第17話 なぜ北村さんは働こうとしないのか?

 暦は師走…12月である。地球の自転が速くなっているわけではないのに、年々1年が過ぎるのが速くなっているように感じる。年のせいであろうか…?


 「森山課長。ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか? 5月に保護を開始した、北村亜美さんなんですが…。求職活動がしやすいように、大地君の保育園の入園の段取りまでしたのに、肝心の本人が、あまり乗り気ではないんですよ。そろそろ27条指導指示も視野に入れなければならんのかと思ってるんですが…」


 北村亜美さん26歳。5歳の大地君を育てるシングルマザーである。婚姻歴はない。大地君の父親は妻子ある男性で、彼を認知していない。亜美さんの母親は、町営住宅で保護を受けている。元々母親世帯で一緒に保護を受けていたが、亜美さんと母親の折り合いが悪く、この5月から別々に暮らすようになった。大地君には発達障がいがあり、保健センターの保健師が継続的にフォローしている。亜美さんの求職活動を促すため、そして大地君の社会性を養うため、担当の阿部主任が児童福祉係に掛け合って保育園入所の段取りまでしたが、なかなか就職には結びついていない現状がある。


 「阿部主任。北村さんがなかなか気乗りしない理由ってわかりますか?」


 「えっ? 私は保護に甘えてるだけだと思います。彼女は幼少期からずっと、生活保護を受けて育ってきてますし…生活保護を受けて生活することが当たり前になっているのではないかと…」


 「いわゆる『貧困の連鎖』ってやつですかね? 確かにそれもあるかも知らんですが…私は、北村さんは大地君のことが心配なんだと思いますよ」


 私はそう返答した。


 もう10年以上も前のことであるが、児童相談所の児童福祉司をしていた頃、障がいのある子の母親に日々向き合っていた。日々の生活、将来への不安…そのストレスは、我々が想像する次元をはるかに超えている。


 「ハード的には生活保護で最低生活を保障し、保育園も段取りして求職活動のお膳立てをした。それはそれでいいと思うんだけれど…ソフト面ではどうでしょう? 北村さんの不安は拭い切れたと言い切れるでしょうか?」


 私は阿部主任に問うた。


 「うーん…どうなんでしょう? でも我々の仕事は、彼女の自立を促すことですよね?」


 「確かにそう。でも、彼女にとっての『自立』って何なんでしょうね? 経済的に安定するだけが自立ではない。そもそも、母子家庭の生活保護基準は高い目に設定されているし、高校卒業後ほとんど働いたことがない彼女がいくら頑張っても、保護を脱却できるだけの収入を得ることは難しい。いかに北村さんと大地君が落ち着いて暮らせるか…? 『精神的な自立』っていう考え方もありますよね」


 「でも、大阪府の監査にでも当たったら、たぶんこのケースは指摘されると思いますよ。強力な求職指導をせよと…」


 「さっきから言っているように、ハード面だけを見たらそうかもしれない。私はあんまりゴリゴリやるのはお勧めしない。無理やり働かせても、すぐに辞めてくるのがオチやと思いますよ。それは、彼女にとって失敗経験にしかならない。どうでしょう。一度就労支援員の古田さんに相談してみたら?」


 「そうですねぇ…わかりました。古田さんに相談してみます」


 阿部主任は、古田さんの元へ向かった。


 「古田さん。北村亜美さん…どうでしょう? 一度面接してもらってもいいですか?」


 「おう、ええよ。一度役場に連れて来てよ」


 数日後、北村さんが役場にやって来て、古田さんの面接を受けた。


 古田さんは、キャリアカウンセラーの資格を持つベテランである。包み込むような優しさの中に、一本筋の通った厳しさを持っている。面接は2時間近くに及んだ。


 「課長、阿部主任。北村さんは、やはり息子の大地君のことが心配みたいですわ。ここで無理に就労させたら、彼女も精神的に参ってしまう。まずは、彼女が生きがいを持って取り組める仕事は何なのかを、ボチボチ探っていきますわ。とりあえず、週に2度役場に来るよう指示しました。これで保護継続の要件は満たしますよね?」


 「そうですね。古田さんよろしくお願いします。課長、よろしいでしょうか?」


 「はい。お二人にお任せしますよ。」


 その後北村さんは、休むことなく古田さんの面接にやって来た。回数を重ねるごとに表情が明るくなっていくのがわかる。そして…


 「課長、阿部主任。北村さんは、子どもに関わる仕事がしたいようですよ。大地君にどう接したらいいのか、彼女なりに一生懸命勉強していて、その知識を生かしたいと言っています。ちょうど学事課が、町の「のびのびクラブ」の欠員補充の求人を出してましたので、応募してみたらと勧めました。そしたらえらい乗り気で、また明日履歴書を書きに役場に来ると言ってました」


 翌日、北村さんは古田さんの指導で履歴書を書き上げ、阿部主任とともに学事課に提出に出かけた。そして、3日後に面接試験があるとのことで、再び生活保護課に戻ってきて古田さんと面接室に入り、ひとしきり面接の練習をして役場を後にした。


 「課長。北村さん、合格しましたよ!」


 阿部主任が、私にうれしそうに報告してくれたのは、面接試験から数日後のことである。後日談になるが、北村さんは、保育園に大地君を預けながら、年度末まで仕事を全うした。元来の真面目さゆえ職場での評価も高く、次年度も継続雇用になった。


 稼働能力のある人に対する就労指導をどうするか…? 生活保護制度下では、永遠のテーマである。


 就労指導対象者が積極的に動かない場合、まずは動かない理由を丁寧に探るべきである。それをせずに、「指導」を押し付けると、ケースワーカーとの信頼関係も破綻してしまい、お互いにとってプラスにはならない。


 私自身は、とりあえず収入をということで目先の仕事を追いかけるよりも、その人が将来的にどんな仕事をしたいのか? それを押さえた上で、プロセスを踏んでいくべきと考えている。熱心に求職活動を継続していれば、たとえなかなか就職が決まらなかったとしても、保護継続の要件を満たすことになり、阿部主任が心配するように、監査で指摘されることもない。


 私の南大阪町での任期はあと3ヶ月…これから南大阪町福祉事務所を背負って立つことになるであろう彼に、このケースを通じてそのことを伝えたかったのである。

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