第9話 優雅かつエレガントに

 目をつぶってしばらくした後、周囲の環境に変化が生じた。

 聞き覚えのある雑踏。町の騒々しさ。よくある町の音と声。おそるおそる目を開いてみると、そこはいつも宗士が過ごしていた町そのものだった。

「……なにこれ」

 さきほど宗士が逃げていた濃い灰色の霧も、無表情な群衆も爆発し大破した車両もバリケードもなく、あるのは雑踏と人だかりと、人、人、人。

 それらが怪訝そうな目で、あるいは、変わったものを見るように、やや離れた場所から宗士と少女たちを見ている。

「?」

 そういえばと、振り返って見てみると道ばた脇には、なにか満足そうな顔をして美月が倒れていた。

 雑踏と群衆の真ん中には、ぺたんと地面に座り込んで放心している萌の姿。それからそのすぐ脇には、謎の黒塗りの高級車。

 宗士の後ろには、学園の大きな正門。そこから、たくさんの生徒や教師たちが出てきて、黒塗りの高級車の前に一斉に整列した。

 ところで、宗士が立っている場所は正門のすぐ前だ。宗士は目をつぶり構えた態勢のまま彼らが門から出てきて整列する真正面に立っていることになる。

 黒塗りの大きな車から運転手が降り、後部ドアの前にまわってドア取っ手に手を掛ける。

 生徒や教師たちが大急ぎで正門前に並び、全員整列の構えで車の中の人を待った。

 もちろん、周りの群衆は彼らと車の両方を見て目を丸くしている。中には自然に談笑し通り過ぎていく者もいたが、その姿は先ほどの驚異的な追いかけとは比べられないほどに自然な様子だった。

 そうしてすぐに、車のドアが開け放たれ、中から見覚えのある顔と人物が現れた。

 金髪である。いや、金髪にしては色合いが透き通るように白い。

 日本人にはとても見えない鼻たち。紺色を基準にした指定制服から覗く、透き通るような肌。

「あっ!?」

「ごきげんよう、宗志様」

 立ちながら、すっと膝を伸ばし宗士に向かってにっこり微笑む様はどこかで見たどころか、夢の中で見たあの少女そのものだった。

 その姿は夢の中だけではない、今朝見た少女の幻影と何も変わらない。

 周りの生徒や教師たちが、ゆっくりとお辞儀をする。

  宗士は立ち尽くしたまま、車中から降りる少女を見て呆気にとられた。

「どうしましたの? ふふふ、また私の美しさに見とれていまして?」

 上品そうな微笑みにすこしいたずらそうな笑顔を混ぜて、少女はその場でくるっと一回りしてみせる。スカートがふわりと宙に浮き、その姿はまるで新しい服を着て、自分だけにそっと見せてくれる愛しい人そのものだ。

 だが周りの視線や生徒教師たちのことを思い出してか、おほんと小さく咳払いをしつつも、再度優雅に歩を進めだす。宗士の前にやってくると、三度、にっこりとほほえんだ。

「おはよう、宗志様。ご機嫌は?」

 少女に話しかけられて宗士は全身から汗が噴き出てきた。

 今朝の悪夢を思い出す。宗士の体が急速に湿っていく。その体を、制服の上からゆっくり触れる指先があった。

 その指は白く細くて長い。この指もどこかで見たことがあるような。

 あるいは、かつて宗士が会いたいと強く思っていた誰かの指とそっくりのような。

 ……強く思っていた?

「宗志様、どうしましたの?」

 自らに触れる白い指が、宗士の手に触れて軽く引っ張る。まるで魔法にかかったように宗士の体が自然と動き、宗士は少女の前に顔を引き寄せられた。

 その顔は、やはり夢の中で見ていた彼女そのものだ。

 その微笑み。その顔。息をするだけでも鼻腔に広がる、ほのかな甘い香り。

 完璧すぎる彼女の美しさ。それは、夢の中で見ていた彼女以上に、彼女そっくりだった。

「きみは……」

「あら、こんなところでそんなに見つめられても恥ずかしいですわ。さあ、一緒に学園に入りましょう?」

「きみは、いったい誰なの?」

 宗士は思いきって彼女に問いかけた。そのとたん、目の前で優雅にふるまう彼女のうごきがぴたりととまる。

 見れば周りにかしずく生徒や教師たちも、なんとなく宗士の言葉にわずかながらに反応したような。だがすぐに彼女は今まで通りの微笑みに戻るし、周りの生徒たちも特に何も動かない。

「私の名前は、木村節子。私はあなた様の灯火。私は、この世界の希望。この大きな学園都市を築き、世界に迷い込んだあなた様を導き、あなた様と共に生きる。うふ、すこし言い過ぎたかしら。私はあなた様につかえるたった一人の僕のようなものでも結構ですわ」

 少女は楽しそうにふふふとわらい、身も軽やかに、小さく踊るように、ステップを踏むように宗士の周りをちいさくまわった。

「この世界をそんな目で疑わないでくださいまし。私はあなた様をいつでも見守っていたのに、あなた様はいつだって知らんぷり。私はいつかあなた様が振り返ってくださる日をお待ちしていたのに、あなた様はいつだってどこか遠くを見つめていらっしゃった。私の想いは、いつまでもずっと、届かないまま。だったら、せめて私のこの想いがあなた様の胸に届きますようにと神様にお祈りいたしましたの。あれから、もうどれくらい経ちましたでしょうか。ようやく、あなた様は私の中に帰ってきてくださった」

「隊長その女から離れて!!」

 地面に座り込んで唖然としていた萌が突如立ち上がり、二丁拳銃を腰から抜いて少女に突きつけた。

 当然、そのすぐ後ろで気絶していた美月もまるで魔法か何かがかかったような勢いで立ち上がり、少女に向かって小銃を構える。

 木村節子は宗士の後ろでくすくすと笑い、きゃっと小さく言って宗士の後ろに隠れた。

「あら、こわい兵隊さん」

「隊長はやくこっちに!」

「待って! う、撃たないで!!!」

 萌と美月の銃口を見て、宗士は慌てて両手を挙げた。

 耳たぶのすぐ後ろで息をする木村節子の甘いと息に鼻をくすぐられながら、宗士は思いきって聞いてみた。

「きみは、この世界を創った人なの?」

「私はあなた様の初恋の人ですぅー」

「きみがMMICSなの?」

 宗士はためらうことなく、後ろに隠れている少女に問いかけた。

 しばらく少女は何も言わなかった。だが少し経つと少女の腕がするすると宗士の胸の前まで伸びてきて、宗士の前で小さくクロスする。少女の体のぬくもりが背中を通じて伝わってくるし、甘い香りも、少女が吸って吐く息の音も、それから背中にあたる柔らかくふわふわとしたふたつのふくらみも、はっきりと知覚できる。

「MMICSって、いったいなんですの?」

 宗士は、いろんな意味で動けなくなった。

「MMICSはシステムの名前。そんなもので人を指すのは、愛おしい宗志様をただのヒトだと呼ぶようなもの。それは、人を人として扱わない事。私はこんなにも宗志様をお慕いしているのに? 私が宗志様を想うこの気持ち、これは人でなければ持ってはいけないものなんですの?」

 宗士の背中側からまわされる節子の腕が、ゆっくり宗士の首回りを締め付ける。それはまるで、しばらく会ってきていなかった愛しい人を優しく縛り付けるような、嫉妬とか、寂しさとか、悲しさ、それと愛情が、いろいろな感情が混ざり合って胸を締め付けるような。

「私はインテンデンツ。MMICSの一つとしてこの世に生まれて、世界の母、世界の管理者としてあなたたちを見守り、そうして今日は、私は木村節子という一人の人間としてあなた様と共に生きる。私は、木村節子ですわ」

 ふっと、少女の吐息がキスのように宗士の耳たぶにふれる。その温かさはまさに人間そのもの。

「この世界はあなた様と私だけのもの。私が、あなた様を迎え入れて、一緒にこの町で平和に暮らすためだけに用意したとっておきの世界。この世界に、あなた様と私以外なにも必要ないんですの」

「とっておきの、世界?」

「そう。とっておきの、あなた様がいつか夢見た平和な世界。ここはどこにでもよくある普通の世界ですわ」

「なにが普通なものよ! こんなに狂った世界ッ!」

 宗士の耳に少女の声と吐息がかかる中、銃を構えやや離れた場所に立つ萌が叫ぶ。

「普通の世界ならこんな古くさい平成みたいな世界なんかじゃないじゃない! わたしたちの世界は、もっとこう、便利だったし! それにこのすっごく古くて大きなの! これスマホじゃないの!」

 萌は通りすがりの知らない女性を指さした。指された女性の方はびくっと反応して、自分が手に持つ白いスマートフォンを見下ろした。

「こんなのが流行ってたのなんて、もうずっと前よ!! ここには……もないし、……もないッ! みんなないじゃない!」

 そう言って萌は、自分が言った言葉の不自然さに気づき顔をこわばらせる。

 萌の様子は尋常ではなかった。それを見て、節子は本当に楽しそうに笑った。

「……うそっ! ……ッ! ……ッ!! ………………ッ!!」

「あなたは何か勘違いしていらして? ここは平成の世界なのよ? この町は実際にあった町だし、この世界は実際に存在したある日そのものなの。ここは、宗志様と私が初めて出会った記念の場所。あったはずのあの日をそのまま再現した別世界」

「……えっここが隊長の」

 こわばった萌の顔が、驚愕と恐怖と好奇心の入り乱れたかなり複雑な顔になる。

 宗士に絡みつく節子の腕が、ふたたびぎゅっと宗士の胸を締め付けた。

「ないものは、ないのですわ。この世界には、今あるこれがすべて。ここはあの頃の、私と宗士さまだけのもの」

「……ッ! そうやってわたしの隊長をたぶらかす! 何言ってるのかよくわかんないけどッ!」

 萌はそう叫ぶと、背中のフライトバックパックの翼を開き最大速度で宗士たちに突っ込んできた。

「たいちょーはっ! わたしのモノだーッ!!!」

 フライトバックパックのジェットが轟音を響かせ短いスカートの丈を揺らす。

 この時代に似合わない最先端技術。

 宗士の耳元で節子が笑いわずかに指を動かすと、突然萌の背中からフライトバックパックが消滅した。

「わあ?!」

「萌ちゃん!?」

 前のめりで宗士たちに飛び込みつつあった萌は、そのまま前傾姿勢で道路の真上をダイブしていき高速で顔面スライディングをしていく。それでも勢いはとまらずしばらくスライディングし続けたが、勢いが無くなるのと前後してスライディングが高速前転になり、高速前転からのでんぐり返し、派手な横転、ひっくり返って宙に浮き、高さ三メートル上空から落下し全身を強く打って沈黙した。

「も、萌ちゃん?」

 宗士のすぐ足下に倒れてぴくりとも動かない萌と、その向こう側でどん引きしている美月を見て、宗士は何かおかしいと思った。

 まず銃がない。あの翼もない。どこにでもよくいる女の子といった服と格好で立っているだけだし、ちょっと言動がおかしいかなと言った具合ではあるがこの町の中によく溶け込めそうな普通の格好をしている。

 先ほどまであった、妙な世間離れした物は一切持っていない。

「ん?」

 宗士の視線に気がついた美月が、自分の身に起こった異変に気がつき慌てだす。

 美月は何か言いたそうに必死になって口を動かそうとするのに、何か言葉が出そうで出ない苦悶の表情を浮かべて、次に恐怖の顔を作る。

「こ、言葉が出ない。あの言葉も、あ、あなたのことも……」

「ないものはないのですわ。言葉も、物も、概念も。この世界には、ここにあるものがすべて。この世界には、ない物は、ないんですの」

 含みを持たせた言葉で節子が説き、宗士の足下で萌がむくりと身を起こす。

「ぜぇったいに、わたしは諦めないっ」

「あら殊勝なこと。この世にない物をどうやってお探しになるつもりかしら? うふふっ、今後が楽しみですわ」

 節子がそう言った瞬間に、まるで計ったかのように学園のチャイムが大きく鳴り響く。

 始業の合図。というよりも、この世界の始まりがチャイムとしてなったような。宗士は自分が、とんでもないところに来てしまったような気がした。

「では、私たちはもうすぐ授業が始まりますの。今日はこの辺で」

 後ろから宗士を抱きしめていた少女の腕がほどかれ、代わりに左手の指先に少女の指が絡まってくる。

 その柔らかい感触、温かい人肌はとても触り心地のいい物だった。もちろん、それが人としてそう感じてはいけない物だなとは頭の片隅では思ったものの理性は感覚の前ですぐに屈服し、純粋にいい物だと感じる。

 だが隣を見ると、節子の顔があった。

 どこまでも完璧な顔。目は大きく、鼻筋も通って、どこか幼そうで、少し墓投げそうで、色白で背もそこまで大きくない。

 完璧なほどに、守ってあげたくなるような存在に思えた。

「皆さまごきげんよう」

 そういって少女、節子は宗士を学園の中に引き入れた。

「ま、待ってよう……! 待ってよ隊長!」

 倒れたままの萌が最後の力を振り絞り腕を上げる。正門の周りに集まった人々はざわざわと騒ぎながら彼女たちを遠目に見て囲い、生徒や教師たちは見て見ぬふりをして彼女たちから遠ざかる。

 学園正門の中に連れられながら宗士は、これがこの世界の普通なのかと思って後ろを振り向いた。遠く離れていく少女たち、囲う群衆たちをかき分けて救急隊員たちがやってきて彼女たちをどこか遠くへ連れて行こうとする。

 萌の言葉、美月がなにやら暴れて救急隊員たちを手こずらせている様子。

 それらはすでに、門の外へと追いやられていた。彼女たちの叫びは、宗士には何も聞こえなかった。

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