第11話 混信と侵入者

 クラスの前に立った『先生』の突然のホームルーム宣言に、教室の中で団子のように積み重なっていた生徒たちが目をぱちくりさせる。

 互いが互いに目配せをしてしんと静まりかえっていると、白衣を着た自称先生のちっこいのがもう一度叫ぶ。

「さっさと席にっ、つかんかあぁああああッ!!!」

 女性の声ははっきりとそう言った。

 その言い方があまりにも堂々とした様子だったので、声に驚いた生徒たちは皆が慌てた様子でそれぞれ自分の席に座りだす。

 ガタガタと椅子を引き机の脚が床をこする。教室中に響く大きな音と学生たちの戸惑いの声を聞きながら、宗志、美月、節子はほとんど諦めの目で教壇の方を見続けた。

 もっとも、本当に諦めの様子で彼方を見ているのは宗志だけで、のこる二人はそれぞれ方向性の違う意味を込めた『期待の目』ではあった。

「えー、おほんっ。あー、ホームルームをはじめるぞーっ」

 廊下の前に立っていた萌が、もったいぶった様子でずかずかと教室の中に向かって歩き出す。

 午前中の話では、彼女はウィザーズという特殊部隊の中でもそれなりに地位がある人間だと言っていた。

 だが、今見ている彼女はどう見てもただのちんちくりんな背の小さい変な少女だ。

 顔が幼く見えるせいか、年齢ももしかしたら中学生くらいにしか見えない。

 大きすぎる白衣を床に引きずり腕まくりをしている姿は、どこからどう見てもただの白衣を着込んだ変な女子中学生だ。

「あの人は今度は何をする気なんだろう」

「あの子って、今朝正門のところにいた子ですわよね?」

 後ろの席にいたはずの節子が、いつの間にか隣の席に座って宗志の方を振り向いた。

「なにかが起こりそうって、ステキですわ。私、なんだかワクワクしてきました」

 節子は純粋に、これから起こりそうなことに対してワクワクしているといった様子だった。当然ながら、節子が先ほどまで座っていた席には今では別の生徒が座っている。

 名前も知らないクラスメイトは純粋に困惑していた。

「ホントウに何か起こしてくれそうな感じだね」

 宗志は本心から諦めきった顔をして、手錠でつながれた両手を前にかざし頬杖をつく。

 無駄だとは思ったが、いちおう話を聞いてみようと宗志はもう片方の隣を向いてみる。

 それは美月の席だった。

「ねえ美月ちゃん。これから何をする気なの?」

「……隊長って手錠プレイは嫌いじゃないの?」

「いやいやいやいや」

 それとこれとは話が別だと、手錠でつながれた両手をスッスッと横にスライドさせて話を続ける。

「手錠、はずしてちょうだい」

「手錠はムーリーッ。隊長すぐどっか逃げちゃうし」

 美月はツンとした顔でそっぽを向いた。

「けどまあこれから何かが起こるっていうのは、期待してくれちゃっていいよ。私たちだって、何もしないのにこんなところまでやってくるなんてことしないんだしさっ」

 美月が不敵な顔で不安な言葉を宣言し、その顔を見て不安な顔をする宗志がさらに反対側の節子の顔色をうかがう。

 インテンデンツでもありこの世界を構成した節子の方はというと、美月の言葉を聞いて書きいていないのかわからないがかなりの余裕の表情をしてニコニコとしていた。

 むっとしている美月の顔を察して、宗志も黙って前を向く。そこには、背が小さすぎて教壇から上に顔を出せず四苦八苦している萌がいた。

 下から教卓の縁に手をかけて、どうやったら台の上から顔をのぞかせられるか試行錯誤している様子だ。

 手を縁の上に載せて小さくジャンプしたり、ぴょんぴょんと飛び跳ねたり体を横にずらしたり。萌の小さい体が上下左右に小さく動くたびに、スチールでできた教卓本体がガタガタと音を立てて小さく揺れる。

 教卓と自称小さな白衣の教師の戦いを眺めながら、宗志は隣の美月を無言で一瞥した。

 美月は宗志の視線に気づくと目をつぶり、両手をあげながら首を小さく横に振った。

 反対に節子のほうを見ても、こちらもただニコニコと宗志を見ているだけで何も手伝おうとはしていない。

 宗志もそれらに習って、目の前で小刻みにガタガタ動いている教壇と自称ちいさい教師の戦いを見守ることにした。

 戦いはしばらく続いた。だがそれは唐突に静かになると、教師の方がひらりと教卓の上に身を乗り上げ非常に行儀のわるい悪いあぐらをかいて終わった。

「出席をとるぞー!」

「ふむ」

 隣の席で、美月が妙に落ち着いた声で目を細める。

 その様子を横目でちらりとのぞき見て、急いで反対側の様子も見てみた。

 節子の方は相変わらず笑顔である。

 宗志も黙って前をみることにした。すでに宗志の胸の中では、このあと必ず起こるであろう何かのために、心臓が脈をあげつつあった。

 ほかの生徒たちも、見ている限り宗志と考えはほぼ同じようだった。生徒たちは生徒たちでそれぞれ不安そうな顔で、互いに隣の生徒と向き合ったり小声でひそひそ話しあっていたりする。

 そのうち、生徒の中でもひょろっとした男子が黙って手を上げた。

「先生、質問があります!」

「今しゃべったのはどこのどいつだー!」

 教卓の上にあぐらをかいた白衣の萌は、朝の時みたいな高くて少女らしい声ではない。不機嫌そうで、スレていて、なんかもう目つきまで悪くなっていてある意味百戦錬磨の悪ガキ……いくつもの死線をくぐり抜けてきた兵士か何かのようだった。

 強いて言えば目が据わっている。けさ別れたあとに何かあったのだろうか。

「ああー? そこの男子か、しゃべっていいという許可は出していないが、その度胸に免じて今回だけ質問することを許可してやろう! 貴様の名前は、エート?」

 萌が教卓に座りながら手元の教務日誌をぺらぺらめくり始めると、ブツッと大きな音がして教室上部のマイクに電源が入った。

『不審者情報! 不審者情報! ただいま、校内に不審者が侵入したとの報告がありました。生徒は速やかに教室に戻り、しっかりと戸締まりをしてください。もし不審者に会った場合は、可能な限り離れていてください! 繰り返します、不審者情報! 不審者情報! ――」

 マイクから響く男性の声は、やや神経質的ですこしろれつが回っていなかった。だがその声が何度も緊急、緊急と言い続けると、聞かされている方の心もややいやな気分になっていく。

 なんどかマイクが緊急緊急と言い続けた後、しばらく静寂の時間が訪れた。とうぜん、生徒たちの視線が教卓の上であぐらをかく品行のわるい小さな白衣少女に集まった。

「んーと貴様の名前は、なんだこのミミズの這ったみたいな字は。きったねーなー」

 教卓の上の萌はそういうと教師日誌をぽーんと横に投げた。

 質問のために立っていた男子生徒が、萌の様子を見ながら無言で固まっている。

「なんだよ、質問があったから立ったんだろ? ほら、なんだよ」

「い、いえ。あのー。先生は、あの、いつからこの学園に?」

 へらへらっと笑いながら男子生徒が言うと、萌の眉間がぴくりと動いた。

 萌の様子を見て数人の生徒が、立っていた男子生徒の脇を引っ張って着席させる。

「なんだー、わたしが不審者だって言いたいのかー? わたしはこの教室の先生に、あとは頼みますって言われてやってきたんだぞー」

「たしかにそんなこと言ってたかも?」

 隣で美月がうんうんとうなずく。

 宗志は美月の方を小さく振り返った。

「あの子なにをしたの」

「ここのガッコの先生が事故ったから、助けてあげたのですわ」

「本当に?」

「本当よ?」

 美月は宗志の方を振り返って、にっこり笑って親指を立てる。

「ただし、先生を事故らせたのはウチらですけどね」

「だめじゃん」

「病院送りにはなったけどしばらく寝ていられるんですよー。ちょっと調べてみたんですけど、あの人さいきんほとんど休んでなかったったみたいですし。たまには休むことも必要ですよー」

 そういうと美月は一人でうんうんとうなずく。

「人助けって大切。いいことしましたわー」

 いい方向へと自己完結した結果をのべて、美月は一人で大きくうなずいた。

 それとはべつに、今度は勇気ある男子生徒が立ち上がって萌の方を指さした。

「あなた、何者で――」

 生徒が言いかけた瞬間、萌が上半身だけでものすごいピッチングフォームをとり黒板に並べてあったチョークをつかんでおもいきり投げつけた。

 スコーンと小気味よい音がして、砕けたチョーク粉と頭と男子生徒が教室後方へ飛んでいく。

 何人かの生徒を巻き込んで、おしゃべり男子ははるか後方の緑字掲示板に突き刺さった。血は流れていないので、おそらく命だけは無事なのだろう。

 ぞっとしながら後ろを見て、前を振り返り、宗志は萌の一挙手一投足に注目した。

 教室中がガヤガヤと騒ぎ出す。

「さてショクンっ。おわかりの通り、今日からわたしがきみたちの新しい担任だ。いいね?」

 教卓の上の萌がにっこりとわらう。

 生徒たちは誰も笑わない。

 しばらく無言の空気が教室を支配すると、萌はぽんと両手をたたいた。

「ではっ、いまから特別なホームルームを始める。けどそのまえにっ。先生、みんなに聞きたいことがあるんだなーっ」

 不穏な空気を漂わせながら萌はものすごく引きつった笑顔を再度作った。

「きみ……」

 萌が教卓の上で何か話しかけたとたん、教室と廊下をつなぐ引き戸を何者かがガラッと開けた。

 立っていたのは一人の女子学生だった。しかも金髪の。

「……あら、お取り込み中だったかしら?」

 青い目にりんとした顔つき、鼻筋は高く明らかに外国人風の顔かたちをした女の子が立っていた。

 しかも制服を着て。

 宗志は自分の着ている制服を見てから、隣に座る美月や節子たち女子生徒の制服を見てみた。

「転校生かな?」

 宗志やそのほかの生徒たちの視線を一身に受けながらも、ドアの前の少女はいっさいひるむ様子を見せない。

 カバンを手にもちどうどうとした様子で教室内にずんずん入ってくると、堂々とした仕草、堂々とした顔そのまま教壇の上に座る萌のすぐ隣に立つ。

「お、おおお?」

 かってに教室にきて、かってに歩いてきて、かってに横に立つ謎の少女を、当初の謎の乱入者だったはずの萌も口を開けたまま見守った。

 青い目をした外国人風の少女の方は意にも介していないといった様子だったが、大きく息を鼻で吸って口で吐くと、にっこおおおお! と満面の笑顔を作り出した。

「どーも! 外国からやってきました転校生でーす! ナマエはソウミ・サエ! 親の都合でニッポンに来ましたー!」

 少女の完璧な笑顔と流ちょうな日本語ではじまった自己紹介に、萌も宗志もそのほかの生徒たちも完全にあっけにとられ押し黙った。

 こんな日に突然転校生がやってくるとか? なんかいろいろおかしいじゃないかと。

 ついでに言うとちょっと制服が小さい気がする。

 宗志は疑いの目で彼女を見つめていると、こんどはその視線に覆い被さるように少女と宗志の目が合った。

 少女の目が笑った。

 宗志の記憶の中でなにかがフラッシュバックする。それは以前……というよりも、朝の騒動のときに自分を捕まえて痛い目に遭わされた……

「あの影の薄い方の三人組ッ!」

「誰が影が薄い方ですって?」

「ひっ」

 宗志が言った途端、目の青い少女は真顔になってつかつかと宗志の前に歩いてくる。

 隣で椅子から立ち上がる音がして、見ると節子が立ち上がり少女と宗志の間に割って入った。それを意に介する様子もなく少女は宗志のすぐ近くまでやってくると、まるで節子が目の前にいないとでも思っているくらいの勢いで宗志の前に立ちはだかった。

 宗志は自分の口の軽さに後悔した。だが、後悔先に立たず。

 萌も美月も誰も彼もがあんぐりと口を開けて見守っている中、青い目をした少女、自称、ソウミサエを名乗る外国人風の少女は宗志を見下ろした。そして、その流れでじろりと節子の方を見る。

「あなたがインテンデンツね」

「あら私のことをご存じですの? 光栄ですわね。私の名前は、木村節……」

 節子が自分の胸に手をかけいつも通りの自己紹介をし始めるのを、青い目の少女は話も聞かずに肩にふれ節子の言葉を遮った。

 青目の少女が節子にふれた瞬間、節子の動きがぴたりと止まる。まるで、魔法か何かにでもかけられたように。表情も、その仕草も何もかもがその場で強制停止されたような不自然な格好だった。

「うん?」

 節子が止まった瞬時、空気が変わった。

 クラス中にめいめいに座っていた生徒たちの目の色が変わる。楽しそうな学級会という日常が停止され、その背景でずっと動き続けていたべつのタスクが表立って動き出したような。

 萌の顔も、美月の顔もさっきまでのやや間が抜けた顔ではなく真剣な顔になっているし、生徒たちの方もまるで今朝自分たちを取り囲んだ黒塗りの男女たちのような……ぬるっとした、妖しくて、自分たち人間とはどこまでも違った何かのような振る舞いを見せはじめる。

 節子だけは先ほどまでの表情と仕草で止まっているが、その存在は先ほどまでの人間らしい様子を一切見せない。薄っぺらいレイヤーをいくつも重ねているだけの絵のような。

「さてとタイチョウさん。私を思い出してもらえて光栄だけど、あんまりゆっくりもできないようだし……」

 青目の少女が節子のレイヤーをどかし宗志に近寄ると、真っ先に動いたのは教卓の上にあぐらをかいていた萌だった。

 すっと白衣の裏側から拳銃のようなものを取り出し少女に向かって銃口を突きつけると、狙いも定めず一息にトリガーを引く。

 発砲音とはよべない軽い音がクラスにこだまし、パスパスパスと空虚な振動とともに白いBB弾が超高速で銃口から飛び出た。

 連射されたBB弾は節子のレイヤーを通り越し、青目の少女の背中に迫る。だが少女は、無駄のいっさいない動き方と手のひらだけで萌のBB弾をすべて受け止め、あるいは受け流した。

 弾をすべて発射しおえた萌の方も、すばやくマガジンを交換し次弾を発射しようと試みる。しかし萌の持つモデルガンがガキンと音を鳴らして、それ以上の弾を発射することができなくなった。

「へえ。この国の軍隊は、ずいぶんと安全な武器を使っているのね」

 萌はモデルガンを捨てて、一気に跳躍した。それに併せて宗志の隣に座っていた美月も動く。体術の構えで少女に組み付き動きを封じると、美月の技に合わせるようにして萌が空中から飛びかかった。

「ふっ」

 美月に腕を抑えられたまま、少女は下半身を大きく広げて姿勢を落とす。美月もつられて姿勢を下に落とすが、美月の重心位置が偏ったところを少女の目は見逃さない。

 広げた長くて細い両足を器用に伸ばし、美月の両足を下からすくい上げる形でひっくり返す。

 少女の一連の動きは柔道の技のようだった。背は決して小さくないが、しなやかな動きが美月の体をふわりと浮かし、地面に大きくたたきつける。

「グェッ!」

 堅い床に美月が全力でたたきつけられ、わずかに後頭部を持ち上げながらうめき声を上げた。致命傷には至っていないらしい。

 美月の苦しむ様子をよそに、さらに少女は宙を見る。そこには、名前不詳の少女に対して一撃を加えようとする萌がいた。

「下品だな」

 言うと、少女はさきほど萌に撃たれたBB弾を萌にむかって思い切り投げつけた。

「!」

 空に向かって物を投げつけるさまは、まるでグランドに立つプロ野球の名投手のようだった。

 まっすぐに伸びた腕。振り返りざまとはいえ、ひねった腰から上は地面に対してほぼ垂直。腕を振り、振り子運動で得られた全エネルギーを腕の先にすべて集中させる見事な投球。ただし両足は地面につけたまま。

 投げられたのは、白い硬球ではなく数十発の白いプラスチック玉。しかし、少女のとったはんぶん正しい投球フォームによって威力は桁違いにまで上げられており投げつけられた萌の方はたまったものではない。

 だが萌にも意地という物があったらしい。飛びかかった空中では最低限、目の中にBB弾が入らない程度の防御はしたがそれ以外は全体重をかけて、現れた謎の外国人少女に飛びかかった。

 投げる方も全力だったが、受けて立つ方も全力だった。それが、この場にそぐわない赤を散らすことになる。

 小さな玉が白い肌に当たる。玉が肌にめり込み、皮膚を切り、中から肉と血がにじみ、はじき出され、次の玉が肉にめり込み中をえぐる。数は数十。萌は少女に飛びかかりながら、目だけを左の手のひらで守り少女の胸ぐらに右手を伸ばす。

 少女が自身の投球フォームを解いた瞬間、ついに萌の右手が少女の胸ぐらに届いた。

「食らえロシアのくそアマ!」

 萌が叫び跳躍の体制のまま少女の顔面に拳を突き立てる。だが、青い目の少女は掴まれた上着をボタンごと脱ぎ捨て軽やかによけた。

 上着が脱げたひょうしで萌の体が少女の体から拳一つぶん離れ、萌の殴打は空振りに終わる。

「体に合わなかったから、ちょうどいいわ」

 少女と萌の格闘を見て、宗志は彼女の名前を思い出した。萌たち三人が現れた直後に宗志を拉致しようとやってきた三人組、彼らは互いに名前を呼び合っていた。

「アグラーヤ。君の名前はアグラーヤだ」

 そう宗志がいったとき、後ろから美月が宗志を羽交い締めにし後ろの方へ引き戻した。

 美月の方も、アグラーヤとの戦いでやや傷を負っている。だがそれとは別に、美月も青い目をしたアグラーヤに負けないという覇気を漂わせていた。

「あなたたちに隊長は渡さない!」

「あら、そんなこと気にしてたの? べつに私たちは、そんなお子様に用なんかないわ。私たちがほしいのはインテンデンツをリセットするためのアクティベートキーだけ」

 制服を脱ぎ捨て本性をあらわにした少女、偽名を名乗り、この学園の中にやってきたアグラーヤは言い切った。

「この狂った世界を終わらせ、私たちが私たちの秩序を世界に広めるためのキー。それを持っているのが、その子なのよ」

「キーなんて知らない! ボクは何も知らないんだ!」

 手錠をかけられた両腕を美月に縛られ後ろに引き込まれた状態で、宗志は美月の後ろ側から叫んだ。

 宗志の言葉を聞いて、美月が宗志を見る。

 驚いた様子でアグラーヤも宗志を見る。

 先ほどの格闘で床に倒れていた萌が、ゆっくりと起き上がった。

「残念だけど、うちらの隊長は記憶喪失なの。あなたたちに話せることは何もないわ」

「あらそう? でもそういうのって、頭は覚えてなくても、体に聞けば思い出すって言うじゃない」

 とつぜんアグラーヤが腕を持ち上げ指をはじくと、開いていた窓の外で待っていた何者かが、ロープとラペリングを使って勢いよく教室内に飛び込んできた。

 男二人組が美月に飛びかかり、美月が振り返って反応するより一瞬早くに美月と宗志を制圧してしまう。

 宗志はこの二人を見て、覚えがあると確信した。そしてアグラーヤがこの場にやってきたのもすべて計算ずくだったと。

 萌が遅れて、宗志を助けようと腕を伸ばすと、その拳をアグラーヤが引き留め、手首をひねり合気道の要領で床にたたきつける。

 萌がうめき声を上げ床の上に丸くなると、さすがに遠巻きに見ていた黒塗りの元生徒たちが動き出す。

 見れば、動きが固まっていた節子がゆっくりと宗志に顔を向け始めていた。

「そろそろ潮時ね。グレゴリ、ヴァシーリー、撤退するよ!」

「ダー!」

「ダー!」

 言い方はひとそれぞれ、長身細身のグレゴリと黒く日焼けしたスキンヘッドの巨漢ヴァシーリーが、窓のひさしに身軽に飛び乗るアグラーヤに続く。

 宗志はまた今朝のようにこの巨漢に捕まるわけだが、今度はすでに手錠をされた状態なので関節を折られることはなかった。

 その代わり、肩に後ろ向きで担がれたので追っ手の黒塗りたちが波や滝のようになって宗志たちに迫る様子をつぶさに見ることになった。

「隊長! 待って、宗志隊長!!」

 アグラーヤ、グレゴリ、宗志を担いだヴァシーリーの三人が窓から飛び降り外に出る。その後に美月と萌が飛び降り、節子を飲み込んだ黒塗りたちが宗志たちの後に続く。

 ヴァシーリーに担がれた宗志が腕を伸ばせば、すぐそこまで萌の手が伸びていた。だがその瞬間に、遙か彼方から銃弾が伸びてきて萌たちの足下に着弾する。

「なっなに今の!」

「萌ちゃん隊長代理! 爆弾の使用許可ちょうだい!」

「き、許可ァァァアァァ!」

 萌が叫び、美月が何かをポケットから取り出し強く握りしめる。

 そうして何かのカバーをはずして指をかけると、ちょっとだけ笑顔になり、彼女なりの魔法の言葉をつぶやいた。

「吹き飛べ!」

 そのとたん、校舎が内側から発光し、次いで爆発音、ほぼ同時に窓という窓から黒い煙と赤黒い炎が飛び出して一部校舎が壁ごと破裂する。

 黒塗りの元生徒たちは雄叫びを上げながら校舎に飲まれ、宗志はヴァシーリーとグレゴリ、アグラーヤと一緒になって吹き飛んだ。

 萌たちも一緒になってやや離れた場所に吹き飛んだが、美月はスイッチを押した瞬間に「ヒャッホーイ!!」と奇声のような雄叫びをあげ両腕を掲げてバンザイしていた。

 爆発の衝撃で宗志たち四人は派手に地面を転がり、土まみれになりながら立ち上がる。

 萌も、宗志たちと距離をとった場所で転がりながら体制を整える。

 美月は悦びの顔のまま全身を強く地面に打ちつけ、鼻血を出しながらもんどり打って倒れた。

「と、止まれ! 隊長を離しなさい!」

 萌が一歩足を踏み込んだ瞬間、その足下で二回目の土埃がはねる。

 土埃どころではなく、それは明らかな銃撃だった。次いで、遅れて発砲音が聞こえてくる。大口径銃での狙撃で、しかも長距離。宗志はグレゴリに担がれ黙ったままそう考えた。

「ヤンキー、それ以上動くな。とくにそこの小さいほう、次に撃たれるのはおまえの足だぞ」

 アグラーヤが萌に指をさし、ついで遠く学園から離れた高台の方向を示す。

「私は、君たちの能力には感服しているよ。君たちはこの孤立した状況でよく戦い、仲間を助け、よく立ち回ってきた。これ以上よく言う褒め言葉を私は思いつかないな」

「それは、どういう意味よ」

「わからないのか? 素直に感服しているのさ。よくこれだけの精密射撃ができる隊員を、ヤンキーたちは育てられたなと言っている。この世界にいるのは、私たちと、君たち、それからこの狂った世界を作ったインテンデンツだけ」

「……! まさか」

 萌はゆっくりと高台の方を振り向き、狙撃手がいる場所を遠目に見る。光の輝きとかすかに見える人影。

 萌はもう一度、ゆっくりとアグラーヤたちの方を振り向いた。

「理香……?」

「もっとも、チームとしての団結力はやや足りなかったらしいが、この極限状況なら仕方ないだろう。それに、いま私は君たちを責めるつもりはない」

 グレゴリ、ヴァシーリー、肩にかつがれた宗志に背をあずけ、アグラーヤは萌たちをじろりとにらんだ。

「協力し合わないか。我々としては、無事にこの世界から脱出しターゲットを外に送り届ける任務がある。我々には脱出ルートがある。だが問題は戦力だ。我々だけでこの世界を生き抜くには、我々だけでは少々戦力不足でね」

 協力という言葉に萌が反応し、美月も地面から顔を上げた。

「それで理香は、あなたたちの提案をのんだたというわけ?」

「それは分からないな。あの女は頭が少々やっかいなようだが、だがまあ細かい話はどうでもいいだろう。のるかそるか、どうする?」

 アグラーヤの後ろでは、崩壊した校舎をふるい落としながら黒塗りたちの集合した、得体の知れない塊が再生しつつある。

 その一辺には、木村節子がいた。名前はどうであれこの世界の主、この狂った電脳世界の創造主であり、世界の外では人類を管理する超高性能人工知能の集合体。

 それが徐々に目を開き、黒い生き物の頂点に抱かれながら、ゆっくりと宗志たちに迫ろうとしていた。

「わ、私たちは……」

 選択を迫られた萌が、苦しそうに声を吐き出す。

 それを余裕の表情で見守るアグラーヤと、宗志は巨漢ヴァシーリーに担がれながら彼女たちを見つめた。

 自分自身の非力さに、まさに打ちのめされる思いだった。だがそこで、この極限の状況で宗志は起死回生を思いつく。

「だめだ! 桜庭萌、このまま任務を続行しろ!」

「なにっ?」

 驚いた様子でアグラーヤが宗志を振り返り、ヴァシーリーも宗志を担ぐ腕を回して宗志を黙らせようとする。

 そのタイミングで宗志は自身の腕にかけられた手錠を巨漢の首にまわすと、萌に向かってもう一度叫んだ。

「任務は続行だ! ボクにまかせろ!」

「!!」

 驚いた顔をしていた萌の表情が変わり、ぐっと拳に力を入れて萌が胸を張る様子が見えた。

 ヴァシーリーの首に手錠を巻くと、巨漢のヴァシーリーは前後左右に大きく暴れた。

 慌ててもう一人の男が宗志に飛びつき腕を縛り上げようとするが、その動きがさらにヴァシーリーの首を絞めることになる。

「黙れっこのガキ!」

 グレゴリは宗志の後ろから手を回し視界を塞ぎ、口も塞いで持ち上げようとした。

 宗志の感覚は耳だけが残った。

 萌が宗志の言葉にこたえ、毅然とした様子でアグラーヤに言い放つ言葉が聞こえる。

「任務確認。我々は、引き続き問う任務を続行します」

「この状況でまだ戦い続けるというのか?」

「我々に敵と協力する意思はない!」

「そう。そうなの、残念ね」

 アグラーヤが心底残念そうにため息をする音が聞こえ、怪物がうなり地響きを鳴らして近づいてくる気配も感じた。

 同時に宗志は自分の体が勢いよく上に持ち上げられ、どこかにたたきつけられる気配も感じた。

 その動作は一瞬だ。ヴァシーリーの激怒した声も聞こえる。

 視界には青い空。それから、大地に立つ黒い巨人が見えた。

「協力できないなら仕方ないけど、とても残念だわ。物わかりのいい部下なのに、隊長がここまで石頭だと部下も考えさせられるわね。でも考えといてね」

「取引はしない」

「考えるだけでいいから」

 宗志はそこで重力を感じなくなり、勢いよく地面に向けてたたきつけられる瞬間を鈍痛と、不自然に折れ曲がる腕の感覚で感じた。

 しばらく聴覚は無事なようだったが、アグラーヤと萌の間にどのようなコミュニケーションがとられたのかはよく分からない。

 巨人の足音が聞こえなくなり、澄んだアグラーヤが男たちに指示を出し宗志を担がせた。

 そこまで意識は残っていたが、後のことはなにも分からなかった。

 気づけば宗志は、意識と体がどこか遠くへいってしまったような、不思議な浮遊感に襲われ気絶した。

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