第2話 保護費支給日の風景

 南大阪町民生部生活保護課…「南大阪町福祉事務所」発足から3営業日目…2017年4月5日は、4月分の生活保護費の支給日である。


 生活保護費は、原則的には被保護者世帯筆頭者の銀行口座に振込支給するが、中には振込支給を希望しない者や、指導上の理由等から、敢えて役場支給をしているケースもある。ここ南大阪町では、約5分の1にあたる約60世帯が役場支給を行っている。今回は、保護の実施主体が変わることで生じる被保護者への影響を少なくするため、例外的に大阪府南部福祉事務所が保護費を支給し、後日府と町の間で費用の調整が行われる。


 保護費の支給は朝10時から、福祉事務所の面接室の1つを開放して行う。今回は、大阪府南部福祉事務所のケースワーカーも出張してきている。ケースの引き継ぎを行うためである。昨年1年間、大阪府南部福祉事務所に出向していた岩本主任以外の4人のケースワーカーは、大阪府の職員から南大阪町の職員に交代となった。


 ちなみに生活保護業界では、「被保護者」のことを「ケース」と呼ぶ。今回はケースの顔を把握するため、私も支給に立ち会わせてもらうことにした。支給に立ち会うのは、大阪府南部福祉事務所のケースワーカーをしていた2009年以来、約8年ぶりである。どこか懐かしい空気を感じた。


 「おっ! 森ちゃんやんけ! なんや? 出戻りか! 元気してたか!」


 唐突に背中を叩かれた。初老の大柄な男性…この声、この顔は…中村秀明さんである。


 「中村さん。お久しぶりです。 ん? 相変わらず酒臭いなぁ…また朝から引っ掛けてはる?」


 「気のせいや! ガハハ! 森ちゃん、課長か! 偉なったなぁ…またよろしく頼むわ!」


 そう言うと、ひったくるように保護費の入った封筒を握りしめた。多分気持ちはもう、飲み屋に片足を突っ込んでいる。


 中村さんの担当ケースワーカーは、新人の広瀬さんか…。しばらくは同行訪問するしかないか…。


 「中村さん。午後から担当ケースワーカーと家庭訪問しますから。飲み屋に行かんと、ちゃんと家に帰って待っとってください」


 「おっ! 森ちゃん来てくれるんか! うれしいなぁ…ウチで一杯やろか! ガハハ…!」 


 中村秀明さん…重度のアルコール依存症の男性である。飲酒癖は留まるところを知らず、地域でのトラブルも頻回…。もちろん、指導にもなかなか乗らない曲者…担当ケースワーカー泣かせの難ケースである。それがどういうわけか、私とはウマが合ったらしく、私がケースワーカーとして、そして査察指導員として関わった通算2年間は、比較的大人しくしていた。


 続いてやってきたのは山本浩さん。心臓疾患がある46歳の独身男性である。山本さんは、私がケースワーカーをしていた時に保護を開始したケースである。体に負担のかからない範囲で介護の仕事に従事し、介護福祉士の国家資格取得を目指していた。


 「あーっ! 森山さん! 帰ってきてくれはったんですか!」


 私の顔を見るやいなや、保護費の入った封筒そっちのけですっ飛んできた。


 この間、何とか国家試験受験に必要な実務経験年数はクリアしたそうだが、肝心の試験が通らないとの弁。


 「山本さん。お久しぶりです。お元気そうで安心しました。またここでお世話になります。資格の件は…ボチボチ考えましょう。慌てなくても大丈夫ですよ」


 山本さんは、年齢的には「稼働年齢層」…阻害要因がない限りは就労指導が必要なケースである。しかしながら、心臓ペースメーカーを装着しており、身体障害者手帳1級の認定を受けている。そのため、福祉事務所の「世帯類型」では「障がい者世帯」となり、積極的な就労指導は要しない。彼は生きがいのため、そして、人様の役に立ちたいという思いにより、自主的に働いているのである。もちろん、稼働収入は定期的にきちんと申告されている。担当ケースワーカー時代、私はそんな彼に、尊敬の念を持って接していた。その気持ちは、きちんと彼に伝わっていたようである。


 その後も続々と、窓口支給のケースがやってくる。1時間ほどで、ほぼすべての封筒がなくなった。残った封筒は生活保護課に持ち帰り、窓口で手渡すことになる。


 さておき、保護費の支給日の朝は、役場3階のフロア全体が独特な空気に包まれる。保護費を受け取りに来たケースのみならず、スーツに身を包んだ、明らかに場違いな雰囲気の男性、少し濃い目の化粧を施したきらびやかな女性等、普段役場で目にすることのないような人物が登場する。前者は家賃の取立てに来た家主や保証会社の社員、中にはヤミ金業者もいると聞く。後者はいわずもがなである。


 担当ケースワーカーが振込支給を勧めても、それに応じないケース…実は、滞納や借金があるケースが多い。もらった保護費は、債権者がその場で回収していくという構図が出来上がっているのである。国や大阪府は、諸々のトラブル防止のため、できるだけ現場職員が現金を触らないよう、窓口支給を止めるよう福祉事務所を指導しているが、おそらく窓口支給が0になることはない。それは、そういう裏事情が潜んでいるからである。


 一般的には、滞納や借金があると生活保護が受給できないと信じられているが、これは誤った解釈である。正確に言うと、原資が税金である「生活保護費」は、最低生活の維持のために用いられるべきものであって、滞納や借金の返済に充てるのは適切ではないということである。きちんと債務整理さえすれば、生活保護の適用には何ら支障はない。実務的には、生活保護開始決定後、いついつまでに債務整理を行うようにと期限を定め、指導指示を行うことになる。

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