第19話 生活保護法施行事務監査
1月下旬。大阪府の「生活保護法施行事務監査」が入った。南大阪町福祉事務所が今年度の新設ということで、順番は府内で一番最後である。事前資料は年末に、私と岩本・阿部両主任と、庶務担当の畠山主査で分担して作成した。監査当日は、所内の実施体制のヒアリングと、実際のケースに対する事務監査…「個別ケース検討」がある。これは、監査担当者がケースファイルを読み、担当ケースワーカーからもヒアリングをして、生活保護法や保護の実施要領に即した対応が行われているか、事務的な観点からチェックが入る。その範囲は、現在保護適用中のケースはもちろん、廃止ケースや相談のみで申請には至らなかったケースまでもが含まれる。
監査の数日前、大阪府生活保護課の監査係から、「選定ケース」のケース番号表が送られてきた。南大阪町福祉事務所の保護世帯数は300、選定ケースは30件。ケースワーカー1人当たり6ケースということになる。
「皆さん、ケース記録の記入漏れ、収入申告書のもらい忘れ等がないかきちんとチェックしてください。それから、ケース概要がきちんと説明できるよう復習しておくこと。もし訪問回数が足りていないケースがあれば、至急家庭訪問もおねがいします」
私は各ケースワーカーにケース番号表を配りながら、そう伝えた。
そして監査当日の朝、大阪府生活保護課から、7名の職員がやってきた。
「森山課長。お久しぶりです。お元気ですか?」
「おおっ!辻本さん。お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
監査係長の辻本さん…私は2003年から2005年まで、大阪府生活保護課保護係で仕事をしており、その際臨席に座っていた優秀な女性職員である。私と同時期に他課へ異動したが、昨年また生活保護課に戻ってきたそうだ。
「森山さんが課長なんで、全然心配していません。…というか…どうかお手柔らかにお願いします。実は皆、戦々恐々なんですよ」
彼女はそう言って笑った。
午前10時。生活保護法施行事務監査が始まった。私の挨拶、辻本係長の挨拶、そしてそれぞれの自己紹介と「儀式」が滞りなく終了。監査班は2班に別れて仕事を始める。私は畠山主査とともに、所内の実施体制のヒアリングに臨んだ。ケースワーカーたちは、個別ケースのヒアリングを受ける。
昼休み、監査班の1人…山下さんという男性職員が私のところにやってきた。
「森山課長。私、保護係の山下と申します。福祉専門職員です。森山課長も大阪府から出向されている福祉専門職員とお聞きしまして、ご挨拶に来させていただきました」
監査班は、監査係のみならず、生活保護課の他の係からの応援部隊も混じっている。彼もその1人である。
「山下さん。お名前は聞いてますよ。今どんな仕事をされてるんですか?」
「生活保護の実施要領の担当です。私、生活保護は未経験なんですが、昨年4月に北部児童相談所から異動で生活保護課に来ました」
ん…? どっかで聞いた話やぞ…? 私と全く同じ道を歩いている。
「山下さん。それ…私と全く同じですわ。私も北部で児童福祉司してたんですが、急に生活保護課へ行けと言われて…もう15年も前のことですけど。生保手帳と別冊問答集…枕にして寝ましたわ」
「森山課長が当時作られた『生活保護マニュアル』、私のバイブルなんですよ。事務も抜群に出来た福祉専門職がいたとか、未だに森山課長は生活保護課では有名人です。今回の監査も、監査班を構成するのが大変だったと聞いてます」
「ははは…私はそんな大したもんやないですよ。生活保護ってねぇ…面白い仕事やと思いますよ。でも、残念ながら興味を持ってくれる人が少ない。どこの自治体でも、ケースワーカーや査察指導員のなり手を探すのが大変やと聞きます。山下さんはどうですか?」
「私は生活保護の仕事、面白いと思います。ライフワークにしたいと考えています!」
まあ…何と奇特な若者が出てきたものである。これは逃がしてはなるまい。
「山下さん。では…私の後継ぎになってください。みっちり仕込みますから!」
そんな会話を聞いて、ケースワーカーたちがわらわらと集まってきた。
「森山課長は、南大阪町では『歩く生活保護手帳』と呼ばれてます。あなたは『歩く別冊問答集』になってください」
阿部主任が口を開くと、皆一斉に大笑いした。
私は、私のケースワークの…いや、人生の師匠である、北部児童相談所時代の上司、国松課長のことを思い出していた。15年という月日が流れ、いつしか私が国松課長と同じようなポジションにいる。
「そうか…私もそんな年になったんだ…」
私そっちのけでワイワイやっている山下さんとケースワーカーたちを横目に、しみじみとそんなことを思った。
午後からの監査もつつがなく進み、16時半頃、辻本監査係長から監査講評が言い渡された。監査講評には、梶本民生部長も同席している。
「年始ご多忙のところ、大阪府生活保護法施行事務監査にご協力いただき、ありがとうございました。南大阪町福祉事務所の実施体制と、個別ケース300件のうち、10%にあたる30件を書面及びヒアリングにて監査させていただきました。その結果、概ね適正に事務が実施されているものと考えます。どうか今後とも、よろしくお願いいたします」
最後に梶本民生部長が挨拶をし、儀式終了である。
辻本係長が帰り際、私を呼び止めた。
「森山課長。ありがとうございました。私なんかが申し上げるのは恐れ多いですが、課長、さすがですね。南大阪町福祉事務所の基礎をしっかり築かれたと思います。お昼休みに山下ともお話をしてくださったそうで…彼も大層喜んでいましたよ。また生活保護課でお待ちしてます。4月にはぜひ帰ってきてください」
「辻本係長、こちらこそありがとうございました。ウチのケースワーカーたちも、個別ケース検討の中でいろいろ助言がもらえたと喜んでました。こういう監査は意味がありますよね。お互いにとって」
こうして、南大阪町福祉事務所の初めての生活保護法施行事務監査は、「指摘事項なし」という結果で幕を閉じた。
席に戻ると、机の前の内線電話が鳴った。電話の主は梶本民生部長である。すぐに一緒に町長室に行って欲しいという。
「梶本部長。先ほどは監査に同席いただきありがとうございました」
私はそう礼を申し述べつつ、一緒に町長室に入った。
「森山課長。ご多忙のところお呼び立てして申し訳ありません。あなたに少しお願いがありまして、お越しいただきました。すでにご承知いただいている通り、福祉事務所は私の公約に基づいて設置しました。今日の大阪府の監査でも、指摘事項はなかったそうで…ありがとうございます。私も梶本部長も、そして課員たちもあなたの手腕を高く評価しています。あなたさえよければなんですが…もうしばらく南大阪町に残っていただくわけにはまいりませんでしょうかねぇ…」
田代町長は私に、全く予想だにしなかったことを伝えた。
「田代町長。そういっていただけて光栄です。私も南大阪町にはご恩があります。私を生活保護ケースワーカーとして育ててくれた町ですから…。しかし、私の一存で決められることではありません。少し考えるお時間をいただいても構いませんか?」
私は田代町長にそう返答した。
任期は残り2ヶ月…課内の実施体制も安定し、ケースワーカーたちも着実に育っている…。しかし…だからこそもっともっと伝えたいことがある…。業務を完全に軌道に乗せるには、もう少し時間が必要である。そして、私には南大阪町に対する恩がある…許されるのならば、もう少しこの町に残りたい。それが私の本音である。
しかしながら、私は「大阪府庁」という組織の1つの歯車である。一存で決めるわけにはいかない。席に戻った後、私の大阪府庁での直属の上司である、中島福祉総務課長あて、田代町長とのやりとりを記したメールを送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます