第5話 大川さんからの新規申請
5月連休明け。窓口に初老の男性が現れた。大川正和さん・58歳である。阿部主任が応対しているが、どうやら病気で仕事が出来ず、医療費も払えないとのことらしい。住まいは金山地区とのこと。
「森山課長。広瀬さんの地区で新規相談です。私、一緒に入りましょうか?」
ケースワーカーは「地区担当員」とも呼ばれる。その名の通り、5名のケースワーカーは、南大阪町域を5つにわけ、それぞれの担当地区を持っている。大規模な福祉事務所であれば、OB等を非常勤雇用し、新規相談専任の「面接相談員」として配置していることが多いが、南大阪町には面接相談員はいない。新規相談が上がれば、その地区の担当者が対応することになる。
「阿部主任。お願いしていいですか? 広瀬さん。保護申請書、資産申告書、収入申告書、調査の同意書、保護費基準額表、電卓、朱肉とポケットティッシュを持って、阿部主任と一緒に面接室に入ってください。そうそう、メモも忘れずにね」
30分ほどして、広瀬さんが面接室から出てきた。彼女の説明によると、大川さんは町内の縫製工場でパート就労していたが、4月上旬頃から体調を崩し、町医者を経て共済会記念病院を受診。その結果、末期の肺がんであることが判明した。主治医からは即入院するよう言われているが、休職中で収入がなく、預貯金も残り5万円を切っているため入院費が払えないとのことのようである。
「広瀬さん。大川さんの傷病手当の受給資格確認…傷病手当があれば、高額療養費制度の利用で医療費と当面の生活費が賄えるかもしれません。あと、次回の受診日の確認もお願いします。保護の申請が上がれば、主治医訪問をして、病状調査をしましょう」
「課長。わかりました。ありがとうございます」
広瀬さんは面接室に戻った。
さらに30分ほどして、大川さん、阿部主任と広瀬さんが面接室から出てきた。面接が終わったようである。
「森山課長。保護の申請が上がりました。資産は預貯金が5万円弱、傷病手当の受給資格もなさそうです。状況からすれば、保護の決定やむなしかと思います」
阿部主任が重い口を開いた。
「そうですねぇ…厳しいなぁ…。とりあえず、預貯金調査と病状調査をしましょうか。次回の受診日に大川さんに同席して、主治医の中野先生から直接病状を聞いてみましょう。共済会記念病院の医療相談室には私から連絡して、病状調査の依頼をかけておきます。MSWは木下さんで変わってないですよね?」
「はい、MSWは木下さんです。預貯金調査は、私も勉強しながら広瀬さんと一緒にやります」
阿部主任がさらりと答える。
「阿部主任、よろしくお願いします。わからなかったらいつでも聞いてください。ついでで申し訳ないんやけど…病状調査の同行もお願いしていいですか?」
「課長、もちろんです。お任せください」
「森山課長、阿部主任、ありがとうございます!」
広瀬さんが、不安な気持ちを払拭するかのように、わざと元気な声で答える。そして、その様子を優しく見守る課員たち…。いい職場だ。そんなやりとりを見つつ、私は受話器を上げた。
「…こちら南大阪町生活保護課の森山と申します。医療相談室の木下さんをお願いします」
「木下ですね。しばらくお待ちください」
「はい、お待たせしました。木下です。あーっ! 森山さん! お久しぶりです。南大阪町に帰って来られたって…風の噂で聞いてました。またよろしくお願いします!」
「そうなんですよ。2度目の出戻りですわ。そうそう、今日お電話したのは、新規ケースの病状調査に協力いただきたいと思いまして…大川正和さん、58歳の男性です。主治医は中野先生。どうやら末期の肺がんで入院が必要らしいんですが、医療費が払えないということで、さっき生活保護を申請されました。次回の受診時に担当ケースワーカーを同席させます。医療費は、保護が決定すれば医療券で、却下の場合…ないとは思うんですが、その場合は、次回受診分のみ検針命令で対応します。よろしくお願いします」
3日後、阿部主任と広瀬さんが共済会記念病院に足を運び、大川さんの診察に同席。主治医から病状を聞き取った。そして、大川さんはその日のうちに入院となり、病気治療が始まった。
保護申請から10日後。預貯金調査の結果が出そろった。結局大川さんが申告した以外の資産は見つからず、保護申請日付けで生活保護開始決定となった。
私は広瀬さんに、共済会記念病院に保護開始決定の連絡をするよう指示するとともに、こう伝えた。
「広瀬さん。大川さんには、離婚した奥さんとの間に娘さんが1人いるようですね。長年没交渉のようですが、残念ながら大川さんの余命は…もって2か月…扶養調査をしてみましょう」
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