仲のよかった相互フォロワーの方がSNSを引退するときに餞別として送れるss
網槻 志保
仲のよかった相互フォロワーの方がSNSを引退するときに餞別として送れるss
なんだか夢を見ていたようだ。暖かくて、煌びやかで、柔らかくて、静かで、騒がしくて、刺激的で、辛くて、怖くて、楽しい夢を。
様々な味のガムを噛んでいるかのようだった。産湯に浸かっているかのようだった。それほどまでにこの空間は楽しかったし、心地よかったのだ。
あなたは呟いた。 「もう、行かなくちゃ」
――もう行っちゃうの?
どこからか声が聞こえてきた。
なんだか寂しそうで、どこか諦めているようでもあった。
あなたは肯定した。 「そう決めちゃったからね」
――そう、ならしょうがないね。
「悲しそうな声をしないでよ。出来れば笑って送り出してほしいなあ」
――わかった、笑ってみる。……行ってらっしゃい。
あなたは苦笑した。
「うん、行ってきます」
○
あなたは歩き続ける。無色で極彩色な空間を、一口味わうだけで幸せになれる霧の中を、一呼吸すらしないで歩き続ける。
――おーい、そんなに急いでどこへ行く?
再び、どこからか声が聞こえてきた。
――そんな性急に離脱する必要はないんだぜ。何事も息継ぎが肝心だ。息を吸わなきゃ、いつかは窒息死しちまうだろう?
あなたは首を振った。
――そうか。まあ、あんたが決めたことなら仕方がない。俺は笑って送り出すだけだ。
あなたは頷いた。
――じゃあな。元気でやってろよ。ご武運を祈ってるぜ。
○
――やめられるだなんて凄いなあ。僕にはとても出来ないよ。
そろそろ新鮮な空気が吸いたくなってきた頃、またしても声が聞こえてきた。
――僕だってやめようとしたさ。こんなぬるま湯に浸かっている場合じゃない、人生の荒波に揉まれてしかるべき時じゃあないか、ってね。……でも、無理だった。
自嘲するように、ため息を吐くように、声は続けた。
――僕はこの空間の味を知りすぎていた。現実に比べて、ここは余りにもビビッドで心地よかったんだ。結局離れられなかったよ。現実が犠牲になるのを承知で、ね。
あなたは目を伏せた。
――君もここの味を知っているんだろう? それでいて、ここから離れるという英断を下せたんだ。なんて強い意志力、僕にはとてもできないよ。
……どうかな。あなたは苦く思った。自分も案外早く現実に打ちのめされ、こっちに戻ってきてしまうかもしれない。離れたからといって、繋がりをすっぱり断ち切れるかというとそうでもないからだ。
時折発作的にこっちの世界へと帰還したくなるだろうし、何ならそれが起こるという確信めいたものすらある。
もし、仮に自分が戻ってきてしまったとして。この人たちは何のしこりもなく、僕を受け入れてくれるんだろうか。多分くれるんだろうけど、くれる筈だとは思うんだけど、それでも不安にならざるを得ない。
いっそ、出て行くと表明しなければよかったような気すらしてくる。ここから出て行かないで、ずっと温かさに浸ったままでもよかった。それはそれで幸せなんじゃないか、むしろ出て行く方がずっと不幸になるんじゃないか。
そう考え始めたら、いよいよ駄目だった。いろいろな不安が足にまとわりついてくる。鎖みたいに巻きついて、がんじがらめにしていく。
後ろを振り返ると、無数の手がこちらに手招きしているのが見えた。
「こっちにおいでよ」 手の群れはこう言っているように見えた。
「ここはいいところだよ」「ここは居心地がいいよ」「とても快適だ」「刺激的だ」「面白いよ」「素晴らしいところだよ」「あなたが帰るべきところだよ」
誘惑というノイズがあなたをとらえて縛り付け、歩くペースが徐々に緩やかになっていく。
「あなたはもう、ここから抜け出すことは出来ない」
あなたはニヤリと嗤われているように感じた。
「誘惑に囚われて、一生この空間から抜け出すことが出来ず、緩やかに溺れ死んでいくんだ」「真綿に首を絞められるように、緩やかに崩れていく」「壊れてしまえ。穏やかに、閑やかに壊れてしまえ!」
あなたはとうとう歩みを止めてしまった。新鮮で美味しい空気を吸いたくてたまらなかった。
息継ぎをするため、口を開こうとする。
しかし、再び聞こえてきた声があなたの口を縫いつけた。
――止まるのかい? 英断は口だけだったのかい? 離れると決めたのは君自身なのに、自分でそれを汚してしまうのかい?
(……まさか。そんなわけ、)
ないだろ、と言う代わりに。
あなたは力強く、一歩前に踏み出した。
土煙が巻き上がる。
衝撃波が広がっていく。
視界が鮮明になっていく。
霧が晴れていく。
不安の鎖は引き千切られ、誘惑のノイズは吹き飛ばされ、無数の手はいつの間にか消え去っていた。
――それでこそ、だよ。その選択は、僕には出来なかった。ブラボーだよ。スタンディングオベーションだ。
情熱的な拍手を添えて、満足そうに声は微笑んだ。
あなたはシニカルな笑みを浮かべた。
――さあ、走れ! 終点までどのくらいあるかは分からないけど、とにかく走れ!
そんなの、言われるまでもなく。
○
そして、とうとうあなたは終点にたどり着いた。
緑色の例のマークに「exit」と描かれた扉を前にして、あなたはぼんやりと思った。
ここが、境目だ。この扉を開けたらそこは嵐のような現実世界。日々の諸々に揉まれて忙しない、ある意味で戦場とも呼べる世界。
それが、扉一枚隔てた先で待っている。
唾を飲み込んで、しかし止まらずにドアノブに手をかけた。止まることは許されない。それに、そろそろ呼吸しないと死んでしまいそうだ。早く外に出て、空気を吸引したい。
しかし、そこで、やはりどこからか声が聞こえてきた。
――ちょっと待ったァーっ!!
……いや。今回は「どこからか」ではなかった。あなたの後ろから、つまりはあなたが今まで歩んできたところから聞こえてきたのだ。
ドアノブを握ったまま、あなたは後ろを振り返る。
目を見張った。
以前この世界で絡んだ人の一切合切が集結していた。
相互フォローの人、一方的にフォローされている人、あなたが一方的にフォローしている人、ただいいねを押しただけの普段まったく絡んでいない人まで、一斉に集まっていたのである。
あなたの顔を見て、彼ら彼女らはくすりと笑った。
中でもその先頭に立った人――あなたの相互フォロワーだ――は、おかしくてたまらないといった表情で。
「なんて顔してるんだよ。全員集合だよ、全員集合。漫画とかのクライマックスにありがちな、全員集合シーンだよ! こんなにたくさんの人たちがあなたの旅立ちを祝いに来たんだぜ」
あなたは目頭が熱くなった。
もう全然呼吸をしてなくて苦しくてたまらないのに、それと同じくらい、いやそれ以上にうれしくてたまらなくなった。
あなたは深々とお辞儀をした。辺りに微笑ましい雰囲気が流れる。
くるりと振り返ると、あなたは扉を開ける。
「頑張れよー!」「元気でやってろよー!」「風邪引くなよー!」「辛くなったらいつでも戻ってきていいんだからねー!」
多種多様な激励のシャワーを背に浴びながら、あなたは扉をくぐって―――!
○
――気づくと、あなたは現実世界に立っていた。
そのことが分かった瞬間、何はともあれまずは、というふうにあなたは数回深呼吸をした。
すう、はあ、すう、はあ、すう、
「……はあ」
最後のは、深呼吸と言うにはどうにもため息の成分が混じりすぎていた。
祭りが終わった後の寂しさに似た何かが、あなたの胸にじんわりと広がって離れなかった。
了
仲のよかった相互フォロワーの方がSNSを引退するときに餞別として送れるss 網槻 志保 @takakura4488
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます