちは何のしこりもなく、僕を受け入れてくれるんだろうか。多分くれるんだろうけど、くれる筈だとは思うんだけど、それでも不安にならざるを得ない。

いっそ、出て行くと表明しなければよかったような気すらしてくる。ここから出て行かないで、ずっと温かさに浸ったままでもよかった。それはそれで幸せなんじゃないか、むしろ出て行く方がずっと不幸になるんじゃないか。

そう考え始めたら、いよいよ駄目だった。いろいろな不安が足にまとわりついてくる。鎖みたいに巻きついて、がんじがらめにしていく。

後ろを振り返ると、無数の手がこちらに手招きしているのが見えた。


「こっちにおいでよ」 手の群れはこう言っているように見えた。

「ここはいいところだよ」「ここは居心地がいいよ」「とても快適だ」「刺激的だ」「面白いよ」「素晴らしいところだよ」「あなたが帰るべきところだよ」


誘惑というノイズがあなたをとらえて縛り付け、歩くペースが徐々に緩やかになっていく。


「あなたはもう、ここから抜け出すことは出来ない」


あなたはニヤリと嗤われているように感じた。


「誘惑に囚われて、一生この空間から抜け出すことが出来ず、緩やかに溺れ死んでいくんだ」「真綿に首を絞められるように、緩やかに崩れていく」「壊れてしまえ。穏やかに、閑やかに壊れてしまえ!」


あなたはとうとう歩みを止めてしまった。新鮮で美味しい空気を吸いたくてたまらなかった。

息継ぎをするため、口を開こうとする。

しかし、再び聞こえてきた声があなたの口を縫いつけた。


――止まるのかい? 英断は口だけだったのかい? 離れると決めたのは君自身なのに、自分でそれを汚してしまうのかい?


(……まさか。そんなわけ、)


ないだろ、と言う代わりに。

あなたは力強く、一歩前に踏み出した。



土煙が巻き上がる。

衝撃波が広がっていく。

視界が鮮明になっていく。

霧が晴れていく。

不安の鎖は引き千切られ、誘惑のノイズは吹き飛ばされ、無数の手はいつの間にか消え去っていた。



――それでこそ、だよ。その選択は、僕には出来なかった。ブラボーだよ。スタンディングオベーションだ。


情熱的な拍手を添えて、満足そうに声は微笑んだ。

あなたはシニカルな笑みを浮かべた。


――さあ、走れ! 終点までどのくらいあるかは分からないけど、とにかく走れ!


そんなの、言われるまでもなく。





そして、とうとうあなたは終点にたどり着いた。

緑色の例のマークに「exit」と描かれた扉を前にして、あなたはぼんやりと思った。

ここが、境目だ。この扉を開けたらそこは嵐のような現実世界。日々の諸々に揉まれて忙しない、ある意味で戦場とも呼べる世界。

それが、扉一枚隔てた先で待っている。


唾を飲み込んで、しかし止まらずにドアノブに手をかけた。止まることは許されない。それに、そろそろ呼吸しないと死んでしまいそうだ。早く外に出て、空気を吸引したい。

しかし、そこで、やはりどこからか声が聞こえてきた。


――ちょっと待ったァーっ!!


……いや。今回は「どこからか」ではなかった。あなたの後ろから、つまりはあなたが今まで歩んできたところから聞こえてきたのだ。

ドアノブを握ったまま、あなたは後ろを振り返る。


目を見張った。


以前この世界で絡んだ人の一切合切が集結していた。

相互フォローの人、一方的にフォローされている人、あなたが一方的にフォローしている人、ただいいねを押しただけの普段まったく絡んでいない人まで、一斉に集まっていたのである。


あなたの顔を見て、彼ら彼女らはくすりと笑った。

中でもその先頭に立った人――あなたの相互フォロワーだ――は、おかしくてたまらないといった表情で。


「なんて顔してるんだよ。全員集合だよ、全員集合。漫画とかのクライマックスにありがちな、全員集合シーンだよ! こんなにたくさんの人たちがあなたの旅立ちを祝いに来たんだぜ」


あなたは目頭が熱くなった。

もう全然呼吸をしてなくて苦しくてたまらないのに、それと同じくらい、いやそれ以上にうれしくてたまらなくなった。


あなたは深々とお辞儀をした。辺りに微笑ましい雰囲気が流れる。

くるりと振り返ると、あなたは扉を開ける。


「頑張れよー!」「元気でやってろよー!」「風邪引くなよー!」「辛くなったらいつでも戻ってきていいんだからねー!」


多種多様な激励のシャワーを背に浴びながら、あなたは扉をくぐって―――!





――気づくと、あなたは現実世界に立っていた。

そのことが分かった瞬間、何はともあれまずは、というふうにあなたは数回深呼吸をした。


すう、はあ、すう、はあ、すう、


「……はあ」


最後のは、深呼吸と言うにはどうにもため息の成分が混じりすぎていた。

祭りが終わった後の寂しさに似た何かが、あなたの胸にじんわりと広がって離れなかった。






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