1-7 出家後の世界

 さて皆様もお気づきだろうが、仙桃院とは為信の正室だった戌姫の出家名である。ちなみに父親の大浦為則は葬られる際に仙洞院の名を贈られており、中の字である“洞”の音の濁りをなくしただけである。それでも用いた漢字に“桃”を使ったあたり、出家はしたものの女性であり続けたいという彼女の想いがあったのかもしれない。

 仙桃院の住まうのは、昔の城跡である。かつては赤石城と呼ばれたらしいが、いまとなっては少し小高い丘に、簡素な造りの何軒かの家屋を寺と呼んでいるだけである。出家直後、為信と関わりなく生きたいとの想いが強かったので、大浦家本拠地の大浦城より岩木山で隔てられたこの地へ移り住んだ。時が経るにつれて心境に変化があっただろうが、故に遠く離れたこの地にいる。ちょうど日が暮れる頃太陽は日本海と山々の間にちょうど落ちるように見える。(特に冬には)


 由緒書きによると、天正二年(1574)に誰かのために庵が立てられた。正式に寺に昇格したのは承応年間(1652-1655)と伝えられる。現、曹洞宗赤石山松源寺である。




 話を元に戻す。このようなことがあったので、眠れるはずがない。心の中に清濁入りまじり、どう落ち着かせようかわからない。……侍三人が帰った後、子供らは彼女の元に駆け寄った。顔ではもちろん大丈夫なように努めるが、どこかひきつって見えたかもしれない。特に年長の者などには察しが付く。


 加えていえば、津軽家(=大浦家)の侍はこの子らの仇でもある。大光寺など諸城での戦いで命を失った父兄。戦に伴ういざこざに巻き込まれた母。さらには今は母親代わりの彼女が責められた。守ってあげたいが、小さい力は小さい力でしかない。自分らに対する鬱憤、不甲斐なさ。


 この日の夜は、遠くで見守るしかできない。

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