第11話 暑気払い
課税調査の処理が終わって一息ついた頃、駅前の小さな小料理屋で、生活保護課の暑気払いが行われた。課員8人で、懐石料理に舌鼓を打ちながら、雑談に講じる。
こういう場では、まず新人の広瀬さんに話題が振られる。
「広瀬さん。生活保護課に来られて4か月ほど経ちましたけど、どうですか?」
庶務の畠山主査が話を向けた。
「実は私…生活保護の仕事だけはしたくないと思ってたんです。自信がなかったというか…でも、南大阪町に来てよかったと思います。今は楽しく仕事をさせてもらってます!」
「広瀬さん。それ、私も同じ」
私が口を開くと…
「課長! 何を言うてはるんですか! この歩く生活保護手帳みたいな人が! 広瀬さん、信じたらダメよ!」
いい調子で飲んでいる阿部主任が笑い飛ばす。
「阿部主任、ホンマですねん。私も学生時代、生活保護を毛嫌いしてまして…」
皆の視線が私に集まる。そして次の瞬間…
「この大ウソつき!」
爆笑の渦が巻き起こった。
私は、学生時代は生活保護が苦手だったけれど、大阪府庁生活保護課で生活保護監査の仕事をしたことがきっかけで面白さを見出し、異動希望を何度も出して、2009年に大阪府南部福祉事務所の南大阪町ケースワーカーとして赴任したことを皆に伝えた。
「課長。自ら志願して生保ケースワーカーになる人って珍しくないですか? 私は…嫌だったなぁ…」
岩本主任が応じる。
「生活保護って、生々しい世界ですよね…。私は3月まで秘書課で仕事をしてましたが、何だか皆お行儀が良いというか、上っ面ばっかりで…。生活保護課では、最初は戸惑いが多かったですが、ケースに真剣に向き合えば、真剣に返してくれる…それが楽しいです」
玉城さんも続いた。
「私が3月までいた児童福祉係は、結構『個人商店』の職場なんですよね。まあ、私が子どものカウンセリングを担当していたこともあるんですが…でも、ここはチームプレイの職場ですよね。何か問題が起きても、皆で解決しようという空気がある…そんな職場なかなかないですよ」
北山さんが嬉しそうに口を開く。
「普通、生活保護の職場って空気が澱んでるんですけど…ウチは皆さん和気藹々と、明るい雰囲気で仕事をしてくれてますよね。私はそれが一番うれしいです。皆さんありがとうございます」
私は皆に頭を下げた。
「課長、何を言うてはるんですか? 課長が私たちのことを信頼して任せてくれる。そして、困った時にはちゃんと手を差し伸べてくれる。だから安心してのびのびと仕事ができるんですよ」
阿部主任がビール瓶を持って、私の隣にやって来た。
私のリーダーシップのとり方は、先頭に立って突っ走る熱血漢ではなく、マラソンを走る選手に並走しながら飲み物を渡す役的なやり方である。自立心が出来上がっていない人からは、「頼りない」と評されることもある。でも、生活保護課の皆には、私の意思がきちんと伝わっているようである。よかった…。
「ところで課長、バイク乗られるんですか?」
畠山主査が嬉しそうに隣にやって来た。
「はい。ライダー歴25年ですよ」
「へぇ…! 実は私もバイク乗るんですよ。50歳過ぎてから免許取りました」
「畠山さん、凄いですねぇ…。しかし、何故…?」
「いやぁ…何か…自由でしょ? それに、五体満足の今しか乗れないと思いましてね、一念発起したんですよ」
「バイクに乗ってると、嫌なことが全部飛んでいくんですよね…」
「課長。それわかります。一度ご一緒しませんか?」
「おっ! いいですねぇ…」
「私も若い頃は乗ってたんですが…サンパチにね。でも…今は孫が一番!」
古田さんが会話に加わってきた。
「皆さん、休日の趣味はありますか?」
私が残りのメンバーに話を向けると…
「私は子育ての合間を縫って、音楽をやってます」
と岩本主任。
「私は魚釣りです。釣り糸を垂れてると、嫌なことなんてすぐに水に流せます」
と阿部主任。
「私は妻とテニスをすることが多いです」
と玉城さん。
「私は…旅行が好きです。一人旅…」
と広瀬さん。
生活保護のみならず…福祉の仕事は、ケースのしんどい話を聞くことが多い。いかに公私の切り替えをスムーズにできるかが大事である。自分が心身ともに健やかでないと、ケースのしんどさに付き合うことができない。ところが、福祉を志す人にはまじめな人が多く、ボランティア精神も旺盛で、切り替えがうまくできない人が多いのも事実である。
「皆さん、夏季休暇は上手に使ってくださいね。それと…残業も最小限でお願いします」
私は課員全員に伝えた。
「課長の配慮のおかげで、帰りやすく、休みやすくなりましたよ。前は酷かったもんなぁ…ねえ、岩本主任」
阿部主任が苦笑いしている。
確かに、よほどの急ぎの仕事がない限りは、生活保護課の閉店は早い。「働き方改革」が叫ばれている昨今、私はそれでいいと思う。
その後も楽しい宴は続いた。職場の飲み会というものは、どこか職場の延長的な空気があるが、皆本当に楽しそうである。時が経ってバラバラの職場に散っていっても、時々は「同窓会的」な集まりが開かれるんだろうなぁ…そんな空気が今から感じられる。
宴も最終盤に差し掛かり…
「さっき北山さんもおっしゃってましたけど…ウチはチームプレイの職場だと思っています。本当に役者揃いで…人事には感謝しています。皆さん今後ともよろしくお願いします」
私は皆に頭を下げた。
「じゃぁ…一本締めで締めましょうか! よおーっ! パチン!」
畠山主査が音頭を取り、暑気払いの宴は幕を閉じた。
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