第22話 橋の下で暮らす山中さん
片山さんのゴミ屋敷騒動が一件落着してすぐ…ホームレス巡回相談員の佐藤さんが役場にやって来た。大阪府がNPO団体に委託して、府内全域を網羅しているのだ。佐藤さんは、南大阪町の担当相談員である。
佐藤さんによれば、町内を流れる雨森川の相生橋の下に、55歳の男性がいるという。こんな田舎町にもホームレスがいることに驚かされた。
雨森地区の担当は玉城さんである。通常の新規ケースであれば、あとはケースワーカーにお任せになるのだが、いかんせん、南大阪町福祉事務所初のホームレスケースである。必然的に私も一緒に動くことになった。
佐藤さんによれば、男性は長らく保護の申請を拒んでいたが、この冬の寒さで膝の痛みが酷くなり、収入源の空き缶回収に支障が出るようになったことから、しぶしぶ同意したとのことである。国の指針では、ホームレスケースはその居場所に関わらず、一番最初に相談を受けた福祉事務所が保護の実施責任を負うこととされているが、大阪府のローカルルールで、巡回相談を経由した相談の場合は、その本人の居場所を所管する福祉事務所が実施責任を負うことになっている。だから佐藤さんは、躊躇なくウチにやって来た次第である。
翌日、佐藤さんに案内してもらい、その男性に会いに出かけた。山中平さん・55歳。愛媛県出身の男性である。丸っこい風貌で、人懐っこい笑顔が印象的である。山中さんは、相生橋の下の空間を上手に利用し、雨風を凌いでいた。ベテランキャンパーも顔負けの技を駆使している。巡回相談員の佐藤さんから事情を聞いていることを伝え、山中さんに生活保護の申請意思を確認すると…自分の年齢と膝の状態を考えると、野宿は限界にきていると思うので、居宅を設定して生活保護をかけて欲しいとのことである。
私自身、過去にホームレスの生活保護申請を数多く経験しているが、ほとんどの人は字を忘れてしまっており、申請書の作成に四苦八苦する。ところが山中さんは、玉城さんがバインダーに挟んだ保護申請書類一式を差し出すと、スラスラと書き始めた。住所は現在地である「南大阪町雨森」と記してもらう。本籍地も明確に覚えていた。これは非常にありがたい。ホームレスは住民票を職権消除されていることが多く、住民票を再設定しなければならないケースが多い。正確な本籍地がわからなければ、その作業も難航するのである。
書類を記載してもらった後、聞き取り調査に移行する。婚姻歴はなく生涯独身。高校卒業後来阪し、建築関係の仕事に従事していたが、5年ほど前に事故で右膝を負傷して失職。社宅も出て行かざるを得なくなった。その後あいりん地区での路上生活を経て、2年ほど前にここにやって来たとのことである。
現在の収入は空き缶回収で、月に6万円前後の収入があるという。そばに、大きなキャリアが括りつけられたママチャリが置かれていた。これで夜中じゅう走り回って空き缶を集め、週に1回リサイクル業者に売りに行くのだそうだ。衣類はリサイクル業者からもらい、お風呂は週に数回、泉州市の銭湯を利用。食事は自炊…。
ひとしきり調査を終えた後、私は山中さんにこう告げた。
「生活保護を適用できるか、居宅の設定費用を支給できるかは、これから2週間かけて調査します。調査の結果如何によっては、生活保護は適用するけれど、ご希望の居宅設定ではなく、一旦施設に入っていただいた上で、居宅設定に向けたサポートをさせていただくこともあり得ますのでご了承ください」
「わかりました。役所の判断に従います。今日は寒い中ありがとうございました」
山中さんはそう返答した。
役場に戻り、佐藤さんも交えてケース会議を行う。生活保護適用の阻害要因はない。したがって、保護は決定できるのだが、問題は居宅設定費用の支給要件をクリアできるかどうかである。居宅を設定するためには、「敷金・礼金・仲介手数料」「家具什器費」「布団代」の支給が必要になる。後二者の審査基準は比較的緩いが、問題は前者である。金額も大きく、居宅設定したわ、失敗したわでは、税金を原資にしている制度としては示しがつかない。福祉事務所としても、かなり慎重な判断が求められる。
「ホームレス歴は5年。それ以前にかなり長期間の居宅生活経験がある。あの橋の下の様子を見れば、十分居宅生活は可能と思います」
巡回相談員の佐藤さんの佐藤さんが口火を切る。
「私は正直不安です。5年もホームレスをしているということは、対人関係上の問題もあると思うんですよ。居宅設定して、近隣の人と仲良くやっていけるんでしょうか?」
担当の玉城さんが口を開く。
「玉城さんの意見も一理ありますね。でも、山中さんは我々を見送る時、『今日は寒い中ありがとうございました』と言ってくれました。なかなかそんな言葉、口にできないですよ。社会性はかなりある人なのではないでしょうか? それに、申請書類もスラスラ書けたでしょ? たぶん、これから必要になる役場関係のいろんな手続きも、少しサポートしてあげれば大丈夫なのでは…?」
私が口を開く。
その後も1時間以上議論し、「居宅設定は可能」という結論を見出した。居宅設定の段取りは佐藤さんが、戸籍や住民票関係の手続きは玉城さんが行うことになった。
1週間ほどでアパートも見つかり、家具什器や布団の手配、生活保護の支給決定手続きも完了。山中さんは、3月5日の保護支給日に、橋の下から屋根の下に移った。やはり住民票は職権消除されており、アパートを新しい住所地として住民票を起こした。山中さんは、早速整形外科を受診し、痛めた膝の治療が始まった。我々はしっかり療養するよう伝えたが、本人の強い意向で、無理のない範囲で空き缶回収を続けることとなった。
世の中には、「ホームレス」=怠け者という誤解がまかり通っている。それが証拠に、時折、世間知らずの若い連中が、「粛清」と称してホームレス襲撃事件を起こす。
ホームレスの収入源は、空き缶や段ボール等の回収業であることが多い。その仕事は未明に行われることが多いため、日中ほぼ寝て過ごし、夕方から徐々に活動を開始する。寝る前に、ささやかな収入で一杯引っ掛けることもある。すると、実情をよく知らない人は、「朝から酒飲んで寝ている…」ということになる。我々と生活リズムが違うだけで、やっていることは変わらないのだ。
また、ホームレスは、かなりハイレベルな生活術を身につけていることが多い。ではなぜ外で暮らすのか…? 玉城さんが懸念していたように、対人関係が苦手な人が多いのだ。彼らの大半は、人間関係のトラブルが原因で居宅生活を放棄したとの調査報告もある。
山中さんは、玉城さんの懸念をよそに、スムーズに居宅生活に移行した。地域の自治会活動にも積極的に参加している。元々の生活スキルが高かったこともあるが、巡回相談員の佐藤さんの粘り強いサポートや、家主、地域住民の理解があり、彼が落ち着いて生活できる環境を整えることができたからである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます