第8話 高山さんの「ギャンブル依存症」にどう対応するか
「うーん。お話からすれば、高山さんは『ギャンブル依存』で間違いないでしょうね。一度ウチのクリニックを受診させてもらえませんか?」
月に1回の嘱託医の来課日、藤井先生はそう言い切った。
ギャンブル依存は、一昔前までは「ならず者」の問題行動と認識されていたが、最近は研究が進み、「脳の病気」であるとの説が主流になりつつある。パチンコやスロット、競馬や競輪等で大当たりすると大量のドーパミンが放出され、脳が快感を覚える。それが繰り返されることで行動抑制が効かなくなり、ギャンブルをせざるを得ない心理状況に追い込まれる。実は本人ももがき苦しみながら、ギャンブルを続けているのである。中には、無意識のうちに現金の窃盗をしたり、抑制が効かなくなって、コンビニ強盗等に走るような物騒な事件に結びつくこともある。
我が国は、町のいたるところにパチンコ屋がある。そこにあるのは「ギャンブルマシーン」であるが、警察や公安委員会も、都合の良いように法解釈をし、野放しにしているのが実情である。それだけギャンブルにも馴染みやすい。高山さんは、その典型例である。
ギャンブル依存の治療に「薬」はない。いかに本人が自覚して行動抑制していくか…周囲がどれだけ正しく理解して、本人を支えていけるかがカギである。
藤井先生が帰った後、私は担当の玉城さん、就労支援員の古田さんと、北山さんを面接室に招き入れた。そして、ケース会議を行った。
「どうやら、高山さんのギャンブル依存症は間違いなさそうです。一度藤井先生のクリニックを受診させましょう。藤井先生は大阪でも数少ない、『ギャンブル依存…病的賭博』の診断ができるドクターです。幸いでしたね」
私は皆にそう伝えた。
「課長。『検診命令』を打つということでよろしいでしょうか?」
玉城さんが応じる。「検針命令」とは、ケースの医療的な見立てが必要な時や、客観的に見て受診が必要であると認められる状態にもかかわらず、受診を拒否しているような場合に、福祉事務所の「命令」として受診を促すものである。応じなければ、必要な手順を踏んで保護の停廃止もできるという、いわば「伝家の宝刀」である。
「玉城さん。もっと枠を広げて『27条指導指示』という方法もありますよ」
「『27条』…ですか?」
「そう。受診だけでなく、その後のカウンセリングや自助グループへの通所、それと、パチンコ屋に入り浸らないこともひっくるめて指示するんですよ」
「27条指導指示」…「生活保護法第27条」に基づく、福祉事務所からケースに対する指導である。これには口頭によるものと文書によるものがあり、まずは口頭で、それで応じなければ文書でと段取りを踏むこととされている。
先日私が面接室で、パチンコを慎むよう高山さんに指示した。これは、「口頭指示」である。次やるとすれば、彼に文書を交付することになる。文書が交付されると、万が一その記載内容が守られないとすれば、必要な手順を踏んで保護の停廃止もできることになる。結論的には、「検針命令」と同じであるが、「27条指導指示」の方が広く網をかけられることになる。
私は少し判断に迷ったが、「27条指導指示」はそう再三使える手ではない。万が一の場合に取っておこう。担当の玉城さんの意向を尊重し、とりあえず「検針命令」で藤井クリニックを受診してもらうことにした。その後のことは、またその時の状況で考えればよい。
「課長。私の就労支援はどうしましょうか?」
古田さんが口を開いた。
「ギャンブル依存の自助グループは、泉州市のキリスト教会で、2週間に1度行われているようですね。そこへ通ってもらうのは、ギャンブル抑制の絶対条件だと思います。就労支援と自助グループ…2本並行するのは、高山さんにとって負担ではないでしょうか?」
北山さんが続ける。
「しかし…就労支援もやめるわけにはいかんでしょう? ギャンブル依存は就労阻害要因にはならんですよ」
私は3人にそう伝えた。
結局のところ、就労支援と自助グループ通所は同一日に設定し、高山さんの負担を軽くしようということで落ち着いた。北山さんには、高山さんの自助グループへの誘導を依頼した。
「課長。債務整理はどうしましょうか?」
玉城さんが私に問うた。彼はそこが気になって仕方がないようである。
ギャンブル依存と債務整理は、いわゆる「セットもの」である。借金のないギャンブル依存症者はいない。…というか、借金をしてまでギャンブルをするから「ギャンブル依存」なのである。
「借金」の「枠」は、個々の収入状況等を勘案して設定される。一般論的に言えば、消費者金融は本人の年収の3分の1まで、大手銀行カードローンもそれに準じているところが多い。過当競争の中で、地銀系カードローンでは、もう少し枠を広げているところもある。
万が一返済が滞ると、各社が加盟している信用情報機関に「延滞情報」が登録される。一般的には「ブラックリストに載る」と表現され、新たな借り入れは困難になる。
本人の債務が周囲の人間に知れることとなった時、「ブラックリストに載る」ことや取り立てを恐れ、親族に立替え払いを求めて丸く収めようとするケースや、親族の側から積極的に立替払いをするケースが散見されるが、借入理由がギャンブルである場合は、絶対やってはいけない。金融業者は「優良顧客」と判断し、貸付枠を広げてくる可能性が高い。行動抑制が効かなくなった者が、貸付枠の増大という情報を得た時にどのような行為に走るか…想像に難くはないだろう。
「ギャンブル」をとりまくさまざまな問題の中で、「借金」は本人や家族にのしかかる最も切実な問題の1つではあるが、敢えて返済を滞らせて「ブラックリスト」に載せてしまえば、物理的に抑制が可能である。取り立て行為も、きちんと法律で制限がかけられているので過度に恐れる必要もない。その状況下で、行動抑制のための治療につなぐことが、問題の根本的解決のためのカギになる。
玉城さんの聞き取りで、高山さんの債務は、消費者金融3社・銀行カードローン2社で300万円、そして1年以上返済できていないことがわかっている。すでに「ブラックリスト」に載っている状態で、新たな借り入れは出来ない。だから対応を慌てる必要はないのだ。そして、彼が生活保護を受けているという現状から、債務整理の選択肢は自己破産しかない。
「玉城さん。彼はもう新たな借り入れができない状態になっています。これ以上債務元本が膨らむことはないので、ギャンブル依存の治療を優先しましょう。生活原資である保護費を使い込まれては困りますから。その上で『法テラス』を活用して、債務整理…自己破産手続きをするよう指導すればよいです。治療に就労指導に債務整理…一度にやると、彼がパンクしてしまいますよ」
「法テラス」は、国が低所得者向けに用意した司法支援制度である。一定の所得以下の人に格安で法的サービスを提供する。わかりやすく言えば、格安で弁護士に事件を委任できる。ちなみに生活保護受給者は、実質無料で弁護士に委任できるのである。
「ギャンブル依存の治療が軌道に乗った頃を見計らって『生活保護受給証明書』を高山さんに渡し、法テラスの予約を取るよう指導してください。あとは相談予約日に、保護証明と債務がわかる書類を持って行ってもらえば大丈夫ですよ」
「課長。その時は…私も同行した方がいいでしょうか?」
「その必要はありません。高山さん1人で行かせてください。自分のことは自分で処理しないと…彼のためになりません」
1週間後、高山さんは藤井クリニックを受診し、「ギャンブル依存」の診断を受けた。そして、北山さんの仲介で、隣の泉州市で行われている自助グループへの通所が始まった。同じ日に古田さんが就労支援の面接をし、早期の就労を促す。そして後日談になるが、お盆を過ぎた頃に法テラスにつなぎ、債務整理…自己破産の手続きに着手した。
福祉事務所としてできるのはここまでである。あとは、高山さん自身が課題に向き合ってどう歩んでいくか…側面的に見守っていくしかない。万が一うまく行かなければ、その時の状況で軌道修正を繰り返す。
ケースは決して教科書通りには動いてくれない。根気強く付き合うしかないのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます