第3話 生活保護ケースワーカーというお仕事

 2017年4月10日午前。岩本・阿部両主任に窓口対応をお願いし、私と3名のケースワーカーは会議室に入った。目的は「研修」である。一般的には、研修は実務に就く前に行われるべきものと信じられているが、福祉の現場では、必ずしもそうではない。


 生活保護は「最後の砦」と言われる。ありとあらゆる手を尽くしても生活が立ち行かない時に、初めて生活保護に適用がなされるためである。そういう意味で、生活保護業務に従事する者は、生活保護制度はもちろん、他法他施策に精通している必要がある。そして、どの人のどの状況で、どの施策が活用できるのか…?これは、現場の空気で感じることも多く…ある程度場数を踏まないとわからない。


 現場経験のある岩本・阿部両主任はともかく、北山さんは生活保護業務未経験、玉城さんは福祉業務そのものが未経験、広瀬さんは社会人1年生である。まずは1週間ほど現場の空気に触れてもらった後、諸々研修をする方がより効果的と判断した次第である。


 「皆さんは、生活保護業務は未経験です。知識がないのは当たり前。そのことに負い目を感じないでください。わからないことは、私はもちろん、周りの人に聞いてください。皆必ず教えてくれます。今とにかく心がけることは…」


 3人とも、真剣な表情を浮かべながら聞いている。


 「相手が何を言おうとしているのか、相手に共感しながら正確に訊き取ることです」


 私はそう続けた。


 「『傾聴』が大事ということですよね?」


 臨床心理士でもある北山さんが応じた。


 「相手が求めていることは何なのか? その背景にある『事実』は何なのかをまず把握してください。そして、自分が理解できないことは、理解できるまで相手に訊いてください。思い込みは絶対にダメです。」


 私はさらに続けた。


 「『正確な事実認定なくして、的確な助言は出来ない』…私が長年の仕事の中で培ってきた理念です。事実はたった1つ。でも、その事実を踏まえ、進んでいく方向はいろいろあるんですよ」


 「その場で判断に迷ったら、必ず持ち帰ってください。その際、『わかりました』とはいわず、『お聞きしました』と返答してください。『わかりました』と言ってしまうと、相手は自分の言い分が通ったと判断してしまいます」


 言葉遊びのようであるが、私自身、若かりし頃、担当ケースに習慣的に「わかりました」と返答してしまい、後で修正が出来ずに大変な思いをした経験がある。このことはぜひ若い人たちにも理解しておいて欲しいと考えた。


 「ケースワーカーは、『側面的援助者』です。ケースワーカーが、ケースの進む道を決めるのではない。決めるのはケース自身です。そのことを絶対に忘れてはいけません」


 私はさらに続ける。すると、新人の広瀬さんが


 「大学の講義で習いました」


 と応じた。


 実際に現場で仕事をしてみると、自己決定できない被保護者が異常に多いことに気付かされる。「森山さん、どうしたらいいですか?」このセリフ、何回聞いたことか…。


 自己決定するだけの材料を揃えられない人、材料は揃っているのだが決断が出来ない人、すでに材料が揃っていることに気付いていない人…自己決定できない理由は人それぞれである。ケースワーカーは、材料を揃えられない人には、自分で揃えられるようサポートし、材料が揃っている人には自己決断を促し、材料が揃っていることに気付いていない人には、自分で気付くことが出来るようサポートする…それが役目である。


 行政マンは、住民から求められると、ついつい言われるがままに手助けをしてしまう。そしてそれこそが行政サービスだと信じて疑わず、住民もそれを求めてしまう傾向がある。ケースワーカーは相談援助のプロとして、その手助けが本当にその人のためになるのか?という発想が必要だと思う。自分のことはケースワーカーに決めてもらうのではない。自分で決めるものであり、ケースワーカーはそれを手助けするものだ…


 そんな話をざっくばらんに3人に聞かせた。


 「皆さん、南大阪町役場の業務時間はご存知ですよね?」


 「9時から17時30分までです」


  玉城さんが応じた。


 「窓口・電話対応や家庭訪問は、原則その時間内に収めるようにしてください。ただし、緊急の場合はその限りではありません。やむなく時間外勤務になる場合は、必ず私の事前承認を受けてください」


 私は過去に、一部の職員が上司の指示を振り切り、独断善意で時間外の相談対応を実施。ついにはそれが当たり前になってしまい、業務時間の区切りが曖昧になってしまった職場を複数経験している。具体的にいえば、朝8時の相談でも、夜9時の相談でも、相談者の都合に合わせますよということである。それらの職場で、職員のバーンアウトが多発したのは想像に難くないだろう。


 私は、生活保護は行政機関による「公的サービス」であって、慈善事業ではない。定められた業務時間の中で、決裁権者も勤務している時間帯の中で最大限のサービスを提供すべきであり、時間外対応は緊急時に限られると考えている。それが組織を守ることであり、職員のバーンアウトを防ぐことにつながる。


 そんな話も3人に聞かせた。


 「課長。私みたいな若い女性でも、生活保護のケースワーカーは務まるんでしょうか?」


 おそるおそる、広瀬さんが切り出した。


 「若い人には若い人、年配の人には年配の人なりのケースへの接し方があると思いますよ。生活保護の場合は、ケースワーカーが『お金』…すなわち保護費を握っています。だから、ほとんどのケースは常識的に接してくれます。慣れないうちは私が同行訪問しますから、安心してください」


 「広瀬さんに限らず、対応に不安があるケースや、水掛け論が起きそうなケースは私に教えてください。一緒に動きます。それが私の役目ですから」


  私は3人にそう伝えた。


 私はここで、ようやく生活保護制度そのものの説明に入った。


 「皆さんの手元に、『生活保護手帳』と『別冊問答集』がありますよね。制度の基礎は、この2冊にすべて書かれています。全てを読破する必要はありません。どこに何が書かれているのかレベルで把握しておいてもらって、何らかの判断をする時には、必ずこれら2冊を紐解いて根拠を確認するようにしてください。そして、その根拠をケース記録に記載してください」


 「生活保護ケースワーカーの仕事の基本は『家庭訪問』によるケースの生活状況の把握と指導です。役場でケースを待つのではなく、積極的に出かけていってください。一方で、ケースワーカーは、『計算ワーカー』とも揶揄されます。保護費の決定やケース記録の作成等、事務仕事の多さに驚かされると思います。『訪問』と『事務』をいかにバランスよくこなすかがカギです」


 そして研修の最後に、3人にこう伝えた。


 「生活保護は、『性善説』に基づいた制度です。ケースは絶対に悪いことをしない。その前提で制度設計がなされています。しかし、皆さんがこれから現場に出て行くと、生活保護制度の限界にぶつかることも多くなると思います」


 「きっと腹の立つこともたくさんあるでしょう。でも大事なことは、あなた方の担当ケースを信じることです。そのことが信頼関係に結びつきます。信頼関係ができれば、悪いことをしようという気も起きなくなります。人を助けるのは人…そのことを常に心の片隅においてください」


 私は3人に研修をしながら、自分が初めて生活保護ケースワーカーになり、南大阪町を担当することになった時のことを思い返していた。2009年4月…もう8年も前のことである。私はこの町に育ててもらい、「生活保護」等生活困窮者に関わる仕事をライフワークにするのだと決意した。今こういう形で、後輩たちに、そして町民に還元ができることに喜びを感じていた。

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