第12話 中村さんの死
お盆が過ぎ、郊外にある南大阪町は、朝夕は少し凌ぎやすくなってきた。そんなある日、朝一番に、民生委員の葛山さんが生活保護課の窓口にやってきた。
「金山の中村秀明。いつも夕方になったら、庭先でビール引っ掛けてたんやけど、ここ数日姿を見かけんのよ。どっかに出かけるようなヤツでもないし…」
私は葛山民生委員のただならぬ気配を感じ、応対している担当の広瀬さんの元へ…そして、
「広瀬さん。岡田医院に連絡して、直近の受診状況を確認してもらえますか?」
と指示を出し、席を代わった。
中村さんと葛山民生委員は幼馴染である。近所の人たちが距離を置く中、いつも気にかけてくれていた。
「課長。一昨日が受診日だったようですが、来ていないとのことです」
と広瀬さんが窓口に戻ってきた。これは少しマズいなぁ…
「葛山さん。中村さんところに一緒に行ってもらっていいですか? 広瀬さん、今から出られますか?」
「はい、大丈夫です!」
「課長。公用車の準備出来ました。私が行きましょうか?」
と玉城さん。
「玉城さん、ありがとうございます。万が一があってはいけないので、私が行きますわ。申し訳ないですが、留守番お願いしますね」
畠山主査から手渡された業務用携帯を持ち、我々は急いで中村さん宅へ向かった。
中村さん宅は、役場から車で10分ほどのところにある町営住宅である。戦後すぐに建てられたものだそうで、庭付きの平屋の一戸建てである。玄関には鍵がかけられ、中に人がいる気配はない。
「中村さーん!」
もちろん、大声で呼びかけても応答はない。玄関扉の新聞受けから室内を覗くと、居間の奥に倒れている人影が見えた。中村さんだ!
「広瀬さん。救急車を呼んでください。中で中村さんが倒れてますわ!」
救急車は5分ほどで到着した。救急隊員が玄関扉のガラスを割り、室内に突入する。我々も続いて室内に入った。
「完全にこと切れてますね」
救急隊員が我々にそう伝えた。
しばらくすると、警察官がやって来た。そして、通報の経緯等を事細かく聞かれた。
「第一発見者に…なってしまいましたね…」
私は広瀬さんに呟いた。
自宅での不審死の場合、まずは事件性があるという前提で警察の捜査が行われる。警察官にもよるが、これが結構厄介だったりする。第一発見者は、まず例外なく疑われるのである。程なくして、鑑識班がやってきた。そして、中村さんの亡骸は担架に乗せられ、南大阪警察署に運ばれた。これから司法解剖が行われるとのことである。
「森山課長、広瀬さん。ご足労ですが、後ほど署までお越し願えますか?」
「わかりました。それまでに、ウチから身内の方へは死亡連絡を入れておきます」
その日の午後3時過ぎ、私と広瀬さんは、警察署に赴いた。司法解剖の結果、中村さんの死因は、「急性心筋梗塞」だったとのことである。発見時の調書が作成され、署名捺印を終えた頃には、日が沈みかかっていた。その間、課員たちが諸々調整してくれて、葬儀は町内に住む妹さんが執り行ってくれることになった。中村さんの保護は、翌日付けで廃止となった。
中村さんの死から数日後、私と広瀬さんは、町営住宅を担当している建設課の職員とともに中村さん宅に入った。この日、室内の荷物の処分が行われる。室内の動産…資産価値のあるものは、換金されて処分費用に充当されるが、そうでないものは産業廃棄物として処理される。通常は建設課に任せきりになるのだが、中村さんの妹さんの要望で、形見になりそうなものを持ち出すことになったのだ。
ちゃぶ台にはご飯が入った食器類と、焼酎の瓶がそのまま置かれている。死亡推定時刻からすれば、晩酌の直前に意識を失い、そのまま帰らぬ人となったようである。中村さんの亡骸発見場所でそっと手を合わせ、室内の荷物の仕分けに取り掛かった。
室内は比較的きれいに整理されている。それは中村さん本来の性格によるものだったのだろう。私はこういう作業には慣れっこであるが、広瀬さんは時々涙ぐんでいる。荷物の処分は思いのほかスムーズに運んだ。私は古いアルバム類と、中村さんがよく着ていたジャンパーと帽子、身分証明書や預金通帳の類を持ち帰り用の段ボール箱に入れた。
建設課の職員が去った後、我々はしばらく室内に残った。鍵は後で返せばよい。中村さんは、私が生活保護ケースワーカーとして初めて担当したケースの1人である。前任者からは、とんでもない対応困難ケースだと引き継ぎを受けた。しかしどういうわけか、私とはウマが合った。「森ちゃん」と呼んで慕ってくれた。
この家にもよく来た。中村さんは私が来ると、必ず近くの自販機で缶コーヒーを2つ買ってきて…
「森ちゃん、お疲れ! ホンマはビール飲ませたいんやけど、仕事中やもんなぁ…」
そう言いながら1本を私にくれた。そして、必ず乾杯して一緒に飲んだ。
中村さんとは、本当にいろんな話をした。彼は大酒飲みの鼻つまみ者だったけれど、本心は…寂しかったのだろうと思う。私がそのことに気づいてから、一気に距離が縮まった。そして、不慣れでどこかぎこちなかった他のケースとのやりとりも、次第にスムーズに行くようになった。そういう意味で、彼は私の「お師匠さん」だったと思う。
彼は広瀬さんにも、短い期間ながら人生の先輩として、いろいろなことを伝授していたようである。彼女の涙の理由はそこにあったのだ。
私は広瀬さんを室内に残して外へ出た。そして、自販機で缶コーヒーを2本買って戻ってきた。
「広瀬さん。中村さんに献杯しましょう」
「…はい。」
荷物整理から数週間後、中村さんが住んでいた町営住宅は取り壊され、更地になった。私は、やりきれない虚しさを感じた。
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