第18話 お金がなくてご飯が食べられない
年が開け、2018年がやって来た。南大阪町役場は1月4日から業務を開始する。課内でひと通り新年の挨拶を終えた頃、窓口にでっぷりと太った高齢の女性が現れた。担当の広瀬さんが応対している。
「課長。ちょっといいですか? 小野トミさん…78歳の一人暮らしの女性なんですが、12月25日に支給した保護費を使い果たしてしまって、食べ物を買うお金もないとおっしゃってるんです。どうしましょうか…?」
小野さんは年金受給権がなく、月10万円程の生活保護費のみで生計を維持している。世間的には生活保護への風当たりは強いが、単身者の生活保護費はかなり低いと思う。家賃や光熱水費を支払うと、食費や消耗品費はほんの少ししか残らない。それに、町中でスーパーが価格競争している地域ならまだしも、南大阪町のような田舎では、相対的に物価は高い。よほど家計管理能力に長けていないと、生活を回すのは苦しいと思う。
お正月は何かと物入りだろうということで、1月分の生活保護費は年末に支給する。今回はそれが仇になってしまったようだ。
「広瀬さん。小野さんは何にお金を使ったんでしょう?」
「お正月で、ちょっと贅沢をしてしまったようです。あのお体なので、エンゲル係数も高いですし…それに、少し認知症の症状も出始めてるように思うんですよ。家の中も雑然としていて、家庭訪問する度に状況が悪くなっています」
「小野さんは要介護認定は受けてますか? それと…ご身内は?」
「介護サービスの利用を勧めたことはあるんですが、ご本人が拒否しています。ご身内は…離婚した元夫との間に息子さんがいますが、没交渉のようですね」
「残念ながら保護費の再支給はできません。かといって、ご飯は食べてもらわないと困ります。取り急ぎ、社会福祉協議会の『フードバンク』の利用が出来ないか交渉してみて下さい。それから…地域包括支援センターにも入ってもらいましょう。認定調査で『要支援』でも出れば、何らかの介護サービスが使えます」
社会福祉協議会との調整を広瀬さんに任せ、私はカウンター向かい…高齢福祉課にある「地域包括支援センター」に直接足を運んだ。
「武田さん。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「ああ、森山課長。あけましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いします」
武田さんは、地域包括支援センターのケアマネジャーである。保健師の資格も持っていて、町の高齢者福祉関係の実務の要でもある。私が大阪府南部福祉事務所のケースワーカーをしていた頃から面識がある…というか、阿部主任と同様「戦友」である。
「武田さん。ちょっとウチの高齢者ケースの件でご相談なんですが、よろしいですか?小野トミさん。78歳の女性なんですが、年末に支給した保護費を使い果たしてしまって食べるものがないと言って、今ウチの課に相談に来ています。食べ物の件は、社協と相談して対応するんですが、担当ケースワーカーによれば、認知症の症状も出ていて、何らかの援助が必要ではということなんですよ。一度お見立てしてもらってもよろしいでしょうか?」
「森山課長、了解です。すぐに行きますわ」
武田さんは、相変わらずフットワークが軽い。小野さん、広瀬さん、武田さんそして私の4人で面接室に入った。
「小野さん、はじめまして。生活保護課長の森山です。担当の広瀬から、小野さんがお困りだと聞きまして…ちょっと一緒にお話を聞かせてもらいますね。あ、この方は、地域包括支援センターの武田さんです」
「小野さん、はじめまして。地域包括支援センターの武田といいます。私は、お年寄りの方のいろんなご相談に乗ることを仕事にしています。お一人暮らしだといろいろ大変でしょう? 森山課長さんが小野さんのことを心配して、私に連絡をくれたんですよ。いろいろ教えてください」
「…よろしくお願いします。そうなんですよ。1人だといろいろねぇ…大変でねぇ…。でも私は大丈夫です。民生をもらってるだけでも申し訳ないのに、これ以上人様のお世話になるのは…」
小野さんは申し訳なさそうに我々に答えた。「民生」とは生活保護のことである。高齢者の中には、時々そのように表現する者がいる。
「小野さん。生活保護課も地域包括支援センターも、小野さんのために一緒に考えます。申し訳ないことは全然ないです。それに…私は小野さんのことが心配です。いつまでもお元気で暮らして欲しいと思っています」
広瀬さんが小野さんに語りかけた。
「そうそう、小野さん。遠慮はなさらないでください」
武田さんが相槌を打つ。
そこからは、武田さんが小野さんの生活状況をつぶさに聞き取り、連休明けの介護保険の認定調査のための家庭訪問の約束を取り付けた。介護サービスの利用を渋る人を説得する話術…人呼んで「武田マジック」である。認定調査には広瀬さんも同席してもらう。
武田さんの話が終わった頃、社会福祉協議会の横山さんが、お米やレトルト食品を段ボール箱に入れてやってきた。企業や個人の方からの寄贈品をストックした、「フードバンク」の支援物資である。
「広瀬さん。とりあえず、今お渡しできるのはこれだけなんですが、また足りなければ言ってください。お米は1人5キロと決まってますが、レトルト食品はまだまだお渡しできますので」
「横山さん、ありがとうございます!」
広瀬さんがはつらつと答える。
「小野さん、少し荷物が多いので、後で訪問のついでにご自宅にお届けします。来週火曜日の認定調査には、私も同席しますので、安心してください」
広瀬さんが小野さんにそう伝えると、小野さんは涙を流し始めた。
「皆さん…ありがとうございます。私なんかにこんなに優しくしていただいて…」
結局小野さんは、認定調査で「要介護1」という結果が出た。「要介護」になると、地域包括支援センターではなく、地域の「居宅介護事業所」のケアマネジャーによってケアプランが作成される。そして、支給限度額の範囲内で、ホームヘルパーを使うことになった。
当初はしぶしぶだった小野さんも、担当ホームヘルパーとのウマが合ったようで、生活状況はみるみる改善していった。おそらく次のお正月明けは、役場に来るようなこともないだろう。
後日、私は武田さんにお礼に伺った。
「武田さん、ありがとうございました。『武田マジック』健在ですね!」
「課長、何をおっしゃるんですか…恥ずかしいですわ。それより、担当の広瀬さん、しっかりしてますねぇ…森山課長のノウハウがしっかり伝わってます!」
私は武田さんにそう言われ、素直にうれしかった。できるだけのことを部下たちに伝えていきたい…でも、ちゃんと伝わっているのだろうか…? 私は日々葛藤していた。泣いても笑っても、私の任期は3月末までなのだから…。
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