第7話 やんやんっ遅刻しそうですたいへんっ M1911ガバメントを持ってだっしゅされる方の運命は!?
学園前の大通りに出る直前、小路の向こう側から鋭い殺気を感じて宗士は立ち止まる。刹那、見知らぬ女子高生が交差点の向こう側から飛びだしてきて勢いよく宗士の目の前を横切った。
「わっ!?」
少女は宗士のすぐ目の前をかすめるようにして通り過ぎ、肩を宗士の鼻先にかすながら無言で駆け抜ける。そのまま走って行くかと思えば少女は、だいぶ勢いがつきすぎていたのかそのまま前のめりになって道路に倒れ、体の全部を勢いよく地面に叩きつけた。
倒れた拍子にびたーんと大きな音もしたので、だいぶ痛そうだなと宗士は思った。泣かないのはさすがと言うべきか。
その拍子に、少女のかぶっている金髪のかつらがずれて地毛が見えた。
「……んんっ?」
倒れた少女は声もあげずうつぶいたまま。しかしずれたかつらから覗く、日焼けした黒髪はどこかで見たような髪だった。むしろ肌とか顔とか、さっき見たような姿だ。
少女は顔もそのままあげず、四つん這いのままずりずりと歩いていって近くの路地裏に消えていった。
「……ふーむ」
今し方目の前を通り過ぎ間一髪で体当たりを避けた宗士は、道路に残された食べかけの食パンを見て眉をひそめる。
そして時刻は、午前中とはいえすでにかなり遅い時間だ。
よく見れば表通りには不自然な形で、あちこちにゴミ箱や郵便ポストも見えた。
こんな所に所狭しと、それこそ十メートルに一つくらいの感覚で何らかの障害物が置かれている。
見上げれば青い雲……ではなく、辺り一帯を一望できる高い建物が一つ建っていて、それ以外の建物は比較的低い。
絶好の尾行ポイントだ。やろうと思えば狙撃だって楽々できそうな場所でもある。むしろそこに人影がいる。
人影は今朝の少女三人組の一人、根暗な感じのする三番目の少女だった。
建物の上に陣取って、少女は宗士をじっと見つめている。
視線を下げて目を細めれば、道路の足下近くには所々細いワイヤーが縫うように張り巡らされていた。
極めつけは、道路の先々に設置してある工事中の看板と、無造作に置かれた違法路上駐車の列。大量に設置された障害物とトラップの先に、宗士が通ういつもの学園正門がある。
正門までの距離はおおよそ百メートルくらいか。正門にはいつも警備員がいる。あそこまでたどり着ければ、宗士の身の安全はおそらく補償されるだろう。だが問題は、そこまで宗士がたどり付けられるか、である。
振り返ると先ほど宗士とぶつかろうとしていた少女が、なにかを期待する眼差しで物陰から宗士を見ている。名前は確か……ナントカ萌とか言ったか。
「でもよく考えたら、これってぜんぶ夢みたいなものなんだよね?」
そう思って宗士はもう一度、学園正門の方を見る。
道ばたには大きなポリバケツ型の青いゴミ箱が左右均一に並んでおり、赤い郵便ポストの数はざっと見ただけでも二十以上。中には壁に対して横に生えているポストや、これでもかといった感じで謎の電柱が集中的に生えている場所もある。表面が剥げてセロテープで直されているのもあったりするが、おそらく全部偽物だ。
その中にあるゴミ箱の一つが、フタが半開きになったまま中身が見えていた。もしかしなくても中に入っているのは人間だし、その目と顔も美月と名乗る、さっき見た変な少女のものだ。
宗士は今みた変な人たちや変な世界をふふんと鼻で笑い、すこしだけ心に余裕を持って一歩前に踏み出そうとした。が、目の前には明らかに不自然な形でワイヤートラップが仕掛けられている。
分かってはいるけれど、ここまで堂々と目の前にひかれている罠は、やっぱり踏み込めない。
虚構なのか夢なのか現実なのか分からない世界を前にして、優柔不断な宗士の背中にふたたび先ほどの巨漢が現れる。それも、ほとんど前兆なく。
足音も一切ない。気づいた時は、宗士は完全に背中を彼にとられていた。
「どうした。ビビッて前に進めなくなっちまったか?」
「そっ、そんなこと……!」
宗士はノリでそのようなことを背後の男に言ったが、体は宗士の威勢のいい言葉とは別に、正直に目の前のトラップを踏めないままでいる。
踏もうにも踏み込めず、上げた片足はしばらく宙に浮いたままだ。
宗士は上げたゆっくりと足を引っ込めると、意を決したように後ろを振り返る。見なくても分かるとおり、そこに立っていたのは今朝のあの大男だ。
「あなた、いったい誰なんです。どうしてボクを追いかけるんですか? ボクを追いかけて、いったいあなたに何の得があるって言うんですかッ!」
精一杯の度胸と、男として最後のプライドをかけて胸を張って宗士は言った。
だが、いかんせん相手の目線は宗士の身長の二倍くらいはある。無理して威勢よく言っている風にしか見えないのは、言っている宗士にも充分に分かっていることだった。
あと相手の顔は強面の、明らかに戦士の目つき。サングラスをしているが、隙間から傷口が覗いて見える。
「……ですよ?」
なので、最後に無駄な言葉を言って語尾を訂正することにした。だめ押しの笑顔でニュアンスをごまかそうとするが、残念ながら宗士の顔は引きつっている。
褐色の大男は振り返った宗士を見て眉を開いた。なので、二人の間に一瞬だけ無言で見つめ合う時間が生まれる。
「それにですよ。ボクはここにいるけど、ここは変なところじゃないですか。おじさんだって、今朝あんなことしてたのに今だって無傷でしょう。この町だって何もなかったみたいにずっと平和だし」
何も言わない大男にちょっと安心した宗士は、今度はもう少しだけ余裕を持って大男に詰め寄った。大男の方は驚いた様子で宗士を見下ろしている。耳に付けたイヤホンを外すと、イヤホンの向こうで誰かが騒いでいる声が聞こえた。
「ボウズ、面白いことを言うな。つまり何が言いたいんだ?」
「おじさんって、実はボクの夢の中の人……」
宗士がそこまで言いかけると、大男は宗士の胸ぐらをつかんで勢いよく宙に持ち上げた。
男の外したイヤホンが、聞こえないくらい小さいボリュームなのにきんきんと何かを叫んでいる。胸ぐらを掴まれた宗士は苦しい思いをしながらも、男の腕を両手でつかんで自重を支えた。
男の顔が、宗士の顔の目の前に迫る。
「オレはオマエの夢でもなんでもねえよ。オレ様の名前はヴァシーリー。てめえを殺すためにやってきた。この世界が夢だってんなら、その体で痛みをしっかり味わいな」
男はそう言うと、宗士の胸ぐらを掴んだまま大きく背中に振りかぶって、宗士を勢いよく大通りに投げ飛ばした。
飛ばされた宗士は世界が目の前で大きく回り何がどうなったのか分からなくなる。だが体の方がなぜか大地の方に足を伸ばして、障害物や危険な角も自然と体をひねってうまく避け切り、道路を一回転して無事に着地を済ます。立ち上がり際に投げられた大型ナイフも間一髪で避ける。ナイフの刃先が頬をかすり傷から血がしみ出す。宗士は頬の痛覚にはっとしたが、同時に自分自身の身体能力にも驚く。自分の知らない自分が一瞬見えた気がした。
だが驚愕している暇はない。男が投げたナイフが切ったのは宗士の頬ではなく、その後ろに仕掛けられていた一本のワイヤートラップだった。
その何気ないトラップの一本が投擲ナイフによってざっくりと切られ、そこから順にトラップが発動していく。
よもやどこかで何かが爆発するかと思えば、目の前に飛び出てきたのは一つの小さなビー玉だった。
目の前にころころと転がってきたビー玉は、最初は不安定な動きで左右に揺れていたが正門前通りの僅かな傾斜に沿って徐々に態勢を整えていくと、ブロック敷きの歩道の隅に沿って進み始める。
最初の難関は、道ばたに無造作に投げ捨てられた新聞の束と雑誌の山だった。
新聞や雑誌の間にわずかにつくられた隙間にビー玉は入り込むと、進路をふさがれ先ほどの勢いを失う。だが隙間の幅は限りなくビー玉とおなじ幅でできており、何度も雑誌の下をくぐりぬけたり脇をすり抜けていくことで難関を通過していく。
積み上げられている雑誌には、なんだか見慣れない文字が書かれていた。ビー玉はそれらの活字の脇をすり抜けすいすいと進んでいく。
玉の進んだ先は、路肩に乗り捨てられた一台の中古自動車。その手前には緑色の木箱やら配線板やらが規則正しく設置され、ビー玉がやってくるのをただひたすら待ち構えている。
青いビー玉がころころと転がり木箱や板に触れると、振動測量計が動きだして赤い明滅文字の数値がぐっと高い数値をはじき出す。
さらにそこから伸びた赤と青の長いケーブルが木箱と木箱と、紙クズで溢れかえりフタをされた緑色の木箱に達して、チキッと小さな発火音を鳴らす。
ゴミ箱の中から顔を一個だけ覗かせわくわくした目で見ているなんか変な少女の方を見て、それから車の下に置かれたたくさんの木箱やら電子版やらを見て、それが一体何なのかを宗士は頭の中でゆっくり判断した。
「……トラップ」
小さな色つきビー玉が車体の下に隠れてみえなくなると、それに合わせてゴミ箱の中の少女がわくわくした表情でゆっくり顔を持ち上げる。
路上駐車の古い車は、このあたりではよく見るバンタイプの小さな車。それが突然ガタガタと動きだし、ナナメに落ち込んだりヘッドライトを光らせたり上下に跳んだり左右にふるえたり、車らしくない動き方で派手に暴れ出す。
唖然として見ているとそのうち車の動きは静かになるが、しばらくするとシューという音と共に前後左右のドアの隙間から煙を漏らしはじめる。
車の妙な動きに宗士もやばいと思ってその場で身をかがめたが、その瞬間をまるで狙っていたかのように車が小さく飛び跳ね、爆発した。
大きな爆発音。一瞬遅れてやってくる衝撃波と熱波。
はじける金属片のかちゃかちゃと響く音。それがどうして聞こえてきたのか分からない。
ただ気がついたら、大量のビー玉やらはじけた金属片が宗士の周りを覆い尽くし、四方八方へと飛んでいた。
町は破片だらけ。中から破裂した車両の金属部品や殺傷力を強めるために中に仕掛けられていたブービートラップの中身が周辺を埋め尽くし宗士を中心にして小さなクレーターを残す。
宗士は、ずっと目をつぶっていた。遺憾ながら目の前で何かが爆発するのを分かっていて、その場で何もできなかった。だがなぜかどこか頭の片隅に「たぶんだいじょうぶ」という謎の意識があったのでそのままでいられたのだろう。どこかで誰かの小さな悲鳴が聞こえたとしても、宗士はしばらく目をつぶり続けた。
そうしてしばらくしてから目を開けると、想像通りの惨状が目の前に広がる。
「……うわあ」
言葉はでなかった。
破裂したミニバンの跡近くに先ほどの少女が倒れており、ついでのようにもう一人の少女も中身をさらけ出したゴミ箱と一緒に路上に伸びている。
今朝の騒動では美月と名乗った背の高い方、ゴミまみれの少女はうつぶせの形で腰を上げたまま幸せそうな顔をして気絶していた。
少女の顔に一抹の不安感を宗士が抱いている脇で、背の低いもう一人の方の少女が頭を抱えて起き上がる。
「いたたた……」
何が起こったのか分からないといった感じで頭を振りながら、少女の方が周りを見渡す。こっちの方はたしか、萌とかなんとか言っていた気がした。
建物の上ですべてを見下ろしていた黒が実の少女が飛び降りてきて、身軽そうな体でまるで空を飛ぶように着地する。
さらさらの髪が背中にまとわりつき、軽やかに壁沿いを飛び跳ねる様はまるで黒い天使か何かのようだった。だが、見れば壁沿いの小さな突起や屋根や段差を利用して段々に降りてきているだけだ。
卓越した筋肉と身体能力のなす軽業だが、長い黒髪に華奢すぎる全身、とがった印象の目と耳鼻、人を安易に近づかせない冷たい印象が彼女を際だたせる。
「あーあ、またこんなことしてくれちゃって……」
降りてきた少女が呆れたように周りを見渡し、倒れているちっちゃい少女の方を引き起こす。
宗士は足を一歩引き、警戒しながら少女たちを見守った。
黒髪の少女に引き上げられたちっちゃい方の少女は、青い顔をしていた。朝見たときは変なヘルメットを被っていたので詳しい顔立ちもよく見えなかったが、今なら見える。
日焼けした薄茶色の黒髪をバランスよく前後に流し、後ろには少し長めのセミロング。顔元は幼く元気そうな雰囲気ではあった。だが、すでに彼女はなんらかの限界を感じているようだった。
「私、もうかえる」
「だめよ、まだタスクが終わってないわ」
「もうやだこのチーム……」
背の低い、萌と名乗る少女はへなへなとその場でへたり込んだ。
長身少女の方が萌を引っ張り上げる。その隣では、焼けた火薬で髪をちりちりにしている三人目の少女がゆっくり体を横に転がした。
少女は三人いる。この三人が、今朝から宗士を追いかけているうちの一つだと宗士は理解した。さらに言うとさっきあった肌黒い大男の方はこの少女たちと何の関係もない。関係ないどころか、おそらく敵対関係か何かなのだろう。
宗士は少女たちを視界にいれながら、背を建物側にむけつつゆっくりと横に移動する。
彼女たちを刺激しないように。できるだけ、ゆっくりと。静かに。
だが少女たちがふっと顔をあげ、不運なことにふたたび宗士と目が合った。
「そう思うでしょう隊長?」
少女の顔がぱあっと……はっとした顔になる。
地面に膝をつく、萌と呼ばれる少女を背にして、背の高い方が宗士と対峙した。
「はじめまして。加藤宗士さん」
深々と丁寧に、ばかに行儀の良い形で理香と名乗る少女は宗士に対してお辞儀をした。
それに対して宗士も慌ててお辞儀する。だが心の中では、宗士はまた今朝みたいな事が起こるんじゃないかと怯えていた。
ちらと少女たちの方をみると、理香はまだ深々とお辞儀している。その隣では、背の低い日焼けした少女の方が、ぎょっとした顔で理香を見上げていた。
「な、なにしてるのリカ」
「なにって、ただの朝のご挨拶ですわ」
「気をつけなよ萌っちー」
二人が固まっているその後ろで、さきほどまで気絶していたもう一人の方の少女が二人を振り返った。
「リカリカのバカ丁寧な挨拶は、決闘前のいつものあれ……」
だが途中まで言いかけると、少女は横目で宗士をちらりと見る。
「……あれ、でございますわよ、ほ、ほひひ」
「えっ。あっ」
途中で明らかに口調が切り替わった変な少女に突っ込みもせず、萌と呼ばれる小さな少女が警戒色も露わにして背が高い方の少女と宗士の両方を見る。
「えっ」
宗士はよく分からないまま、三人の少女たちそれぞれがそれぞれの格好で宗士を取り囲んでいる図を凝視した。
もう何度目だろうか。三人の彼女たちに追いかけられるのは。
そのうち少女たち三人組の特徴が掴めてきた。一人はリーダー格ではあるみたいだがそこまで実力があるとは思えない、背の小さな少女。桜庭萌。宗士のことを宗士隊長と呼んで慕うらしい、オールマイティな空飛ぶガンナー。
もう一人が日焼けしたミドルロングな黒髪が特徴の女の子。岩崎美月という名前だった気がするが、それ以外があまりにも特徴的すぎてよく覚えていない。空飛ぶ爆弾使いで、独特の信仰心を持つ変な子。この町にトラップを仕掛けたのもたぶん彼女だろう。特徴は……特徴は、変な口調。あと、たぶんドM。
そしてもう一人が……バカ丁寧な口調の、目の鋭い女の子。
「わたくしの名前、覚えていらして?」
大きくお辞儀をしていた構えから、どこからともなくゆっくりと太刀を引き出し目の前で大きく構える。
「きみは……」
「わたくしの名前は、川端理香。ウィザーズで、隊長に救われ、隊長に導かれてきた、この中でもっともあなた様をお慕いしている者ですわ」
理香は名乗ると黒光りする大太刀をゆっくりと逆刃の構えに直し、横にゆっくりずらして牙突の構えをとった。
二人の少女が不安そうに宗士達を見守り、宗士も三人とは距離をとって身構えている。
宗士は逃げることを考えていた。
目の前には学園の門。走って百メートルもないかもしれない。
道ばたにはバリケードのように瓦礫の山が積み上がり、まっすぐ走っても校門にはたどり着けない。
宗士はいかにして少女をくぐり抜け学園の中に逃げ込めるかを考えていたが、立ちふさがる少女の鋭い視線と気迫に圧されどうしても前に進めない。
また、今朝みた灰色のモヤが町に漂い始める。
このモヤには不思議な何かがあるようで、町中にいた建物や名もなき人々がまるで魔法にでもかけられたようにきらきらといろめきだし、一体となって三人と宗士たちの周りを囲み出す。
それは生き物のようだった。輝く灰色の妙なモヤは、宗士を包み込み、地に座り込む二人を覆い、そうして最後は大太刀を握る三人目の少女の肩、首、剣先にかかって徐々に絞めていくような。
その存在を、灰色の中に押しとどめて消し去ろうとする何者かの意思のような。そういった類の目に見えない何かをもって、煙はこの世界と異世界からの侵入者三人を隔離し覆いはじめる。
だが三人目の大太刀の少女は呼吸を整え喝を入れると、大きく太刀を一回転させた。
ふううう……と少女は小さく息を吐いて、可愛さ満面でにっこり笑う。
「隊長を救うのは、このわたくしでございます」
もう一人のエセ丁寧語とはまた別のしおらしさ。刹那。キンと耳の奥に触れる鋭い音が聞こえたかと思ったら、宗士の首筋に迫っていたモヤの腕が二つに斬られていた。
見れば周りの風景は今朝あのときとそっくりな状態になっており、町は輪郭を失い町をゆく生きた人々の姿は見えない代わりに町の反対側の方、宗士と三人の少女たちのいる場所からやや離れたところに、今朝みた得体の知れない群衆たちが列を作り機械的な隊列を組んでまっすぐ歩いていた。
地に座り込む背の低い方とうるさい方、萌と美月が互いを抱きしめ合ってぶるぶる震えている中、背の高い川端理香がゆっくりと太刀をかざす。
剣先が宗士へ向けられたかと思うと、少女はふと眉間のしわをゆるませ大太刀を下に降ろした。
「加藤宗士隊長。わたくしが知っているあなた様は、ウィザーズでもっとも勇敢で、お強うございました。どんな戦場でも、絶望の底でも、わたしたちに希望を示してくださいました。どんな地獄であってもです」
悲しそうな顔をする理香と名乗る少女の後ろで、地面に座り込む萌がハッとした。
「隊長。こちら側に帰ってきてください。あなた様は強い。あなた様は、ご自身の手で未来を掴むことができる。いまのあなた様は、平和な偽りの日常世界に飲み込まれすぎている」
「うそだ」
自然と宗士の口から言葉が漏れた。
後ろで萌がなんらかの抗議の意を込めて立ち上がる。それを美月の方が急いで羽交い締めにして抑えた。
理香は、背後でうるさいのを黙ってスルーした。
「きみは……いや、ちょっとまって」
宗士は言葉を言いかけて、何かが頭のどこかに引っかかるような違和感を感じた。
知らないはずの彼女たちを思い出しかけるような、変な錯覚だ。それからこの世界にいた頃の記憶を、今まではそれが当然だと思っていたが、思ってはいてもまったく現実感の無いような矛盾。
すり込まれたような、あるはずのない記憶。こうであると繰り返し言って聞かされてきているのに、実際には何もしていないようなふわふわとした感じ。
「ボクは、きみたちと……」
そこまで言いかけたとき、ふたたび世界が大きく揺れる。先ほどまではまだ近くにいなかった不自然な群衆たちが、町中からちらほらと顔を覗かせ隊伍を組み、足音を踏みならせすぐ近くまで迫ってきていた。その足音は、地鳴りのようだった。
足音の地鳴りに合わせて、宗士の心に電撃が走ったような気がした。
この世界はMMICSが見せている夢だという。
そうすると、今朝に宗士が見た夢とつじつまが合った。夢の中でドクターと名乗る人たちは自分に、きみはこれから夢を見ると言っていた。
宗士は自分の手のひらを見た。それはそっくり現実味のあるものだし、今見ているこれが夢であるとはとうてい思えない。
足音が近づいてくる。群衆にして都合が良すぎる。その出方も、列の作り方も、それに町全体を覆う不気味な煙も住宅街にそびえる建物群も、冷静に考えればあまりにも奇妙だ。
「隊長。帰ってきてください」
太刀を手に取り理香が手をさしのべた。宗士は見ていた手のひらをじっと見つめ、自分の鼻、頬、唇に触れてその触感を確かめる。
この世界は、MMICSが自分に見せている夢だと。MMICSとは何だったろうか。
夢であるからこのような不自然なことが平然と起こる。起こっても誰も不思議に思わないわけである。ここは普通の世界ではない。
だがそうと思う心とは別に、さきの電撃とはまた別の何か釈然としない思いが心の中で頭をかかげているのを宗士は感じた。
それがいったいなんなのか分からない。夢の中で、名前も顔も分からない男たちが自分に言った逃げろと言う言葉とはまた違うなにか。
なにか、自分がしなければならないことがあるような。
そんな気持ちがあるからか、宗士は三度足を退いた。
「隊長?」
その様子を見て理香は目を丸くした。
なにか言いたいことがあるのに口元を抑えられている萌とその後ろで萌を抑えつけている美月も、宗士を見てはっとした。
「隊長、なんで?」
「ぼ、ボクはきみたちの隊長なんかじゃないよ」
さらに濃くなるモヤと群衆の足音を耳にしつつ、宗士は焦る心を懸命に抑え込みながら答えた。
「ボクはウィザーズでもなんでもないし、ボクはキミたちの仲間なんかじゃないよ。ほ、本当だよ! ボクは学園に行かなくちゃならないんだっ!」
そういうと宗士は、校門目指して全速力で走り出した。
迫りつつあった得体の知れない群衆、町の人たちも宗士に合わせて露骨な形で走り始めた。その双方を見て少女たち三人組も慌てて走り出す。
走っても走っても煙が、人が、群衆が、町全体が宗士たちを追いかけ始めた。
それは終わりの見えないマラソンの始まりにも思えた。
ただし、ゴールはある。目の前の正門の中。そこには警備員がいて門を守っている。
宗士は目の前に築かれたバリケードや破壊され積み上げられた自動車の残骸や燃えるタイヤを乗り越え正門を目指す。体は自然と障害物を乗り越え、その身は軽く、まるで前にもこのような場所を同じように駆け抜けていたかのような感覚を覚える。
もしかしたらその通りなのかもしれないが、今、宗士にとってそんな記憶はどうでも良いことだった。
「くそ! みんな早いな!」
後ろを振り返ると三人の少女たちも負けじと宗士の後についてくる。みんなすました顔だった。だが三人の顔つきはただ宗士を追いかけていると言うよりも、宗士を捕まえようとしている感じだった。
特に、一番背の小さい萌隊員の顔が一番印象的だ。
「まってー! ちょっと待ちなさいって、たいちょーっ!」
「待ーたーなーいーっ!」
宗士を追いかける三人の中で、いちばん表情が出ているのが萌だ。その隣で理香がすまし顔で萌に続き、二人から少し遅れた形で美月も後に続く。その後ろには、町中から出てきた謎の人々だ。
途中、騒動を観察している今朝の三人組を見かけた。肌黒の巨漢は腕を組んでじっと宗士を見ているし、残り二人は何か互いに激しく話し合っている。だがそんなこともどうでもいい。
宗士はその隣を駆け抜けた。
「隊長を逃がすなーっ!」
また後ろで声がする。吹き飛んだ廃車の上を宗士が両手を使って飛び越えると、後に続く少女たちは身も軽やかに両足だけで飛び越える。
「理香っ! なんとかならないのっ!?」
さっきから聞いていれば叫んでいるのは萌だけである。あとの二人は宗士を追いかけるのにそこまで積極的ではないようで、こと黒髪の理香は事あるごとに脇道を見て何かの機を見ているようだった。宗士について走る萌は、ウィザーズの隊長宗士を捕まえることに一生懸命のようだった。だが三番目のウィザーズ隊員美月には、なんとなくだがそこまで走る姿に真剣さが感じられない。
「べつにこんなことしてもねー」
さっと脇道に逸れる理香を横に見ながら美月は廃車バリケードを飛び越え、やる気なさそうに普段語をしゃべった。
先ほどまで話していた気取った丁寧語とは、だいぶ雰囲気が違う。
「誰かを追いかけて自分が走るのは、あんまり好きじゃないかなー」
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